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鍼灸医学の懐

黄帝内経の意訳と解説 最後に原文と読み下しを記しています。

水熱穴論篇第六十一.

本篇は、骨空論で記載されている水兪五十七穴の詳細が表題となっているが、腎と肺、腎と胃の生理関係のほか刺法にまで論及されている。 「腎は胃の関」と「四季の刺法」に関しては、気の動きを筆者なりに臨床に合致するように意訳を試みた。 諸氏、ご意見を…

骨空論篇第六十

本篇は、骨空論であるが、さっと一読して内容に多少まとまりが無いように感じられる。 おそらく散逸していたものを継ぎ合わせたのではないかと推測されるのですが、読者の方々、いかがでしょう。 また、治療穴に関しても、全体の気血陰陽の調和という観点か…

氣府論篇第五十九.

梅の蕾もほころんで 筆者は、本篇「気府論」は、前篇「気穴論」の続編と捉えても差し支えはないと思っている。 ところで、ここに記されている経絡の巡行と経穴は、他経と入り混じっている。この点の意味においては、次篇「骨空論」の内容が示唆している。 こ…

氣穴論篇第五十八.

本篇は天人合一思想に基づいて、主に経穴の数と位置について述べられている。 筆者自身、本篇と次篇(気府論)は、あまり取るべきところを感じないが、それはすでに経絡・経穴を伝承されているからである。(ありがたいことです) それはさておき経穴の数に…

經絡論篇第五十七.

本篇は、前篇『皮部論篇』の続編であるように感じる。 筆者の感覚では、例えば手足を診た時、経絡別に五色が現れているとは認識できない。 しかし、顔面の気色だけでなく体幹部や四肢が現す色は、大変重要と感じている。 本篇で取るべきところは、四時陰陽の…

皮部論篇第五十六.

七種山 虹の滝 東洋医学は、体表に現れる気色や肌の色つやなどによって、五臓六腑の充実度を観る。 瓜やスイカなど、外から眺めて触って軽く叩いて、中の状態を候うようなものである。 ただ、候うに、瓜やスイカと違う点は、命がけだということである。 本篇…

長刺節論篇第五十五.

慶良間 前篇に引き続き鍼法について述べられているが、鍼の補寫、遅速、深浅に関しては、他篇と矛盾することが多々ある。 これらから推測できることは、刺法に関しては当時から様々な流派ややり方があったことが分かる。 これは巨刺と繆刺も同じである。 巨…

鍼解篇第五十四.

花咲き虫が飛び交う・・・盛夏 本篇は、鍼の基本的な補瀉法と、それを施したのちの変化の目安について述べられている。 さらに、内経医学で一貫している『天人相応』思想が、ここでも記載されているが、これをこじつけと思ってしまうと、内経医学の深いとこ…

刺志論篇第五十三.

本篇は、基本的な虚実の概念と、変証について述べられている。また初歩的な刺鍼後の手技についても記載されている。 実に関しては、邪気実としての解説と外邪侵入との解説を多く見るが、「鬱滞即邪」の概念からすると、正気の鬱滞・有余もまた即邪気と転化す…

刺禁論篇第五十二.

もうすぐ梅雨明けでしょうか この篇では、禁鍼穴と過誤の起こりやすい部位を明確にし、同時に深く刺すことを戒めている。 この篇を読み返す度に、病に苦しむ人を、治してあげたいという想いで行った鍼治療で、反って患者が目の前で悪化したり死亡する情景に…

刺齊論篇第五十一.

梅雨明けが待ち遠しい 本篇『刺齊論』は、前篇「刺要論」の続編となっている。筆者の考えは、前編ですでに述べているので、特筆すべき事柄はない。 ただ、なぜ『刺齊論』として別に論じているのだろうという漠然とした疑問は残る。 『刺齊論』の齊の文字は、…

刺要論篇第五十.

梅雨と言えば紫陽花 本篇は、刺鍼に際しての基本的な深度について述べられている。 <素問・金匱真言論篇、宣明五気篇>に記されている五主(皮・肉・脉・筋・骨髄)を例に挙げて、どこを狙って針先を進めるのかを説いている。 ちなみに、筆者は五主を目標に…

脉解篇第四十九.

