鍼灸医学の懐

主に黄帝内経の意訳と解説 最後に原文と読み下しを記しています。その他、随時古典資料を追加しています。

方盛衰論篇第八十.

 いよいよ素問の意訳も残すところあと一篇となって参りました。

 本篇中の厥証に関して、筆者はこれまで何度か遭遇した経験を踏まえて意訳を試みております。

 またここに至って、医師としての有り様を解いていますが、象・数・理の三要素と、術者の心に映し出される世界。

 この術者の心神と相手の心神の共鳴・共振こそが、この医学のキモであると改めて感じ入った次第です。

 むろん、象・数・理の三要素の重要性は変わりませんが、これら認識道具を用いて、最終的に術者の心内に去来するものこそが、「すべて」だと感じているからです。

 

 また些事ですが、本文中に「至陽」なる語が使われています。

 この「至陽」は、経穴名でもあり第7胸椎下、膈兪の中央に位置しております。

 至陽穴、膈兪穴の状態を診て、上下・内外を察するヒントが記されていると思います。

 一を聞いて十を知る。

 このような感性・悟性が、この医学に携わる者に求められていると考えてます。

 読者諸氏は、いかがお考えでしょうか。

 

         原 文 意 訳

 

 雷公が教えを乞うて申された。
 陰陽の気には多少ということがございますが、その逆従・順逆はどのように判断すればよろしいのでありましょうか。


 黄帝が答えて申された。
 聖人は南面して立ち、左右は陰陽の道路であったな。
 しかるに陽は東から昇り、西に沈むのであるから、陽は左から右に行くのが従である。
 反対に陰は西から生じ始め北を周って東で尽きる。また陰は降りるのであるから、陰は右から左に行くのを従とするのである。
 また老者は、成長の極みから次第に下が衰えるのであるから、相対的に上に気が実するようになるのが従である。
 反対に、少者は下に気が実して、ここから上に伸びようとするのが従である。
 これらは、春夏に陽の気に従えば生を為すのであるが、秋冬に陽の気に従えば散じて死を為すのである。
 これに反して、秋冬に陰の気に従えば生を為すのである。
 このように気の多少はあるものの、その陰陽盛衰の方向が逆になれば、すべて手足が冷えあがる厥証を起こすのである。


 雷公が問うて申された。
 陰陽の気が有余している場合であっても、厥証を生じるのでありましょうや。


 黄帝が答えて申された。
 陽気が激しく上昇して降りなければ、足膝は相対的に虚して寒厥となろう。
 年少者で、まだ下焦の気が定まっていないものは、陰気の盛んな秋冬に死するであろう。
 下焦が衰え始めた老年者は、春夏の陽気の散じる季節は危ういが、収斂の秋冬は比較的持ちこたえて生きるものである。
 ところが気が上昇して下降しない状態が続けば、頭痛や意識障害を伴う巓疾を起こすようになるものである。
 この厥証の病に際しては、陽気の存亡を知ろうとしても得ることが難しく、また陰気の状態も詳しく得ることが難しいものである。
 また意識が無いのであるから、五臓もその相互の気の交流が断たれており、その生命の徴候もかすかであるため、とらえるのが非常に困難である。
 厥証に陥った人を例えるならば、広野にひとりポツンと孤独で居るかのようであり、空っぽの部屋に伏せて身動きできないかのようである。
 このような静かで生きてるのか死んでるのか定かでない状態が、綿々としてしばらく続いているようでは、その命が丸一日持つことはあるまい。


 以上のことを踏まえて、少気による厥証には、色々な夢をみせるものである。その厥証が極まると、昏迷の度合いも深まるのである。


 このような場合の脉象は、三陽が絶しているため軽按ではその脈に触れることが出来ない。
 三陰も気が微であるため、重按してやっと弱々しいその脈に、やっと触れることが出来るのみである。これを少気の厥証と判断する目安とするのである。


