『天は北西に不足して陰であり、地は東南に満たないので陽である。』
非常に難解な段落である。
中国大陸の黄河と揚子江は、西から東へと流れているので、土地の高低と天の高低とを比較して述べられたものであるという説は、一見説得性があるようだ。
ところが、川が東から西へと流れる地域に住む人間には合わない。
中国特有の地理的な理由から説くのは、どうしてもやはり、観念的・こじつけの感が否めないのでこの説は採らない。
また、<淮南子・天文訓>や<列子・湯問第五>等の伝説から説いているものなどがあるが、黄帝の
孫である顓頊(せんぎょく)と共工が争った結果、天地のひずみができたからだという説がある。
ところが顓頊は、黄帝の孫ということになっているので、これもまた時代が合わない。
したがってこの説もまた排して、妄想することにした。
中国文明の始まりは、天体観測にあると僕は考えているので、例によって聖人には、南面して頂いた。
陰陽なるものは左右の道路であった。
太陽が左手の東から昇る過程において、陰である地気もまた上昇し始める。
したがって、陰である地気は、天に上ってしまい、地に不足するので、天気有余地気不足=陽とする。
反対に右手の西へと太陽が沈む過程においては、天に昇っていた地気が下降し始める。
したがって、天にあった地気が降りて、大地に盛んになるので、陰気有余天気不足=陰である。
ごく単純に、このように考えれば、自然界と人間の気の消長とは、天人相応として合致するのではないかと考える。
臨床的にも、天気を基準に人体の左右を論じれば、左が陽であり、右が陰であるので、
左の感覚器が利く。
地気を基準に、人体の左右を論じれば、右が陽であり、左が陰であるので、右の運動器が利く。
単純に右が陰であるとか陽であるなどという論議は、意味を成さないのである。
このように内経医学では天地の陰陽も人間の陰陽も相応じていることを意図しているという点を忘れてはいけない。
この点を踏まえて、意訳して参ります。
原 文 意 訳
そこで岐伯は、以下のようにお答えした。
東方は陽気が昇り始めるので、人体の精は陽気と相まって上に集まるのである。
原文と読み下し
地不滿東南.故東南方陽也.而人左手足不如右強也.
帝曰.何以然.
地は東南に滿ちず。故に東南方は陽なり。而して人の左手足、右の強きが如からざるなり。
帝曰く、何を以って然りや。
東方陽也.陽者其精并於上.并於上.則上明而下虚.故使耳目聰明.而手足不便也.
西方陰也.陰者其精并於下.并於下.則下盛而上虚.故其耳目不聰明.而手足便也.
故倶感於邪.其在上則右甚.在下則左甚.此天地陰陽所不能全也.故邪居之.
東方陽なり。陽なる者は其の精上に并せ、上に并せれば則ち上明らかにして下虚す。故に耳目聰明にして、手足便ならざらしめるなり。
西方陰なり。陰なる者は其の精下に并せる。下に并せれば則ち下盛んにして上虚す。故に其の耳目聰明ならずして、手足便なり。
故に倶に邪に感じ、其れ上に在れば則ち右甚はだし。下に在れば則ち左甚はだし。此れ天地陰陽の所、全けきこと能わざるなり。故に邪これに居す。