本篇の表題は「脉解」であるので、経脉の変動、つまり偏盛・偏衰した場合の病症について解説したものと理解される。 ところが、経脉の変動が主たる原因ではなく、あくまで臓腑そのものが原因で、臓腑の状態が経脉に現れた状態を解説したものと捉えるのが正確…

大奇論篇第四十八.

冬と緑と赤本篇では、脉証から病証を論じているが、気血の盛衰と病邪の位置を連想しながら読み進めても、判然としないところが多々ある。 ここで記されている脉証は、多分に主観的なものであるが、本来言葉で伝えることのできないものを、何とか伝えようとし…

奇病論篇第四十七.

やさしい色 奇病とは、四季に関連なく生じる病のことである。 本文中の胞とは、本来袋の意味で用いられており、内経では時に膀胱腑であったり子宮胞を指している。 さらに本文中の「胞脈」が何を指しているのかは、長年の疑問であった。心の絡脉であると理解…

病能論篇第四十六.

秋空に似合う花 表題の「病能」とは、一体いかなるものを指し示しているのであろうかは、いまひとつ筆者には明確に言い切れるものがない。 本篇内に取り上げられている内科・外科・精神科領域の疾病を通じて、「病態」を把握して治療を施する視点を述べてい…

厥論篇第四十五.

可憐です。11月といえども、まだ草花を楽しめます。 本編で述べられている厥(けつ)の病理は、陰陽の偏盛・偏衰により、気が本来の流れから逸脱して逆流する様を指している。 厥逆は、その逆流の激しいもので、現代ではさしずめ、単に冷えのぼせといった…

痿論篇第四十四.

秋粛殺 枯れ始めた足の草花に、薄くクモが糸を引いている 本篇では、「痿病」という手足の力が抜けて自由に動くことが出来なくなる病について述べられている。 現代における、筋ジストロフィーや膠原病、中でもシェーグレン症候群、多発性筋炎、全身性硬化症…

痹論篇第四十三.

近くの石垣で目に留まった、名知らずの雑草? 筆者は、痹論には特別な思い入れがある。 筆者が平成元年に開業して間もないころ、いわゆる関節リュウマチで鍼灸院を訪れる患者が比較的多かった。 が、しかし治療所に訪れたリウマチ患者の願いに反して、こと…

風論篇第四十二.

ベランダの庭先で 内経時代の人々の生活を想像すると、我々現代人の想像以上に感染症が巷に溢れていたのだろうと思う。 本篇で述べられている風証について、当時は未だ外風と内風の区別が明確にされていないことが分かる。 癘風などの記載は、ハンセン氏病が…

刺腰痛篇第四十一.

金剛山系から秋空に臨んで 本篇では、古来から現代にいたるまで、人を苦しめてきた腰痛に焦点を当て、その治療法が記されている。 我々がすでに知っている十二経絡と奇経以外の脉証も記されており、それらが現代のどの経絡を指しているのか、さらにまた治療…

腹中論篇第四十.

いつもの花壇で 本篇に述べられている熱中、消中は、現代においては、さしずめ糖尿病のような病態である。 ただ、ひと世代前のような、激しい口の渇きや頻尿、次第に痩せていくといった病態は見られなくなったが、その代わり癌は、いつ、だれがなってもおか…

擧痛論篇第三十九.

近くの花壇で 本篇では、何をさておいてもつらい痛みについての病理と、内から起こる内傷病はすべて過度な感情によって引き起こされることについて述べられている。 素問の時代においてさえこの様であったのだから、いわんや現代は、である。 天地自然の道理…

欬論篇第三十八.

金剛山にて 本篇は、現代病の病因・病理を把握する上で、重要な視点が記載されている。 近年急増している肺癌をはじめ、アトピー性皮膚炎、アレルギー性鼻炎、喘息、循環器疾患の一部などは、東洋医学的にはすべて肺臓の病変の範疇に属する。 これら疾患の病…

氣厥論篇第三十七.

花壇にて さてさて、ここに至っていまさらながら日常よく使っている 『厥』 の意味について改めて再考せざるを得なかった。 六経の厥陰と、この篇で用いられている氣厥とは、意味するところが別であると認識するのが良いのであろうと考える。 厥陰の意味は、…

刺瘧篇第三十六.