 これらのことを踏まえた上で、肺気が虚すれば白いものを夢見させ、人が切られて血がドクドクと流れて騒然となっている様を夢見させる。
しかも金気が盛んな時に至れば、兵が戦う様子を夢見るようになるのである。
 腎気が虚した場合は、船舶に乗っていながら水に溺れる夢を見るものである。水気が盛んな時になれば、なにか恐ろしいことから逃れるかのように、水中にジッとしてひそんでいる夢を見るものである。
 肝気が虚した場合は、菌香や草が生い茂る夢を見る。木気が盛んな時には、樹木の下にジッと伏して起き上がろうとしない夢見をするものである。
 心気が虚した場合は、火事を消そうとしたり、龍や稲妻のような陽物を夢見るのである。火気が盛んな時に至れば、炭火や焼けた鋼などに象徴されるような燔灼状態を夢見る。
 脾気が虚すれば、飲食が不足している夢を見る。土気が盛んな時に至れば、土で垣根や家の屋根を築く夢を見るものである。


 これらの夢見は、それぞれ五臓の気が虚しているからであり、陽気有余、陰気不足によるものである。これら五臓の有餘不足を念頭において診断し、陰陽の道理に従って平衡を図る治療は、経脉に在るのである。


 診察には、十の尺度を用いるのである。
 その尺度とは、脉度、藏度、肉度、筋度、兪度の五つに、左右を掛け合わせた十の尺度である。
 これらを用いて、陰陽の偏盛・偏衰をことごとく掌握すれば、人の病の状態は自ずと手中に入ってくるものである。
 脈を按じたその拍動には、絶対的な基準は無いのである。
 たとえば陰が散じて陽が勝っていても、それがそのまま脈に現れるとは限らない。
 診察には、ある程度の定石はあるにしても、それにかかずわらない(拘泥しない)ことである。
 それはとりもなおさず、身分の上下であるとか、庶民と君卿との違いを考慮することでもある。


 また師匠の教えを最後まで学ぶことも無く終え、その学術もおぼろげで、順逆・従逆さえ察することが出来なければ、ついにその治療は、妄行となってしまうのである。
 つまり雌を手にしていながら雄の存在に気づけず、また陰を捨て去って陽しか目に入らない状態で、陰陽・雌雄の両儀を併せ見ることすらも知らないということである。
 従って明確な診断が下せないばかりか、これを後世に伝えようものなら、その拙さやでたらめさは自ずと世にあきらかになってしまうものである。


 至陰である地気が虚すれば、地気は昇ることが出来ないので天気は絶することになる。
 至陽である天気が盛んであれば、天気は下ることが出来ないので地気は不足することになる。
 このように陰陽が相交する法則は、至人の医家が行うところのものである。
 この陰陽相交は、陽気が先ず至り、後に陰気がそれに従い至るものである。
 これらのことを踏まえた聖人と称される人の診察は、陰陽・先後の順を守り、一般論では捉えきれない奇恒の60の種別と微かな兆しを合わせて陰陽の変化を追いかけるのである。
 そして五臓の情勢を明確にし、虚実を明確に区別する要を手中にして、五診十度を定めて行われるのであり、これらのことを十分に知り得てこそ診察に足りるのである。


 これらをもって診察に当たるのであるが、陰である肉体を切し、陽である気の情を知り得ないようでは、もはや診察とは呼べないのである。


 また陽である文字で書き著された書物を読み、その裏に秘められた陰である意図を汲み得ないようでは、学問知りの人知らずであり、机上の学問にしかならないのである。


 さらに治療においては、左を知りて右を知らず、右を知りて左を知らず。上を知りて下を知らず、先を知りて後を知らずといった平面的で片手落ちな診方であれば、医家として久しく永らえることはできないのである。


 醜さと善、病と不病、高きと低き、坐と起、行くことと止まることなど、これらすべての物事が相反することを知り得た上で用いれば、それが筋道となり自然と綱紀と成っていくのである。
 このような診察の道具を持ち得ていれば、萬世にわたって過ちを犯すことは無いであろう。


 そして有余しているところを見て不足しているところを察して知り、さらに身体の上下を図ることが出来るようになれば、脉理の道は至り、脈診も一定レベルに達することが出来るのである。


 このようにして診れば、身体が弱々しく気もまた虚していれば、形気ともに合して死するものである。
 身体も気力も有余しておったとしても、脈気が不足している者はまた、死するものである。
 逆に、脈気が充実して有余であれば、身体、気力共に不足していても生きるものである。


