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鍼灸医学の懐

黄帝内経の意訳と解説 最後に原文と読み下しを記しています。

陽明脉解篇第三十

黄帝内経 素問
                       チューリップ 於:近くの花壇で



 前篇『太陰陽明論』に引き続き、本篇は足陽明に特化した内容となっている。

 本編の記載は、同じものが霊枢『経脉篇』にも記されているが、ここで記されている病症は、現代においてはさしずめ多動性障害、躁うつ病、統合失調症といったところだろう。

 黄帝内経が著された2000年も前に、すでに現代病の原型となる病態と認識がされていたとは、さすが中国4000年と称するに値する感がする。

 現代においては、「脳機能障害」「気分障害」として扱われるが、東洋医学では、ざっくりと「寒熱・虚実」の概念で心身全体を捉え、原因として精神的な面もあるかもしれないが、主に本篇では肉体的な問題に焦点を当てている。

 現代では精神異常を来すと、まずは西洋医学を受診する者が多く、多動性障害、躁病・うつ病、統合失調症と診断がついてしまうと投薬療法が施され、ほぼ完治の見込みもなく病は固定されてしまうものが大多数である。

まことにもって悲しくもあり残念でもあるが、これらの疾患が増加の一方であることを憂う。

これらの疾患が、単に「脳機能障害」「気分障害」であるとの狭い認識にとどまらず、日常の飲食の内容や量の過多、病人の置かれている状況などに認識が及べば、もっと助かる人々が増えるのにとの思いが募る。これは、現代病の認識すべてに及ぶことである。

筆者もほんの数例これらの疾患を扱ったことがあるが、現代では内経当時と異なり、複雑化した病態と真の病因の根を把握するのは極めて困難である。

が、凡そ心神・肝魂・脾意が中心である。さらに一点に絞り込んで一鍼を下し、気を動かすことさえできれば、わずかに細いただの針金が、歴史的伝統の力を発揮する。

挑まざるべからず、である。



原 文 意 訳


黄帝が、問うて申された。
足の陽明の脉が病めば、人と火を嫌い、かん高く響くような木音を耳にすると、ハッとして取り乱したかのようにドキドキとして驚き、鐘や鼓の音は耳にしてもそんなに動じる様子もない。
木の音を聞いてハッと驚くのは、いったいどのような理由なのであろうか。

岐伯が、これに対して申された。
陽明と申しますは、胃の脉でございます。胃は土性でございます。ですから木の音を聞いて驚くのは、土性は木性を嫌うからであります。

帝が申された。
なるほど。で、火を嫌うのは、どうしてなのか。

岐伯が申された。
陽明と申しますは、人体の肉を主っております。足陽明の脉は、血気共に盛んでありまして、邪が入り込んで停留いたしますれば、血気盛んな足陽明の脉気が熱化いたします。この熱が異常に高まりますと、明るい光と熱を発する火を嫌うようになるのであります。

帝が申された。
では、人を嫌って会いたがらないのは、どのようなわけであるのか。

岐伯が申された。
陽明の脉が逆流して厥の状態となりますと、気が下らず上逆いたしますので、喘いで胸がいっぱいとなり、なんとなく胸のあたりがモヤモヤとしたり、落ち着かなく煩わしく感じたり、甚だしいと悶えるようになります。胸が苦しくすっきりとしない状態では、人と会うのが嫌になるのであります。

帝が申された。
ゼーゼーと喘いでおって、死するものと生きるものがあるのは、どのようなわけであろうか。

岐伯が申された。
これは足陽明の脉が厥逆しておるからであります。この厥逆の程度が甚だしく、臓気にまで及びますと死するものでありますが、経脉の変動レベルでは、助かるものであります。

帝が申された。
なるほど、理解した。病が甚だしいと衣服を脱ぎ捨てて走り出し、高いところによじ登って高らかに歌ったり、あるいは数日もの間、食事をすることもないのに垣根を乗り越え、屋根に上がったりする。このような高いところは、もともと平常であればとんでもなく、できないことである。ところが病となればこのような所業ができるのは、いったいどういう訳であろうか。

岐伯が申された。
四肢と申しますものは、源である臓腑の諸陽が現れる、模範となるところであります。ですから、臓腑の陽気が盛んでありますと、手足の力も充実いたします。ところが陽気が熱化して甚だしくなりますと、平常では考えられないような、高いところに登ることができるようになるのであります。