金剛山から 本篇では、経絡病と臓腑病の病証が記載されている。臨床的に経絡病と臓腑病と、きれいに一線を引いて分けて治療することができるのだろうかという疑問を感じる。 脈象に関しては、陰陽・虚実の盛衰をイメージしながら読むと楽しいと感じたが、こ…

瘧論篇第三十五.

ヨスジフエダイ 慶良間 瘧(おこり)とは、一般的には間欠的に寒と熱が交互に現れる病とされている。 筆者は、慢性雑病、しかも重篤な難病でこのような状態の病に当り、治癒に導くことが出来なかった経験があるので、とりわけこの篇には思い入れがある。 深…

逆調論篇第三十四.

通りすがりの路傍にて 本篇の逆を一語で表現すれば、陰陽の不調和について、寒熱・水火・栄衛などのアンバランスを症例を用いて解説している。 陰陽論を用いて、身体の気の偏性をイメージし、ここでは触れていないが顔の気色であるとか脉診にはどのように現…

評熱病論篇第三十三.

自宅近くの花壇にて 本篇では、「陰陽交」 「風厥」 「勞風」 「腎風」 の4種の熱病について、その病因・病理と治療が記されている。 熱を発するのは、気が鬱滞した実の場合と、精気が虚して発すべき気を発することができない場合とが論じられている。 注目…

刺熱篇第三十二.

雨に濡れても、燃えるようなツツジ《霊枢・壽夭剛柔第六》に「風寒は形を傷り、憂恐忿怒は気を傷る。氣は藏を傷れば、乃ち藏を病む。寒は形を傷れば、乃ち形に應ず」と、明確に記載されている。しかしながら、この篇で言うところの熱病の病因は、外感病と七…

熱論篇第三十一.

カリンの花 於:泉北ハーベストの丘で 医聖、張仲景(150?~219)は、当時伝えられていた医学書を元に『傷寒雑病論』を著したとされているが、その序文の一説に素問、九巻(おそらく霊枢)の記述がある。 張仲景が、本篇≪熱論≫からヒントを得て、六経概念を構…

陽明脉解篇第三十

チューリップ 於:近くの花壇で 前篇『太陰陽明論』に引き続き、本篇は足陽明に特化した内容となっている。 本編の記載は、同じものが霊枢『経脉篇』にも記されているが、ここで記されている病症は、現代においてはさしずめ多動性障害、躁うつ病、統合失調症…

太陰陽明論篇第二十九.

沈丁花 於:近隣の花壇より 本篇は表題の通り、脾の蔵と胃の腑との関係を中心に述べられたものであるが、脾胃は五行的にも三焦的にも上・中・下の中央に位置し、脾気の昇・胃気の降で上下の気の流れの『枢』の機能を有している。 また、脾胃について一篇を設…

通評虚實論篇第二十八.

於3月 近くの公園で この篇における虚実の概念が、冒頭に《邪氣盛んなれば則ち實し、精氣奪すれば則ち虚す》と示されている。 この篇における邪気とは、読み進めていくと分かる通り、内生の邪気である。つまり精気が鬱滞すれば即邪気に転嫁することを示唆し…

離合眞邪論篇第二十七.

黄帝内経の著された時代と現代の病の相違を考えると、本文中の邪が、内生的なもので無く、多く外からやってくるものとして記載されている事から、当時は圧倒的に外邪による発病が多かった事が容易に知ることができる。 後漢に著された傷寒雑病論は、現代で言…

八正神明論篇第二十六.

ここに至るまでの篇で、四時による陰陽の盛衰・消長と、人体との相関は何度も重複して記載されている。 この篇では、新たに月の満ち欠けによる、陰陽の盛衰・消長と人体の関係を説き、補瀉にまで言及している。 女性の月経周期が、月の満ち欠けと相関してい…

寳命全形論篇第二十五.

命は宝である。それを舍す肉体を全うする・・・そのためには、どうすればよいのか。 表題からはこのように読み取れる。 これは術者に向けられた、非常に意味深長な投げかけである。 本篇を通読して先ず感じたことは、多分に禅的要素を含んでいる点である。 …

血氣形志篇第二十四.