 このように診察には一定の道理が存在するのであるから、医師たるものは常日頃から座起に規律を持ち、出入りの行いに品格を具え、患者の神明を幸へと転じることが重要である。
 そして医師の心持ちは、必ず清にして浄を保ち、上を観て下を観、八風の邪を候い、五臓六腑を弁別し、脈の動静を按じ、尺膚の滑濇・寒熱の意味するところに従い、大小便の状態を視て、これらすべてを合して病態を把握するのである。このように逆従を得ておれば、自ずと病名も知れてくるのである。
 このようであれば診察は完璧なものとなり、人情にも背くことは無いのである。
 ゆえに、診察に際しては、患者の呼吸の状態やその心情にまでしっかりと意識的に視るのである。
 さすれば、条理は失われず、歩むべき医道も非常に明察することが出来るようになり、過誤なく医家として長久することができるのである。
 しかるに、この医道を知らざれば、本筋たるまっすぐな縦軸を失い、正しい条理は絶え、口にすることや生死の期もでたらめとなるのである。これを医家の道を失ったというのである。

 

 

        原文と読み下し文

 

雷公請問.氣之多少.何者爲逆.何者爲從.

黄帝答曰.

陽從左.陰從右.老從上.少從下.

是以春夏歸陽爲生.歸秋冬爲死.反之則歸秋冬爲生.是以氣多少逆.皆爲厥.

雷公請うて問う。氣の多少、何れの者をか逆と爲し、何れの者をか從と爲すや。

黄帝答えて曰く。

陽は左に從い、陰は右に從う。老は上に從い、少は下に從う。

是れを以て春夏は陽に歸して生と爲し、秋冬に歸して死と爲す。これに反すれば則ち秋冬に歸して生と爲す。是れを以て氣の多少の逆は、皆厥を爲す。

 

問曰.有餘者厥耶.

答曰.

一上不下.寒厥到膝.少者秋冬死.老者秋冬生.

氣上不下.頭痛巓疾.求陽不得.求陰不審.五部隔無徴.若居曠野.若伏空室.緜緜乎屬不滿日.

問うて曰く。有餘なる者も厥するや。

答えて曰く。

一たび上りて下らざれば、寒厥は膝に到る。少なる者は秋冬に死し、老なる者は秋冬に生く。

氣上りて下らざるは、頭痛巓疾す。陽を求むれども得ず、陰を求むれども審(つまび)らかならず、五部は隔して徴無く、曠野に居るが若く、空室に伏するが若く、緜緜乎(めんめんこ)として日の滿さざるに屬す。

 

是以少氣之厥.令人妄夢.其極至迷.三陽絶.三陰微.是爲少氣.

是以肺氣虚.則使人夢見白物.見人斬血藉藉.得其時.則夢見兵戰.

腎氣虚.則使人夢見舟舩溺人.得其時.則夢伏水中.若有畏恐.

肝氣虚.則夢見菌香生草.得其時.則夢伏樹下不敢起.

心氣虚.則夢救火陽物.得其時.則夢燔灼.

脾氣虚.則夢飮食不足.得其時.則夢築垣蓋屋.

此皆五藏氣虚.陽氣有餘.陰氣不足.合之五診.調之陰陽.以在經脉.

是れを以て少氣の厥は、人をして妄りに夢みさせ、其の極は迷に至る。三陽絶し、三陰微なる、是れを少氣と爲す。

是てを以て肺氣虚すれば、則ち人をして夢に白物を見、人の斬血藉藉※たるを見せしむ。其の時を得れば、則ち夢に兵戰を見る。

腎氣虚すれば、則ち人をして夢に舟舩(しゅうせん)人を溺((おぼ)らしむるを見る。其の時を得れば、則ち夢に水中に伏して畏恐すること有るが若し。

肝氣虚すれば、則ち夢に菌香生草を見る。其の時を得れば、則ち夢に樹下に伏して敢えて起きず。

心氣虚すれば、則ち夢に火を救い陽物を見る。其の時を得れば、則ち夢に燔灼す。

脾氣虚すれば、則ち夢に飮食不足す。其の時を得れば、則ち築垣蓋屋を夢にす。

此れ皆な五藏の氣虚し、陽氣有餘にして、陰氣不足す。これを五診に合し、これを陰陽に調うるは、以て經脉に在り。

※藉藉(せきせき)・・・がやがやと騒がしい様

 

診有十度度人.脉度.藏度.肉度.筋度.兪度.陰陽氣盡.人病自具.

