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鍼灸医学の懐

黄帝内経の意訳と解説 最後に原文と読み下しを記しています。

六節蔵象論(九) (2)



 異常気象というのは、なにも今に始まったことではなく、やはり太古よりしばしば起こっていたことが本編の内容から推測することができる。

 異常気象によって、世界的に感染症が大流行したのも、一度や二度ではなかったはずである。

鍼灸医学は、その度に、死なんとする人々を救わんとして発達してきた、極めて実践的な内容を懐に持つ医学である。

かの有名な聖典『傷寒雑病論』の序文にも、そのあたりの消息がはっきりと明記されている。

当時すでに古代の医師たちは、人間界に様々な災いが起きることの原因を、自然界の異常気象と関連付けて認識し、事前に察知してそれに備え対処する方術を備えていた。

新しい治療法も考え方も素晴らしいが、このような古人の思想に支えられた目を持ったものでなければ、歴史に耐えられるものとはならないであろうと、深く思い至る。


原 文 意 訳


黄帝が申された。
すでに環に端が無いように五運にも始まりが無い事は、理解することができた。
では、その太過と不及とは、どのような状態であるのか。

岐伯が申された。
 五運の気は、順次交代してその時節を主ります。また五運五気は勝つ所があると同時に、前の時節の気は衰えるに従って、次の気が段々と盛んとなるのが、自然の常道というものであります。

帝が申された。
平気とはどのような状態であろうか。

岐伯が申された。
太過・不及の無い状態の事であります。

帝が申された。
では、その太過と不及の時は、どうするのか。

岐伯が申された。
恐れながら、すでに内経の中に記載されております

帝が申された。
では、先ほどの勝つ所とは、何を謂わんとしているのか。

岐伯が申された。
すでに「金匱真言論」でご説明申し上げましたが、大切な事でありますので、もう一度ご説明致します。

勝つ所と申しますのは、木尅土でありますから、春は長夏に勝つのであります。

同様に土尅水で長夏は冬に勝ち、水尅火で冬は夏に勝ち、火尅金で夏は秋に勝ち、金尅木で秋は春に勝つということであります。

いわゆる、五行の時節には、その時節を尅する、その勝が存在するということであります。

そして春木は肝、夏火は心、長夏土は脾、秋金は肺、冬水は腎というように、時節の気と人体の各機能とを相応させ、それぞれ命名しておるのでございます。


帝が申された。
して、どのようにしてその勝を知るのか。

岐伯が申された。
その時節が至るその時を求めれば、よろしいのであります。

時節は全て始春、つまり立春を基準と致します。

その上で、本来であればまだ先の時節が、早くに来てしまった状態を太過と申しまして、たとえますならば、春木の時期であるのに、夏火の気が盛んとなった状態であります。

このような太過の状態となりますと、勝ていはずの尅して来る相手に逆に迫ったり、勝つべき尅する相手に覆いかぶさり、動きを抑制するようになるのであります。

このように気が限度を超えて乱れてしまった状態を気淫と申すのであります。

気淫の状態になりますと、邪気そのものが本来あるべき場所や動きをしないため、陰陽・表裏・寒熱・虚実といった基本的概念で分かつことが出来なくなるため、いかに腕の良い医師であっても、これをどうすることも出来ないのであります。


反対に、来るべき時期になっても、その時期にふさわしい気がやってこない状態を不及と申しす。

同じようにたとえますと、春木の時期であるのに少陽の気が生じないと、木尅土の土気がみだりに行ることとなりまして、春木を生み出す冬水の気が土尅水で過剰に尅される結果、病を受ける事になります。