この篇には、臓腑・経絡それぞれの気血の多寡と、身体と精神の状態によって生じやすい病を中心として記述されている。 最初には、まずは各臓腑・経絡の気血の多少について記載されている。 これを経絡の気血の多少としている意訳がほとんどであるが、気血が…

宣明五氣篇第二十三.

本篇は、臨床に直接用いて有用な内容が豊富に記されている。 患者の置かれている状況や労働形態が、その体質や病の状況と密接に関係していることが十分に読み取れ、現代においても、十分応用ができる、普遍的な内容である。 例を挙げると、現代においては、…

藏氣法時論篇第二十二.

一年の気の盛衰は、同様に十干の十日間と一日における十二支(刻)と同じであることを前提にして書かれており、部分は全体の反映でもあり、全体は部分の在り様を現すという東洋哲学に基づいて書かれている。 この篇で記載されている病が、臓にある場合の病因…

經脉別論篇第二十一.

本篇の題名に「別論」とあるが、通常の経脉については、『霊枢・経脉、経別、経水、経筋』の各篇にまとまって記載されているが、『素問』の中にまとまった説明はされていない。 この篇から察するに、経脉と臓象との関係を中心に述べているように思われる。 …

三部九候論篇第二十.

筆者はここで記されている、三部九候の脈診は採用していない。 その理由は、三部九候の脈診が、繁雑に過ぎて九候をひとつにまとめ上げ、認識する力量がないということがあげられる。 しかしながら実際の臨床においては、宝物の如く多くの示唆を与えてもらっ…

玉機眞藏論篇第十九.(4)

いよいよ最終段であるが、ここでもまた極めて重要なことがいくつか記載されている。 患者と相対して、症状がどのようであるのかということよりも、体つきや顔色、脉の状態などから正気と病邪の盛衰をまずしっかりと掴むことの重要性が説かれている。 そして…

玉機眞藏論篇第十九.(3)

ここでは、『胃の気』の重要性について記述されている。 『胃の気』については、ここに至るまでに内経医学の中で何度も触れられているが、何故か現代中医学では重要視されていないのが、不思議に思える。 日本では、この『胃の気』を重視する古流派が多い。 …

玉機眞藏論篇第十九.(2)

ここでは、病の伝変を五行の相生・相剋関係で説いているが、多くの疑問を感じる。 五行論に疑いを持ってしまえば、この医学が成り立たなくなるほど深く根付いている理論ではあるが、これまで何度か述べてきたように、五行論は使い方次第であると、筆者は考え…

玉機眞藏論篇第十九.(1)

本編は、玉版に記して毎日読み返すことを促している。 おそらく、これらの内容を丸暗記するのではなく、これらの内容から「いち」を掴み取りなさいとのことであると、筆者は感じている。 四季の変化につれて、人間もまた期を一にして変化するのだということ…

平人氣象論篇第十八

本篇は表題のように、一般的な健康人の脈象を異常な脈象と対比させて述べようとしているのであろう。 ともすれば、異常な脈象の解明に意識が向きがちだが、やはり四季に適った正常な脈象を捉え、自然に適った脈象に戻すという術者の意識が必要である。 自然…

脉要精微論篇第十七(2)

脈診に熟達するには、望診や問診などから得られた情報に照らし合わせて診ていく重要性が説かれている。 脈象と症状は、固定的に捉えるのではなく、やはり陰陽・表裏・寒熱・虚実の八綱を胸の内においてイメージすることが大切だと、筆者は理解している。 根…

脉要精微論篇第十七(1)

本篇は、題名の通り脈診の際の、要領や脈状などを説いているが、それだけでなく望診術や聞診術、夢と身体の相関性など、多彩な内容を含んでいる。 臨床に照らし合わせるには、十分すぎる内容である。 初学のころ、難解とされる脈診術へ、手を取っていざなっ…

診要經終論篇第十六

本篇は、表題の通り診察の要となることと、経気が尽きてしまう症候について記載されている。 その際、四季の変化に従って陰陽は消長し、人体の気の流れの深浅も変化するという大前提。 これは、内経医学に一貫している天人相応思想である。 人工的な環境に身…