鍼灸医学の懐

黄帝内経の意訳と解説 最後に原文と読み下しを記しています。

玉機眞藏論篇第十九.(2)

 ここでは、病の伝変を五行の相生・相剋関係で説いているが、多くの疑問を感じる。

  五行論に疑いを持ってしまえば、この医学が成り立たなくなるほど深く根付いている理論ではあるが、これまで何度か述べてきたように、五行論は使い方次第であると、筆者は考えている。

 五行論に拘泥すると、道を誤る。


 これらのことは傷寒論中の、六経について見てみると明らかである。

 太陽・陽明・少陽、太陰・少陰・厥陰の六経は、本編でも触れられている風寒の邪の伝変順序にしたがってまとめられたものである。

 ところが傷寒論の内容に触れるとすぐに気が付くが、二経、三経にわたって同時に外邪が侵入した場合や、太陽病位から少陰病位にいきなり伝変する場合など、あらゆる複雑な伝変病証と、それに対処する処方が記述されている。

 では、六経は無視して良いのかというと、そうではない。やはり六経の病証をしっかりと身に着け、六経概念に捉われず、あらゆる変化に対応できなくてはならない。

 これはあたかも、武道における「型」に熟達し、実戦において「型」にとらわれず、しかも「型」を離れない。そして型を破る境地に達することが求められているのである。

 ちなみに、病位とは正気と邪気の抗争の場の位置のことである。

 抗争の場が複数病位にわたっていても、そのどこを突けば邪気が退くのか・・・

 要は「一」である。




原 文 意 訳
 


五臓はそれぞれ、その自ら生じた子から気を受け、その勝つ所に伝えます。

伝わりました気は、自分親である自らを生じたところに留まり、さらに伝えて自らが勝たざる所に至りて死するのであります。

この場合の気は、病のことであります。

 病でまさに死なんとするときは、必ず五行的にめぐり、その勝たざる所に至って病んで死するものであります。これは気が逆行することによりますので、ゆえに死するのであります。

 例を申し上げます。

 肝は気を心に受けて、これを脾に伝えます。気は腎に留まりまして肺に至って死するのであります。

 心は気を脾に受けて、これを肺に伝えます。気は肝に留まりまして腎に至って死するのであります。

 脾は気を肺に受けて、これを腎に伝えます。気は心に留まりまして肝に至って死するのであります。

 肺は気を腎に受けて、これを脾に伝えます。気は脾に留まりまして心に至って死するのであります。

 腎は気を肝に受けて、これを心に伝えます。気は肺に留まりまして脾に至って死するのであります。

 これらはすべて気の逆行によるものでありますので、逆死と申します。

 一昼夜・一年を十干に二分した五つに分けて五臓に配しますと、これらのことより生死の早い遅いの時期を、自分のものとすることができるのであります。

 つまり、肝木(甲乙)・春は、肺金(庚辛)・秋の時期になって死すると予測することができるということであります。


 帝が申された。

 五臓はそれぞれ相互に通じ合っており、順序に従って気は流れていくものである。五臓に病があれば、それぞれ勝つ所に伝わっていく。
 もしも治せなければ、法則に従って三月、もしくは六月、もしくは三日、もしくは六日で五臓に伝わって死するものである。

これは、相剋の順序で病が伝わったからである。

 ゆえに、陽を弁別すれば、そもそも病がどのような順路で伝え来たのかを知ることができ、陰を弁別すれば、いつ回復するか、もしくは死亡するかを知ることが出来る。

つまり勝たざる所に至れば、死亡するのだと知ることが出来るというのである。
 

風はしばしば走りて六淫を運ぶゆえに、あらゆる病に関係することが多いので、百病の長と言われる。

 今、風寒の邪が人体に留まると、皮膚の毛が逆立ち、皮膚の汗腺は閉じてしまい、体内の熱が発散できないので発熱するようになります。このような場合は、まさに発汗させるべきであります。