帝が申された。
では、衣服を脱ぎ捨てて走り出す者は、どのような理由でそのような所業をいたすのであろうか。

岐伯が申された。
身体にひどく熱が盛んであるため、衣服を脱ぎ捨てざるを得ないからであります。また熱気が盛んとなりますと、鍋の蓋がパカパカと音を立て上下して動くように、人の手足もまたじっとしていることができないからであります。

帝が申された。
理屈に合わないことやありもしないことを言ってみたり、口を極めてあれやこれやと人を罵(のの)しったり、親しい人とそうでない人とのみさかいもつかず、突然歌い出したりするのは、どのようなわけであろうか。

岐伯が申された。
陽気が盛んになりすぎますと、火性の心神に影響いたします。まるで沸騰したお湯のように次から次へと、みさかいなく激しく勝手に、心神から言葉が出てしまうのであります。
熱気の源となる穀気も補充する必要がありませんので、食べ物も欲しがりません。
食べ物を欲しがらないくらい、熱気が盛んでありますので、手足もじっとしていることができず、あちこちとみだりに走り回るという訳であります。


原文と意訳


黄帝問曰.足陽明之脉病.惡人與火.聞木音.則惕然而驚.鐘鼓不爲動.聞木音而驚.何也.願聞其故.
岐伯對曰.陽明者胃脉也.胃者土也.故聞木音而驚者.土惡木也.
黄帝問うて曰く。足陽明の脉の病は、人と火を惡み、木音うを聞けば則ち惕然(てきぜん)として驚くも、鐘鼓には動を爲さず。木音を聞きて驚すとは、何なるや。願わくば其の故を聞かん。
岐伯對して曰く。陽明なる者は、胃の脉なり。胃なる者は、土なり。故に木音を聞きて驚す者は、土は木を惡めばなり。
 
帝曰善.其惡火何也.
岐伯曰.陽明主肉.其脉血氣盛.邪客之則熱.熱甚則惡火.
帝曰く、善し。其の火を惡むとは何ぞや。
岐伯曰く。陽明は肉を主り、其の脉の血氣盛んにして、邪これに客せば則ち熱す。熱甚だしけらば則ち火を惡むなり。

帝曰.其惡人何也.
岐伯曰.陽明厥.則喘而則惡人.
帝曰く。其その人を惡むとは、何ぞや。
岐伯曰く。陽明厥すれば則ち喘ぎて(なげ)き.けば則ち人を惡む。

帝曰.或喘而死者.或喘而生者.何也.
岐伯曰.厥逆.連藏則死.連經則生.
帝曰く。或いは喘ぎて死する者、或いは喘ぎて生くる者は、何んぞや。
岐伯曰く。厥逆し、藏に連なれば則ち死す。經に連なれば則ち生く。

帝曰善.病甚則棄衣而走.登高而歌.或至不食數日.踰垣上屋.所上之處.皆非其素所能也.病反能者.何也.
岐伯曰.四支者.諸陽之本也.陽盛則四支實.實則能登高也.
帝曰く、善し。病甚だしければ則ち衣を棄てて走り、高きに登りて歌い、或いは^食せざること數日に至る。垣を踰(こ)えて屋に上り、上る所の處、皆其その素より能くする所に非ざるなり。病みて反って能くする者は、何ぞや。
岐伯曰く。四支なる者は、諸陽の本なり。陽盛んなれば則ち四支實し、實すれば則ち能く高きに登るなり。

帝曰.其棄衣而走者.何也.
岐伯曰.熱盛於身.故棄衣欲走也.
帝曰く。其の衣を棄てて走る者は、何ぞや。
岐伯曰く。熱身に盛ん。故に衣を棄て走らんと欲するなり。
帝曰.其妄言罵詈.不避親疏而歌者.何也.
岐伯曰.陽盛.則使人妄言罵詈.不避親疏.而不欲食.不欲食.故妄走也.
帝曰く。其の妄言罵詈(もうげんばり)し、親疏を避けずして歌う者は、何んぞや。
岐伯曰く。陽盛んなれば則ち人をして妄言罵詈し、親疏を避けず、食を欲せざらしむる。食を欲せざるが故に、妄走するなり。



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