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鍼灸医学の懐

黄帝内経の意訳と解説 最後に原文と読み下しを記しています。

寳命全形論篇第二十五.

黄帝内経 素問
 命は宝である。それを舍す肉体を全うする・・・そのためには、どうすればよいのか。

 表題からはこのように読み取れる。
 
 これは術者に向けられた、非常に意味深長な投げかけである。

 本篇を通読して先ず感じたことは、多分に禅的要素を含んでいる点である。

 禅は、中国大陸にすでにあった老荘思想の土壌の上に輸入された、新しい仏教思想と融合したものであることを思うと、深く納得が行く。

 純粋な仏教というか原始仏教は、僅かにヴィパッサナ瞑想に残されていると、ひとり合点している。

 それはともかくも本篇の内容は、鍼経と称される<霊枢>に記載することが相応しいと思えるほど、鍼術の極意ともいうべきことが記載されている。

 筆者は、禅的世界に触れたという程度であるにもかかわらず、自分の感得した世界観で大胆に意訳を試みた。

 また、一般の鍼術家への痛烈な批判とも思われるような記述があるが、批判する観点に立つことができるならば、そこに至るまでの過程で学ぶことは、それこそ「宝」のように感じる。

 是非とも、諸氏のご意見を頂戴致したい。

 



原 文 意 訳



黄帝が申された。
天は万物を上から覆って天気は下り、地は万物を載せて地気は上る。

このように天地陰陽の気が交流することにより、万物は存在しているのである。

その万物の中でも、人よりも貴いものはない。

人は天地の気の交流・変化によって育まれ、四時の陰陽消長を法則として成り立っている。

このような世界にあって、君主から庶民に至るまで、誰であっても身体を健全に保ちたいと願うものである。

ところが、自分の身体に起こる疾病の理を知ることがないので、体表に留まっていた淫邪は日増しに深く体内に侵入し、ついには骨髄にまで達するようになる。

このような状況下で、人々は心のどこかでいつ発病するかと憂慮している。

余は鍼術でその疾病を除いてやりたいと望んでいるのだが、どのようにすればよいのであろうか。



 岐伯がこれに対して、申された。

 塩の味である鹹(かん)の気は、器から自然と滲み出して参ります。

このように安静にしておりまして、体表が湿潤してくるのは、気を固めることができず、散逸して漏れている姿であります。

 弦楽器の弦が一本切れますと、その音は馬がいななくように、調和がとれなくなります。

このように宗気の現れである声の調子が乱れておりますと、身体のどこかに重大な異常があることを示しております。

 木が盛んに繁茂していて、その葉が一気に散ってしまうような場合は、幹や枝はしっかりとしておりましても、次第に枯れていくものであります。

人体においても同様でありまして、体幹部はしっかりとしておりましても、手足が痺れたり萎えたりして、自由が利かなくなってくると、次第に死に向かうものであります。

 このように病が深いものは、大方しゃっくりが出て止まらなくなります。これは、胃の気が衰退して降りないためであります。

 この三者が人に現れますと、これを壊府と申しまして、蔵を容れている袋がもはや敗れてしまった状態であります。

従いまして、毒薬を用いましても治らないだけでなく、浅はかな鍼術では、手も足も出ません。

これらは、理の機能が絶えて気は散逸し、肉は障害されて痩せ衰え、血気は相争って協調しなくなり、光の見えないこの先、真っ黒な状態となるのであります。



帝が申された。
余は、民のそのような痛みをどうしたものかといつも考え、心はそのために乱れ惑うのである。

このような思いに反して、民の病は甚だしくなり、かといってそれに代わる妙案もない。

民たちは、余のこのような有様を聞いて、税を取り立てるだけの害悪の存在と思っていることであろう。

これをどうにかするには、どうすればよいのであろうか。



 岐伯が申された。
 人は、地気によって生育され、天気にその命を授かり、天気に左右されるものであります。

このように天地の気が合わさった存在であることは、人の定めであります。

 人が四時の陰陽変化に応じてしっかりと身を処しておりますれば、天地はあたかも自分の父母のように養い、育ててくれる存在となります。

 この天地陰陽の織りなす森羅万象と、その真理を心得ております者は、これを天子というのであります。

 天に陰陽があり、人には天気に応じた十二節・十二月がございまして十二経脉もあるのでございます。

 天に寒暑の消長があるように、人には天気に応じて虚実の消長がございます。


 天地陰陽の変化が身についておりますれば、四時の陰陽変化に自然と順応することができ、十二節・十二月の道理を知る者は、崇高な智者であって天気の不及・太過にも惑わされないものであります。