 あるいは邪が内攻し、麻痺・しびれなどの知覚異常・腫れて痛むようであれば、まさに温湿布・火灸・鍼を刺すなどして風寒の邪を去るべきであります。

 治療しなかったり治療が適切でなかった場合、病は肺に留まります。これを肺痺と名づけられておりまして、気が上に突き上げ、咳を発するようになります。

 ここで治まらなければ、肺から傳えて肝に行き、肝痺、別名肝厥と称される病となり、脇が痛み食べたものを吐き出すようになります。まさにこのような場合は、按摩や刺鍼するべきであります。

 さらにここでも治まらなければ、肝から傳えて脾に行きて病みます。名づけて脾風と申します。
黄疸を発し、腹中が熱して胸のあたりがもやもやとして落ち着かず、小便は黄色となる。まさにこのような場合は、按摩・薬物・入浴法などを行うべきであります。

 ここで治まらなければ、脾から傳えて腎に行きて病みます。これを名づけて疝(せんか)と申します。

 少腹に熱がこもって痛みが生じ、白濁した小便が出るようになります。これを名づけて蠱(こ)と申します。まさにこのような場合には、按摩・薬物を行うべきであります。

 ここで治まらなければ、腎から傳えて心に行きて病みます。そうしますと筋脉が相引きてひきつれます。これを名づけて(けい)と申します。まさにこのような場合には、灸・薬物を行うべきであります。

 これでも収まらない場合は、満十日で死するのが法則であります。

 ところが腎から心に傳え、心から再び反転して肺に行き、寒熱を発するようになりますと、三年で死するのが法則であります。これらは、病の伝変の順序であります。

 しかしながら、それらにわかに発病する者の中には、必ずしも伝変の順序によって治療しないものもあり、あるいはまた、その伝化が法則通りの順序でない場合もあります。

 法則通りの伝化をしない者は、憂恐悲喜怒などの七情の不和が、伝変の順序を狂わせるからであります。

 したがって、この七情の不和が人を大病にしてしまうのである。

 大いに喜びすぎると心が虚し、腎気がそれに乗じます。

 大いに怒れば肝気が脾に乗じ、大いに悲しめば肺気が肝に乗じる。

 大いに恐れれば腎気が内に虚して脾気が乗じ、大いに憂うと肺気が内に虚し心気が乗じます。

 これらは七情の不和による五臓の盛衰と病の伝変順序の法則であり、一般的な病の伝変法則とは異なります。

 従いまして、もともと病には五臓に発した病は、五五・二十五の伝変があり、その伝化の伝とは、相剋関係に伝わっていくのであるから、これを乗と名づけたのであります。


原 文 と 読 み 下 し

五藏受氣於其所生.傳之於其所勝.氣舍於其所生.死於其所不勝.
病之且死.必先傳行至其所不勝.病乃死.此言氣之逆行也.故死.
肝受氣於心.傳之於脾.氣舍於腎.至肺而死.
心受氣於脾.傳之於肺.氣舍於肝.至腎而死.
脾受氣於肺.傳之於腎.氣舍於心.至肝而死.
肺受氣於腎.傳之於肝.氣舍於脾.至心而死.
腎受氣於肝.傳之於心.氣舍於肺.至脾而死.
此皆逆死也.
一日一夜五分之.此所以占死生之早暮也.

五藏は氣を其の生ずる所に受け、これを其の勝つ所に傳う。氣は其の生じる所に舍し、其の勝たざる所に死す。
病の且(ここ)に死せんとするや、必ず先ず傳え行きて其の勝たざる所に至りて、病みて乃ち死す。此れ氣の逆行を言うなり。故に死す。
肝は氣を心に受け、これを脾に傳え、氣は腎に舍し、肺に至りて死す。
心は氣を脾に受けこれを肺に傳え、氣は肝に舍し、腎に至りて死す。
脾は氣を肺に受け、これを腎に傳え、氣は心に舍し、肝に至りて死す。
肺は氣を腎に受け、これを肝に傳え、氣は脾に舍し、心に至りて死す。
腎は氣を肝に受け、これを心に傳え、氣は肺に舍し、脾に至りて死す。
此て皆逆死なり。
一日一夜これを五分にす。此れ死生之の早暮を占う所以なり。

黄帝曰.
五藏相通.移皆有次.五藏有病.則各傳其所勝.
不治.法三月.若六月.若三日.若六日.傳五藏而當死.「是順傳所勝之次.」
故曰.
別於陽者.知病從來.
別於陰者.知死生之期.言知至其所困而死.

