鍼灸医学の懐

主に黄帝内経の意訳と解説 最後に原文と読み下しを記しています。その他、随時古典資料を追加しています。

解精微論篇第八十一.

 足かけ6年に及ぶこのシリーズも、ようやく終えることが出来、自分の中にも一応の区切りがついたかのように感じている。

 過去の投稿を振り返り見ると、随所に筆者のその拙さが露呈しており、赤面の情に絶えないものがある。

 ここを一つの終わりにして、また次の始まりとしたい。

 さて、本篇の内容を、なぜ締めくくりの81篇に持ってきたのであろうか。

 編纂者の意図を汲みかねるが、本篇の内容は、身体と七情との兼ね合いを「泣く」という現象の病理を説いたものである。

 ここから表題の「精微を解く」ことの意味を拡大解釈すれば、人体に表現されるあらゆる症状。

 つまり森羅万象を観て、気の動きを陰陽で捉えろ と訴えているように感じる。

 対象を認識する手段は様々存在していても、天人合一、陰陽の道理を離れてこの医学は成り立たないのだと語りかけられてるようである。

 読者諸氏のお考え、ご意見など賜れば、幸甚です。

 

             原 文 意 訳

 

 黄帝が明堂に居られたとき、雷公がお願いして申された。
 臣は帝より授かりました医学を、医学生に伝えております。

 経論、従容形法、陰陽刺灸、そして湯薬の滋養するところなど、これらを用いて臨床指導を行っております。
 ところが医学生には賢愚の者が居りまして、未だに完璧という状況ではありません。
 すでにお聞きしております、悲哀喜怒などの七情の問題、燥濕寒暑などの自然環境の変化と人体の問題、陰陽婦女など小児・婦人科の問題などにつきまして、さらに詳しくお聞かせ願いたく存じます。
 さらに卑賎富貴、人の形体、帝に仕えている多くの部下や通使に、帝のお指図通り、事あるたびにこの道術を行ってまいりました。
 ここに至りまして、経にも記されていないような諸問題を抱えております。
 臣は愚鈍なもので聞き漏らしたのかも知れませんが、これらの諸問題についてお聞かせくださいませんでしょうか。


 帝が申された。

 おぉ~そうであったか、それらは大変重要な事である。


 雷公が願い問われた。
 大声をあげて泣き叫んでも、涙の出ないものがおります。ところが中には涙は出るのですが鼻水が少ない者もおりますが、これらの違いの理由はどこに在るのでしょうか。


 帝が申された。
 それらは、すでに経に記されていることである。


 雷公が重ねて問われた。
 涙も鼻水も共に水であります。その水がどこから、何によって生じるのか分からないのであります。


 帝が申された。
 汝のこの質問は、直接治療には利益の無いことである。
 なにより医師として知っておくべきことは、陰陽の道によってこれらのことが生じているということである。


 心には五臓の精が集中している。目はその心気が現れる穴であり、顔面の気色や目の気色には、心の状態が現れているものである。
 これらのことから、その人に徳が備わっておれば気が和している状態が目に現れ、なにか失うようなことがあれば憂いの状態が目に現れるのが道理である。
 従って悲哀すれば涙は出るものであり、涙が出るということは水がどこかから生じて目にあふれ出たということになる。
 そしてその水の大元は、体内に蓄えられた積水によるものであり、積水は至陰である腎の精である。
 この腎精の水である涙が出ない場合は、腎がこれを固摂しているからであり、腎気は水を動かすが同時に制御もしているのである。
 したがって特殊な状況でなければ、涙は出ることが無いのが通常である。


 陰である水の精は志であり、陽である火の精は神である。この上下・水火が互いに感応し合い、心志が共に悲しむことによって、目に涙という水を生じさせるのである。
 ゆえに以下のような諺がある。
 「心悲しむを名づけて志悲という。」と。 これは志と心精が、一緒になって目に湊(あつま)ることを言っているのである。


 以上のことを踏まえて、心腎がともに悲しみに感応すれば、神気は心にのみ伝えて精を上らせ、孤立した腎志は悲んで水の制約を解くので、水は上って目から涙が出るのである。(神気が上実下虚を起こし、腎の固摂が解かれるので上に水が溢れるということであろう)
 涙も鼻水も脳に関係する。脳というのは陰であり、また同じ陰である髄は骨を充たしているものである。この故に、陰である脳からにじみ出てきたものが、鼻水なのである。
 志は骨を主っているのだから、水が動いて涙として出てくると同時に、脳髄から滲みだしてきた鼻水も同時に出てくるのである。涙も鼻水も、共に水の類(同源)であり動きも似ているのである。


 これを兄弟に例えることもできる。
 なにか重大で急なことがあれば共に死し、また共に助け合い共に生きるようなものである。
 このように志が早々に悲しんで水の制約を解けば、涙と鼻水は一緒になってとめどなく流れ出るのである。これは涙と鼻水が同じ水の類に属しているからである。


 雷公が思わず申された。

 「偉大だ」と。


 再度請いて問わせていただきます。
 人が大声を張り上げて泣いており、涙の出ない者が居ります。もしくは出るには出ても少なく、鼻水もまた涙に従って一緒に出ない者などが居りますが、これはいったいどのような訳なのでありましょうや。


 帝が申された。
 それはだな、涙が出ないということは、大声を張り上げてはいても、本当に悲しんでいないからである。
 そもそも泣かないということは、神に慈悲が無いからである。神に慈悲が無ければ腎も悲しんで水の制約を解くことも無い。
 したがって、陰陽・上下が互いに水を保持しているのであるから、どうして涙だけが出てくる道理があろうか。


 志というのは堅持する気であり、悲というのはこみあげてくる感情の気である。
 この志悲がせめぎ合えば、惋(えん)という鬱積した状態となる。この鬱積したものがその拮抗を失い、陰気を衝けば志は目を去り神気も精を保持することが出来ず、精神共に目から去ることとなる。
 結果として涙と鼻水が出ることとなるのである。


 ところで汝は、經言を読んでいながら、これらのことについてよく思考しなかったのであろうか。厥証になれば、目に見る所なしとあるではないか。


 人が厥証になれば、陽気は上部に結集し、陰気は下部に結集する。
 上部に陽気が結集すれば、火となり孤立する。一方下部に陰気が結集すれば、足が冷え水が集まり脹をなすことになる。
 目には水が存在するが、上部に結集した五火には勝てないものである。そのゆえに目が見えなくなるのである。


 また陽邪である風気が目にあたると涙が出て止まらなくなる現象は、内を守っている陽気と風邪が合わさって火邪となり、目を焼いてしまうからである。


 自然界の現象を見るがよい。
 火熱が一気に盛んともなれば風が起ころう。
 風は上昇気流となり、雨を招来するであろうが。
 自然現象も人体生理も、同じ道理で営まれているのであるぞ。

 

 

 

       原文と読み下し文

 

黄帝在明堂.

雷公請曰.

臣授業.傳之行教.以經論.從容形法.陰陽刺灸.湯藥所滋.行治有賢不肖.未必能十全.

若先言悲哀喜怒.燥濕寒暑.陰陽婦女.請問其所以然者.

卑賎富貴.人之形體.所從群下.通使臨事.以適道術.謹聞命矣.

請問有毚愚仆漏之問.不在經者.欲聞其状.

黄帝明堂に在り。

雷公請いて曰く。

臣業を授かり、これを傳えて教えを行う。經論、從容形法、陰陽刺灸、湯藥の滋する所を以て、治を行うも、賢不肖有りて、未だ必ずしも十全たること能わず。

若し先に言う悲哀喜怒、燥濕寒暑、陰陽婦女、其の然る所以の者を請いて問う。

卑賎富貴、人の形體、從う所の群下通使、事に臨みて、以て道術に適わしむる。

謹しみて命を聞けり。請い問う。愚仆漏の問い、經に在らざる者有り。其の状を聞かんことを欲す。

 

帝曰.大矣.

公請問.哭泣而涙不出者.若出而少涕.其故何也.

帝曰.在經有也.

帝曰く。大なりと。

公請いて問う。哭泣して涙出でざる者、若くは出でて涕の少なきは、其の故は何ぞや。

帝曰く。經に在りて有るなり。

※涕・・・てい: 感情がこもったなみだ、もしくは涙と鼻水

 

復問.不知水所從生.涕所從出也.

帝曰.

若問此者.無益於治也.工之所知.道之所生也.

夫心者五藏之專精也.目者其竅也.華色者其榮也.是以人有徳也.則氣和於目.有亡.憂知於色.

是以悲哀則泣下.泣下水所由生.

水宗者積水也.積水者至陰也.至陰者腎之精也.宗精之水.所以不出者.是精持之也.輔之裹之.故水不行也.

復た問う。水の從(よ)りて生ずる所、涕の從(よ)りて出ずる所を知らざるなり。

帝曰く。

若(なんじ)の此れを問う者は、治に益無きなり。工の知る所は、道の生ずる所なり。

夫れ心なる者は五藏の專精なり。目なる者は其の竅なり。華色なる者は其の榮なり。是れを以て人に徳有るは、則ち氣は目に和す。亡(うしな)うこと有れば憂を色に知る。

是れを以て悲哀すれば則ち泣下る。泣下るは水の由りて生ずる所なり。

水宗なる者は積水なり。積水なる者は至陰なり。至陰なる者は腎の精なり。宗精の水、出でざる所以の者は、是れ精れを持せばなり。これを輔(たす)けこれを裹(つつ)む。故に水行かざるなり。

 

夫水之精爲志※.火之精爲神.水火相感.神志倶悲.是以目之水生也.

故諺言曰.

心悲名曰志悲.志與心精.共湊於目也.

是以倶悲.則神氣傳於心.精上不傳於志.而志獨悲.故泣出也.

泣涕者腦也.腦者陰也.

髓者骨之充也.故腦滲爲涕.

志者骨之主也.是以水流而涕從之者.其行類也.

夫涕之與泣者.譬如人之兄弟.急則倶死.生則倶生.其志以早悲.是以涕泣倶出而横行也.夫人涕泣倶出而相從者.所屬之類也.

夫れ水の精を志と爲し、火の精を神と爲す。水火相感じ、神志倶に悲しむ。是れを以て目の水生ずるなり。

故に諺言(げんげん)に曰く。

心悲しむは名づけて志悲と曰く。志と心精と共に目に湊るなり。

是れを以て倶に悲しめば、則ち神氣は心に傳え、精は上りて志に傳えずして、志は獨り悲しむ。故に泣出ずるなり。

泣涕なる者は腦なり。腦なる者は陰なり。

髓なる者は骨の充なり。故に腦滲(にじ)みて涕を爲す。

志なる者は骨の主なり。是れを以て水流れて涕これに從う者は、其の行類すればなり。

夫れ涕と泣なる者は、譬えば人の兄弟の如し。急なれば則ち倶に死し、生くれば則ち倶に生く。其の志以て早く悲しむ。是れを以て涕泣倶に出でて横行するなり。夫れ人の涕泣倶に出でて相從う者は、屬する所の類なればなり。

 

雷公曰.大矣.

請問.人哭泣而涙不出者.若出而少.涕不從之.何也.

雷公曰く。大なるかな。

請うて問う。人哭泣して涙出でざらぬ者、若しくは出ずるも少く、涕これに從わざるは、何なるや。

 

帝曰.

夫泣不出者.哭不悲也.

不泣者.神不慈也.

神不慈則志不悲.陰陽相持.泣安能獨來.

夫志悲者惋.惋則沖陰.沖陰則志去目.志去則神不守精.精神去目.涕泣出也.

惋…鬱積した感情

帝曰く。

夫れ泣して出でざる者は、哭して悲まざるなり。

泣かざる者は、神慈せざるなり。

神に慈あらざれば則ち志は悲しまず。陰陽相持す。泣安(いずく)んぞ能く獨り來らんや。

夫れ志悲しむ者は惋す(わん)す。惋すれば則ち陰に沖す。陰に沖すれば則ち志は目を去る。志去れば則ち神は精を守らず。精神目を去り、涕泣出ずるなり。

 

且子獨不誦不念夫經言乎.厥則目無所見.

夫人厥.則陽氣并於上.陰氣并於下.陽并於上.則火獨光也.

陰并於下.則足寒.足寒則脹也.

夫一水不勝五火.故目眥盲.

且つ子獨り夫の經言を誦せず念ぜざるや。厥すれば則ち目に見る所無し。

夫れ人厥すれば、則ち陽氣上に并し、陰氣下に并す。陽上に并すれば、則ち火獨り光あるなり。

陰下に并すれば、則ち足寒す。足寒すれば則ち脹するなり。

夫れ一水は五火に勝たざるなり。故に目眥盲す。

 

是以衝風.泣下而不止.

夫風之中目也.陽氣内守於精.是火氣燔目.故見風則泣下也.

有以比之.夫火疾風生.乃能雨.此之類也.

是れを以て風衝けば、泣下りて止まざず。

夫れ風の目に中るや、陽氣内に精を守る。是れ火氣目を燔(や)く。故に風を見れば則ち泣下るなり。

以てこれを比する有り。夫れ火疾(と)くして風生じて、乃ち能く雨するは、此れこの類なり。

 

方盛衰論篇第八十.

 いよいよ素問の意訳も残すところあと一篇となって参りました。

 本篇中の厥証に関して、筆者はこれまで何度か遭遇した経験を踏まえて意訳を試みております。

 またここに至って、医師としての有り様を解いていますが、象・数・理の三要素と、術者の心に映し出される世界。

 この術者の心神と相手の心神の共鳴・共振こそが、この医学のキモであると改めて感じ入った次第です。

 むろん、象・数・理の三要素の重要性は変わりませんが、これら認識道具を用いて、最終的に術者の心内に去来するものこそが、「すべて」だと感じているからです。

 

 また些事ですが、本文中に「至陽」なる語が使われています。

 この「至陽」は、経穴名でもあり第7胸椎下、膈兪の中央に位置しております。

 至陽穴、膈兪穴の状態を診て、上下・内外を察するヒントが記されていると思います。

 一を聞いて十を知る。

 このような感性・悟性が、この医学に携わる者に求められていると考えてます。

 読者諸氏は、いかがお考えでしょうか。

 

         原 文 意 訳

 

 雷公が教えを乞うて申された。
 陰陽の気には多少ということがございますが、その逆従・順逆はどのように判断すればよろしいのでありましょうか。


 黄帝が答えて申された。
 聖人は南面して立ち、左右は陰陽の道路であったな。
 しかるに陽は東から昇り、西に沈むのであるから、陽は左から右に行くのが従である。
 反対に陰は西から生じ始め北を周って東で尽きる。また陰は降りるのであるから、陰は右から左に行くのを従とするのである。
 また老者は、成長の極みから次第に下が衰えるのであるから、相対的に上に気が実するようになるのが従である。
 反対に、少者は下に気が実して、ここから上に伸びようとするのが従である。
 これらは、春夏に陽の気に従えば生を為すのであるが、秋冬に陽の気に従えば散じて死を為すのである。
 これに反して、秋冬に陰の気に従えば生を為すのである。
 このように気の多少はあるものの、その陰陽盛衰の方向が逆になれば、すべて手足が冷えあがる厥証を起こすのである。


 雷公が問うて申された。
 陰陽の気が有余している場合であっても、厥証を生じるのでありましょうや。


 黄帝が答えて申された。
 陽気が激しく上昇して降りなければ、足膝は相対的に虚して寒厥となろう。
 年少者で、まだ下焦の気が定まっていないものは、陰気の盛んな秋冬に死するであろう。
 下焦が衰え始めた老年者は、春夏の陽気の散じる季節は危ういが、収斂の秋冬は比較的持ちこたえて生きるものである。
 ところが気が上昇して下降しない状態が続けば、頭痛や意識障害を伴う巓疾を起こすようになるものである。
 この厥証の病に際しては、陽気の存亡を知ろうとしても得ることが難しく、また陰気の状態も詳しく得ることが難しいものである。
 また意識が無いのであるから、五臓もその相互の気の交流が断たれており、その生命の徴候もかすかであるため、とらえるのが非常に困難である。
 厥証に陥った人を例えるならば、広野にひとりポツンと孤独で居るかのようであり、空っぽの部屋に伏せて身動きできないかのようである。
 このような静かで生きてるのか死んでるのか定かでない状態が、綿々としてしばらく続いているようでは、その命が丸一日持つことはあるまい。


 以上のことを踏まえて、少気による厥証には、色々な夢をみせるものである。その厥証が極まると、昏迷の度合いも深まるのである。


 このような場合の脉象は、三陽が絶しているため軽按ではその脈に触れることが出来ない。
 三陰も気が微であるため、重按してやっと弱々しいその脈に、やっと触れることが出来るのみである。これを少気の厥証と判断する目安とするのである。


 これらのことを踏まえた上で、肺気が虚すれば白いものを夢見させ、人が切られて血がドクドクと流れて騒然となっている様を夢見させる。
しかも金気が盛んな時に至れば、兵が戦う様子を夢見るようになるのである。
 腎気が虚した場合は、船舶に乗っていながら水に溺れる夢を見るものである。水気が盛んな時になれば、なにか恐ろしいことから逃れるかのように、水中にジッとしてひそんでいる夢を見るものである。
 肝気が虚した場合は、菌香や草が生い茂る夢を見る。木気が盛んな時には、樹木の下にジッと伏して起き上がろうとしない夢見をするものである。
 心気が虚した場合は、火事を消そうとしたり、龍や稲妻のような陽物を夢見るのである。火気が盛んな時に至れば、炭火や焼けた鋼などに象徴されるような燔灼状態を夢見る。
 脾気が虚すれば、飲食が不足している夢を見る。土気が盛んな時に至れば、土で垣根や家の屋根を築く夢を見るものである。


 これらの夢見は、それぞれ五臓の気が虚しているからであり、陽気有余、陰気不足によるものである。これら五臓の有餘不足を念頭において診断し、陰陽の道理に従って平衡を図る治療は、経脉に在るのである。


 診察には、十の尺度を用いるのである。
 その尺度とは、脉度、藏度、肉度、筋度、兪度の五つに、左右を掛け合わせた十の尺度である。
 これらを用いて、陰陽の偏盛・偏衰をことごとく掌握すれば、人の病の状態は自ずと手中に入ってくるものである。
 脈を按じたその拍動には、絶対的な基準は無いのである。
 たとえば陰が散じて陽が勝っていても、それがそのまま脈に現れるとは限らない。
 診察には、ある程度の定石はあるにしても、それにかかずわらない(拘泥しない)ことである。
 それはとりもなおさず、身分の上下であるとか、庶民と君卿との違いを考慮することでもある。