 この智者たる者は、四時八風の変動があり、五行の相剋関係の不測の気候が訪れたとしても、虚実の多岐にわたる複雑な理に精通しておりますれば、自由闊達にこれを用い、治療することが出来るのであります。

それは、口の開閉に伴う僅かな呼吸など、微細なことにまで目をとどめ、全てを理解できるのからであります。



 帝が申された。
 人は生まれて肉体を持つ以上、陰陽の法則から離れて生きていくことは出来ないのである。

 自然界は、天地陰陽の気が交流して合わさり、これを元にして別の視点では九分野にすることができ、消長という視点で分けると、四時になる。

月に大小があり、日に長短があり、このような大自然の陰陽の変化によって万物はそれぞれ生まれ存在し、そして滅して行く。

このような有様を、ひとつひとつ数え上げると、まことに切りがない。

 同様に人体においても虚実の変化には切りがないのであろうことは、理解している。

 その上であえて問うが、どのようにしてこのような状況に対処するのであろうか。




 岐伯が申された。
 木は金を得て伐られ、火は水を得て滅せられ、土は木を得て通じさせられ、水は土を得て姿が消え絶えるのであります。

万物は全てこのようでありまして、全てを語り尽くすことなど出来ないものであります。

 従いまして、鍼道についてもまた一々語ることは出来ません。

天下に鍼する者に広く掲げ示すのは、大きく五つの要道であります。

 鍼道に暗い者は、ただ毎日人々と共に飽食し、陰陽・四時・八風・五行、鍼の妙道など知らないからであります。

 では、この五つの要道を申し上げます。

 一に曰く。先ずはどのような病であっても、神を治するということであります。

 二に曰く。肉体を養う正しい道理を知ることであります。

 三に曰く。毒薬についてきちんとした認識を持ち、用いるに際してゆるぎない自信を得ること。

 四に曰く。状況に応じて、治療に用いる石メスの大小に精通していること。

 五に曰く。臓腑・気血の状態を、陰陽・虚実を用いた診法で判断する技を身につけること。

 これら五法を自分の中に確立させ、今の状態であれば五法の内、どれを先ず用いるべきか・適しているのかを判断するのでございます。

 今、末世の鍼たるや、虚するものはこれを補いて実し、満つるものはこれを泄すだけの、誠にお粗末なものであり、これらのことは多くの医工、誰でもが共にすでに知っていることであります。

 もし鍼術が天地陰陽の気に応じ、変に応ずる道に達しておりますれば、鍼術の域も搏てば響くようであり、道と一体である様は、まるで自分とその影のようであります。

 このような境地に達した鍼道においては、鬼神などの神秘的なことが入る隙間など無く、医工が、心の赴くままに手を動かしたとしても、すべて自然と理に適っており、功を取るものであります。




 帝が申された。
 願わくば鍼術の道を聞かせてもらいたい。


 岐伯が申された。
 おおよそ刺鍼の要道は、先ず患者と相対して、互いに神を粛清に致します。

 そして五臓の虚実・盛衰を見極め、三部九候の偏りを掌握し、しかる後に鍼を手に持つのであります。

 脈診においては、各五臓の真臓の脉が現れておらず、問診においては、胃の気の存亡に関わるような不吉な兆候を聞くことも無く、見た目の容姿と臓腑が釣り合っているかを見極めるのであります。

身体の外見や現れた症状だけに惑わされてはなりません。

患者のここに至るまでの病歴とこれからの予後、気の往来などを深く吟味してから人に鍼を施すのであります。


 人には虚と実がございます。

 五虚は、すぐに正気が集まりませんので、比較的時間が必要であります。

 五実は、邪気が比較的短時間に寄って参ります。

 正気が鍼下に充実し、邪気が一気に寄って参りましたら、間髪を容れず、鍼を発するが如くその手技を終えるのであります。

 刺鍼に際しては、手の動きと心に感じることが一体となるよう集中させ、しかも輝く鍼にのみ気を取られるのではなく、患者全身の気の変化が捉えられるよう、どこにも心の力点を置かないよう術者の神気を行きわたらせるのであります。

