鍼灸医学の懐

黄帝内経の意訳と解説 最後に原文と読み下しを記しています。

脉要精微論篇第十七(1)

 

 本篇は、題名の通り脈診の際の、要領や脈状などを説いているが、それだけでなく望診術や聞診術、夢と身体の相関性など、多彩な内容を含んでいる。

 臨床に照らし合わせるには、十分すぎる内容である。

 初学のころ、難解とされる脈診術へ、手を取っていざなってくれているように感じたところである。


この黄帝内経の著された時代では、目の前でたくさんの人が、なすすべもなく亡くなっていたのだろう。

 本来、主観的・感覚的であるこれら診法を、後世になんとか残し伝えようとする、古人の情熱と心情に、頭が下がる思いがする。

 

 脈診に関して私見を述べれば、脈診は、分かってしまえば簡単なことである。

同時に今もって、深い淵に臨むようでもある。


 人の顔の表情から、その人の心情を察するのに似ている。

 夏の顔と冬の顔。顔だけでなく、しぐさも動作も顔色も、声の調子も食べ物も、季節によって変わるものである。

それに、その人の情が加わる。

 神羅万象、片時もその変化の止むことは無い。

 その変化する様を捉えて、虚実を決する。


 互いにじっくりと相対して、一瞬で雌雄を決する。

日本の伝統武術にも通じている。


 補瀉の大事の記載は、前後の流れから途切れるように、突然記されている。

 これを失すれば、すべてを失う。

 筆者の意識の、根底にあるものである。


 鍼術におけるあらゆる診法は、この虚実・補瀉を決するためだと言って、はばからない。

 筆者にとって、今もって追求すべき永遠のテーマである。


   文中、オレンジ色のところは、納得のいく理解に及ばなかった部分である。
大家の方々の解説を排して筆者なりに意訳を試みた。
原文の著者が見ておれば、歯がゆい思いをしているかもしれないと、思いをいたしております。


原 文 意 訳

 黄帝が問うて申された。 診法はどのようにして行うものであろうか。

 岐伯がそれに対して申された。

 診法は常に陰陽が激しく交流する前の平旦の時、つまり人間も自然界も同じく、夜明けの静かな時に行います。

 と言いますのは、陰気はまだ動いておりませんし、陽気もまた散じておりません。飲食もまだ摂っていないので経脉もまだ盛んになっておりません。さらに絡脉もその人の状態をそのまま反映しております。

 このように陰陽の気が大きく交流する前ですと、全体の気血が入り乱れる前ということになりますので、その人の有余・不足の状態もまた、そのまま反映されますので、診法を行うには平旦の時が宜しいのであります。

 その診法を行うに際しましては、脉の動静をぴったりと患者の皮膚に当てて感じ取り、患者の目を意識的に観察して神気の状態を読み取り、顔面にあらわれる五色から察して、五臓の精気の有餘不足、六腑の陽気の強弱、形体の盛衰などを感得致します。

そうしましてから、これらから得た情報を自然界の道理に照らし合わせ、自分の中で矛盾なく組み立て、そして病の軽重・生死の判断を決するのであります。


そもそも脉と申しますのは、血のる袋のようなものであります。

脉の手当りが長く感じるのは、気が治まっており、短く感じるのはすでに気が病んでおります。

脉の去来が頻数でありますのは、何らかの熱で心がモヤモヤとして、落ち着かない煩心の状態であります。

脉の去来が術者の指下で、有り余って満ちているような感じがする大脉を拍つ時は、病が進行し悪化している状態であります。

その際、正邪共に気が上半身に偏っておりますと、気がさらに高まって喘ぎが現れ、下半身に偏りますとお腹や下肢が脹らんでまいります。

脉の去来が、不定期な不整脈を拍っている代脈は、気が衰えていることを現しています。

脉の手当りが細く感じますのは、気不足の状態であります。

脉の去来がスムーズでなく、なんとなく渋っているように感じる脈(しょくみゃく)を拍っている時は、血不足もしくは心になにか引っ掛かりがあり、時に心痛するものであります。