 また師匠の教えを最後まで学ぶことも無く終え、その学術もおぼろげで、順逆・従逆さえ察することが出来なければ、ついにその治療は、妄行となってしまうのである。
 つまり雌を手にしていながら雄の存在に気づけず、また陰を捨て去って陽しか目に入らない状態で、陰陽・雌雄の両儀を併せ見ることすらも知らないということである。
 従って明確な診断が下せないばかりか、これを後世に伝えようものなら、その拙さやでたらめさは自ずと世にあきらかになってしまうものである。


 至陰である地気が虚すれば、地気は昇ることが出来ないので天気は絶することになる。
 至陽である天気が盛んであれば、天気は下ることが出来ないので地気は不足することになる。
 このように陰陽が相交する法則は、至人の医家が行うところのものである。
 この陰陽相交は、陽気が先ず至り、後に陰気がそれに従い至るものである。
 これらのことを踏まえた聖人と称される人の診察は、陰陽・先後の順を守り、一般論では捉えきれない奇恒の60の種別と微かな兆しを合わせて陰陽の変化を追いかけるのである。
 そして五臓の情勢を明確にし、虚実を明確に区別する要を手中にして、五診十度を定めて行われるのであり、これらのことを十分に知り得てこそ診察に足りるのである。


 これらをもって診察に当たるのであるが、陰である肉体を切し、陽である気の情を知り得ないようでは、もはや診察とは呼べないのである。


 また陽である文字で書き著された書物を読み、その裏に秘められた陰である意図を汲み得ないようでは、学問知りの人知らずであり、机上の学問にしかならないのである。


 さらに治療においては、左を知りて右を知らず、右を知りて左を知らず。上を知りて下を知らず、先を知りて後を知らずといった平面的で片手落ちな診方であれば、医家として久しく永らえることはできないのである。


 醜さと善、病と不病、高きと低き、坐と起、行くことと止まることなど、これらすべての物事が相反することを知り得た上で用いれば、それが筋道となり自然と綱紀と成っていくのである。
 このような診察の道具を持ち得ていれば、萬世にわたって過ちを犯すことは無いであろう。


 そして有余しているところを見て不足しているところを察して知り、さらに身体の上下を図ることが出来るようになれば、脉理の道は至り、脈診も一定レベルに達することが出来るのである。


 このようにして診れば、身体が弱々しく気もまた虚していれば、形気ともに合して死するものである。
 身体も気力も有余しておったとしても、脈気が不足している者はまた、死するものである。
 逆に、脈気が充実して有余であれば、身体、気力共に不足していても生きるものである。


 このように診察には一定の道理が存在するのであるから、医師たるものは常日頃から座起に規律を持ち、出入りの行いに品格を具え、患者の神明を幸へと転じることが重要である。
 そして医師の心持ちは、必ず清にして浄を保ち、上を観て下を観、八風の邪を候い、五臓六腑を弁別し、脈の動静を按じ、尺膚の滑濇・寒熱の意味するところに従い、大小便の状態を視て、これらすべてを合して病態を把握するのである。このように逆従を得ておれば、自ずと病名も知れてくるのである。
 このようであれば診察は完璧なものとなり、人情にも背くことは無いのである。
 ゆえに、診察に際しては、患者の呼吸の状態やその心情にまでしっかりと意識的に視るのである。
 さすれば、条理は失われず、歩むべき医道も非常に明察することが出来るようになり、過誤なく医家として長久することができるのである。
 しかるに、この医道を知らざれば、本筋たるまっすぐな縦軸を失い、正しい条理は絶え、口にすることや生死の期もでたらめとなるのである。これを医家の道を失ったというのである。

 

 

        原文と読み下し文

 

雷公請問.氣之多少.何者爲逆.何者爲從.

黄帝答曰.

陽從左.陰從右.老從上.少從下.

是以春夏歸陽爲生.歸秋冬爲死.反之則歸秋冬爲生.是以氣多少逆.皆爲厥.

雷公請うて問う。氣の多少、何れの者をか逆と爲し、何れの者をか從と爲すや。

黄帝答えて曰く。

陽は左に從い、陰は右に從う。老は上に從い、少は下に從う。

是れを以て春夏は陽に歸して生と爲し、秋冬に歸して死と爲す。これに反すれば則ち秋冬に歸して生と爲す。是れを以て氣の多少の逆は、皆厥を爲す。

 

問曰.有餘者厥耶.

答曰.

一上不下.寒厥到膝.少者秋冬死.老者秋冬生.

氣上不下.頭痛巓疾.求陽不得.求陰不審.五部隔無徴.若居曠野.若伏空室.緜緜乎屬不滿日.

問うて曰く。有餘なる者も厥するや。

答えて曰く。

一たび上りて下らざれば、寒厥は膝に到る。少なる者は秋冬に死し、老なる者は秋冬に生く。

氣上りて下らざるは、頭痛巓疾す。陽を求むれども得ず、陰を求むれども審(つまび)らかならず、五部は隔して徴無く、曠野に居るが若く、空室に伏するが若く、緜緜乎(めんめんこ)として日の滿さざるに屬す。

 

是以少氣之厥.令人妄夢.其極至迷.三陽絶.三陰微.是爲少氣.

是以肺氣虚.則使人夢見白物.見人斬血藉藉.得其時.則夢見兵戰.

腎氣虚.則使人夢見舟舩溺人.得其時.則夢伏水中.若有畏恐.

肝氣虚.則夢見菌香生草.得其時.則夢伏樹下不敢起.

心氣虚.則夢救火陽物.得其時.則夢燔灼.

脾氣虚.則夢飮食不足.得其時.則夢築垣蓋屋.

此皆五藏氣虚.陽氣有餘.陰氣不足.合之五診.調之陰陽.以在經脉.

是れを以て少氣の厥は、人をして妄りに夢みさせ、其の極は迷に至る。三陽絶し、三陰微なる、是れを少氣と爲す。

是てを以て肺氣虚すれば、則ち人をして夢に白物を見、人の斬血藉藉※たるを見せしむ。其の時を得れば、則ち夢に兵戰を見る。

腎氣虚すれば、則ち人をして夢に舟舩(しゅうせん)人を溺((おぼ)らしむるを見る。其の時を得れば、則ち夢に水中に伏して畏恐すること有るが若し。

肝氣虚すれば、則ち夢に菌香生草を見る。其の時を得れば、則ち夢に樹下に伏して敢えて起きず。

心氣虚すれば、則ち夢に火を救い陽物を見る。其の時を得れば、則ち夢に燔灼す。

脾氣虚すれば、則ち夢に飮食不足す。其の時を得れば、則ち築垣蓋屋を夢にす。

此れ皆な五藏の氣虚し、陽氣有餘にして、陰氣不足す。これを五診に合し、これを陰陽に調うるは、以て經脉に在り。

※藉藉(せきせき)・・・がやがやと騒がしい様

 

診有十度度人.脉度.藏度.肉度.筋度.兪度.陰陽氣盡.人病自具.

脉動無常.散陰頗陽.脉脱不具.

診無常行.診必上下.度民君卿.

受師不卒.使術不明.不察逆從.是爲妄行.持雌失雄.棄陰附陽.不知并合.診故不明.傳之後世.反論自章.

診に十度有りて人を度(はか)る。脉度、藏度、肉度、筋度、兪度、陰陽の氣を盡して、人の病は自ずと具(つぶ)さなり。

脉動に常きは、陰散じて頗(すこぶ)る陽、脉に脱して具わらず。

診に常行なし。診するに必ず上下ありて、民と君卿とを度(はか)る。

師に受けて卒(おわ)らず、術をして明らめず、逆從を察せず。是れ妄行を爲す。雌を持して雄を失し、陰を棄てて陽に附き、并わせ合するを知らず。診は故に明らかならず。これを後世に傳うれば、反論は自ずから章(あきら)かなり。

 

陰虚.天氣絶.至陽盛.地氣不足.

陰陽並交.至人之所行.

陰陽並交者.陽氣先至.陰氣後至.

是以聖人持診之道.先後陰陽而持之.奇恒之勢.乃六十首.診合微之事.追陰陽之變.章五中之情.其中之論.取虚實之要.定五度之事.知此乃足以診.

陰虚すれば、天氣絶す。至陽盛んなれば、地氣不足す。

陰陽並び交わるは、至人の行う所なり。

陰陽並び交わる者は、陽氣先ず至り、陰氣後に至る。

是れを以て聖人の診を持するの道は、陰陽を先後してこれを持す。奇恒の勢は、乃ち六十首なり。微を合した事を診し、陰陽の變を追い、五中の情を章(あきら)め、其の中の論は、虚實の要を取りて、五度の事を定む。此れを知れば乃ち以て診するに足れり。

 

是以切陰不得陽.診消亡.

得陽不得陰.守學不湛.知左不知右.知右不知左.知上不知下.知先不知後.故治不久.

知醜知善.知病知不病.知高知下.知坐知起.知行知止.

用之有紀.診道乃具.萬世不殆.

是れを以て陰を切して陽を得ざれば、診は消亡す。

陽を得て陰を得ざれば、學を守りて湛(たん)ならず、左を知りて右を知らず、右を知りて左を知らず、上を知りて下を知らず。先を知りて後を知らず。故に治は久しからず。

醜を知りて善を知り、病めるを知りて病ざるを知り、坐するを知りて起きるを知り、行を知りて止まるを知る。

これを用いて紀有れば、診道は乃ち具わり、萬世に殆(あやう)からず。

※湛・・・たたえる・あつい・ふける・しずむ・ふかい

 

起所有餘.知所不足.度事上下.脉事因格.

是以形弱氣虚.死.

形氣有餘.脉氣不足.死.

脉氣有餘.形氣不足.生.

是以診有大方.坐起有常.出入有行.以轉神明.必清必淨.上觀下觀.司八正邪.別五中部.按脉動靜.循尺滑濇寒温之意.視其大小.合之病能.逆從以得.復知病名.診可十全.不失人情.

有餘の所に起きて、不足なる所を知る。事の上下を度(はか)り、脉事は因りて格(いた)る。

是れを以て形弱く氣虚するは、死す。

形氣有餘なるも、脉氣不足するは、死す。

脉氣有餘し、形氣不足するは生く。

是れを以て診に大方有り。坐起に常有り、出入に行い有りて、以て神明を轉ず。必ず清必ず淨。上を觀て下を觀る。八正邪を司り、五中の部を別ち、脉の動靜を按じ、尺の滑濇寒温の意に循いて、その大小を視て、病能に合し、逆從を以て得て、復た病名を知れば、診して十全たるべく、人情を失せず。

 

故診之.或視息視意.故不失條理.道甚明察.故能長久.

不知此道.失經絶理.亡言妄期.此謂失道.

故にこれを診するに、或いは息を視、意を視る。故に條理を失せず。道は甚だ明察なり。故に能く長久たり。

此の道を知らざれば、經を失い理は絶し、言を亡(うしな)い期を妄りにす。此れ道を失うと謂うなり。

 

 

陰陽類論篇第七十九.

  本篇を通読すると、まず三陰三陽の働きとその病脉象が記されている。

 さらに四時陰陽の気の盛衰と死期との関係についても述べられている。

 ここで述べられている内容を、気の偏在・盛衰を意識しながら手元に引き寄せ、理解しようと試みた。

 それだけでなく、この篇の著者の陰陽の定位が、どこに立てられているのかを探りながら意訳を試みたが、非常に困難であるため直訳の部分もあることをご承知くださればと思います。

 

 三陰三陽の働きに関しては、当ブロブ<陰陽離合論(六) - 一即多、多即一 (1)を併せてお読みくだされば、自ずと通じるものを読み取って頂けるのではと思います。

 本篇の難解な内容が、素問の後半のさらに後に記されてる校正・編者の意図を汲み取ろうとすれば、以下の文言が筆者の目に止まりました。

 

 『決以度.察以心.合之陰陽之論.』

 <決するに度を以てし、察するに心を以てし、これを陰陽の論に合す。>

 

 本篇に至るまでの内経医学の世界観・人体観に基づいた生理病理をしっかりと認識し、人に切して術者の心に映る感覚で気を捉えよ。

 そしてさらに最後に、もう一度陰陽の道理に照らし合わせて万全たれと、そのような声が聞こえるのですが、読者諸氏はいかがでしょうか。

 

 ところで黄帝と雷公のやり取りの中の、最も貴い臓が何であるかが明確に記されていないところが、いやはやなんと理解すればいいのでしょうか・

 終始循環の法則からしてみれば、ひとつだけが貴いということはあり得ないということでしょうか。

        原 文 意 訳

 

 立春となった日に、黄帝はくつろぎながら座し、場に臨んでを八方・八風の気を感得しながら雷公に問うて申された。

 陰陽を用いての分類はいろいろとあり、経脉の道、五臓もそれぞれあるが、その中で最も太極とすべき貴き臓は何であるか。

 

 雷公がその問いに対して申された。

 春は甲乙の主る季節でありまして、万物が芽を出し動き始まめる季節であります。その色は青でありますので、人体に在りては肝が主となります。その期間は七十二日でありまして、これは肝の脈が人体を主る時であります。

 臣は、このような理由から、すべての始まりである肝の臓が最も貴いものと存じます。

 

 黄帝が申された。

 上下經の陰陽、従容の内容をよくよく思い返せば、そちが貴いと申す肝の臓は、その最も下であるぞ。

 

 雷公、斎戒すること7日、夜明けに再び座して黄帝がお出ましになるのを待っておられた。

 

 黄帝が申された。

 三陽(太陽)は背部を単独で走行するので経とし、二陽(陽明)は他経と交わりながら走行するので維とし、一陽(少陽)は身体側面を走行して陰陽の枢であるため游部(ゆうぶ)とする。

 これらのことから、五臓の気の始まりと終わりの循環を知ることが出来よう。

 三陰(太陰)は表であり、二陰(少陰)を裏とし、一陰(厥陰)に至って絶するのである。これは月の初めと末日のように、天地陰陽の消長にもぴったりと符合するのである。

 

 雷公が申された。

 私は業を教わり受けましたが、まだその理を明らかにして理解することが出来ておりません。

 

 帝が申された。

 いわゆる三陽というのは、太陽であり経脉のことである。太陽の気は手の太陰に至るのである。その脉象が弦浮にして沈でない場合、四時陰陽の盛衰と病人の気血の盛衰を兼ねて考慮し、心で病態を察するのである。さらに最終的に陰陽の法則に照らし合わせるのである。

 いわゆる二陽というのは、陽明のことである。陽明の気は手太陰に至り、脉象が弦にして沈急でありながら鼓する力が無く発熱しているようであれば、皆死するものである。

 一陽というのは、少陽のことである。少陽の気は手太陰に至りて人迎に連なる。その脉象が、弦急にして頼りないようでも絶しないようであれば、これは少陽の病である。だが胃の気が窺えないようであれば死するものである。

 三陰すなわち太陰は、六経の主る所であり太陰に交わるものである。その脉象が伏して力強く鼓して浮でないのは、上下の気血が不通となり、上の心志も空虚となっているからである。

 二陰すなわち少陰は、肺に至りてその気は膀胱に帰し、外は脾胃に連なるのである。

 一陰すなわち厥陰が単独で至るようであれば、経気は絶し、気は浮いて鼓することが出来ず、鉤にして滑を呈するのである。

 これら六脉は、陰陽・陽陰とそれぞれ入れ替わり立ち代わりしながら五臓に絡みつくように通じるのであるが、これらは全て陰陽の道理に合するのである。

 最初に手太陰の脈に現れるものを主とし、後に現れるものを客とし、その主従を判断するのである。

 雷公が申された。

 臣は自分の意を尽くして経脉を理解することが出来ました。また従容の道もその素晴らしさを実感しております。しかしながら従容とした心持で居りましても、経脉の陰陽の道理と雄雌の道理が理解できずにおります。

 

帝が申された。

 三陽である太陽は、天であり父であり尊いのである。

 二陽の陽明は、外の邪気から身を守る衛である。

 一陽の少陽は、太陽と陽明を取り仕切り、相互に切り替える綱紀である。

 三陰の太陰は、地であり母であり、卑(ひく)くして万物を養育するのである。

 二陰の少陰は、雌であり内の守りであり、受けて生み出すのである。

 一陰の厥陰は、太陰と少陰を単独で行き来する使いである。

 二陽一陰、つまり陽明と厥陰の合病では、陽明が病を主る。陽明が厥陰に勝つことが出来ず、脈は軟にして動であれば、九竅は通利しなくなるのである。

 三陽一陰、つまり太陽と厥陰の合病では、太陽が勝ち、厥陰がそれを制することが出来ないものである。したがって内部では五臓の気が乱れ、外では情緒不安定な驚駭となるのである。

 二陰二陽、つまり少陰と陽明の合病は、肺に現れる。少陰脈は沈で肺に勝ちて脾を傷り、外は四肢を障害するのである。

 二陰一陽、つまり少陰と少陽の合病は、腎に現れる。陰気が心に留まり、下部の竅は空疎となって閉塞し、四肢は思い通りに動かすことが出来なくなるのである。

 一陰一陽、つまり厥陰と少陰の合病で代脈で絶するようであるならば、これは陰気が心に至り、上下・内外の気が正常を失い、咽喉も乾燥してしまうのである。この病は、脾土に在るのである。

 二陽三陰、つまり陽明と太陰の合病である場合、至陰の太陰が主となり、陰陽の相交が閉ざされて隔絶し、脉浮であれば血瘕(痞塊・腫瘍)を生じ、脈沈であれば膿腫となるのである。

 陰陽の気が共に盛んであれば、下の前陰・後陰にその状態が現れるのである。

 上ははっきりと明るい天道に合し、下は暗くてはっきりとしない地理・地道に合し、これらを踏まえて診察を行い、死生の時期を決し、最後に一年の最初を知り、どの臓が最も貴いのかを理解するのである。

雷公が申された。

 どうか短期間で亡くなる理由をお尋ねしたいのですが。

 黄帝、応ぜず。

 雷公が再び問われた。

黄帝が、すでに経論の中にあるではないか、と申された。

再度雷公が、経論中にあります短期で亡くなる理由をお聞かせください、と申された。

 

帝が申された。

寒気の盛んな冬の三か月に、病が陽にあり、春の初めの正月に死徴の脈を表わすようであれば、皆春の終わりに帰幽するのである。

冬三か月の病で、陰陽の理で計りてすでに胃の気の尽きたるものは、草や柳の葉が芽吹くころに皆死するものである。春に陰陽の気がすべて絶しているようであれば、死期は正月の孟春である。

春三か月の病は、陽殺というのである。陰陽がすべて絶するときは、秋の草枯れのころが死期である。

夏三か月の病で、至陰つまり脾の病であれば、十日を過ぎずして死するものである。また陰陽が交わっているようであれば、水がきれいに澄んでくる秋の時節に死するものである。

秋三か月の病で、三陽が共に起きるものは、治せずとも自然に治るものである。

また陰陽の気が互いに入り混じり、陰陽の偏盛偏衰を生じた場合は、坐ることが出来なかったり、また立つことが出来なくなるのである。

また三陽のみが至りて陰気が至らない場合、死期は水が凍りつく石水の頃である。

二陰のみが至りて陽気が至らない場合、死期は氷が解けて水となる正月、盛水の頃である。

 

 

       原文と読み下し文

 

孟春始至.黄帝燕坐.臨觀八極.正八風之氣.而問雷公曰.

