鍼灸医学の懐

主に黄帝内経の意訳と解説 最後に原文と読み下しを記しています。その他、随時古典資料を追加しています。

察 色

 本文は、近世漢方医学書集成18・19の「叢桂亭医事小言」(1)(2)を底本としたもので、できるだけ原書に忠実であるよう努めながら、以下のように改めてテキスト化したものである。

  

  1.原文中のカタカナを平仮名に書き換え、現代語に近くなるようにした。

  2.おくりがなは、現代文に通じるように改めた。

  3. 原文中の漢文は、読み下し文に改めた。

  4.文集のカタカナのルビは原文の記載をそのまま記載した。

  5.筆者ルビは、ひらがなで記載した。

  6.句点は、筆者の読みやすき所に置いた。

  7.本文中の引用箇所は、筆者がこれを追記し括弧でくくって表記した。

 

察 色


 扁鵲伝に病の応は大表に見(あらわ)るとて、察色大切の見所、証候を知る所なり。四診の望の字なり。
 顔色声音呼吸は定まりたることは余も知らざれども、診察の一にて、人相者は一生の吉凶も云うことなり。さすれば見所多きものと知るべし。


 さて病人に対したる初日に、一々に心を付けて見て置くべし。夫れより後に変のある時は、初日の診と比べて見ると、甚だ心得になることあるものなり。


 顔色の赤きは上逆、唇の白きは凶兆なるは俗人も知れる所なり。

 たとえば其の赤と白を得ると見て置けば、前よりよきか悪きかと、後に計り知ることなる。

 度々心を付けて見れば、後には熱の伏したる顔色も、又狂騒するも、快を得るも、死に近きも知るべし。又眼中にてみえることもあるものなり。

 平人の喜怒の色は誰も知れる。病人の色は、猶更心を用ゆるならば何ぞ知れざらん。『医種子』に載りたる察色の法を見て、古人の察色を論じること此の如きを知るべし。

 嘗て桓公、諸侯を令(レイ)することを読むに、衛人後れて至る。公朝して管仲と衛を伐たんと謀る。退朝して奥へ入れり。

 衛姫君を望見して、堂を下りて再拝して衛君の罪を請う。公の曰く、吾が衛に於いて故なし、子何ぞ請うことをする。

 曰く、妾、君の入りたまうを望むに、足高く気強し。国を伐つの志あり。妾を見て動く色あるは、衛を伐つなりと申しける。

 明日公朝して管仲揖(イツ)して進ましむ。管仲曰く、君は衛を捨てたまうか。公の曰く、仲父何ぞこれを知れる。

 仲曰く、君の朝に揖するや恭して言を出したまうに、往々臣を見て※慙(ハツ)る色あり。臣ここを以て知れりと。 
 此の二人は心を専らにして桓公に事える故に、其の容貌を見て、其の用捨を知れり。 

 若し能く心を病者に専らにしなば、一望して其の病の深遠自然に知るべし。又季札が楽を聞きて言う所も、聞法の一義なりといえり。


※揖(イツ・ゆう)・・・中国の昔の礼の一。両手を胸の前で組み、これを上下した

            り前にすすめたりする礼。

※慙・・・はじる。はじ。「慙愧(ざんき)・慙死/無慙」  (コトバンクより)

 

 声音は力の脱(ヌケ)たるは早く知れる所なり。肺癰は声音にてよく知れることあり。肺痿は猶更なり。ひしげたようにてさびのある声になり、咳嗽までひしげた様になるものなり。

 麻疹の咳はよく肺癰に似たり。小児の痢病などの日を経て脱したるは、泣き声かなぎり高く細くなるもの凶候なり。

 気急する病人、呼吸につれて小鼻の動くは久病ならば死に近し。久病ならずとも安からぬことと思うべし。是を鼻扇と云うなり。

 爪の色も見所なり。青は寒、紫は瘀血など論ず。黄胖は爪の色潤沢ならず。或いは条理高く垢つき、或いはくだけて長ぜず、或いは厚くなりてへげる、或いは薄くなりて反りてかけるものなり。又黄疸は眼中と爪甲より、早く見ゆるもの多し。