脉の去来が泉の湧き出るように乱れた感じがし、脉の表面は堅く、力を加えて押さえると脉力が無いように感じる革脉を拍っている時は、病が進行し顔面の五色も敗れて精気を失いつつあることを現しています。

脉の手当りが細くて頼りなく、まるで糸がプツンと切れるかのような脈状を呈しておりますと、もはや死を免れないものであります。


 目の眼光と顔面の気色と申しますのは、神気・精気が反映された非常に重要な目付処であります。

 面色に赤が現れております場合、白絹で朱を包んだかのような色がよろしいのでありまして、赤鉄鉱のような艶の無い、くすんだかのような色は好ましくないのであります。

 同様に、白は鳥の羽のように光沢があるのがよろしいのでありまして、塩のように艶のない色は好ましくありません。

 青は、宝石が光を放つように沢のあるのがよろしいのでありまして、藍のように沢の無い色は好ましくありません。

 黄は、薄い絹布に硫黄を包んだかのような色がよろしいのでありまして、黄土のように汚れたかのような艶のない色は好ましくありません。

 黒は、漆を何度も塗り重ねて艶を出したかのような色がよろしいのでありまして、地面のようにくすんで重い感じのする色は好ましくないのであります。

 つまり、どのような色が現れていたとしても、生き生きとして光沢や艶が出ておりますと、好ましいのであります。

 さらに五色の精が微かとなり、次第に光沢を失うような現象を確認いたしましたら、その病人の寿命はそんなに長くないものであります。


 また、目である精明と申しますのは、文字の通り精を受けて明らかに物事を見みて、白黒・明暗を自ずと分けることが出来、また長短・上下をはっきりと判断できるのであります。

 ところが長いものが短く見えたり、白いものが黒いように見えて、周囲の者との会話がちぐはぐになってまいりますと、いよいよはっきりと精が衰えてきていることを知るのであります。


 五臓と申しますのは、精気を蓄えて身体内部をしっかりと守っております。身体内部が充実しておりますと、臓気もまた満ちているものであります。

このように気が盛んで恐れの感情が甚だしく、度を過ぎて傷害されますと上下・内外の気が不通となってしまい、内にこもってしまいます。

そのようになりますと、その人の声がまるで室内でものを言っているかのようで、声が通らず聞き取りにくいものであります。これは中気の停滞が湿邪を生み出し、宗気が伸びやかになれないためであります。

 言葉を発しても微かで力が無く、一日中、同じことを繰り返すのは、気が脱しているからであります。

 なんとなく衣服にしまりが無い感じがしたり、きちんと着ることが出来ず、親しい人とそうでない人の区別もつかない上に、言って良いことと悪いことの見境が無くなってしまった者は、神明が混乱しているのであります。

 倉廩である脾胃・大腸・小腸・膀胱の気が不足して蔵することが出来ませんと、胃の噴門・幽門、肛門・尿道などの門戸は締めることが出来ないので、胃から食物が逆流したり、すぐに下痢をいたします。甚だしいと大小便を我慢しずらくなります。

 水泉である小便のしまりが悪かったり、失禁してしまうのは、膀胱の気が虚して小便を貯めて置くことが出来ないためである。

 このように、五臓がしっかりと精気を蓄えておりますと、守りがしっかりとしていますので少々の病であっても生きるものでありますが、精気が衰え守りを失う者は、死に赴くのであります。


 五臓と申しますのは、身体を強固に保つための土台であります。

 頭は、精明の聚まるところでありまして、頭を傾けて深くジッと見つめる様子は、精神がまさに衰えようとしている前兆であります。

 背中は、胸中の精気が聚まるところでありまして、背骨が曲がって前かがみになり、肩の力が抜けてダラリとしていますのは、入れ物である府が壊れて、精気が漏れ出している様であります。