術者の心を静め、気が調ったら刺鍼し、刺鍼によって起きた気血の動きの変化を察知するのであります。

 これは誠に微妙な感覚でありまして、言葉や形として知ることは出来ません。

 刺鍼の感覚と申しますのは、感覚として心にピンと来たり、手ごたえを感じるものであります。

 それはあたかも、鳥が飛び去ってしまってからでは鳥の名が分からないように、確かに見て感じたことではあっても、瞬間の出来事であり、まことに形容しがたい感覚なのであります。

 それはまるで、引き金付きの弓に矢をつがえたようなもので、静かにじっとしておりましても、ひとたび気が動くや、矢が発するかのように瞬発的なものであります。



 帝が申された。 
 虚と実を刺すにはどのようにするのか。

 岐伯が申された。
 虚を刺す時は、しばらく実してくるのを待ち、実を刺す時は、しばらく虚するのを待つべきです。

 経気が至りましたら、慎重に正気を守り、これを失うことのないように致します。

 刺鍼の深度は、その時々の状態に応じて心に感じることにあります。

 五虚・五実の遠近は忘れてしまうくらい、正気の回復の一点に集中致します。

 いずれの場合においても、深淵に臨むように心を鎮め、手に握る鍼は虎のように力の存在であり、手を緩めると人を害することをよく自覚し、自分の神は患者の貧富・貴賎、様々な周囲の状況などに囚われて忙しくしてはならないのであります。



原文と読み下し


黄帝問曰.天覆地載.萬物悉備.莫貴於人.人以天地之氣生.四時之法成.君王衆庶.盡欲全形.形之疾病.莫知其情.留淫日深.著於骨髓.心私慮之.余欲鍼除其疾病.爲之奈何.
黄帝問いて曰く。
天は覆い地は載せ、萬物悉く備わり、人より貴きはなし。人は天地の氣を以て生じ、四時の法成りて、君王衆庶、盡く形を全うせんと欲す。形の疾病たるや、其の情を知ることなし。淫留まりて日に深く、骨髓に著き、心私(ひそ)かにこれを慮る。余は鍼もて其の疾病を除かんと欲す。これを爲すこといかにせん。

岐伯對曰.
夫鹽之味鹹者.其氣令器津泄.
絃絶者.其音嘶敗.
木敷者.其葉發.
病深者.其聲
岐伯對して曰く。
夫れ鹽の味鹹なる者は、其の氣は器をして津泄らせしむ。
絃絶する者は、其の音嘶敗(せいはい)す。
木敷く者は、其の葉發す。
病深き者は、其の聲(えつ)す。

人有此三者.是謂壞府.毒藥無治.短鍼無取.此皆絶皮傷肉.血氣爭黒.
人に此の三者有るは、是れを壞府と謂う。毒藥は治すること無く、短鍼も取ること無し。此れ皆皮を絶ち肉を傷り.血氣爭いて黒し。

帝曰.余念其痛.心爲之亂惑.反甚其病.不可更代.百姓聞之.以爲殘賊.爲之奈何.
帝曰く。余は其の痛むを念い、心これが爲に亂れ惑うも、反って其の病は甚だしく、更代すべからず。百姓これを聞きて、以て殘賊と爲す。これを爲すこといかにせん。

岐伯曰.
夫人生於地.懸命於天.天地合氣.命之曰人.
人能應四時者.天地爲之父母.
知萬物者.謂之天子.
天有陰陽.人有十二節.
天有寒暑.人有虚實.
岐伯曰く。
夫れ人は地に生じ、命を天に懸(か)く。天地は氣を合す。これを命じて人と曰く。
人能く四時に應ずる者は、天地これを父母と爲す。
萬物を知る者は、これを天子と謂う。
天に陰陽有り、人に十二節有り。
天に寒暑有り、人に虚實有り。