 皮膚の覆うもの無き故に透明して早く黄の見ゆるなり。爪は骨のようなれども条理ありて津液ここに通ず。怪我(ケカ)して強く爪を打つと瘀血条理に結して染まる如く。爪をはさむ時に小口(コクチ)より見て、血も打ちためて凝りたるは知るべし。

 労瘵に桃花蛀と云うことあり。『証治要訣』に云う。面色故の如く、肌体自ら充(ミチ)、外は無病の如きに看て内は虚損すること有り。俗に桃花蛀と呼ぶ。新に粧(ヨソオウ)者の如し。 顔色良ろしきとて悦ぶことに非ず。決して死を免がれず。

 又惣身顔色ともに痩せて両顴(ホウホネ)ばかり赤くせしめ、紅を粧えたるが如く見ゆるを帯桃花と云う。

 労瘵に多くあらわれ、婦人・鼓脹にも有る候なり。何れも同じく難治なり。

 『外台(秘要)』に云たる、崔氏方の五蒸を治するの処に、嗽後面色白く、両頬(ホウ)赤を見(あら)わことすこと臙脂(えんじ)色の如し。

 団々とせしめ銭許(ハカリ)の大きさの如く、左に臥すれば即ち右に出る。唇口常の鮮赤に非ず。若し至りて赤鮮(アカスギル)なれば即ち極めて重し。十なれば則ち七は死し、三は活くとあり、今は医の拙なきにや十に一生なし。

 口眼喎斜するは中風にある証なれども、壮年の人の手足も滞る所なく俄に口眼喎斜(クハシャ)するはやはり中風の一証をあらわせるなり。何の事もなく中風の薬にてよし。其の壮実をたのんで酒色過度の人、老来にて発する中風を取り越えて発したる故、諸証具せずに一証を表わせしなり。

 癩風も口眼咼斜する者あり。肉色を見て麻木を尋ぬべし。中風と違い一ヶ所ずつに 瘀血の凝って不 仁(ヒトハタナラス)する者、其の処血色を察すべし。中風と異なり、又毛髪の脱落するや否をも察すべし。

 痘は全く察色に在り。其の発する部分(ブワケ)を以て云うは信ずべかざるに似たり。

 痘の多くは凶、痘の少なきは吉と云うは天下の知る所なれども、潤沢と乾枯とに吉凶あり。紅鮮と紫黒とに吉凶ありて多少に非ず。然れども少なきものは凶候の出るは稀なり。悉くは痘瘡門にて語るべし。

 

 狐つきは望んで知るべし。然れども狐に上下あり、上狐の憑きたるはまぎれやすし。

 巫祝の言に云う、十三種ありて天狐・地狐・黒狐・白狐など云うは甚だ奇異なるよし。

 野狐は自分より口ばしりて、稲荷(イナリ)なり、赤豆飯を喰わせしめよ、なんどと云にてこれを医門に託せず、直に祈祷にかかる。
 又十三種の内の上狐に憑かれたるは、祈祷も何も構わず病人と見ゆるあり。是を医者に託す。医者も又物憑きか乱心かの堺(サカイ)知れかぬるものなり。

 中にも乱心かと思えば、本心の所もあり、狐付つきかと思えば、乱心のようにも見えて、一日の中にも色々になる。
 夜寝かね或いは死せんと欲する真似(マネ)をして看病人をつからかすものなり。

 病人も意気を得(トク)と見て熟察すべし。能く気をつけて見んとすれば、病人嫌がるは乱心には少(スク)なし。

 