陰陽之類.經脉之道.五中所主.何藏最貴.

孟春始めて至る。黄帝燕坐して八極を臨觀し、八風の氣を正して雷公に問うて曰く。

陰陽の類、經脉の道、五中の主る所、何れの藏か最も貴きや。

 

雷公對曰.春甲乙青中主肝.治七十二日.是脉之主時.臣以其藏最貴.

雷公對して曰く。春は甲乙、青、中は肝を主る。治むること七十二日、是れ脉の時を主る。臣其の藏を以て最も貴しとす。

 

帝曰.却念上下經.陰陽從容.子所言貴.最其下也.

帝曰く。上下經の陰陽從容を念(おも)い却(かえ)れば、子が貴しと言う所は、最も其の下なり。

 

雷公致齋七日.旦復侍坐.

雷公齋を致すこと七日。旦(あした)に復(ま)た坐して侍す。

 

帝曰.

三陽爲經.二陽爲維.一陽爲游部.此知五藏終始.

三陰※爲表.二陰爲裏.一陰至絶作朔晦.却具合以正其理.

帝曰く。

三陽を經と爲し、二陽を維と爲し、一陽をと爲す。此に五藏の終始を知る。

三陰※を表と爲し、二陰を裏と爲し、一陰至りて絶すれば朔晦(さくかい)を爲す。却って具(つぶ)さに合し以て其の理を正す。

※三陽を三陰に作る

※游部(ゆうぶ) 位置を定めず動き回る、あそぶ、ぶらぶらする。

 

雷公曰.受業未能明.

帝曰.

所謂三陽者.太陽爲經.三陽脉至手太陰.弦浮而不沈.決以度.察以心.合之陰陽之論.

所謂二陽者.陽明也.至手太陰.弦而沈急不鼓.炅至以病.皆死.

一陽者.少陽也.至手太陰.上連人迎.弦急懸不絶.此少陽之病也.專陰則死.

雷公曰く。業(わざ)を受けるも未だ能く明らかならず。

帝曰く。

所謂(いわゆる)三陽なる者は、太陽を經と爲す。三陽の脉は太陰に至り、弦浮にして沈ならず。決するに度を以てし、察するに心を以てし、これを陰陽の論に合す。

所謂(いわゆる)二陽なる者は、陽明なり。手太陰に至り、弦にして沈急にして鼓せず。炅(けい)至りて以て病むは、皆死す。

一陽なる者は、少陽なり。手太陰に至りて上は人迎に連らなり、弦急にして懸なるも絶せざるは、此れ少陽の病なり。陰專(もっぱ)らなれば則ち死す。

※炅(けい)烈火、火

 

三陰者.六經之所主也.交於太陰.伏鼓不浮.上空志心.

二陰至肺.其氣歸膀胱.外連脾胃.

一陰獨至.經絶.氣浮不鼓.鉤而滑.

此六脉者.乍陰乍陽.交屬相并.繆通五藏.合於陰陽.先至爲主.後至爲客.

三陰なる者は、六經の主る所なり。太陰に交わり、伏鼓して浮ならず、上は志心空(むな)しゅうす。

二陰は肺に至る。其の氣は膀胱に歸し、外は脾胃に連らなる。

一陰獨り至り、經絶すれば、氣は浮いて鼓せず。鉤にして滑なり。

此の六脉なる者は乍(たちま)ち陰乍(たちま)ち陽。交(こも)ごも屬して相い并し、五藏に繆(まつ)わり通じ、陰陽に合す。先に至るを主と爲し、後に至るを客と爲す。

 

雷公曰.臣悉盡意.受傳經脉.頌得從容之道.以合從容.不知陰陽.不知雌雄.

雷公曰く。臣悉(ことごと)く意を盡(つく)し、經脉を受け傳(つた)え、從容の道を頌(しょう)し得て、以て從容に合すれども、陰陽を知らず、雌雄を知らざるなり。

※頌(しょう)ほめたたえる、ほめたたえるうた。

 

帝曰.

三陽爲父.二陽爲衞.一陽爲紀.

三陰爲母.二陰爲雌.一陰爲獨使.

帝曰く。

三陽を父と爲し、二陽を衞と爲し、一陽を紀と爲す。

三陰は母と爲し、二陰は雌と爲し、一陰は獨(ひと)り使と爲す。

 

二陽一陰.陽明主病.不勝一陰.脉耎而動.九竅皆沈.

三陽一陰.太陽脉勝.一陰不能止.内亂五藏.外爲驚駭.

二陰二陽.病在肺少陰脉沈.勝肺傷脾.外傷四支.

二陰二陽.皆交至.病在腎.罵詈妄行.巓疾爲狂.

二陰一陽.病出於腎.陰氣客遊於心.脘下空竅.堤閉塞不通.四支別離.

一陰一陽代絶.此陰氣至心.上下無常.出入不知.喉咽乾燥.病在土脾.

二陽三陰.至陰皆在.陰不過陽.陽氣不能止陰.陰陽並絶.浮爲血瘕.沈爲膿胕.

陰陽皆壯.下至陰陽.

上合昭昭.下合冥冥.診決死生之期.遂合歳首.

二陽一陰、陽明病を主る。一陰に勝たず。脉耎(ぜん)にして動なれば、九竅は皆沈む。

三陽一陰、太陽の脉勝ちて、一陰止むこと能わず。内は五藏亂(みだ)れ、外は驚駭を爲す。

二陰二陽、病は肺に在り。少陰の脉沈、肺に勝ち脾を傷り、外は四支を傷る。

二陰二陽、皆交(こもご)も至れば、病は腎に在り。罵詈妄行し、巓疾して狂を爲す。

二陰一陽、病は腎に出ず。陰氣は心に客遊し、脘下の空竅、堤は閉塞して通ぜず。四支は別離す。

一陰一陽代絶するは、此れ陰氣心に至り、上下に常無く、出入を知らず、喉咽乾燥す。病は土脾に在り。

二陽三陰、至陰皆在るは、陰は陽に過ぎず、陽氣は陰を止めること能わず。陰陽並びて絶す。浮は血瘕(けっか)と爲し、沈は膿胕と爲す。

陰陽皆壯(さか)んなれば、下は陰陽に至る。

上は昭昭に合し、下は冥冥に合す。診して死生の期を決し、遂(つい)に歳首に合す。

 

雷公曰.請問短期.

黄帝不應.

雷公復問.

雷公曰く。請いて短期を問う。

黄帝應ぜず。

雷公復た問う。

 

黄帝曰.在經論中.

雷公曰.請聞短期.

黄帝曰く。經論の中に在り。

雷公曰く。請いて短期を聞かん。

 

黄帝曰.

冬三月之病.病合於陽者.至春正月.脉有死徴.皆歸出春.

冬三月之病.在理已盡.草與柳葉.皆殺.春陰陽皆絶.期在孟春.

春三月之病.曰陽殺.陰陽皆絶.期在草乾.

夏三月之病.至陰不過十日.陰陽交.期在溓水.

秋三月之病.三陽倶起.不治自已.

陰陽交合者.立不能坐.坐不能起.三陽獨至.期在石水.

二陰獨至.期在盛水.

黄帝曰く。

冬三月の病、病が陽に合する者は、春正月に至りて、脉に死徴有るは、皆出春に歸す。

冬三月の病、理に在りて、已に盡きるは、草と柳葉と皆殺(さい)する。春に陰陽皆絶するは、期は孟春に在り。

春三月の病、陽殺と曰く。陰陽皆絶するは、期は草乾に在り。

夏三月の病、至陰なれば十日を過ぎず。陰陽交われば、期は溓水(れんすい)に在り。

秋三月の病、三陽倶に起き、治せずして自ずと已(や)む。

陰陽交ごも合する者は、立ちて坐すること能わず、坐して起きること能わず。三陽獨(ひと)り至るは、期は石水に在り。

二陰獨(ひと)り至るは、期は盛水に在り。

 

徴四失論篇第七十八.

  本篇は、前篇<疏五過論>に引き続いて、治療者への戒めと理解される内容である。

 学校教育で授かった経絡学や東洋医学理論は、有資格者であれば一定のレベルにあります。

 この誰でもが知っている程度のことでは、実際の臨床においては不十分であると記されてます。

 これは、残念ながら現代においても未だに通用することではないでしょうか。

 他は、一読くだされば文意はそんなに難しくは無いと思われます。

 本篇も筆者の感性に従って、大胆に意訳の手を加えております。

 読者諸氏のご意見・ご感想を期待しております。

 

         原 文 意 訳

 

  黄帝が政務を司る明堂にお出ましになり、雷公はその傍らに座しておられた。 

  そして黄帝が以下のように申された。

 そちは数多くの書を読誦して通じ、広く多くの医術を授かっておることであろう。試しに治療が非常に奏功した場合と失敗した場合の理由を申してみよ。

 それに対して雷公が申された。

 経典に記されていることに循(したが)うことと、師から授かった治療の業は全て完璧であります。そうであるにもかかわらず、治療に際して過失を犯してしまうことがございます。

 これはいったいどういうことなのでしょうか。どうかその理由をお聞かせください。

 

 黄帝が申された。

 そちはまだ年少者であるため、智慧がまだ十分に働かないのであろうかのう。はたまたそちはよく学んでおるがゆえに、医学各家の数々の論説をうまく比類することができていないのかも知れないのう。

 さて、十二經脉や三百六十五絡脉などは、医師であれば誰でもが明らかに知っていることであり、皆これに従って治療しているものである。

 であるにもかかわらず、十分な治療結果が得られないのは、医師の精神が専らでないばかりか、志意が天道に適っていない、はたまた患者に十分意識が集中していないためである。

 であるから、患者が現している状態と治療者が感じ取る内容とがちぐはぐとなり、挙句に疑義を生じてしまうから、あやういことをしでかしてしまうのじゃ。

 その診察に際しては、陰陽の道理に合致しているか否かなど、その理(ことわり)を会得していないことに起因しているからなのじゃ。

 これが治療に際して足りない一失である。

 

 次なるは、師について学んでおりながら最後までその学業を終えず、途中で自ずと成ったと勘違いして正法に適わない雑多な術を行い、でたらめな自説を以て道に法ったと言い放つ。

 しかも自説にもとづき病名を改めて己の功績とする。さらには、でたらめに砭石を用いて反って病人を苦しめ、ついには人から責められたり非難されるようになるのである。

   これが治療に際して足りない二失である。

 

 診察に際しては、貧富貴賤の状況に応じて住居環境の善し悪しや安逸に過ごしすぎていないか、また働き過ぎて過労に陥っているのではないかなど。

 またそれに伴って身体が寒温のどちらに偏っているのか。

 さらに飲食上の適不適やその人がおびえやすいのか勇ましいのかと言ったことが病にどのように関係しているかも知らずに居るとどうなると思うか。

 このような有様であれば、治療の結果に惑うばかりであり、自らこころを乱すことになってしまうのである。

 しかもである、治療者自身のこころが混乱している理由を自ら明らかにできないのである。

 これが治療に際して足りない三失である。

 

 病を診察する際には、まずはその病が何時どのようにして起きたのかを問診する必要があるのじゃ。

 またさらには、患者が思い煩っていることの有無や飲食の不摂生、何時寝て起きるのか等の生活の乱れ、あるいは何かの中毒にかかっていないか、さてはどのような湯液を服しているのかなどを知ることが必須である。

 それにも関わらず、何も知らずにいきなり寸口の脈を取ったところで、どのような病であるのか分かるはずが無いではないか。

 それなのにでたらめを言って患者を納得させ、その時は何とかごまかすことができても、その後何度治療しても病が治らない。

 そのうちに粗工(粗悪な医師)は、自ら追い込まれて窮することとなるのじゃ。

 これが治療に際して足りない四失である。

 

 このようにして世間のその医師への悪風評は、千里の果てまでも走り広まってしまうのである。

 それというのも、寸尺の脈診の道理に暗く、診察に人事を察することも無く、天人の道理に基づくことができないので、自然と道理が見えてくる従容とした感覚に自分を包むことができないからである。
 そもそも、ろくに学ぶこともせずしてただ漫然と座り、患者の寸口の脈を取ったところで、五臓の脈をかみ分けられる道理とて無いではないか。

 このようであるから百病ことごとく、病の起こり始めの病因や病理などを的中させることができないのである。

 おまけに自分の無学・無術を顧みること無く、こうなったのは師匠の教えが悪いのだと逆恨みするようになる始末じゃ。

 また師匠の弟子と知る者には、弟子にした師匠への咎を残すことになるのじゃ。

 この故に、治療には理が無いために妄言をまき散らし、この素晴らしい医学を世間に貶めてしまうのじゃ。

 また妄りに治療して、たまたま偶然にでも治るようなことがあれば、愚かな馬鹿は我が意を得たりとして得意になるものじゃ。

 ああ、この計り知れない深遠なる真理よ、誰がその道に通ずることが出来ようか。

 医道の大なるは天地になぞらえ、四海(東西南北の海)に相当するようなものである。

 そちが自分で理解していると思っている道などは、まだまだ机上のものである。明らかなる教えを受けておきながら、まだまだ暗いのお。

 

        原文と読み下し文

 

黄帝在明堂.雷公侍坐.

黄帝曰.夫子所通書.受事衆多矣.試言得失之意.所以得之.所以失之.

雷公對曰.循經受業.皆言十全.其時有過失者.請聞其事解也.

黄帝明堂に在り。雷公侍坐す。

黄帝曰く。夫子が通ずる所の書、事を受けること衆多なり。試しに得失の意、これを得る所以、これを失する所以を言え。

雷公對えて曰く。經に循い業を受けるに、皆十全と言う。其の時に過失有る者は、請う其の事の解を聞かん。

 

帝曰.

子年少.智未及邪.將言以雜合耶.

夫經脉十二.絡脉三百六十五.此皆人之所明知.工之所循用也.

所以不十全者.精神不專.志意不理.外内相失.故時疑殆.

診不知陰陽逆從之理.此治之一失矣.

帝曰.

子年少なく、智は未だ及ばざるや。將(は)た言を以て雜合するや。

夫れ經脉十二、絡脉三百六十五。此れ皆人の明らかに知る所、工の循い用うる所なり。

十全ならざる所以(ゆえん)の者は、精神專らならず、志意に理あらず、外内相い失す。故に時に疑殆す。

診するに陰陽の逆從の理を知らず。此れ治の一失なり。

 

受師不卒.妄作雜術.謬言爲道.更名自功.妄用砭石.後遺身咎.此治之二失也.

師に受けて卒(お)わらず、妄りに雜術を作(な)し、謬言(びゅうげん)して道と爲し、名を更(あら)ため自ら功とし、妄りに砭石を用いて、後に身の咎を遺(のこ)す。此れ治の二失なり。

 

不適貧富貴賎之居.坐之薄厚.形之寒温.不適飮食之宜.不別人之勇怯.不知比類.足以自亂.不足以自明.此治之三失也.

貧富貴賎の居、坐の薄厚、形の寒温に適わず、飮食の宜しきに適わず、人の勇怯を別たず、比類を知らず、以て自ずから亂れるに足りて、以て自ずから明らかにするに足らず。此れ治の三失なり。

 

診病不問其始.憂患飮食之失節.起居之過度.或傷於毒.不先言此.卒持寸口.何病能中.妄言作名.爲粗所窮.此治之四失也.

病を診するに病其の始めを問わず、憂患、飮食の節を失し、起居の過度、或いは毒に傷られるか先ず此れを言わずして卒(にわ)かに寸口を持しせば、何の病か能く中らん。妄言して名づくるを作す。粗の窮する所と爲す。此て治の四失なり。

 

是以世人之語者.馳千里之外.不明尺寸之論.診無人事.

治數之道.從容之葆.坐持寸口.診不中五脉.百病所起始.以自怨.遺師其咎.

是故治不能循理.棄術於市.妄治時愈.愚心自得.

嗚呼.窈窈冥冥.熟知其道.

道之大者.擬於天地.配於四海.汝不知道之諭.受以明爲晦.

是れを以て世人の語なる者は、千里の外を馳す。尺寸の論を明らめず、診に人事、

治數の道、從容の葆(ほう)無し。坐して寸口を持し、診は五脉、百病の起始する所に中らず、以て自ずから怨み、師に其の咎を遺(のこ)す。

是れ故に、治は理に循うこと能わず、市に術を棄つ。妄りに治して時に愈ゆれば、愚心は自ずと得たりとす。

嗚呼(ああ)、窈窈冥冥(ようようめいめい)、熟(たれ)か其の道を知らん。

道の大なる者は、天地に擬(なぞ)らえ、四海に配す。汝道の諭(たと)えを知らず、受けて以て明を晦(かい)と爲す。

※葆(ほう) おおう、つつむと訳した。

※窈窈(ようよう) 奥深い

※冥冥(めいめい) 暗い、目に見えない、人知の及ばない

疏五過論篇第七十七.