さらに春木の気は、金尅木の秋金に迫るようになりますので、これを気迫と申すのであります。

いわゆる、時節が至ったのかどうかを知るには、自分の肌身で気の至るのを感じるのであります。

謹んで自分の気を静め、今この時を候えば、今の時節にふさわしい気が、やってくるかやってこないかは自然と分かるものであります。


もし時節に大過・不及があったり、自分が候って感じた気と違っておりますと、自然界を治めている五運を本来の基準で分かつことが出来なくなります。

そうなりますと本来あるべき場所や動きをしない邪気がまた体内に生じる事となりまして、やはりいかに腕の良い医師であっても、これをどうすることも出来ないのであります。

※僻 本筋から外れた、場所が中央から外れている、妥当でない
 禁 とどめる とめる
 淫 節度を越えてみだれる


帝が申された。
五運の気が次々と順を追ってやって来ないことはあるのだろか。

岐伯が申された。
天を支配している気は、常道を無くすことはあり得ません。

従いまして、もしも五運の気が常道を外れましたら、これを非常と申しまして、あらゆるものが乱れる事になります。

帝が申された。常道を外れ、乱れてしまうとは、どのようであるのか。

岐伯が申された。
変が至りますと、人体の気もまた常道を失い、病となってしまいます。

たとえますと、春木の「生」の時期に、尅し勝つ所の長夏土の湿気が盛んとなりますと、病は軽微ですみますが、尅され勝てない所の秋金の粛殺の気、燥気を受けますと病は甚だしくなるのであります。

この上更に、重ねて邪気を感受するようなことがありますと、死に至ります。

したがいまして、本来の今の季節に、尅す時期が現れますと病は軽微でありますが、尅される時期が現れますと甚だしくなるのでございます。


帝が申された。
よし、よかろう。余は、陰陽の二気が合わさって形ができ、その陰陽変化のその時々の姿・形にきちんとした名をつけて認識すると聞いている。

天地の運行と、それによって起きる陰陽の変化と、そのどちらの影響が大きく、また小さいのかを聞かせてもらいたいのであるが。

岐伯が申された。
なんとつまびらかな問であらせますやら。

天は至広でありまして、これを度(はか)ることはできません。地もまた至大ですので、これもまた量ることはできないものであります。

ですので、帝の問であります天地の運行とそれに伴う陰陽変化の影響もまた、どちらの影響が多い少ないなど判断することはできないのであります。

しかしまことに恐れながら、生まれながらにして神霊といわれた帝の問でありますから、私の認識の及ぶ範囲で陳べさせて頂きます。

草の色は、青・赤・黄・白・黒の五色の組み合わせで生じております。

この五色の組み合わせによって出来上がった色は様々で、単にこれが青、これが赤と指し示すことはできないものであります。

同様に草の味は、酸・苦・甘・辛・鹹(かん)の五味の組み合わせを生じております。

この五味の組み合わせは、美妙な味わいを醸し出しますが、これが最高の美味であると極めることはできないのであります。

なぜならば、人それぞれによって嗜好が異なるからであります。

しかしながら、自然界の五色・五味それぞれ、人体に通じ入るところがあります。

 天は、木・火・土・金・水、つまり風・熱・湿・燥・寒の五気で人を養い、地は、酸・苦・甘・辛・鹹の五味で人を養います。

 天の五気は、鼻から入りまして心肺に蔵されまして、人体の上部では、目には五色が清まってはっきりとさせ、音声も目立つようにはっきりとさせるのであります。

 地の五味は、口から入りまして腸胃に蔵されます。

味には、蔵されるところがありまして、それによって五臓の魂・神・意・魄・志の五気は養われるのであります。

 そして天地の気が調和することで津液が生じ、津液とそれらが相互に作用して生命は自ずと育って行くのであります。



原文と読み下し

※原文中の括弧は、全元起本、甲乙経、太素に従って改めた。

帝曰.
五運之始.如環無端.其太過不及何如.
岐伯曰.
五氣更立.各有所勝.盛虚之變.此其常也.

帝曰く
五運の始まること、環の端無きが如し。其の太過と不及は何如や。
岐伯曰く
五氣更(こも)ごも立ち、各おの勝つ所有り。盛虚の變、此れ其の常なり。

帝曰.平氣何如.
岐伯曰.無過者也.
帝曰.太過不及奈何.
岐伯曰.在經有也.
帝曰.何謂所勝.
岐伯曰.
春勝長夏.長夏勝冬.冬勝夏.夏勝秋.秋勝春.所謂得五行時之勝.各以氣命其藏.