 腰は、腎の入れ物であります。腰を回し動かすことが出来ないのは、腎が疲弊している様であります。

 膝は、筋の聚まるところでありまして、屈伸が困難で前かがみとなり、人に手を引いてもらわないと歩けなくなるのは、筋が疲弊しているからであります。

 骨は、髄の入れ物でありまして、長く立っていることが出来ず、歩こうとしますと震えて揺れたりいたしますのは、骨が疲弊している様であります。

 これらすべて、五臓に精気が充実していますと身体は堅固でありますので、少々の病であっても生きるものであります。五臓の精気が不足すれば、堅固さを失い、死に赴くのであります。


 岐伯が申された。

 四時に反した生活をしていますと、有余させるべきは陰精であり、不足いたしますと痩せていくものであります。

 また季節の大過によって不足いたしますのは、精であります。精の不足の程度が大きいと、これもまた痩せてまいります。

 このようになりますと、陰陽が互いに交流することを拒むようになりますので、陰陽の離決。つまり関格の病となるのであります。


帝が申された。

 春夏秋冬の脉は、どのような拍ち方をするのであろうか。

 病の所在を知るには、どのようにして知ることが出来るのであろうか。

 病の変化は、どこでどのように知ればよいのだろうか。

 病が外感病で、邪気がたちまち外にあることを知るには、どのようにすればよいのであろうか。

 どうかこの五つの問いに対して、聞かせてもらうことができるであろうか。


 岐伯が申された。

 天の運行と四季が転じていく、偉大な働きを述べさせて頂きたい。

 この世の万物も含め、東西南北・上下の六合の空間の中で、天地は変化し陰陽は消長致します。

 それらはつまり、春の暖かさがあってこそ、夏の盛んな暑気があるのでございます。

また、秋のピンと張りつめた気があってこそ冬の抑圧の気、つまり発する前の藏する気があるのでございます。


 四時による陰陽の変動は、人間の脉の拍つ位置、つまり上下・深浅と連動するものであります。

 春は生じ、また温和の気に応じて規。つまりぶん回しで円を描くように、浅いところに向けて円滑に去来し、少し緊張したかのように脉は拍ちます。

 夏は長じ、盛んなる気に応じて矩。つまり尖った直角の差し金のように脉の去来が鋭敏で盛んであります。

 秋は収め、物事が平らになる気に応じて衡。つまり少しの力で一方に傾く天秤ばかりのように、脉の去来が軟らかく軽い感じがするものであります。

 冬は藏し、物事は深く閉じる気に応じて権。つまり、天秤の分銅のように、脉の去来が深く重い感じがするものであります。

 冬至から四五日経ちますと、陽気は微かに上り、陰気は微かに下がりますので、夏に向けて次第に暖かくなってまいります。

 夏至から四五日経ちますと、陰気は微かに上り、陽気は微かに下がりますので、冬に向けて次第に冷えてまいります。

 このように、陰陽変化には時間の経過との相関があり、人間の脈象もまた期を同じくいたします。

ところが当然合うべき脈象と季節が合わなければ、すでに病が始まっていることを知るのであります。

そもそも脈象は、四時五臓に分けて認識いたします。四時五臓の盛衰にも法則性がありますので、それを基準にして推し量れば、死時をも知ることができるのであります。

脈象から得られる情報は、非常に微妙なものでありますから、決して短絡的に捉えてはなりません。

脉から伝わって来た事象から推し量ってそれと知る、つまり察するという心持で診るのであります。

しかしながら漠然と察すると申しましても、それには手ずると申しますか、糸口がございます。

まずは陰陽の法則を、きちっとした筋道に従って熟知することから始めます。

次いで五行の成り立ちと、五行の法則性と春夏秋冬との関係を理解しようと探るのであります。

『 補瀉ということを、決して意識から外しては、なりません。 』

あらゆる事象も万物も、天地陰陽の変化とひとつであることを十分にわきまえ、患者と術者の情がひとつになれば、患者が助かるのか、死に赴くのかを知ることが出来るのであります。

したがいまして、患者の声を聴き、顔面の色を窺い、脉を切して、五音・五色・陰陽に適っているかどうかを察して判断するのであります。


原文と読み下し

黄帝問曰.診法何如.
岐伯對曰.診法常以平旦.陰氣未動.陽氣未散.飮食未進.經脉未盛.絡脉調匀.氣血未亂.故乃可診有過之脉.