 本篇に記されている内容は、内経医学の疾病観に関わることが記述されている。

 人生には卒業・入学・就職・退職・結婚・離婚・死別など、数多くの節目や浮き沈みがつきものである。

 このような人生の荒波の中で、人は様々な事を思い感情もまた揺れ動くものである。

 人の内面的世界や人生の浮き沈みが、病と深くかかわっていることは、臨床的には決して珍しく無い。

 本編で主張されている骨子は、『単に病を診るのではなく、人を観てこれを治す』ということである。

 このような視点に立って病に相対時すれば、病が治癒すればその人の生命が耀く方向へと流れ、その人の望む人生そのものが平和に全うされることに繋がる。

 社会は、関係性で成り立っています。

 世界を広く観れば医学は、小事です。

 政治は、大事です。

 いわば、上から治めるか、下から治めるのかの違いだけです。

 個人個人が平和で健康的調和が保たれていれば、平和で調和的な世界が実現されるというのが、内経医学の思想だと筆者は理解しております。

 これが内経医学で唱えられている『国士たる医療者の意識』だと考えています。

 この世でご縁があり導かれ、与えられたこの仕事を通じて自らを高め、真に社会に貢献することを説いた篇であるとも認識してます。

 ちなみに、黄帝が述べている五過四徳の「徳」については、触れているところがありません。

 五過を要約して陰陽転化すれば、四徳となるのではないかと推測しています。

 この意訳は、筆者の主観が色濃く反映されていますので、深く自分なりの解釈を求められる方は、原文と読み下し文に触れてくださればと思います。

 さて、読者諸氏はいったい、どのように読まれるでしょうか。

 

 

           意 訳

 

 黄帝が深く嘆息しながら、聖人の術に遠く思いを馳せ、思案しておられた。宇宙法則の深遠なることは、深淵を視るがごとく、浮雲を仰ぎ望むかのようである。

 深淵は深いといっても計測することができるが、浮雲を仰ぎ望んでは、その動きや形、その雲の浮き出て消えるその様は計測することができないものだ。

 聖人の術というのは、万民の手本であり、我々もまた見習うべきものである。時に人々の志意の善悪を論じて裁決することがあっても、必ず天道に適っているものだ。

 このように経脉に循(したが)い天の定数を守り、医事を按じてこれに循い、万民の補佐とならなくてはならない。

 さて、医事には五過四徳ということがあるのだが、そちはこれを知っておるか。

 雷公は席を離れ、再拝して申された。

 臣は年少者でして、物事に暗く愚かでありますゆえ惑う者であります。五過と四徳は、聞いたことがございません。

 病形や病名にとらわれてしまっております上に、それらを比類してはみるものの判然とせず、虚しくいずれかの経脉に引き当ててはみるものの、心中にしっくりと来るような納得を得られないでおります。

 帝が申された。

 おおよそ初めて病人を診るときは、必ず元々貴く高い地位にあった者が後に賤民になり下がったのではないかを問うのである。もしそのようであるなら、邪気に中らずとも病は内部から生ずるものである。これを名づけて営脱と称するのである。

 またかつて裕福で後に貧賤に陥いり、発病したものは、名づけて失精と称するのである。この場合、五臓の気がそれぞれ連なるように留滞し、合併症など複雑な状態を現出する。

 医者がこのような病人を診た場合、特に臓腑の異常所見を得られないばかりか、外見上の肥痩にも目立った変化が見られず、診察を終えて詐病ではないかと疑いさえ生ずる有様で、病名のつけようもないのである。

 ところがその日より身体は日に日に痩せ衰えるようになり、気は虚して精もまた無くなってくる。そして病が次第に深くなり気が無くなればゾクゾクとして震え寒がり、時にちょっとしたことにも驚くようになってくるものじゃ。

 これは、外の衛気がジワジワと損耗され、内は栄気が奪するからである。

 腕の良い医者であっても、このような病の背景や由来が病の原因になることを知らないようでは、病情を診察しても診断はおろか適切な治療さえできないものじゃ。これはまた、治療者の過失の第一である。

 

 およそ病を診ようとするのであれば、必ず飲食の内容や状態、住んでいる所が低地なのか高地なのかなど、どのようなところに住居し、またその住居がどんな様子なのかを問うことが大切である。

 その上で、にわかに喜び楽しみ、また窮して苦しむような状態で無いかどうか。または最初は喜び楽しんでいたとしても、その後に窮して苦しんでいないかどうかも大切な着眼点である。

 もしそのようであれば、皆精気を傷っているものである。精気が尽きて絶えてしまえば、肉体もまた損なわれてしまうのである。

 さらにまた、にわかに怒するようなことがあれば陰気を傷り、にわかに喜ぶようなことがあれば、陽気を傷ってしまうのである。怒が過度であれば、厥気が上行して脈は満ち、ついには身体が傷れて死に至るのである。

 愚医がこのような者を治療するに際しては、七情の病であることなど眼中にないので病に対する補瀉を知ることさえができないのじゃ。病情の機序も理解できないので、神気の現れである精華は日を追うごとに抜けていき、虚に乗じて邪気がはびこるようになるのである。これが治療者の過失の第二である。

 

 脈診に長じている者は、必ず比類と奇恒、つまり病や症例を比較して分類し、一般論と特殊論をかみ分けた上で、従容として脈が表現しているものを正確につかみ取ることができるのである。

 したがって医師となってこれらのことを知らないということであれば、貴き医師としては不足である。これが治療者の過失の第三である。

 

 また診察に際しては、三つの定石があるのじゃ。

 まずはその人が世上で貴いと言われている身分なのか、それとも賤しいと言われている身分なのかどうか。

 そしてかつては国を任される程の身分にありながら、何かのことで敗れて成り下がったのかどうか。

 また侯王など、高い地位を望んで得られなかったのかどうか。

 これらのことを必ず、問いて明らかとすることが大事なのじゃ。

 そして貴き地位にあった者が、一度権勢を失うと精神はすでに内に傷れているものであるから、邪に中らずとも身体はやがて敗亡していくものである。

 地位だけでなく金銭においても同じことが言えるのじゃ。

 元々裕福であった者が貧者に転落すれば、邪に中るまでもなく、自ら皮毛はやつれ衰え、筋肉が硬くなって姿勢も屈したようになり、手足が萎えて自由が利かなくなる痿躄(いへき)となり、全身が引きつれたかのようになるものじゃ。

 このような病態の患者に対しては、医師たるものが毅然とした態度と言動で患者の心の有り様を説き諭すべきなのである。

 もし医師がそのような厳然たる態度を取り、諭すことが出来ないのであれば、患者の神気は動かないであろう。

 ましてや、医師が患者の気を損ねることを恐れたり、また自分の身を守るために患者の訴えに同調し、柔軟な態度で患者に接すれば、医師、患者ともに神気は乱れて常道を失うであろう。

 そのようなことでは移精変気の法を用いることなど、とてもおぼつかず、医事そのものが成り立たなくなるのじゃ。

 こうなってしまっては、双方ともに元も子も無くしてしまう。

 これが治療者の過失の第四である。

 

 おおよそ診察に際しては、必ず終始循環の法則に則り、発病前・発病・発病後の経過・病の予後の、最低この四つを知ることである。

 その上で、患者の身の回りの状態や日常の生活状況などの細々としたことを聞いてゆくのじゃ。

 その上で脉を切して名を問い、男女の生理の違いを参合して診断するのである。

 そして親族縁者、親友・恋人との生き別れ・死に別れなどの愛別離などがあれば、神気は鬱して結ばれていよう。

 また憂恐喜怒などの七情の情動が大いに乱れれば、五臓の精気は空虚となり気血は内を離れて守りを失するであろう。

 医師がこれらのことを知ることができないのであれば、どのように高邁で深淵な医学理論であろうと、これを語ってなんになろうか。

 かつて裕福であった者が貧賤のどん底に陥るようなことにでもなれば、そのうちに筋は斬られたかのように動かなくものじゃ。今まだ身体は動かせてはいても、気血の流れは次第に身体を潤さなくなるものである。

 そうすると、傷敗した血気は留まって硬く結ばれることとなり、陽にせまって変化して膿を生じ、さらに留結が留結を生んで寒熱交錯の病態となるのである。

 このことを知らず、しかも術の至っていない粗工である医師が治療にあたり、手足、腹背など手当たり次第に何度も刺鍼すれば、身体の精気は解散し、手足は転筋のように引きつれてしまうのである。このようなところにまで陥れば、死期もあと幾日と数えることができるようになってしまうのじゃ。

 治療にあたる医師が、これらの人情に不明で、また根となる病の背景を問うことさえ知らず、ただ死期を告げるだけでは、これもまた駄医の粗工である。これが治療者の過失の第五である。

 

 おおよそこれらの五過を犯してしまうのは、学んで術を手にしてはいるが、人事や世情に暗いからである。

 だからこそ、聖人とまで謳(うた)われる人物の治療は、必ず天地陰陽の消長・転化、四季の移り変わりの法則、それら天地に従って五臓六腑が変化する理(ことわり)、表裏関係にある男女の生理の違いなど、自然と人間との相関性をしっかりと認識しておるのじゃ。

 さらにそれだけではなく、鍼灸・砭石の宜しき所、毒藥の主る所など、落ち着いてゆったりとして構えてはいても、これらに世上の人間の人事までをも加味してすべてお見通しである。

 従って学問と道理とが一体となり、明確に目の前の病人を治することができるのである。

 

 そもそも貴賤貧富の者たちは、それぞれに備わっている品が異なっているのであるから、気血もまたその理(ことわり)が異なっているものである。

 また年齢的に気が盛んな年少者であるのか、気が衰え始めた年長者であるのかや、勇ましいか怯えやすいかなどの性格・性質なども問診術で探るのである。

 このようにまず太極をしっかりと捉えた上で、全体と細部とを矛盾を生じないようにはっきりと道理を以てつなげ、そもそも病に至った本質を知るのである。

 ちなみに、四時八風の理や九候などの診察法は、かならず付き添えて行うのである。

 

 治病の道は、内臓の気を最も貴びこれを宝とすることである。色々と考えをめぐらしてその理を求め、どうしてもその診断がつかない場合は、八綱・表裏の診断に立ち返り、そこに過ちが無かったかどうかを確認するのである。

 そして天の度数を人に当てはめてこれを守り、これを治療のよりどころとしてさらに兪穴の理を得てこの術を行えば、生涯医師としてあやういことから逃れることができるであろう。

 もしこの兪穴の理を知らないようであれば、五臓に熱が集まり積もり、六腑に廱(よう=腫物)を発するようになるであろう。

 病人を診察して病因病理や病理機序を明確にできないようであれば、医師として常道を逸した者というべきであろう。

 しかし、謹んでこれまで述べてきたことを踏まえて治療に臨めば、経に記されていない言外のことまでもが、明確に心に映るであろう。

 上経・下経に記されている、陰陽で病を明確に処する揆度(きたく)陰陽、一般論と特殊論の奇恒、五臓に中った病など、これらの最終診断は、明堂の気色・光沢などを診て決するのである。

 さらにこれに病の終始をつまびらかにすることが出来れば、自由闊達、鍼を自由無尽に駆使することが出来るであろう。

            原文と読み下し

 

黄帝曰.嗚呼.遠哉閔閔乎.若視深淵.若迎浮雲.視深淵尚可測.迎浮雲莫知其際.聖人之術.爲萬民式.論裁志意.必有法則.循經守數.按循醫事.爲萬民副.故事有五過四徳.汝知之乎.

黄帝曰く。ああ、遠なるかな※閔閔(ぴんぴん)乎として、深淵を視るが若き、浮雲を迎えるが若し。深淵を視るは尚測るべし。浮雲を迎えては其の際を知ることなし。聖人の術は、萬民の式たり。志意を論裁して、必ず法則有り。經に循いて數を守り、醫事を按循して、萬民の副と爲す。故に事に五過四徳有り。汝これを知るや。

※閔閔…ああでもない、こうでもないと思いをめぐらすこと。

 

 雷公避席再拜曰.臣年幼小.蒙愚以惑.不聞五過與四徳.比類形名.虚引其經.心無所對.

雷公席を避け再拜して曰く。臣年幼小にして、蒙愚にして以て惑う。五過と四徳を聞かず。形名を比類し、虚しく其の經を引くも、心に對する所無し。

 

帝曰.

凡未診病者.必問嘗貴後賎.雖不中邪.病從内生.名曰脱營.

嘗富後貧.名曰失精.

五氣留連.病有所并.

醫工診之.不在藏府.不變躯形.診之而疑.不知病名.

身體日減.氣虚無精.病深無氣.洒洒然時驚.病深者.以其外耗於衞.内奪於榮.

良工所失.不知病情.此亦治之一過也.

帝曰く。

凡そ未だ病を診せざる者は、必ず嘗(かつ)て貴くして後に賎しきかを問う。邪に中らずと雖(いえ)ども病は内より生ず。名づけて脱營と曰く。

嘗て富み後に貧しきは、名づけて失精と曰く。

五氣留連して、病并せる所有り。

醫工これを診るに、藏府に在らず、躯形は變せず、これを診して疑い、病名知らず。

身體は日に減じ、氣虚して精無し。病深く氣無ければ、洒洒然(さいさいねん)として時に驚す。病深き者は、其の外の衞を耗し、内は榮を奪するを以てなり。

良工の失する所、病情を知らず。此れ亦た治の一過なり。

 

 

凡欲診病者.必問飮食居處.暴樂暴苦.始樂後苦.皆傷精氣.精氣竭絶.形體毀沮.

暴怒傷陰.暴喜傷陽.厥氣上行.滿脉去形.

愚醫治之.不知補寫.不知病情.精華日脱.邪氣乃并.此治之二過也.

凡そ病を診んと欲する者は、必ず飮食居處を問う。暴かに樂しみ暴かに苦しみ、始め樂しみ後苦しむは皆精氣を傷る。精氣は竭絶(けつぜつ)し、形體は毀沮(きそ)す。

暴かに怒すれば陰を傷り、暴かに喜こべば陽を傷る。厥氣上行し、脉滿ちて形去る。

愚醫はこれを治して、補寫を知らず、病情を知らず、精華は日に脱し、邪氣は乃ち并す。此れ治の二過なり。

 

 

善爲脉者.必以比類奇恒.從容知之.爲工而不知道.此診之不足貴.此治之三過也.

善く脈を爲(おさ)める者は、必ず比類奇恒を以て、從容としてこれを知る。工と爲りて道を知らず。此れ診の貴きに足らず。此れ治の三過なり。

 

診有三常.必問貴賎.封君敗傷.及欲侯王.

故貴脱勢.雖不中邪.精神内傷.身必敗亡.始富後貧.雖不傷邪.皮焦筋屈.痿躄爲攣.

不能嚴.不能動神.外爲柔弱.亂至失常.病不能移.則醫事不行.此治之四過也.

診に三常有り。必ず貴賎、封君の敗傷、及び侯王たらんと欲するを問う。

故に貴きにて勢を脱すれば、邪に中らずと雖ども、精神内に傷れて、身必ず敗亡す。始め富み後貧するは、邪は傷らずと雖ども、皮は焦し筋は屈し、痿躄(いへき)して攣を爲す。

醫嚴なること能わず、神を動かすこと能わず、外は柔弱と爲せば、亂れて常を失うに至る。病移ること能わざれば則ち醫事行なわれず。此れ治の四過なり。

 

 

凡診者必知終始.有知餘緒.

切脉問名.當合男女.離絶結.憂恐喜怒.五藏空虚.血氣離守.工不能知.何術之語.

凡そ診する者は必ず終始を知り、餘緒を知ること有り。

脉を切して名を問い、當に男女を合すべし。離絶菀結、憂恐喜怒すれば、五藏は空虚し、血氣守りを離る。工知ること能わざれば、何の術をかこれを語らん。

 

 

嘗富大傷.斬筋絶脉.身體復行.令澤不息.故傷敗結留.薄歸陽膿.積寒炅.粗工治之.亟刺陰陽.身體解散.四支轉筋.死日有期.醫不能明.不問所發.唯言死日.亦爲粗工.此治之五過也.

嘗つて富しが大いに傷れ、筋を斬(た)ち脉を絶つ。身體は復(ま)た行くも、澤をして息せざらしめん。故に傷敗して結留し、薄(せま)れば陽に歸して膿み、積みて寒炅(かんけい)す。粗工これを治するに、亟(しば)しば陰陽を刺せば、身體は解散し、四支は轉筋して、死日に期有り。醫明らかとすること能わず、發する所を問わず、唯だ死日を言うは、亦た粗工と爲す。此れ治の五過なり。

 

 

凡此五者.皆受術不通.人事不明也.

故曰.聖人之治病也.必知天地陰陽.四時經紀.五藏六府.雌雄表裏.刺灸砭石.毒藥所主.從容人事.以明經道.

凡そ此の五者は、皆術を受けて通ぜず、人事明かならざるなり。

故に曰く。聖人の病を治するや、必ず天地陰陽、四時經紀、五藏六府、雌雄表裏、刺灸砭石.毒藥の主る所、從容として人事を知り、以て經道を明らかとする。

 

 

貴賎貧富.各異品理.問年少長.勇怯之理.

審於分部.知病本始.八正九候.診必副矣.

貴賎貧富、各おの品理を異にす。年の少長、勇怯の理を問いて、

部分を審らかとし、病の本始を知る。八正九候、診必副す。

 

 

治病之道.氣内爲寳.循求其理.求之不得.過在表裏.

守數據治.無失兪理.能行此術.終身不殆.

不知兪理.五藏菀熟.癰發六府.診病不審.是謂失常.

謹守此治.與經相明.

上經下經.揆度陰陽.奇恒五中.決以明堂.審於終始.可以横行.

病を治するの道、氣内を寳と爲す。循(めぐ)りて其の理を求む。これを求めて得ざれば、過は表裏に在り。

數を守り治に據(よ)りて、兪の理を失すること無く、能く此の術を行えば、終身殆(あや)うからず。

兪の理を知らざれば、五藏は菀熟し癰(よう)は六府に發す。病を診て審らかならず。是れを常を失うと謂う。

謹しみて此の治を守れば、經と相い明らかなり。

上經下經、揆度陰陽、奇恒五中、決するに明堂を以てし、終始を審らかにして、以て横行すべし。

 

※揆度(きたく) 揆・はかる、やりかた 度・ほどあい、程度、

 <素問・玉板論要篇> 病の深浅をはかる。 <素問・病能論篇> 脉象から病を推測・判断する。

示從容論篇第七十六.

  本編は、従容(しょうよう)たることの重要性を説いているが、同時に少数鍼の根拠ともなりえる内容である。

 筆者は、父親から多く鍼を用いるものは下手くそであり、上手なものはホンの少数しか鍼を用いないものだと伝えられた。

 さて、従容とはいったいどのようなことなのであろうか。

 容とは、入れ物であり器(うつわ)であり、姿形は定まっている。

 従容を単純に読めば、容(器ーうつわ)に従うことであるが、さてこの容とは一体なんであるのか。

 さてまた従容という言葉は、「従容として死に赴く」などのように、ゆったりとして落ち着いているさまとして形容詞的な用い方をされている。

 いずれ人が死に赴くのは、定まった宇宙の法則である。

 それを自ら悟り受け入れることができれば、心はくつろいぎ落ち着いて、死のまどろみを満喫できるのであろう。

 さてさて、読み方は自由でありますが、鍼を行う上で定まった宇宙の法則とは如何に。

 すでにこの篇に至るまでの随所に、繰り返し記載されていると筆者は考えていますが、この篇に及んで臨床例を用いて従容の重要性を説いていると思われます。

 さて、従容に至る道とは、これいかに!