脉動無常.散陰頗陽.脉脱不具.

診無常行.診必上下.度民君卿.

受師不卒.使術不明.不察逆從.是爲妄行.持雌失雄.棄陰附陽.不知并合.診故不明.傳之後世.反論自章.

診に十度有りて人を度(はか)る。脉度、藏度、肉度、筋度、兪度、陰陽の氣を盡して、人の病は自ずと具(つぶ)さなり。

脉動に常きは、陰散じて頗(すこぶ)る陽、脉に脱して具わらず。

診に常行なし。診するに必ず上下ありて、民と君卿とを度(はか)る。

師に受けて卒(おわ)らず、術をして明らめず、逆從を察せず。是れ妄行を爲す。雌を持して雄を失し、陰を棄てて陽に附き、并わせ合するを知らず。診は故に明らかならず。これを後世に傳うれば、反論は自ずから章(あきら)かなり。

 

陰虚.天氣絶.至陽盛.地氣不足.

陰陽並交.至人之所行.

陰陽並交者.陽氣先至.陰氣後至.

是以聖人持診之道.先後陰陽而持之.奇恒之勢.乃六十首.診合微之事.追陰陽之變.章五中之情.其中之論.取虚實之要.定五度之事.知此乃足以診.

陰虚すれば、天氣絶す。至陽盛んなれば、地氣不足す。

陰陽並び交わるは、至人の行う所なり。

陰陽並び交わる者は、陽氣先ず至り、陰氣後に至る。

是れを以て聖人の診を持するの道は、陰陽を先後してこれを持す。奇恒の勢は、乃ち六十首なり。微を合した事を診し、陰陽の變を追い、五中の情を章(あきら)め、其の中の論は、虚實の要を取りて、五度の事を定む。此れを知れば乃ち以て診するに足れり。

 

是以切陰不得陽.診消亡.

得陽不得陰.守學不湛.知左不知右.知右不知左.知上不知下.知先不知後.故治不久.

知醜知善.知病知不病.知高知下.知坐知起.知行知止.

用之有紀.診道乃具.萬世不殆.

是れを以て陰を切して陽を得ざれば、診は消亡す。

陽を得て陰を得ざれば、學を守りて湛(たん)ならず、左を知りて右を知らず、右を知りて左を知らず、上を知りて下を知らず。先を知りて後を知らず。故に治は久しからず。

醜を知りて善を知り、病めるを知りて病ざるを知り、坐するを知りて起きるを知り、行を知りて止まるを知る。

これを用いて紀有れば、診道は乃ち具わり、萬世に殆(あやう)からず。

※湛・・・たたえる・あつい・ふける・しずむ・ふかい

 

起所有餘.知所不足.度事上下.脉事因格.

是以形弱氣虚.死.

形氣有餘.脉氣不足.死.

脉氣有餘.形氣不足.生.

是以診有大方.坐起有常.出入有行.以轉神明.必清必淨.上觀下觀.司八正邪.別五中部.按脉動靜.循尺滑濇寒温之意.視其大小.合之病能.逆從以得.復知病名.診可十全.不失人情.

有餘の所に起きて、不足なる所を知る。事の上下を度(はか)り、脉事は因りて格(いた)る。

是れを以て形弱く氣虚するは、死す。

形氣有餘なるも、脉氣不足するは、死す。

脉氣有餘し、形氣不足するは生く。

是れを以て診に大方有り。坐起に常有り、出入に行い有りて、以て神明を轉ず。必ず清必ず淨。上を觀て下を觀る。八正邪を司り、五中の部を別ち、脉の動靜を按じ、尺の滑濇寒温の意に循いて、その大小を視て、病能に合し、逆從を以て得て、復た病名を知れば、診して十全たるべく、人情を失せず。

 

故診之.或視息視意.故不失條理.道甚明察.故能長久.

不知此道.失經絶理.亡言妄期.此謂失道.

故にこれを診するに、或いは息を視、意を視る。故に條理を失せず。道は甚だ明察なり。故に能く長久たり。

此の道を知らざれば、經を失い理は絶し、言を亡(うしな)い期を妄りにす。此れ道を失うと謂うなり。