能經天地陰陽之化者.不失四時.
知十二節之理者.聖智不能欺也.
能存八動之變.五勝更立.能達虚實之數者.獨出獨入.吟至微.秋毫在目.
能く天地陰陽の化を經(おさ)める者は、四時を失せず。
十二節の理を知る者は、聖智にして欺むくこと能わざるなり。
能く八動の變を存するは、五勝更(こも)ごも立つ。能く虚實の數に達する者は、獨り出で獨り入る。吟(きょぎん)は至微、秋毫は目に在り。

帝曰.人生有形.不離陰陽.天地合氣.別爲九野.分爲四時.月有小大.日有短長.萬物並至.不可勝量.虚實吟.敢問其方.
帝曰く。人生まれて形有りて、陰陽を離れず。天地は氣を合し、別れて九野を爲し、分れて四時を爲す。月に小大有り、日に短長有り。萬物並び至るは、勝げて量るべからず。虚實吟.敢えて其の方を問う。

岐伯曰.
木得金而伐.火得水而滅.土得木而達.金得火而缺.水得土而絶.萬物盡然.不可勝竭.
故鍼有懸布天下者五.黔首共餘食.莫知之也.
一曰治神.二曰知養身.三曰知毒藥爲眞.四曰制石小大.五曰知府藏血氣之診.
五法倶立.各有所先.
今末世之刺也.虚者實之.滿者泄之.此皆衆工所共知也.
若夫法天則地.隨應而動.和之者若響.隨之者若影.道無鬼神.獨來獨往.
岐伯曰く。
木は金を得て伐(き)られ、火は水を得て滅し、土は木を得て達し、金は火を得て缺し、水は土を得て絶す。萬物盡く然り。勝げて竭(つ)くすべからず。
故に鍼天下に懸布するもの者五有り。黔首(けんしゅ)は共に餘食し、これを知ること莫きなり。
一に曰く、神を治す。二に曰く、身を養うを知る。三に曰く、毒藥を眞と爲す。四に曰くの大小を制す。五に曰く、府藏血氣の診を知る。
五法倶に立ち、各おの先んずる所有り。
今末世の刺たるや、虚する者はこれを實し、滿つる者はこれを泄す。此れ皆衆工の共に知るところなり。
若し夫れ天に法り地に則し、應に隨いて動けば、これを和する者は響の若く、これに隨う者は影の若し。道に鬼神無く、獨り來り獨り往くなり。

帝曰.願聞其道.
岐伯曰.
凡刺之眞.必先治神.五藏已定.九候已備.後乃存鍼.衆脉不見.衆凶弗聞.外内相得.無以形先.可玩往來.乃施於人.
人有虚實.五虚勿近.五實勿遠.至其當發.間不容
手動若務.鍼耀而.靜意視義.觀適之變.是謂冥冥.莫知其形.見其烏烏.見其稷稷.從見其飛.不知其誰.伏如横弩.起如發機.
帝曰く。願わくば其の道を聞かん。
岐伯曰く。
凡そ刺の眞は、必ず先ず神を治む。五藏已に定まり、九候已に備わり、後乃ち鍼存り。衆脉見えず、衆凶聞こえず、外内相い得て、以て形を先にすること無かれ。往来を玩(がん)じて、乃ち人に施すべし。
人に虚實有り、五虚は近きことなく、五實は遠きことなし。其の當に發すべきに至りて、間に(しゅん)容れるべからず。
手の動くこと務むるが若くし、鍼耀やきて(ひと)しくす。意を靜にして義を視て、適(ゆ)くの變を觀る。是れを冥冥(めいめい)として其の形を知ること莫しと謂う。其の烏烏(うう)たるを見、其の稷稷(しょうくしょく)たるを見、其の飛ぶを從い見るも、其の誰れたるかを知らず。伏すること横弩の如く、起こること發機の如し。

帝曰.何如而虚.何如而實.
岐伯曰.刺虚者須其實.刺實者須其虚.經氣已至.愼守勿失.深淺在志.遠近若一.如臨深淵.手如握虎.神無營於衆物.
帝曰く。何如にして虚し、何如にして實するや。
岐伯曰く。虚を刺す者は其の實を須(しゅ)す。實を刺す者は其の虚を須す。經氣已に至れば、愼しみて守り失すること勿れ。深淺は志に在り、遠近は一の若し。深淵に臨むが如く、手に虎を握るが如く、神は衆物を營むこと無かれ。

須 しばらくの間。

※營 忙しく仕事をする。生活のために仕事をする。



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