 さて、読者諸氏はどのように読み、感じ取られますでしょうか。

 

         原 文 意 訳

 

 黄帝はくつろぎながらゆったりと座り、雷公をお召しになって問うて申された。


 汝は、医術を授かり医学書も読んでおるのでおるようである。さすれば様々な学問を広く観てそれを比較して分類し、道理に合して通じていよう。そこで余にそちの得意なところを申してみよ。


 五臓六腑、胆・胃・大小腸・脾・女子胞・膀胱、脳髄・涕唾などは、哭泣悲哀などの七情の変動によって水が従い行く所である。これらは全ての人に生じる生理現象であるが、治療を誤るところでもある。もしそちがこれらのことを明確にすることができれば万全であろうが、もしこのことを知らないようであれば、世の怨みを受けることになろうぞ。

 

 雷公が申された。

 臣は請い求めて経脉の上下篇を何度も読誦いたしました。それぞれに異なるものを別ち、分類したものを比較しておりますが、未だ完璧という訳ではありません。またどうしてこれを明確にすることができましょうや。

 

 黄帝が申された。

 試しにそちが理解している五臓の病変、六腑の和せざるところや、鍼石の不適、毒藥が適している場合や湯液の滋味など、つぶさにそれらを申してみよ。その上でまだ分からないことがあれば、応えてやるので問うてみよ。

 

 雷公が申された。

 肝虚・腎虚脾虚というのは、いずれも身体が重く煩悶いたします。そこで毒薬を服用させてみたり鍼灸・砭石・湯液と様々に治療したのですが、治ったり治らなかったりするのですが、その理由をお聞かせくださいませ。

 

 黄帝が申された。
 そちは長くこの医学に携わっておきながら、どうしてそのような稚劣な問いを発するのか。余がそちにこのような問いをしたのが間違いであったか。

 余はそちにもっと奥深いことを問うているのだがのう。それを上下篇の内容そのままに答えるとはなんとしたことか。
 それ脾虚の脈は浮で肺の脈に似て、腎の病は小浮にして脾の脈に似ており、肝の病は急沈にして散なるは腎の脈に似ておるものじゃ。これらは工(医師)が皆判断に迷うところである。
 であるが、普段のとおりゆったりと落ち着いてよくよく判断すれば、明確に弁別することができるものだ。


 脾・肝・腎の三臓は、五行的には土・木・水であり、ともに膈下にあってそれぞれの気は互いに入り混じるものである。このようなことは、幼い子供でも知っていることであるのに、そちがこれを問うとはいかなることか。

 

 雷公が申された。
 ここに頭痛して筋が引きつり骨は重く、怯えているようで少気し、しかもしゃっくりやゲップを生じて腹満し、時に驚いて臥することを嗜なまないという人があります。
 この病は、何の臓から発したものでありましょうや。

 脈を切しますと、浮にして弦。さらに切しますと石堅でありますが、私にはその答えが見出せません。ですから改めて三臓についてお聞きするために質問をいたした次第で、脾・肝・腎の三蔵を比較して鑑別したいと思っております。

 

 帝が申された。
 それはこれまで学んできたことを背景にゆったりと構え、そしてじっくりと判断することが大事なのじゃ。
 ざっくりと太極を申せば、年長者は腑に、年少者は経に、年壯者は臓にそれぞれ目をつけて診るのじゃ。なぜならば年長者は気が衰え排泄に問題が現れ、年少のものは気が盛んで動き回るからである。さらに年壯のものは、その充実に頼んで無理をして精を費やし、疲れ切ってしまう傾向にあるからである。


 今のそちには、八風の邪が鬱して発熱する外因、五臓の衰えと邪の伝変の内因とを弁別する認識が欠けておるのう。
 よいか、つまり浮にして弦なるは腎の不足であり、沈にして石なるは腎気が内に籠って行らないからである。
 また怯えたかのように呼吸が弱くせわしいのは水道が通じないために津液も行らず、形気ともに消耗してしまったためである。
 さらに咳嗽してモヤモヤとして苦しむのは、腎気が上逆して心肺を犯すからである。
 人間ひとりの気の病というものは、このように腎ひとつの臓が病んだだけで、このように多彩な病態を現してくるものなのじゃ。
 それを三臓それぞれが倶に病んでいるというのは誤りであり、この医学の法に外れたことである。

 

 雷公が申された。
 ここにひとりの病人がおりまして、その症状は四肢が無力でだるく、喘ぎながら咳をしまして血を下しています。
 愚でありますわたくしが診察しましたところ、肺が傷れていると判断いたしました。

 脈を取りますと、浮大にして緊(虚?)でありましたので、確信が持てないので治療を行いませんでした。
 ところが粗工(下手な医者)が砭石(石メス)を用いて切開して瀉血したところ、大量の出血の後、出血が治まるのと同時に患者の身は軽くなり、病も治ってしまいました。これはいったいどういったことが起きたのでございましょう。

 

 帝が申された。
 そちがよく治療できることも、数多くの学問にも通じておることは、すでに余の知るところである。しかしながらこの病に対しては失したな。
 粗工が病を治すことができたのは、たとえば鳥が空高く飛んで、大きな天にたまたま衝きあたったもので、山勘が偶然当たっただけの話である。


 そもそも聖人の治療というものは、自然界の法則に順い、その運行度数を守り、様々な症例を比較・分析して分類し、暗くてはっきりとしない病態を明確にするものである。
 であるからして、身体上部に症状が現れておれば、身体下部の状態はどうなっているのか等、症状部位だけでなく他所にまでその診察の目は及ぶのである。であるからして、必ずしも経典に記されている通りのことを行うわけではないのである。


 今そちが申した、脉浮大にして虚(緊?)というのは、脾気が絶して外に津液を行らすことができない状態を現わしている。胃の気は去ってしまい脾の外腑である陽明に津液が留まるのである。
 これらは、心・肺の二火である陽臓が、肝・脾・腎の三水である陰臓に勝てない姿である。そのために脉は乱れ一定しないのである。

 四肢が無力でだるくなるのは、脾気が虚してその精気が行らないためである。
 喘ぎながら咳をするのは、水気が陽明に結集しているためである。
 血を泄するのは、脉流が急すぎて脈中に溢れて行く所が無いために決壊して出血するからである。


 もしこれらの症候を診て肺が傷れていると判断するならば、従容たる視点を失い狂っているからである。過去の症例も参考にして比較・分析をしないのであれば、はっきりと明確に病態をとらえることなどできるはずがないではないか。

 

 もし肺が傷れているのであれば、脾気は散じて守ることができず、胃の気は濁氣にまみれて清ならず、肺の経気は臓腑の使いとしての機能を果たせなくなるはずじゃ。
 そうなれば真気を蓄えている臓は決壊し、他の経脉までもが絶して五臓の真気もまた漏れ出てしまい、鼻から出血するか、さもなくば嘔するであろう。


 この傷肺と傷脾の二者は、相類することができない別ものである。
 たとえて申せば、天に形が無く、地には理が無い曖昧模糊(混沌)とした状態のようである。はっきりと明暗を分ける白と黒の遠いことよ。
 であるがそちのことは、吾の過失である。
 余はそちがすでにこれらのことを知っていると思っていたので、そちに告げなかったのである。
 症例から明らかに病理を引いて理法を理解できるようになれば、理法によって気血を導く道が見えてくるようになる。

 さすれば落ち着いてゆったりと構える従容となるなるものじゃ。
 さすればそちの論もまた診経と名づけることができよう。これを道に至ると言うのである。

 

         原文と読み下し

 

黄帝燕坐.召雷公而問之曰.汝受術誦書者.若能覽觀雜學.及於比類.通合道理.爲余言子所長.五藏六府.膽胃大小腸脾胞膀胱.腦髓涕唾.哭泣悲哀.水所從行.此皆人之所生.治之過失.子務明之.可以十全.即不能知.爲世所怨.
黄帝燕坐し、雷公を召してこれに問うて曰く。汝術を受け書を誦するは、若し能く雜學を覽觀し、比類に及び道理に通合すれば、余が爲に子の長ずる所を言え。五藏六府、膽胃大小腸脾胞膀胱、腦髓涕唾、哭泣悲哀、水の從い行く所、此れ皆人の生ずる所、治の過失なり。子務めてこれを明らかにすれば、以て十全たるべし。即ち知ること能わざれば、世の怨む所と爲す。

 

雷公曰.臣請誦脉經上下篇.甚衆多矣.別異比類.猶未能以十全.又安足以明之.
雷公曰く。臣請う。脉經の上下篇を誦するも、甚だ衆多なり。異を別ち類を比するも、猶お未だ以て十全なること能わず。又安(いずく)んぞ以てこれを明らかしむるに足らんや。

 

帝曰.子別試通五藏之過.六府之所不和.鍼石之敗.毒藥所宜.湯液滋味.具言其状.悉言以對.請問不知.
帝曰く。子、五臓の過、六府の和せざる所に通じ、鍼石の敗、毒藥の宜しき所、湯液の滋味を試みに別ち、具(つぶさ)その状を言え。悉く言わば以て對(こた)えん。請う知らざるを問え。

 

雷公曰.肝虚腎虚脾虚.皆令人體重煩寃.當投毒藥刺灸砭石湯液.或已或不已.願聞其解.
雷公曰く。肝虚腎虚脾虚、皆人をして體重く煩寃せしむ。當に毒藥を投じて刺灸し、砭石湯液するも、或いは已え或いは已えず。願わくばその解を聞かん。

 

帝曰.公何年之長而問之少.余眞問以自謬也.吾問子窈冥.子言上下篇以對.何也.夫脾虚浮似肺.腎小浮似脾.肝急沈散似腎.此皆工之所時亂也.然從容得之.若夫三藏.土木水參居.此童子之所知.問之何也.
帝曰く。公何んぞ年の長にして問の少なきや。余眞に問いて以て自ら謬れり。吾子に窈冥(ようめい)を問う。子は上下篇を言いて以て對するは何なるや。夫れ脾虚は浮にして肺に似、腎は小浮にして脾に似、肝は急沈にして散なるは腎に似る。此れ皆工の時に亂れる所なり。然るに從容としてこれを得、若し夫れ三藏の土木水參わり居れば、此れ童子の知る所。これを問うは何ぞや。

 

雷公曰.於此有人.頭痛筋攣骨重.怯然少氣.噦噫腹滿.時驚不嗜臥.此何藏之發也.脉浮而弦.切之石堅.不知其解.復問所以三藏者.以知其比類也.
雷公曰く。此れに人有り。頭痛、筋攣、骨重く、怯然(きょぜん)として少氣し、噦噫、腹滿、時に驚き嗜臥せず。此れ何(いず)れの藏の發するや。脉浮にして弦。これを切して石堅。その解を知らず。復た三臓なる所以を問いて、以てその比類を知らんとす。

 

帝曰.夫從容之謂也.夫年長則求之於府.年少則求之於經.年壯則求之於藏.今子所言.皆失八風菀熟.五藏消爍.傳邪相受.夫浮而弦者.是腎不足也.沈而石者.是腎氣内著也.怯然少氣者.是水道不行.形氣消索也.欬嗽煩寃者.是腎氣之逆也.一人之氣.病在一藏也.若言三藏倶行.不在法也.
帝曰く。夫れ從容これを謂うなり。夫れ年長なれば則ちこれを府に求め、年少なれば則ちこれを經に求め、年壯なれば則ちこれを藏に求む。今子の言う所、皆八風菀熟、五藏消爍、傳邪相い受けることを失す。夫れ浮にして弦なる者は、是れ腎不足なり。沈にして石なる者は、是れ腎氣内に著くなり。怯然として少氣する者は、是れ水道行らず、形氣は消索するなり。欬嗽し煩寃(はんえん)する者は、是れ腎氣の逆なり。一人の氣の病は一藏に在るなり。若し三藏倶に行くと言うは、法に在らざるなり。

 

雷公曰.於此有人.四支解墮.喘欬血泄.而愚診之.以爲傷肺.切脉浮大而緊.愚不敢治.粗工下砭石.病愈.多出血.血止身輕.此何物也.
雷公曰く。此に人有り。四支解墮し喘欬して血泄す。しかして愚これを診して、以て傷肺と爲す。脉を切するに浮大にして緊。愚敢えて治せず。粗工砭石を下して病愈ゆ。多く血を出だし、血止みて身輕し。此れ何する物や。

 

帝曰.
子所能治.知亦衆多.與此病失矣.
譬以鴻飛.亦沖於天.
夫聖人之治病.循法守度.援物比類.化之冥冥.循上及下.何必守經.
今夫脉浮大虚者.是脾氣之外絶.去胃外歸陽明也.夫二火不勝三水.是以脉亂而無常也.
帝曰く。
子の能く治する所、亦た衆多と知るも、此の病とは失するなり。
譬(たと)うるに、鴻の飛びて亦た天に沖するを以てなり。
夫れ聖人の病を治するは、法に循(したが)い度を守り、物を援(ひ)きて比類し、冥冥これを化し、上に循(したが)いて下に及ぶ。何ぞ必ずしも經を守らん。
今夫れ脉浮大にして虚なる者は、是れ脾氣の外絶し、胃を去りて外陽明に歸するなり。夫れ二火は三水に勝たず。是れを以て脉亂れて常無きなり。

 

四支解墮.此脾精之不行也.
喘欬者.是水氣并陽明也.
血泄者.脉急.血無所行也.若夫以爲傷肺者.由失以狂也.不引比類.是知不明也.
四支解墮するは、此れ脾精の行らざるなり。
喘欬する者は、是れ水氣陽明に并(あわ)するなり。
血泄す者は、脉急にして、血の行く所無きなり。若し夫れ以て傷肺と爲す者は、失して以て狂するに由るなり。比類を引かず。是れ知の明らかならざるなり。

 

夫傷肺者.脾氣不守.胃氣不清.經氣不爲使.眞藏壞決.經脉傍絶.五藏漏泄.不衄則嘔.此二者.不相類也.
譬如天之無形.地之無理.白與黒.相去遠矣.
是失吾過矣.
以子知之.故不告子.明引比類.從容是以名曰診輕.是謂至道也.
夫れ肺を傷る者は、脾氣守らず、胃氣清ならず、經氣使と爲さず。眞藏壞決し、經脉傍絶し、五藏漏泄し、衄せざれば則ち嘔す。此の二者は、相い類せざるなり。
譬えば天の形無く、地の理無きが如し。白と黒、相い去ること遠きなり。
是の失は吾の過なり。
子これを知るを以ての故に子に告げず。明らかに比類を引くに、從容たれば是れを以て名づけて診輕と曰く。是れ至道と謂うなり。

 

著至教論篇第七十五.

 本篇では、天人合一思想を軸として陰陽論を駆使して記されている。

 本中に「上は天文を知り、下は地理を知り、中は人事を知る」とあるは、上は天気に応じ、下は地気に応ずと読み替えることができる。

 中の人事は、我々の意識的・理知的な働きとして読んでもいいのであろうか。

 それとも天地の間にあって、我々の人事が生じると読むのであろうか。

 そこは読者諸氏のしっくりとくる読み方でよいと思われる。

 突発的な病は今起きたのではなくて、それ以前より積み重なったものが何か偶然のきっかけで表出したに過ぎないことを述べている。

 我々は、四診の筆頭、望診術をはじめ様々な術が伝承されている。

 伝わっている伝承を知るもの少なし、といった感じだろうか。

 

 

          意 訳

 黄帝は、政務を行う宮殿に座り、雷公をお召しになられ、「そちは医道を心得ておるか」と問われました。

 

 それに対して雷公が申された。

 私は声に出して読み、一応の理解はできております。ですが、未だにしっかりと弁別することができませんで、仮に弁別したとしても確信することができませんので、はっきりこうだと人に伝えることもできない状態です。

 

 黄帝が申された。

 よし、よくわかった。今申したことを忘れる出ないぞ。

 そちが申したことは全て、陰陽・表裏、上下・雄雌と相互に感応し合うものである。

 さらにこの医道は、上は天文を知り、下は地理を知り、中は人事を知ることで長久することができるのである。

 このような普遍の真理を以て大衆に教え導いたとしても、人々の心に疑いを生じることは無いであろう。

 そしてこの医道の論篇は後世に伝えるべきであり、また宝とすべきものである。

 

 雷公が申された。

 これを読経して暗唱し、深く理解してこれを用いますので、どうかこの医道を授けてください。

 

 帝が申された。

 そちは陰陽伝という書物を聞いたことがあるか。

 

 雷公が申された。

 知りません。

 

 黄帝が申された。

 三陽は天の働きと同じである。上下の気の交流が常道を離れてしまえば、天人合して病となるのである。

 それは天地・上下に気が偏り、陰陽の気の交流が害されてしまうからなのである。

 

 雷公が申された。

 三陽は当たること無しとは、いったいどのように理解すればよろしいのでしょうか。どうかお聞かせください。

 

 黄帝が申された。

 三陽がひとり至るとは、三陽がひとつとなって一気に至るということである。その様は突然やってくる風雨のようであり、上に症状が現れると巓疾のように突然意識を失ったり、下に症状が現れると大小便が漏れてしまうなどの漏病を現すのである。

 三陽がひとつとなって怒涛の如く押し寄せれば、このような様であるから外に現れる症状は予測することができず、また五臓六腑の正常な生理も乱れ失われるので、経典に記されている規律にも当てはまらず、診察しても病根が上下のどこにあるのかさえ分からないので、書き著すことさえできないものである。

 雷公が申された。

 私が治療いたしましても、治ることはまれでありまして、病に対して思うことを述べるに留まってしまいます。

 帝が申された。

 三陽の病というのは、陽の最も盛んな状態である。このような至陽である三陽が、内部に積もり積もって一気に発すれば、驚躁状態となるのである。それはあたかも疾風のように迅速で突然であり、また晴天の霹靂(へきれき)の如く猛烈で衝撃的な形で起こるのである。

 そうなると、体中の穴という穴(九竅)は全て塞がって通じなくなり、陽気は満ち溢れて口中は乾いてしまい喉もまた塞がってしまうのである。

 この三陽の病が、五臓六腑の陰に集まれば、正常な上下の気の交流が乱れてしまい、さらに陰に迫れば筒下しのような下痢。つまり腸澼(ちょうへき)を起こすのである。このような状態を、三陽が直接心を侵したというのである。

 このようであれば、座ることはできても立つことはできず、仰向けになるとようやく体が楽になるのは、三陽の病であるからである。

 そちが天下の諸事を知ろうとするのであれば、何を以て陰陽を別ち、四時の気に応じ、これらを五行に合致させるのか。

 雷公が申された。

 表立って述べられてる言葉が識別できませんで、また言葉に込められている深遠な理もまた理解できません。

 改めてどうか教えを頂戴しまして、この混沌とした困惑を解き、道に至りたく存じます。

 

帝が申された。

そちがもし、余が授けた伝を受けても、道に至る過程に合致させることができなければ、余の教えを惑わすだけになるであろう。そちに道に至る要を語って聞かせてやろう。

 病邪が五臓を傷害すれば、筋骨は日ごと痩せ衰えていくものである。それをそちがこれまで述べてきた陰陽・四時・五行の理を以て明確にできないというのであれば、世の医学は伝えることができずに廃れていくであろう。

 一例を挙げれば、腎がまさに今絶えんとする場合は、なんとなく不安定な気持ちで日が暮れ、落ち着いてしまったかのように外に出たからず、社会生活や日常生活が消沈するようになるなどである。

 もう一度振り返り、自らの不明な困惑を明らかにし、道に至るがよい。

 

             原文と読み下し

 

黄帝坐明堂.召雷公而問之曰.子知醫之道乎.