黄帝曰く。
五藏相い通じ、移るに皆次(ついで)あり。五藏に病あれば則ち各おの其の勝つ所に傳う。
治せざれば、法は三月、若しくは六月、若しくは三日、若しくは六日、五藏に傳えて當に死すべし。「是れ順に勝つ所に傳えるの次なり。」
故に曰く。
陽を別つ者は、病の從がい來たるを知るなり。
陰を別つ者は、死生の期を知るなり。其の困ずる所に至りて死するを知るを言うなり。

「是順傳所勝之次.」 全元起本及び甲乙経に記載なし

是故風者百病之長也.今風寒客於人.使人毫毛畢直.皮膚閉而爲熱.當是之時.可汗而發也.
或痺不仁腫痛.當是之時.可湯熨及火灸刺而去之.
弗治.病入舍於肺.名曰肺痺.發上氣.
弗治.肺即傳而行之肝.病名曰肝痺.一名曰厥.脇痛出食.當是之時.可按若刺耳.
弗治.肝傳之脾.病名曰脾風.發.腹中熱.煩心.出黄.當此之時.可按可藥可浴.
弗治.脾傳之腎.病名曰疝.少腹寃熱而痛.出白.一名曰蠱.當此之時.可按可藥.
弗治.腎傳之心.病筋脉相引而急.病名曰.當此之時.可灸可藥.
弗治.滿十日.法當死.
腎因傳之心.心即復反.傳而行之肺.發寒熱.法當三歳死.此病之次也.

是の故に風なる者は百病の長なり。今風寒人に客す。人をして毫毛畢直(ひつちょく)せしめ、皮膚閉じて熱を為す。當に是の時、汗して發せしむべきなり。
或は痺し、不仁し、腫れ痛めば、當に是の時、湯熨(とうい)及び火灸、刺してこれを去らしむべし。
治せざれば、病肺に入りて肺に舍す。名づけて肺痺と曰く。發して上氣す。治せざれば、肺は即ち傳えてこれを肝に行く。病名づけて肝痺と曰く。一名厥と曰く。脇痛み食を出だす。當に是の時、按じ若しくは刺すべきのみ。
治せざれば.肝これを脾に傳え、病名づけて脾風と曰く。發し、腹中熱し、煩心し黄を出だす。當に此の時、按ずべく藥すべく浴すべし。
治せざれば.脾これを腎に傳え、病名づけて疝曰く。少腹寃熱(えんねつ)して痛み、白を出だす。一名蠱(こ)と曰く。當に此の時、按ずべく藥すべし。
治せざれば.腎これを心に傳え、筋脉相い引きて而急するを病む。病名づけて(けい)と曰く。當に此の時、灸すべく藥すべし・
治せざれば.滿十日にて法は當に死すべし。
腎に因りてこれを心に傳う。心即ち復た反りて傳えこれ肺に行けば、寒熱を發す。法は當に三歳にして死す。此れ病の次(つい)でなり。

然其卒發者.不必治於傳.或其傳化有不以次.不以次入者.憂恐悲喜怒.令不得以其次.故令人有大病矣.
因而喜大虚.則腎氣乘矣.
怒則肝氣乘矣.悲則肺氣乘矣.恐則脾氣乘矣.憂則心氣乘矣.此其道也.
故病有五.五五二十五變.及其傳化.傳.乘之名也.

然るに其の卒(にわか)に發する者は、必ずしも傳に治せず。或いは其の傳化、次を以てせざること有り。次いでを以て入らざる者は、憂恐悲喜怒.其の次でを以て得ざらしむる。故に人をして大病あらしむるなり。
喜に因りて大虚すれば、則ち腎氣乘ず。
怒すれば則ち肝氣乘ず。悲すれば則ち肺氣乘ず。恐すれば則ち脾氣乘ず。憂すれば則ち心氣乘ず。此れ其の道なり。
故に病に五あり。五五二十五の變、其の傳化に及ぶ。傳とは、これ乘の名なり。


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