帝曰く、平氣とは何如ん。
岐伯曰く、過無き者なり。
帝曰く、太過不及は何んなるや。
岐伯曰く、經に在りて有るなり。
帝曰く、何を勝つ所と謂うなり。
岐伯曰く、
春は長夏に勝ち、長夏は冬に勝ち、冬は夏に勝ち、夏は秋に勝ち、秋は春に勝つとは、所謂五行の時の勝を得て、各おの氣を以て其の藏を命ず。

帝曰
何以知其勝.
岐伯曰.
求其至也.皆歸始春.未至而至.此謂太過.則薄所不勝.而乘所勝也.命曰氣淫.
不分邪僻内生.工不能禁.
至而不至.此謂不及.則所勝妄行.而所生受病.所不勝薄之也.命曰氣迫.
所謂求其至者.氣至之時也.謹候其時.氣可與期.
失時反候.五治不分.邪僻内生.工不能禁也.

帝曰く
何を以て其の勝を知るや。
岐伯曰く。
其の至るを求むや、皆始春に歸す。未だ至らずして至る、此を太過と謂う。則ち勝ざる所に薄(せま)り、しかして乘ずる所に勝つなり。命じて氣淫と曰く。
分たざれば邪僻内に生じ、工も禁ずること能わず。
至りて至らざる、此を不及と謂う。則ち勝つ所に妄行し、しかして生ずる所に病を受く。勝ざる所これに薄るなり。命じて氣迫と曰く。
所謂其の至るを求むる者は、氣至の時なり。謹しみて其の時を候い、氣は期と與にすべし。
時を失し候に反し、五治分たざれば、邪僻内に生じ、工禁ずること能わざるなり。

帝曰.有不襲乎.
岐伯曰.
蒼天之氣.不得無常也.
氣之不襲.是謂非常.非常則變矣.

帝曰く、襲わざること有りや。
岐伯曰く。
蒼天の氣、常無きを得ざるなり。
氣これ襲わず、是を非常と謂う。非常なれば則ち變ずるなり。

帝曰.非常而變奈何.
岐伯曰.變至則病.所勝則微.所不勝則甚.因而重感於邪則死矣.故非其時則微.當其時則甚也.
帝曰善.余聞氣合而有形.因變以正名.天地之運.陰陽之化.其於萬物.孰少孰多.可得聞乎.

帝曰く。非常にして變ずるは、いかん。
岐伯曰く、變至れば則ち病む。勝つ所なれば則ち微。勝たざる所なれば則ち甚だし。因りて邪に重感すれば則ち死す。故に其の時に非らざれば則ち微。其の時に當れば則ち甚しきなり。
帝曰く善し。余は聞くに氣合して形有り。變に因りて以て名を正だす。天地の運、陰陽の化、其の萬物におけるや、孰れか少なく孰れか多きや。聞くを得べきか。

岐伯曰.悉哉問也.
天至廣不可度.地至大不可量.大神靈問.請陳其方.
草生五色.五色之變.不可勝視.草生五味.五味之美.不可勝極.嗜欲不同.各有所通.
天食人以五氣.地食人以五味.五氣入鼻.藏於心肺.上使五色脩明.音聲能彰.
五味入口.藏於腸胃.味有所藏.以養五氣.氣和而生.津液相成.神乃自生.

岐伯曰く、悉びらかなる問なるかな。
天は至廣にして度るべからず。地は至大にして量るべからず。大神靈の問い、請う、其の方を陳べん。
草は五色を生じ、五色の變、勝げて視るべからず。草は五味を生ず。五味の美、勝げて極むべからず。嗜欲は同じからず、各おの通ずる所有り。
天は人を食しむるに五氣を以てし.地は人を食わしむるに五味を以てす。五氣鼻に入り、心肺に藏す。上は五色をして脩明なさしめ、音聲は能く彰ならしむる。

五味口に入り、腸胃に藏す。味に藏する所有り。以て五氣を養う。氣和して生じ、津液相成れば、神は乃ち自ずと生ず。

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