雷公對曰.

誦而頗能解.解而未能別.別而未能明.明而未能彰.

黄帝明堂に座し、雷公を召してこれに問うて曰く。子、醫の道を知るや。

雷公對して曰く。

誦(しょう)して頗る能く解す。解するも未だ能く別たず。別かつも未だ能く明らかならず。明らかにして未だ能く彰らかならず。

足以治群僚.不足至侯王.願得受樹天之度.四時陰陽合之.別星辰與日月光.以彰經術.後世益明.上通神農.著至教.疑於二皇.

以て群僚を治するに足るも、侯王に至りて足りず。願わくば天の度を樹(た)つるを受け、四時陰陽これを合し、星辰と日月の光りを別ちて、以て經術を彰らめん。後世益ます明らめ、上は神農に通じ、至教を著わし、二皇に疑するを得ん。

 

帝曰善.無失之.

此皆陰陽表裏.上下雌雄.相輸應也.

而道上知天文.下知地理.中知人事.

可以長久.以教衆庶.亦不疑殆.

醫道論篇.可傳後世.可以爲寳.

雷公曰.請受道.諷誦用解.

帝曰く、善し。これを失することなかれ。

此れ皆陰陽表裏、上下雌雄、相い輸して應ずるなり。

しかして道、上は天文を知り、下は地理を知り、中は人事を知り、

以て長久すべく、以て衆庶を教え、また疑殆せざるなり。

醫道の論篇、後世に傳うべく、以て寳と爲すべし。

雷公曰く。請う、道を受け、諷誦(ふうじゅ)して用いて解せん。

 

帝曰.子不聞陰陽傳乎.

曰不知.

曰.夫三陽.天爲業.上下無常.合而病至.偏害陰陽.

帝曰く、子は陰陽傳を聞かざるや。

曰く、知らず。

曰く、夫れ三陽は、天を業と爲す。上下に常無ければ、合して病至り、偏(かた)よりて陰陽を害す。

 

雷公曰.

三陽莫當.請聞其解.

帝曰.

三陽.獨至者.是三陽并至.并至如風雨.上爲巓疾.下爲漏病.外無期.内無正.不中經紀.診無上下.以書別.

雷公曰.臣治疏愈.説意而已.

雷公曰く。

三陽當たること莫しとは、請うその解を聞かん。

帝曰く。

三陽獨り至る者は、是れ三陽并せ至るなり。并せ至ること風雨の如し。上は巓疾を爲し下は漏病を爲す。外に期すること無く、内に正なること無し。經紀に中らず、診するに上下は、書を以て別たず。

雷公曰く。臣治して愈ゆること疏(まれ)なり。意を説きて已(や)む。

 

帝曰.

三陽者至陽也.積并則爲驚.病起疾風.至如礰.

九竅皆塞.陽氣滂溢.乾嗌喉塞.并於陰.則上下無常.薄爲腸澼.此謂三陽直心.坐不得起.臥者便身全.三陽之病.

帝曰.

三陽なる者は至陽なり。并(あ)わせ積めば則ち驚を爲す。病の起ること疾風なりて、至ること礔礰の如し。

九竅皆塞がり、陽氣滂溢(ぼういつ)し、嗌乾きて喉塞る。陰に并するは、則ち上下に常無し。薄(せま)れば腸澼を爲す。此れ三陽心に直(あた)ると謂い、坐して起することを得ず、臥する者は便(すなわ)ち身を全うするは、三陽の病なり。

 

且以知天下.何以別陰陽.應四時.合之五行.

雷公曰.陽言不別.陰言不理.請起受解.以爲至道.

且(まさ)に以て天下を知らんとすれば、何を以て陰陽を別ち、四時に應じ、これを五行に合するや。

雷公曰.陽は言を別たず、陰の言は理せず。請う起きて解を受け、以て至道と爲さん。

 

帝曰.

子若受傳.不知合至道.以惑師教.語子至道之要.

病傷五藏.筋骨以消.子言不明不別.是世主學盡矣.

腎且絶.惋惋日暮.從容不出.人事不殷.

帝曰く。

子若し傳を受け、至道に合するを知らざれば、以て師教を惑わさん。子に至道の要を語らん。

病五藏を傷れば、筋骨以て消す。子不明にして別たずと言うは、是れ世の主學盡きたり。

腎且(まさ)に絶せんとすれば、惋惋(えんえん)として日暮れ、從容として出ず、人事は殷(さかん)ならず。

 

12.足厥陰 肝

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  底本 『霊枢』明刊無名氏本『新刊黄帝内経霊枢』日本内経医学会所蔵

 

正經

肝足厥陰之脉.起于大指叢毛之際.上循足上廉.去内踝一寸.上踝八寸.交出太陰之後.上膕内廉.循股陰.入毛中.過陰器.抵小腹.挾胃.屬肝.絡膽.上貫膈.布脇肋.循喉之後.上入頏.連目系.上出額.與督脉會于巓.

其支者.從目系.下頬裏.環脣内.

其支者.復從肝別.貫膈.上注肺.

肝足厥陰の脉は、大指叢毛(そうもう)の際に起こり、上りて足跗(そくふ)の上廉を循(めぐ)り、内踝(ないか)を去ること一寸、踝(か)を上ること八寸、①太陰の後に交り出で、膕(かく)の内廉を上り、②股陰を循(めぐ)り、毛中に入り、③陰器を過ぎ、小腹に抵(あた)り、④胃を挾(はさ)み肝に屬(ぞく)し膽(たん)を絡(まと)う。上りて膈を貫き、⑤脇肋に布き、喉嚨(こうろう)の後を循(めぐ)り、上りて頏顙(こうそう)に入り、⑥目系に連なり、上りて額に出で、督脉と巓(てん)で會(かい)す。

其の支なる者は、目系より、頬裏を下り、⑦脣内(しんない)を環(めぐ)る。其の支なる者は、復(ま)た肝より別れ、膈を貫ぬき、上りて肺に注ぐ。

【解説】

①太陰の後に交り出で:陰陵泉付近で足太陰と交差する。足を走行する経絡は、互いに交わりながら主に身体を支える土台を形成する。

②股陰を循(めぐ)り:男女の生殖器を流注しており、妊娠・出産のほか、生殖器疾患に深くかかわる。

③陰器を過ぎ、小腹に抵(あた)り:女性の卵巣・子宮疾患には、瘀血が関係することが多々ある。この場合、脾統血、肝蔵血、腎固摂を破り肺気の粛降作用を利用して駆瘀血する。用いる経穴は合谷、三陰交、臨泣、刺法は瀉法である。

④胃を挾(はさ)み肝に屬(ぞく)し膽(たん)を絡(まと)う:肝は昇発、胃は和降であるため、虚実の兼ね合いはあるが、流注によって肝胃不和を説明することができる。また、肝の熱が胃に伝わると、過食や嘈雜を来しやすい。胃腸症状の主従の主が肝であれば、肝を治療すると奏功する。

⑤脇肋に布き:脇は胸の側面から脇腹にかけての広範囲の部分で、章門は、肝脾不和など肝と脾の状態が現れやすい。

⑥目系に連なり:目の裏に流注し、手少陰と交会して百会で督脈と交会する。このことから、眼底出血や視野の欠損などは、心・肝・胆を治療すれば回復を望むことができる。また百会を用いて、肝気上逆や内風を治めることができる。

⑦脣内(しんない)を環(めぐ)る:唇周囲は多くの経絡が関係するが、主に脾と肝の状態が現れる。唇の内側に生じる口内炎などは、肝を中心に肝脾との兼ね合いで診る。

 

正經病症

是動則病腰痛不可以俛仰.丈夫疝.婦人少腹腫.甚則乾.面塵脱色.是主肝所生病者.胸滿嘔逆.泄.狐疝.遺溺.閉

是れ動ずれば則ち病む。腰痛し以って俛仰(ふぎょう)すべからず。①丈夫は㿗疝(たいせん)し、婦人は少腹腫れ、甚だしければ則ち嗌(のど)乾き、②面塵(ちり)づいて色脱す。

是れ肝を主として生ずる所の病の者は、③胸満して嘔逆し、④飧泄(そんせつ)、⑤狐疝(こせん)、⑥遺溺(いじゃく)、⑦閉癃(へいりゅう)す。

【解説】

①丈夫は㿗疝(たいせん)し、婦人は少腹腫れ:男性は睾丸が腫れ痛み、女性は下腹部が腫れ痛む。女性は、生理痛などが連想される。

②面塵(ちり)づいて色脱す:顔面が煤けたようになり、顔色がさえない様子。

③胸満して嘔逆し:胸がいっぱいになり吐き気を催すこと。

④飧泄(そんせつ):筒下しの下痢、未消化便。

⑤狐疝(こせん):陰嚢ヘルニア

⑥遺溺(いじゃく):小便が漏れやすい、失禁する。

⑦閉癃(へいりゅう):「閉」は小便が全くでない状態。「瘤」は、小便がしたたり、スムーズに排泄できない状態。

 

經別

足厥陰之正.別上.上至毛際.合于少陽.與別倶行.此爲二合也.

足厥陰の正、跗(ふ)上に別れ、①上りて毛際に至り、少陽に合し、別と倶(とも)に行く。此れ二合と為すなり。

【解説】

①上りて毛際に至り、少陽に合し:足少陽正経と経別と合流し、主に足少陽の経別と関係を深める。

 

經筋

足厥陰之筋.起于大指之上.上結于内踝之前.上循脛.上結内輔之下.上循陰股.結于陰器.絡諸筋.

足厥陰の筋、大指の上に起り、上りて内踝(か)の前に結び、上りて脛を循(めぐ)り、上りて内輔(ないほ)の下に結び、上りて陰股を循(めぐ)り、陰器に結び、①諸筋を絡(まと)う。

【解説】

①諸筋を絡(まと)う:<類経>「陰器者、合太陰、厥陰、陽明、足少陽之筋、以及衝、任、督之脉皆聚于此、故曰宗筋」

 

經筋病症

其病足大指支内踝之前痛.内輔痛.陰股痛轉筋.陰器不用.傷於内.則不起.傷於寒.則陰縮入.傷於熱.則縱挺不收.

其の病足の大指支(つか)え、内踝(か)の前痛み、内輔(ないほ)痛み、陰股痛みて轉筋(てんきん)し、陰器用いず、内傷れば則ち起きず、寒に傷らるれば則ち陰縮み入り、熱に傷らるれば則ち縦挺(じゅうてい)して収まらず。

 

絡脈

足厥陰之別.名曰蠡溝.去内踝五寸.別走少陽.其別者.循脛上睾.結于莖.

足厥陰の別、名づけて蠡溝と曰く。内踝(か)を去ること五寸、別れて少陽に走る。其の別なる者は、脛を循(めぐ)り睾(こう)に上り、莖(けい)に結ぶ。

 

絡脈病症

其病氣逆則睾腫卒疝.實則挺長.虚則暴癢.取之所別也.

其の病、氣逆すれば則ち睾(こう)腫れ卒疝(そつせん)す。實すれば則ち挺(てい)長し、虚すれば則ち暴癢(ぼうよう)す。之(これ)を別れる所に取るなり。

 

※挺(てい)長…異常勃起 暴癢(ぼうよう)…異常に痒くなる

11.足少陽 胆

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  底本 『霊枢』明刊無名氏本『新刊黄帝内経霊枢』日本内経医学会所蔵

 

正經

膽足少陽之脉.起于目鋭眥.上抵頭角.下耳後.循頚行手少陽之前.至肩上.却交出手少陽之後.入缺盆.

其支者.從耳後.入耳中.出走耳前.至目鋭眥後.

其支者.別鋭眥.下大迎.合于手少陽.抵于.下加頬車.下頚.合缺盆.以下胸中.貫膈.絡肝.屬膽.循脇裏.出氣街.繞毛際.横入髀厭中.

其直者.從缺盆.下腋.循胸.過季脇.下合髀厭中.以下循髀陽.出膝外廉.下外輔骨之前.直下抵絶骨之端.下出外踝之前.循足上.入小指次指之間.

其支者.別上.入大指之閒.循大指岐骨内.出其端.還貫爪甲.出三毛.

膽足少陽の脉は、目の鋭眥(えいし)に起り、上りて頭角に抵(あた)り、耳後を下り、頚を循(めぐ)り手少陽の前を行き、肩上に至り、却(しりぞ)いて①手少陽の後に交り出で、缺盆に入る。

其の支なる者は、耳後より、②耳中に入り、出でて耳前に走り、目の鋭眥(えいし)の後に至る。

其の支なる者は、鋭眥(えいし)に別れ、大迎に下り、手少陽と合す。䪼(せつ)に抵(あた)り、下りて③頬車に加わり、頚を下りて④缺盆に合し、以って胸中を下り、⑤膈を貫き肝を絡(まと)い膽に屬す。脇裏を循(めぐ)り、氣街に出で、毛際を繞(めぐ)り、横に⑥髀厭(ひえん)の中に入る。

其の直なる者は、缺盆より腋を下り、胸を循(めぐ)り⑦季脇を過ぎ、下りて髀厭(ひえん)の中に合し、以って下りて髀陽を循(めぐ)り、膝の外廉に出で、⑧外輔骨(がいほこつ)の前を下り、直(ただ)ちに下りて⑨絶骨の端に抵(あた)り、下りて外踝(がいか)の前に出で、足跗(そくふ)の上を循(めぐ)り、小指の次指の間に入る。

其の支なる者は、⑨跗上(ふじょう)に別れ、大指の閒に入り、大指岐骨(きこつ)の内を循(めぐ)りて其の端に出ず。還(めぐ)りて爪甲を貫ぬき、三毛に出ず。

【解説】

①手少陽の後に交り出で:肩井から大椎に流注して缺盆へと入っていく。

②耳中に入り:手少陽と共に、耳との関係が深いことを示している。上焦の少陽部位に病邪が侵襲すると、中耳炎、難聴など耳の疾患を生じる。小柴胡湯証264条<少陽中風、両耳無所聞、目赤、胸中満而煩者、…>

③頬車に加わり:足陽明と合流し、顎関節症と関係する。この場合、足の甲を取穴する。

④缺盆に合し:足陽明と同じく、ここから深部と浅部の二本が流注する。

⑥膈を貫き肝を絡(まと)い膽に屬す:期門で肝を絡い、日月で胆に属する。この期門と日月の募穴間の位置は、肋骨弓の上下であり距離も他の表裏募穴間に比べて近くに位置している。このことから肝胆は相照らし合いながら一体となって生理機能を行っている。

⑤季脇を過ぎ:この部位で腎募穴・京門穴、帯脉穴を通って仙骨部・八髎穴を流注して環跳穴へと流れていく。

⑥髀厭(ひえん):環跳穴

⑦外輔骨:腓骨頭、陽陵泉で足陽明経筋・足太陽経筋が合流する。

⑧絶骨の端:陽輔穴

⑨跗上(ふじょう)に別れ:臨泣穴から大衝穴・行間穴を循って指先に至り、向きを変えて足の親指の爪甲根部に至る。

 

正經病症

是動則病口苦.善大息.心脇痛不能轉側.甚則面微有塵.體無膏澤.足外反熱.是爲陽厥.

是主骨所生病者.頭痛頷痛.目鋭眥痛.缺盆中腫痛.腋下腫.馬刀侠.汗出振寒瘧.胸脇肋髀膝外.至脛絶骨外踝前.及諸節皆痛.小指次指不用

是れ動ずれば則ち病む。①口苦く、善(よ)く②大息(たいそく)し、③心脇痛みて轉側(てんそく)すること能(あた)わず、甚だしければ則ち③面微(かす)かに塵(ちり)有り、體(たい)に膏澤(こうたく)無く、足の外反って熱す。是れ陽厥(ようけつ)と為す。

是れ骨を主として生ずる所の病の者は、頭痛頷(がん)痛み、目の鋭眥(えいし)痛み、缺盆の中腫れ痛み、腋下腫れ、④馬刀侠癭(ばとうきょうえい)し、汗出で振寒し、⑤瘧(がい)し、胸・脇・肋・髀(ひ)・膝の外より、脛・絶骨・外踝(か)の前、及び諸節に至りて皆痛み、小指の次指用ず。

【解説】

①口苦く:小柴胡湯証263条<少陽之爲病、口苦、咽乾、目眩也>

②大息(たいそく):大きなため息。気の鬱滞を開放する動作。

④心脇痛みて:胸脇苦満。

⑤面微(かす)かに塵(ちり)有り:ちりのようにかすかに黒っぽくなること。

⑥馬刀侠癭(ばとうきょうえい):馬刀とは、マテガイの別名。癭とはできもの、腫れもの。頸部にできるリンパ腺炎、甲状腺腫など。

⑦瘧(がい):マラリアのように間欠的に悪寒と発熱を繰り返す病。小柴胡湯証266条<本太陽病不解、轉入少陽者、脇下滿、乾嘔不能食、往来寒熱、…>

 

經別

足少陽之正.繞髀.入毛際.合于厥陰.別者.入季脇之間.循胸裏.屬膽.散之上肝.貫心.以上挾咽.出頤頷中.散于面.繋目系.合少陽于外眥也.

足少陽の正、髀(ひ)を繞(めぐ)り、毛際に入り、①厥陰に合す。別なる者は、季脇(ききょう)の間に入り、胸裏を循(めぐ)り、膽(たん)に屬(ぞく)し、散じて上りて肝に之(ゆ)き、②心を貫ぬき、以て上りて咽を挾(ばさ)み、頤頷(いがん)の中に出で、面に散じ、③目系に繋(つな)がり、少陽と外眥(がいし)に合するなり。

【解説】

①厥陰に合す:陰部付近で表裏が合する。

②心を貫ぬき:心神との関係を示している。

③目系に繋(つな)がり:内眥に流注している手太陽と足少陽で、左右の目の動きを行っている。メニエル氏病などの眩暈時には、眼球が左右に振れるのが観察される。

 

經筋

足少陽之筋.起于小指次指.上結外踝.上循脛外廉.結于膝外廉.

其支者.別起外輔骨.上走髀.前者結于伏兔之上.後者結于尻.

其直者.上乘[月少]季脇.上走腋前廉.繋于膺乳.結于缺盆.直者.上出腋.貫缺盆.出太陽之前.循耳後.上額角.交巓上.下走頷.上結于.支者.結于目眥.爲外維.