黄帝問うて曰く。診法は何如なるや。
岐伯對して曰く。診法は常に平旦を以てす。陰氣未だ動ぜず、陽氣未だ散ぜず。飮食未だ進まず、經脉未だ盛んならず。絡脉は調匀(ちょうきん)し、氣血未だ亂れず。故に乃ち過有るの脉を診るべし。


切脉動靜.而視精明.察五色.觀五藏有餘不足.六府強弱.形之盛衰.以此參伍.決死生之分.
夫脉者.血之府也.長則氣治.短則氣病.數則煩心.大則病進.上盛則氣高.下盛則氣脹.代則氣衰.細則氣少.則心痛.渾渾革至如涌泉.病進而色弊.緜緜其去如弦絶.死.

脉の動靜を切し、精明を視、五色を察し、五藏の有餘不足、六府の強弱、形の盛衰を觀じ、以て此を參伍し、死生の分を決す。
夫れ脉なる者は、血の府なり。長なれば則ち氣治まる。短なれば則ち氣病む。數なれば則ち煩心し、大なれば則ち病進む。上盛んなれば則ち氣高し。下盛んなれば則ち氣脹す。代なれば則ち氣衰う。細なれば則ち氣少なし。(しょく)なれば則ち心痛す。渾渾(こんこん)として革の至ること涌泉の如きなれば、病進みて色弊(やぶ)る。緜緜(めんめん)として其の去ること弦の絶するが如きは、死す。


夫精明五色者.氣之華也.
赤欲如白裹朱.不欲如赭.
白欲如鵞羽.不欲如鹽.
青欲如蒼璧之澤.不欲如藍.
黄欲如羅裹雄黄.不欲如黄土.
黒欲如重漆色.不欲如地蒼.

夫れ精明五色なる者は、氣の華なり。
赤きこと白に朱を裹(つつ)むが如きを欲す。赭(しゃ)の如きを欲せず。
白きこと鵞羽の如きを欲す。鹽(えん)の如きを欲せず。
青きこと蒼璧の澤の如きを欲す。藍の如きを欲せず。
黄きこと羅に雄黄を裹むが如きを欲す。黄土の如きを欲せず。
黒きこと漆色を重ねるが如きを欲す。地蒼の如きを欲せず。


五色精微象見矣.其壽不久也.
夫精明者.所以視萬物.別白黒.審短長.
以長爲短.以白爲黒.如是則精衰矣.

五色の精微の象見われるや、其の壽(よわい)久しからず。
夫れ精明なる者は、萬物を視て、白黒を別ち、短長を審らかにする所以(ゆえん)なり。
長を以て短と爲し、白を以て黒と爲す。是の如くなれば則ち精衰うなり。

 
五藏者.中之守也.中盛藏滿.氣勝傷恐者.聲如從室中言.是中氣之濕也.
言而微.終日乃復言者.此奪氣也.
衣被不斂.言語善惡不避親疏者.此神明之亂也.
倉廩不藏者.是門戸不要也.
水泉不止者.是膀胱不藏也.
得守者生.失守者死.