足少陽の筋、小指の次指に起り、上りて外踝(か)に結び、上りて脛の外廉を循(めぐ)り、膝の外廉に結ぶ。

其の支なる者は、別れて外輔骨(がいほこつ)に起り、上りて髀(ひ)に走り、前なる者は①伏兎の上に結び、後なる者は②尻(こう)に結ぶ。其の直なる者は、上りて③䏚(びょう)と季脇(ききょう)に乗(じょう)じ、上りて腋の前廉に走り、膺乳(ようにゅう)に繋(つな)がり、缺盆に結ぶ。直なる者は、上りて腋に出で、缺盆を貫ぬき、太陽の前に出で、耳後を循(めぐ)り、額角を上り、④巓上(てんじょう)に交わり、下りて頷(がん)に走り、上りて頄(きゅう)に結ぶ。支なる者は、目眥(もくし)に結びて外維(がいい)と為す。

【解説】

①伏兎の上に結び:足陽明に繋がる。

②尻(こう)に結ぶ:臀部で足太陽と繋がる。

③䏚(びょう):季肋の下、腸骨上部の骨の無い柔らかい部分。

④巓上:百会穴。

 

經筋病症

其病小指次指支轉筋.引膝外轉筋.膝不可屈伸.膕筋急.前引髀.後引尻.即上乘[月少]季脇痛.上引缺盆膺乳頚維筋急.從左之右.右目不開.上過右角.並脉而行.左絡于右.故傷左角.右足不用.命曰維筋相交.

其れ病めば小指の次指支(つか)え轉筋(てんきん)し、膝外に引きて轉筋(てんきん)し、膝屈伸すべからず、膕(かく)筋急し、前は髀(ひ)に引き、後は尻(こう)に引き、即ち上りて䏚(びょう)と季脇(ききょう)に乗(じょう)じて痛み、上は缺盆・膺乳(ようにゅう)に引きて頚維の筋急す。左より右に之(ゆ)けば、右目開かず、上りて右角を過(よ)ぎり、蹻脉(きょうみゃく)と並び行き、左は右を絡(まと)う。故に左角を傷(やぶ)れば右足用いず。命じて①維筋相交(いきんそうこう)と曰(いわ)く。

【解説】

①維筋相交(いきんそうこう):「気の偏在」としてみれば経筋に限らず、維筋相交(いきんそうこう)は存在する。足少陽経筋病症にわざわざ維筋相交と記しているのは、任脈・督脈で左右の経絡は接しており、また帯脉は上下左右の空間の軸=枢であるためである。(帯脉主冶穴=臨泣穴)

 

絡脈

足少陽之別.名曰光明.去踝五寸.別走厥陰.下絡足

足少陽の別、名づけて光明と曰く。踝(か)を去ること五寸、別れて厥陰に走り、下りて①足跗(そくふ)を絡(まと)う。

【解説】

①足跗(そくふ)を絡(まと)う:足の甲は、足陽明と足少陽が密接に関係している。

 

絡脈病症

實則厥.虚則痿躄.坐不能起.取之所別也.

實すれば則ち厥(けつ)し、虚すれば則ち痿躄(いへき)し、坐して起つこと能(あた)わず。之(これ)を別つ所に取るなり。

 

10.手少陽 三焦

   志ある学徒の、簡便な道具にならんことを願って読み下文を記しています。

 また初学者のため、重複の労をいとわずルビをふっています。

 誤りを見つけられましたら、どうかコメント欄に投稿をお願いいたします。

  底本 『霊枢』明刊無名氏本『新刊黄帝内経霊枢』日本内経医学会所蔵

 

正經

三焦手少陽之脉.起于小指次指之端.上出兩指之間.循手表腕.出臂外兩骨之間.上貫肘.循臑外.上肩而交出足少陽之後.入缺盆.布中.散絡(落)心包.下膈.循屬三焦.

其支者.從中.上出缺盆.上項.繋耳後.直上出耳上角.以屈.下頬.至

其支者.從耳後.入耳中.出走耳前.過客主人前.交頬.至目鋭眥.

三焦手少陽の脉、小指の次指の端に起り、上りて兩指の間に出で、手の表腕を循(めぐ)り、臂外(ひがい)兩骨の間に出で、上りて肘を貫き、臑外(じゅがい)を循(めぐ)り、肩に上りて①足少陽の後に交わり出で、缺盆に入り、膻中に布き、散じて心包を絡(まと)(落)い、膈を下り、循(めぐ)りて②三焦に屬(ぞく)す。

其の支なる者は、膻中より、上りて缺盆に出で、項を上り、耳後に繋(つな)がり、直(ただ)ちに上りて耳の上角に出で、以て屈して頬を下り䪼(せつ)に至る。

其の支なる者は、③耳後より耳中に入り、出でて耳前に走り、客主人の前を過ぎ、頬に交わり、目の鋭眥(えいし)に至る。

【解説】

① 足少陽の後に交わり出で:足少陽と交差して大椎穴で交会する。

② 三焦に屬す:この他、三焦下合穴:委陽穴

③ 耳後より耳中に入り:外耳など、比較的浅い部分。

 

正經病症

是動則病耳聾渾渾焞焞腫喉痺.

是主氣所生病者.汗出.目鋭眥痛.頬痛.耳後肩臑肘臂外皆痛.小指次指不用.

是れ動ずれば則ち病む。耳聾(じろう)して①渾渾焞焞(こんこんとんとん)たり。嗌(のど)腫れ喉痹(こうひ)す。

是れ氣を主として生ずる所の病の者は、汗出で、目の鋭眥痛み、頬痛み、耳後、肩、臑(じゅ)、肘、臂(ひ)外皆痛み、小指の次指用いず。

【解説】

① 渾渾焞焞:渾:にごる、おおきい 焞:盛大。耳鳴りが大きくひどいさま。もしくは、モヤモヤとして中にこもり、曖昧模糊とした様子。

 

經別

手少陽之正.指天.別于巓.入缺盆.下走三焦.散于胸中也.

手少陽の正、①天を指し、②巓(てん)に別れ、缺盆に入り、下りて三焦に走り、胸中に散ずるなり。

【解説】

① 天を指し:上行する。

② 巓:百会穴。

 

經筋

手少陽之筋.起于小指次指之端.結于腕中.上循臂結于肘.上繞臑外廉.上肩走頚.合手太陽.

其支者.當曲頬.入繋舌本.

其支者.上曲牙.循耳前.屬目外眥.上乘頷.結于角.

手少陽の筋、小指の次指の端に起り、腕中に結び、上りて臂(ひ)を循(めぐ)り肘に結び、上りて臑(じゅ)の外廉を繞(めぐ)り、肩に上り頚に走り、手太陽と合す。

其の支なる者は、曲頬(きょくきょう)に當(あた)り、入りて舌本に繋(つなが)る。其の支なる者は、曲牙(きょくが)を上り、耳前を循(めぐ)り、目の外眥(がいし)に屬(ぞく)し、上りて頷(がん)に乗(じょう)じ、角に結ぶ。

 

經筋病症

其病當所過者.即支轉筋.舌卷.

其の病、過ぎる所に當(あた)る者は、即ち支(つか)え轉筋(てんきん)し①舌巻く。

【解説】

① 舌巻く:舌が巻き上がる。舌に流注しているすべての臓腑に影響する。

 

絡脈

手少陽之別.名曰外關.去腕二寸.外遶臂.注胸中.合心主.

手少陽の別、名づけて外關(がいかん)と曰く。腕を去ること二寸、外は臂(ひ)を遶(めぐ)り、胸中に注ぎ、心主に合す。

 

絡脈病症

病實則肘攣.虚則不收.取之所別也.

病實すれば則ち肘攣(れん)し、虚すれば則ち収(おさ)まらず。之(これ)を別れる所に取るなり。

 

9.手厥陰 心包

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正經

心主手厥陰心包絡之脉.起于胸中.出屬心包絡.下膈.歴絡三焦.

其支者.循胸.出脇.下腋三寸.上抵腋下.循臑内.行太陰少陰之閒.入肘中.下臂.行兩筋之閒.入掌中.循中指.出其端.

其支者.別掌中.循小指次指.出其端.

心主手厥陰心包絡の脉は、①胸中に起り、出でて心包絡に屬(ぞく)し、膈を下り、②三焦を③歴絡(れき)らく)す。

其の支なる者は、④胸を循(めぐ)り脇に出で、腋三寸を下り、上りて腋下に抵(あた)り、臑内(じゅない)を循(めぐ)り、太陰少陰の閒(かん)を行き、肘中に入り、臂(ひ)を下り兩筋の閒(かん)を行き、掌中に入り、中指を循(めぐ)り、其の端に出ず。

其の支なる者は、掌中に別れ、小指の次指を循(めぐ)り、其の端に出ず。

【解説】

① 胸中:足少陰の流れを受けて、おおよそ膻中穴付近。

② 三焦:五腑の袋=包である。焦は隹(とり)を火で焼く姿。三焦とは、陽気に特化した名称。

③ 歴絡:歴とは、経験・体験してきたこと。つまり心包の気血は、三焦から受けたのであるが、さらにまた三焦を再び絡うことを意味する。

④ 胸を循り脇に出で:天地穴は、そのまま上焦と下焦の状態が現れる意。このあたりで脾の大絡=大包と繋がる。

⑤ 掌中に別れ:労宮穴

 

正經病症

是動則病手心熱.臂肘攣急.腋腫.甚則胸脇支滿.心中憺憺大動.面赤.目黄.喜笑不休.

是主脉所生病者.煩心心痛、掌中熱.

是れ動ずれば則ち病む。手心熱し、臂(ひ)肘攣急(れんきゅう)し、腋腫れ、甚だしければ則ち胸脇①支満(しまん)し、心中②憺憺(たんたん)として③大いに動ず、面赤く、目黄し、喜笑して休(や)まず。

是れ脉を主として生ずる所の病の者は、煩心し、心痛し、掌中熱す。

【解説】

① 支満:一杯になってつかえる。一杯になって息苦しい。

② 憺憺:憂いのために、心が恐れて胸騒ぎがする。

③ 大いに動ず:激しく動悸がする。

 

經別

手心主之正.別下淵腋三寸.入胸中.別屬三焦.出循喉.出耳後.合少陽完骨之下.此爲五合也.

手心主の正、別れて①淵腋を下ること三寸にして、胸中に入り、別れて②三焦に屬(ぞく)し、出でて喉嚨(こうろう)を循(めぐ)り、耳後に出で、②少陽完骨の下に合す。此れ五合と為すなり。

【解説】

① 淵腋を下ること三寸:足少陰と脾の大絡=大包と繋がる。

② 三焦に屬(ぞく)し:心包・膻中=気 三焦・大包=水が連想される。

③少陽完骨:手少陽三焦経と合流。

 

經筋

手心主之筋.起于中指.與太陰之筋並行.結于肘内廉.上臂陰.結腋下.下散前後挾脇.

其支者.入腋.散胸中.結于臂(賁).

手心主の筋、中指に起り、太陰の筋と並び行き、肘の内廉に結び、臂(ひ)陰を上り、腋下に結び、下りて前後に散じて①脇を挾(ばさ)む。其の支なる者は、腋に入り、胸中に散じ臂(ひ)(賁(ふん))に結ぶ。

【解説】

①脇を挾(ばさ)む:少陽部位と深くかかわる。

 

經筋病症

其病當所過者.支轉筋.前及胸痛息賁.

其の病の過(す)ぐる所に當(あた)る者は、支(つか)え轉筋(てんきん)し、前及び胸痛みて①息賁(そくふん)す。

【解説】

① 息賁:肺積=右脇下の腫塊

 

絡脈

手少陰之別.名曰内關.去腕二寸.出于兩筋之間.循經以上繋于心包.絡心系.

手心主の別、名づけて内關(ないかん)と曰く。腕を去ること二寸、兩筋の間に出で、經を循(めぐ)り以って上り心包に繋(つな)がり、心系を絡(まと)う。

 

絡脈病症

實則心痛.虚則爲頭強.取之兩筋間也.

實すれば則ち心痛し、虚すれば則ち頭強を為す。之(これ)を兩筋の間に取るなり。

 

※(頭強…甲乙經では「煩心」)

8.足少陰 腎

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正經

腎足少陰之脉.起于小指之下.邪走足心.出于然谷之下.循内踝之後.別入跟中.以上内.出膕内廉.上股内後廉.貫脊.屬腎.絡膀胱.其直者.從腎上貫肝膈.入肺中.循喉.挾舌本.

其支者.從肺出絡心.注胸中.

腎足少陰の脉、小指の下に起り、邪(なな)めに足心に走り、然谷の下に出で、内踝(ないか)の後を循(めぐ)り、別れて跟(こん)中に入り、以って踹(せん)内を上り、膕(かく)の内廉に出で、股内の後廉を上り、①脊を貫き腎に屬(ぞく)し膀胱を絡(まと)う。

其の直なる者は、腎より上りて②肝膈を貫き、肺中に入りて、喉嚨(こうろう)を循(めぐ)り、③舌本を挾(ばさ)む。

其の支なる者は、④肺より出でて心を絡(まと)い、胸中に注ぐ。

【解説】

①脊を貫き:督脈と合流

②肝膈:「一の会」では、八椎下両傍の無名穴を、肝膈穴とする。

③舌本を挾(ばさ)む:足太陰、足少陰正経・経別、足太陽経筋、手少陰絡脉と合流する。

④肺より出でて心を絡(まと)い:流注の概略として、肝・肺・心とめぐって舌本で脾と繋がる。

 

正經病症

是動則病飢不欲食.面如漆柴.唾則有血.喝喝而喘.坐而欲起.目[目][]如無所見.心如懸.若飢状.氣不足則善恐.心愓愓如人將捕之.是爲骨厥.是主腎所生病者.口熱.舌乾.咽腫.上氣.乾及痛.煩心心痛.黄疸.腸.脊股内後廉痛.痿厥嗜臥.足下熱而痛.

是れ動ずれば則ち病む。①飢えて食を欲せず、面漆柴(しっさい)の如く、欬唾(がいだ)すれば則ち血有り。喝喝(かつかつ)として喘(あえ)ぎ、坐して起きんと欲すれば、目  (こうこう)として見る所無きが如く、②心は懸(かけ)るが如く、③飢えたる状の若し。氣不足すれば則ち善く恐れ、④心愓愓(てきてき)として人の將(まさ)に之(これ)を捕えんとするが如し。是れ骨厥(こっけつ)と為す。⑤是れ腎を主として生ずる所の病の者は、口熱し、舌乾き、咽腫れ、上氣し、嗌(のど)乾き及び痛み、煩心し、心痛し、黄疸、⑥腸澼(ちょうへき)、脊股の内後廉痛み、痿厥(いけつ)して臥(が)するを嗜(この)み、足下熱して痛む。

【解説】

①飢えて食を欲せず:腎の変動は、胃の受納・和降作用に影響する。<素問・水熱穴論61>「腎は胃の関」 衝脉は、足陽明と関係が深い。

②心は懸(かけ)るが如く:心がたよりなくぶら下がっているようで、何か気にかかることがあるかのようである。

③飢えたる状の若し:心の安定処を探しても見つからず、さまよう感じ。

④心愓愓(てきてき):落ち着きなく、おどおど、ビクビクしている。腎の変動は、心神に影響を与える。

⑤是れ腎を主として生ずる所の病:以下の分を見ると熱の症状が主であることが分かる。

⑥腸澼(ちょうへき):下痢

 

經別

足少陰之正.至膕中.別走太陽而合.上至腎.當十四.出屬帶脉. 直者.繋舌本.復出于項.合于太陽.此爲一合.成(或)以諸陰之別.皆爲正也.

足少陰の正、膕中(かくちゅう)に至り、別れて太陽に走りて合し、上りて腎に至り、①十四顀(つい)に至り、出でて②帯脉に屬(ぞく)す。直なる者は、③舌本に繋(つな)がり、復(また)項に出で、太陽に合す。此れ一合と為す。(或あるいは)④以って諸陰の別と成し、皆正と為すなり。

【解説】

① 十四顀(つい):命門

② 帯脉に屬(ぞく)す:足少陽と繋がる。足少陽は、腎の募穴:京門穴を流注する。

③ 舌本に繋(つな)がり:足太陰、足少陰正経・経別、足太陽経筋、手少陰絡脉と合流する。

④ 以って諸陰の別と成し、皆正と為すなり:経別のすべては正経と同じであるとのことであるが、経別だけでなく経筋・絡脉なども同じ視線で見るのが良い。

 

經筋

足少陰之筋.起于小指之下.並足太陰之筋.邪走内踝之下.結于踵.與太陽之筋合.而上結于内輔之下.並太陰之筋.而上循陰股.結于陰器.循脊内.挾膂.上至項.結于枕骨.與足太陽之筋合.

足少陰の筋、小指の下に起り、足太陰の筋と並び、邪(なな)めに内踝(か)の下に走り、踵(しょう)に結び、太陽の筋と合して、上りて①内輔(ないほ)の下に結び、太陰の筋と並びて、上りて陰股を循(めぐ)り、陰器に結び、脊内を循(めぐ)り、膂(りょ)を挾(はさ)み、上りて項に至り、②枕骨(ちんこつ)に結び、足太陽の筋と合す。 

【解説】

①内輔(ないほ)の下:陰陵泉穴付近。

②枕(ちん)骨(こつ):外後頭隆起

 

經筋病症

其病足下轉筋.及所過而結者.皆痛及轉筋.病在此者.主癇及痙.在外者.不能俛.在内者不能仰.故陽病者.腰反折不能俛.陰病者.不能仰.

其の病足下轉筋(てんきん)し、及び過(よ)ぎりて結ぶ所の者は、皆痛み及び轉(てん)筋す。病此に在る者は、①癇瘛(かんせい)及び痙(けい)を主り、外に在る者は、俛(ふ)すこと能(あた)わず、内に在る者は、仰(あおぐ)こと能(あた)わず。故に陽を病む者は、腰反折して俛(ふ)すこと能(あた)わず、陰を病む者は、仰(あおぐ)ぐこと能(あた)わず。

【解説】

①癇瘛(かんせい):てんかんを起こして引きつけること。

 

絡脈

足少陰之別.名曰大鍾.當踝後繞跟.別走太陽.其別者.并經上走于心包.下外貫腰脊.

足少陰の別、名づけて大鍾と曰く。踝(か)後に當(あた)り跟(こん)を繞(めぐ)り、別れて太陽に走る。其の別なる者は、經と并(なら)び上り①心包に走り、下りて外は腰脊を貫く。

【解説】

① 心包:心包の概念によるが、膻中穴が連想される。

 

絡脈病症

其病氣逆則煩悶.實則閉.虚則腰痛.取之所別也.

其の病、氣逆すれば則ち煩悶(はんもん)す。實なれば則ち閉癃(へいりゅう)し、虚なれば則ち腰痛す。之(これ)を別れる所に取るなり。

7.足太陽 膀胱

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正經

膀胱足太陽之脉.起于目内眥.上額.交巓.

其支者.從巓至耳上角.其直者.從巓入絡腦.還出別下項.循肩内.挾脊抵腰中.入循膂.絡腎.屬膀胱.

其支者.從腰中.下挾脊.貫臀.入膕中.

其支者.從内.左右別.下貫胛.挾脊内.過髀樞.循髀外.從後廉.下合膕中.以下貫内.出外踝之後.循京骨.至小指外側.

膀胱足太陽の脉、目の内眥(ないし)に起こり、額を上り①巓(てん)に交わる。其の支なる者は、巓(てん)より②耳の上角に至る。

其の直なる者は、巓(てん)より入りて腦を絡(まと)い、還(かえ)り出で③別れて項を下り、④肩髆(けんぱく)の内を循(めぐ)り、脊を挾み⑤腰中に抵(あた)り、入りて⑥膂(りょ)を循(めぐ)り、腎を絡(まと)い⑦膀胱に屬(ぞく)す。

其の支なる者は、腰中より、下りて脊を挾み臀(でん)を貫き、⑧膕中(かくちゅう)に入る。

⑨其の支なる者は、髆内(はくない)より左右に別れ、下りて胛(こう)を貫き、脊を内に挾(ばさ)み、⑩髀樞(ひすう)を過ぎ、髀外を循(めぐ)り、後廉より下りて⑪膕中(かくちゅう)に合し、以って下りて⑫腨内(せんない)を貫き、外踝の後に出で、京骨を循(めぐ)り、小指の外側に至る。

【解説】

①巓(てん):百会で左右交差する

②耳の上角:手足の少陽と合す。

③別れて項を下り:天柱から大杼・風門・・・の一行と、附分・魄戸・・・の二行とに分かれる。

④肩髆(けんぱく)の内を循(めぐ)り:肩甲骨

⑤腰中に抵(あた)り:腎兪付近

⑥膂(りょ):脊柱起立筋

⑦膀胱に屬(ぞく)す:中極穴

⑧膕中(かくちゅう):膝窩、委中

⑨其の支なる者は:天柱から分かれた二行

⑩髀樞(ひすう):環跳

⑪膕中(かくちゅう):二行は委陽から委中に流注するのが自然

⑫腨内(せんない):腓腹筋

 

正經病症

是動則病衝頭痛.目似脱.項如拔.脊痛腰似折.髀不可以曲.膕如結.如裂.是爲踝厥.

是主筋所生病者.痔.瘧.狂癲疾.頭項痛.目黄.涙出.衄.項背腰尻膕脚皆痛.小指不用.

是れ動ずれば則ち病む。頭衝(つ)きて痛み、目脱するに似て、項抜けるが如く、脊痛み腰折るに似て、髀以って曲るべからず。膕(かく)結ぶが如く、踹(せん)裂くるが如し。是れ踝厥(かけつ)と為す。

①是れ筋を主として生ずる所の病の者は、痔、瘧(がい)、狂、癲疾(てんしつ)、①頭顖(ずそう)項痛み、目黄し、涙出で、鼽衄(きゅうじく)し、項、背、腰、尻(こう)、膕(かく)、踹(せん)、脚、皆痛み、小指用いず。

【解説】

①頭顖(ずそう):いわゆるひよめき。泉門。

②是れ筋を主として生ずる所の病:<素問・生気通天論三>「陽氣者.精則養神.柔則養筋.開闔不得.寒氣從之.乃生大僂.」

この場合の筋とは、身体背面を流注する足太陽を指し、足太陽の失調は、腠理の開合失調が主であることを指している。 

 

經別

足太陽之正.別入于膕中.其一道.下尻五寸.別入于肛.屬于膀胱.散之腎.循膂.當心入散.直者.從膂上出于項.復屬于太陽.此爲一經也.

足太陽の正、別れて膕中(かくちゅう)に入り、其の一道は、尻(こう)を下ること五寸にして、別れて①肛に入り、膀胱に屬(ぞく)し、散じて腎に之(ゆ)き、膂(りょ)を循(めぐ)り、②心に當(あた)り入りて散ず。直なる者は、膂(りょ)より上りて項に出で、復(また)太陽に屬(ぞく)す。此一經と為すなり。

【解説】

①肛に入り:痔疾患と関係する。肛門は魄と称され、大腸の最終で陽気が非常に強いところである。

②心に當(あた)り入りて散ず:心-腎・膀胱の関係を説いている。腎・膀胱の異常と心との関係が深いことを示している。

 

經筋

足太陽之筋.起于足小指.上結于踝.邪上結于膝.其下循足外側.結于踵.上循跟.結于膕.其別者.結于外.上膕中内廉.與膕中并.上結于臀.上挾脊.上項.

其支者.別入結于舌本.其直者.結于枕骨.上頭下顏.結于鼻.

其支者.爲目上網.下結于

其支者.從腋後外廉.結于肩

其支者.入腋下.上出缺盆.上結于完骨.

其支者.出缺盆.邪上出于

足太陽の筋、足の小指に起り、上りて踝(か)に結び、邪(なな)めに上りて膝に結ぶ。其の下は足の外側を循(めぐ)り、踵(かかと)に結び、上りて跟(こん)を循(めぐ)り、膕(かく)に結ぶ。其の別なる者は、踹(せん)外に結び、膕(かく)中の内廉を上り、膕(かく)中と并せ、上りて臀(でん)に結び、上りて脊を挟み、項を上る。

其の支なる者は、別れて入り①舌本に結ぶ。其の直なる者は、②枕骨(ちんこつ)に結び、頭を上り顔に下り、鼻に結ぶ。

其の支なる者は、目の上網を為し、下りて頄(きゅう)に結ぶ。

③其の支なる者は、腋後外廉より、肩髃に結ぶ。

其の支なる者は、腋下に入り、上りて缺盆に出で、上りて完骨に結ぶ。

其の支なる者は、缺盆に出で、邪(なな)めに上りて④頄(きゅう)に出ず。

【解説】

①舌本に結ぶ:足太陰、足少陰、足太陽経筋、手少陰絡脉と合流する。

②枕骨(ちんこつ)に結び:後頭部からの流れが承泣穴付近で結ぶ。

③其の支なる者は、腋後外廉より肩髃に結ぶ。其の支なる者は、腋下・・・:肩背部から肩を前後に取り囲むように流注している。

④頄(きゅう):肩からの流注と後頭部からの流注が承泣穴付近で合流する。また完骨穴から承泣穴までも流注しているので、後頭部からの流注と、側頭部から顔面部と取り囲むように流注している。

 

經筋病症

其病小指支.跟腫痛.膕攣.脊反折.項筋急.肩不擧.腋支.缺盆中紐痛.不可左右搖.

其の病小指支(つか)え、跟(こん)腫れ痛み、膕攣(かくれん)し、①背反折し、項筋急し、肩擧(あが)らず、腋支(つか)え、缺盆の中紐痛(ちゅうつう)し、②左右に揺らすべからず。 

【解説】

①背反折:角弓反射のようにのけぞること。

②左右に揺らすべからず:全身、もしくは首が強ばって左右に揺らすことが出来ない様。

 

絡脈

足太陽之別.名曰飛陽.去踝七寸.別走少陰.

足太陽の別、名づけて飛陽と曰く。踝(か)を去ること七寸、別れて少陰に走る。

 

絡脈病症

實則窒頭背痛.虚則衄.取之所別也.

實すれば則ち①鼽窒(きゅうちつ)し、頭背痛む。①虚すれば則ち鼽衄(きゅうじく)す。之(これ)を別れる所に取るなり。

【解説】

①鼽窒(きゅうちつ):鼻閉。太陽が邪を受け、上焦で鬱滞すると鼻閉と共に頭背のこわばりや痛みが生じる。

①虚すれば則ち鼽衄(きゅうじく)す:飛陽穴を補わなければならない鼻血であれば、漏れ出るような出血の仕方をするのであろう。

6.手太陽 小腸

   志ある学徒の、簡便な道具にならんことを願って読み下文を記しています。

 また初学者のため、重複の労をいとわずルビをふっています。

 誤りを見つけられましたら、どうかコメント欄に投稿をお願いいたします。

  底本 『霊枢』明刊無名氏本『新刊黄帝内経霊枢』日本内経医学会所蔵

 

正經

小腸手太陽之脉.起于小指之端.循手外側.上腕.出踝中.直上循臂骨下廉.出肘内側兩筋之閒.上循臑外後廉.出肩解.繞肩胛.交肩上.入缺盆.絡心.循咽下膈.抵胃.屬小腸.

其支者.從缺盆.循頚.上頬.至目鋭眥.却入耳中.

其支者.別頬.上抵鼻.至目内眥.斜絡于顴.

小腸手太陽の脉は、小指の端に起り、手の外側を循(めぐ)り、腕を上り、踝中(かちゅう)に出で、直(ただ)ちに上りて臂骨(ひこつ)の下廉を循(めぐ)り、肘の内側兩筋の閒(かん)に出で、上りて臑(じゅ)の外後廉を循(めぐ)り、①肩解に出で、肩胛(けんこう)を繞(めぐ)り、肩上に交り、缺盆に入り心を絡(まと)い、咽を循(めぐ)り膈を下り、②胃に抵(あた)りて小腸に屬(ぞく)す。

其の支なる者は、缺盆より頚を循(めぐ)り頬に上り、目の鋭眥(えいし)に至り、却(しりぞ)きて③耳中に入る。

其の支なる者は、頬に別れ④䪼(せつ)を上り鼻に抵(あた)り、⑤目の内眥(ないし)に至り、斜(なな)めに顴(けん)を絡(まと)う。

【解説】

① 肩解:肩峰~肩甲骨内上角~大椎穴付近。

② 胃に抵あたりて小腸に屬(ぞく)す:上脘・中脘穴と流注して下脘穴で小腸に属する。

③ 耳中:聴宮穴

④ 䪼を上り鼻に抵り:手足の陽明と合流。

⑤ 目の内眥:足太陽へと繋がる。

 

正經病症

是動則病痛頷腫.不可以顧.肩似拔.臑似折.是主液所生病者.耳聾.目黄.頬腫.頚頷肩臑肘臂外後廉痛.

是れ動ずれば則ち病む。嗌(のど)痛み頷(がん)腫れ、以て顧(かえり)みるべからず。肩抜けるに似(に)て臑(じゅ)折れるに似(に)る。①是れ液を主として生ずる所の病の者は、耳聾(じろう)し、目黄し、頬(ほほ)腫れ頚、頷(がん)、肩、臑(じゅ)、肘、臂(ひ)の外後廉痛む。

【解説】

① 液を主として生ずる所の病:津液の津は、比較的薄くさらりとしたもので移動し、液とは粘稠で関節や脳髄を満たして移動しにくい性質がある。この場合の液とは、精気(陰気)を指すのか、また小腸の泌別清濁機能・水湿運化機能の異常を指しているのか今後の臨床家の判断を待つところである。

 

經別

手太陽之正.指地.別于肩解.入腋.走心.繋小腸也.

手太陽の正、①地を指し、肩解に別れ、腋に入りて心に走り、②小腸に繋(つなが)るなり。

【解説】

① 地を指し:下行するという意味。

② 小腸に繋つながる:下脘穴であるのか、関元穴であるのか。今後の臨床に委ねる。

 

經筋

手太陽之筋.起于小指之上.結于腕.上循臂内廉.結于肘内鋭骨之後.彈之應小指之上.入結于腋下.

其支者.後走腋後廉.上繞肩胛.循頚.出走太陽之前.結于耳後完骨.

其支者.入耳中.直者.出耳上.下結于頷.上屬目外眥.

手太陽の筋、小指の上に起り、腕に結び、上りて臂(ひ)の内廉を循(めぐ)り、肘内鋭(えい)骨の後に結び、①之を弾ずれば小指の上に應(おう)じ、入りて腋下に結ぶ。

其の支なる者は、腋の後廉を後走し、上りて肩胛(けんこう)を繞(めぐ)り、頚を循(めぐ)り、出でて②太陽の前に走り、耳後の③完骨に結ぶ。其の支なる者は、耳中に入る。直なる者は、④耳上に出で、下りて頷(がん)に結び、上りて目の外眥(がいし)に屬(ぞく)す。

【解説】

① 之を弾ずれば小指の上に應おうじ:小海穴を弾じると、小指まで響く様。

② 太陽:足太陽

③ 完骨:足少陽と交会

④ 耳上に出で:角孫穴

 

經筋病症

其病小指支.肘内鋭骨後廉痛.循臂陰入腋下.腋下痛.腋後廉痛.繞肩胛.引頚而痛.應耳中鳴痛引頷.目瞑.良久乃得視.頚筋急則爲筋瘻頚腫.

其の病小指支(つか)え、肘内鋭骨(えいこつ)の後廉痛み、臂陰(ひいん)を循(めぐ)り腋下に入りて、腋下痛み、腋の後廉痛み、肩胛(けんこう)を繞(めぐ)り、頚に引きて痛み、耳中に應(おう)じて鳴り痛み頷(がん)に引き、①目瞑(もくめい)して良(やや)久しくすれば乃ち視ることを得、頚筋急すれば則ち②筋瘻(きんろう)し頚腫を為す。

【解説】

① 目瞑:視界がはっきりとしないこと。

② 筋瘻:瘰癧

 

絡脈

手太陽之別.名曰支正.上腕五寸.内注少陰.其別者.上走肘.絡肩

手太陽の別、名づけて支正と曰く。腕を上ること五寸、内(い)りて少陰に注ぐ。其の別なる者は、上りて肘に走り、肩髃を絡(まと)う。

 

絡脈病症

實則節弛肘廢.虚則生肬.小者如指痂疥.取之所別也.

實すれば則ち節弛(ゆる)み肘廢(すた)れる。虚すれば則ち①肬(ゆう)を生じ、小さき者は指の②痂疥(かかい)の如し。之(これ)を別れる所に取るなり。

【解説】

① 肬:イボ

② 痂疥:数が多く、カサブタができるイボ。

 

5.手少陰 心

   志ある学徒の、簡便な道具にならんことを願って読み下文を記しています。

 また初学者のため、重複の労をいとわずルビをふっています。

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  底本 『霊枢』明刊無名氏本『新刊黄帝内経霊枢』日本内経医学会所蔵

 

正經

心手少陰之脉.起于心中.出屬心系.下膈.絡小腸.

其支者.從心系.上挾咽.繋目系.其直者.復從心系.却上肺.下出腋下.下循臑内後廉.行太陰心主之後.下肘内.循臂内後廉.抵掌後鋭骨之端.入掌内後廉.循小指之内.出其端.

心手少陰の脉は、①心中に起こり、出て心系に屬(ぞく)し、膈を下り、②小腸を絡まとう。

其の支なる者は、③心系より上りて咽を挾ばさみ、④目系に繋つながる。

其の直なる者は、復また心系より、却(しりぞき)て肺に上り、下りて腋下に出で、下りて臑内(じゅない)の後廉を循めぐり、太陰心主の後を行き、肘の内を下り、臂(ひ)の内後廉を循めぐり、⑤掌後鋭骨の端に抵あたり、掌の内の後廉に入り、小指の内を循めぐり、其の端に出ず。

【解説】

① 心中に起こり:<足太陰、其支者、復從胃別上膈、注心中>の流れを受けて。

② 小腸を絡う:下脘穴:足太陰と密接につながる。

③ 心系:四本の釣り糸と密接につながる。

④ 目系に繋がる:目の深いところ。足厥陰と合流する。足厥陰は、ここから百会へと流注する。

⑤ 掌後鋭骨の端:手根骨の豆状骨

 

正經病症

是動則病乾心痛.渇而欲飮.是爲臂厥.是主心所生病者.目黄.脇痛.臑臂内後廉痛厥.掌中熱痛.

是れ動ずれば則ち病む。嗌(のど)乾き①心痛し、渇して飲(いん)を欲す。是れ臂厥(ひけつ)と為す。是れ心を主として生ずる所の病の者は、目黄し、脇痛し、臑臂(じゅひ)の内後廉痛みて厥(けつ)し、掌中熱痛す。

【解説】

① 心痛:心下から膻中辺り。広範囲に捉える。

 

經別

手少陰之正.別入于淵腋兩筋之間.屬于心.上走喉.出于面.合目内眥.此爲四合也.

手少陰の正、別れて①淵腋兩筋の間に入り、心に屬(ぞく)し、上りて喉嚨(こうろう)に走り、面に出で、②目の内眥に合す。此れ四合と為すなり。

【解説】

① 淵腋兩筋の間:淵腋と極泉の間。

② 目の内眥に合す:足太陽、手太陽、足陽明と交会。神気の状態が現れる。

 

經筋

手少陰之筋.起于小指之内側.結于鋭骨.上結肘内廉.上入腋.交太陰.挾乳裏.結于胸中.循臂(賁).下繋于臍.

手少陰の筋、小指の内側に起り、鋭骨(えいこつ)に結び、上りて肘の内廉に結び、上りて腋に入り、太陰に交わり、乳裏に①伏し、胸中に結び、②賁を循(めぐり)、下りて③臍(さい)に繋つながる。

【解説】

① 伏し:原文は、「挟(はさ)み」。黄帝内経太素と楊上善の注釈に従って「伏」に改める。

②賁:原文は「臂(ひ)」。黄帝内経太素と鍼灸甲乙経に従って「賁」に改める。

③ 臍に繋がる:足太陰経筋と合流。

 

經筋病症

其病内急.心承伏梁.下爲肘網.其病當所過者.支轉筋筋痛.

…其成伏梁唾血膿者.死不治

其の病内(うち)急し、心は①伏梁(ぶくりょう)を承(う)け、下りて②肘網を為す。其の病の過ぎる所に當(あた)る者は、支(つか)え轉筋(てんきん)し筋痛む。

…其の伏梁成りて血膿を唾するは、③死して治せず。 

【解説】

①伏梁:心下の塊。心積。

②肘網:肘網とは、網に絡まったように稼働制限がある状態。

③死して治せず:ここでも経筋病が、単に筋肉の病で無いことを示している。

 

絡脈

手少陰之別.名曰通里.去腕一寸半.別而上行.循經入于心中.繋舌本.屬目系.

手の少陰の別、名づけて通里と曰く。腕を去ること一寸半、別れて上行し、經を循(めぐ)り心中に入り、舌本に繋(つな)がり、目系に屬す。

 

絡脈病症

其實則支膈.虚則不能言.取之掌後一寸.別走太陽也.

其れ實すれば則ち①支膈(しかく)し、虚すれば則ち言うこと能(あた)わず。之(これ)を掌後一寸に取る。別れて太陽に走るなり。

【解説】

①支膈(しかく):膈が痞えること。心下から胸元にかけて痞えた感じがする。