五藏なる者は、中の守りなり。中盛んにして藏滿ち、氣勝りて恐に傷られる者は、聲室中より言うが如きは、是れ中氣の濕なり。
言いて微、終日乃ち復た言う者は、此れ氣奪するなり。
衣を被りて斂ならず、言語の善惡、親疏を避けざる者は、此れ神明の亂なり。
倉廩藏せざる者は、是れ門戸要せざるなり。
水泉止まざる者は、是れ膀胱藏せざるなり。
守を得る者は生き、守を失する者は死す。


夫五藏者.身之強也.
頭者精明之府.頭傾視深.精神將奪矣.
背者胸中之府.背曲肩墜(隨).府將壞矣.
腰者腎之府.轉搖不能.腎將憊矣.
膝者筋之府.屈伸不能.行則僂附.筋將憊矣.
骨者髓之府.不能久立.行則振掉.骨將憊矣.
得強則生.失強則死.

夫れ五藏なる者は、身の強也なり。
頭なる者は、精明の府なり。頭傾むけ深く視るは、精神將に奪せんとす。
背なる者は、胸中の府なり。背曲がり肩墜(隨)るは、府將に壞(くず)れんとす。
腰なる者は、腎の府なり。轉じて搖すること能わざるは、腎將に憊(つか)れんとす。
膝なる者は、筋の府なり。屈伸すること能わず。行きて則ち僂附(ろうふ)するは、筋將に憊れんとす。
骨なる者は、髓の府たり。久しく立つこと能わず。行きて則ち振掉するは、骨將に憊れんとす。
強を得れば則ち生き、強を失すれば則ち死す。

岐伯曰.
反四時者.有餘爲精.不足爲消.
應太過不足爲精.
應不足有餘爲消.
陰陽不相應.病名曰關格.

岐伯曰く。
四時に反する者は、有餘を精と爲し、不足を消と爲す。
太過に應じて不足するを精と爲し、不足に應じて有餘するを消と爲す。
陰陽相い應ぜず。病名づけて關格と曰く。


帝曰.
脉其四時動奈何.
知病之所在奈何.
知病之所變奈何.
知病乍在内奈何.
知病乍在外奈何.
請問此五者.可得聞乎.

帝曰く。
脉其の四時に動づること奈何なるや。
病の在る所を知ること奈何なるや。
病の變じる所を知ること奈何なるや。
病乍ち内に在るを知ること奈何なるや。
病乍ち外に在るを知ること奈何なるや。
請う此の五者を問う。聞くを得べきや。


岐伯曰.請言其與天運轉大也.
萬物之外.六合之内.天地之變.陰陽之應.彼春之暖.爲夏之暑.彼秋之忿.爲冬之怒.
四變之動.脉與之上下.以春應中規.夏應中矩.秋應中衡.冬應中權.
是故冬至四十五日.陽氣微上.陰氣微下.
夏至四十五日.陰氣微上.陽氣微下.
陰陽有時.與脉爲期.期而相失.知脉所分.分之有期.故知死時.
微妙在脉.不可不察.察之有紀.從陰陽始.始之有經.從五行生.生之有度.四時爲宜.
補寫勿失.與天地如一.得一之情.以知死生.
是故聲合五音.色合五行.脉合陰陽.

岐伯曰く。請う。其の與天と運轉することの大なるを言わん。
萬物の外、六合の内、天地の變、陰陽の應。彼の春の暖は、夏の暑と為し、彼の秋の忿は冬の怒と為す。四變の動は、脉とこれ上下す。以て春の應は規に中り、夏の應は矩に中り、秋の應は衡に中り、冬の應は權に中る。是れ故に冬至四十五日にして陽氣微かに上り、陰氣微かに下る。
夏至四十五日にして陰氣微かに上り、陽氣微かに下る。
陰陽に時有り。脉と期を爲す。.期にして相い失すれば、脉の分かつ所を知る。これを分つに期有り。故に死時を知るなり。
微妙は脉に在り。察せざるべからず。これを察するに紀有り。陰陽より始む。これを始むるに經有り。五行に従いて生ず。これを生ずるに度有り。四時を宜しと為す。補寫を失することなかれ。天地と一の如くせよ。一の情を得れば、以て死生を知るなり。

是れ故に、聲は五音に合し、色は五行に合し、脉は陰陽に合す。


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