 又巫祝の折風(カサオレ)と称するあり。これは益々見わけ悪(にく)し。是は常につきては居らぬものにて、ちらりちらりと風にさそわわれたる如くになるよし。

 予嘗て巫祝の功者なるに問い求めたるに、彼の教えを後に試みるに助けになりたること多し。

 食事をする所を気を付けて見るべし。口もと常ならず、或は大食になる人もあり、或は食事をするに奴婢の外は人を近づけざるものあり。
 兎角愚人を相手に仕(し)たがるか、総(そうじ)て食事に変わり有ものなり。相対して座したる時、真向(マムキ)に眼と眼を見合わせかね、必ず面を背け、或いは面を伏して両膝へ手をつき、肩をすぼめ、すくみたるようにて面を挙(アゲ)げざるは決して乱心に非ず。

 又腋下へ手を着けさせず、後へも人を廻さぬものなり。此の外に四診有りと云う。秘して伝えず。


 予嘗て試みるに又印堂ムックリ高くなりてある時もあり、気のこりたるなるべし。

 夫れを堅く押さゆれば手足の力抜けるものなり。又背を下より逆に撫でれば大いに怒るものなり。
 さて治は灸治よし、鍼もよし、紫円も効あるものなり。烏頭・瓜蒂も効はあらんと思えども未だ試みず。

 

 又大奇事あり、袂のうちに沢山に毛あることは皆人の知る所なれども、病家の味噌桶の下を見るべし。衣服へついてある毛と同様の毛あるものなり。能く利害を説て聞きすれば、鍼灸にも及ばす治するものあり。

 治せずば斯の如きの手段にせんと云うこと兼ねて心得て有る故に、其の術に恐れて治するなれば攻め道具の用意なしには利害ばかりにては治すまじ。

 子啓子嘗て狐つきを落とす鍼法を伝えられたり。子啓子は相対したるばかりにて鍼を刺したることなく験ありしよし。

 其の法は手の左右の大拇指の爪甲をこよりにて堅く縛(シハリ)り、腋下か背後に凝りたるものを力まかせに肘臂の方へ段々にひしぎ出し、肘まで出たる時、他の腰帯の類にて緊(ヒキシク)しせしめ、其の凝りたる塊の上へ鋒鍼にて存分に刺すべし、治するなり。
 其のひしぎ出す時、並々のことにては狂躁する故、人を雇(ヤトイ)て総身をかくるる処なきように尋ねてひしぎ出すべし。

 此の伝を得て後に東門先生へ物語れば、足の大拇指も縛すべし。第一病人の気を飲むように張り合いつけ(る)べし。若し向(むこう)に飲まるる時は何ほどにしても治せず。蔭鍼(カケハリ)にて狐つきの落ちると云うは、此の術なりとありけり。


 余は刺鍼を解さざるゆえ、他にも鍼家に術ありや否(や)を知らず。灸法薬方も『千金方』などに詳らかに見えたり。十三鬼穴など是なり。

 仲景の狐惑病は狐つきのことには非ず。『(叢桂)偶記』に論じ置たり。狐つきは邪崇と云うものなるに、俗医狐惑病と覚えたるを時々聞きて笑うべき事と思いしに、入門(『医学入門』)に狐つきを狐惑と書きたる所あり。仍(さ)てはめったに笑われぬものなり。

 頃(ちかごろ) 南総の名医、津田玄仙子の『経験筆記』を読むに、狐狸秘訣と云う処に曰く。

 狐憑きは人中の紋ゆがむ○喉に×此の通りの紋を生ず○腋の下に動塊あり○手の大指をかくす ○脈両方背(ソムケ)て斉(ソロ)わず忽ち変ず。

 右五証の内一つ二つもあらば狐託(ツキ)のせんき(先規)肝要なり。


 巴黄雄姜湯を用いて、其の精液を下す。巴黄雄姜湯方、巴豆・大黄・雄黄・乾姜各等分、右四味細末にして一銭ほど湯にて用うべし。大便瀉下するを以て効ありとす。若し治せずんば、又三日ばかり間をおいて用うべし。必ず愈ゆるなり。後は安神散の類を用いて補うべし。

 ※先規(せんき・せんぎ)・・・前からのおきて、しきたり、先例


 詐病(ケビョウ)を見つけずに拙(ツタナシ)と唱えらるることあり。

 元来奴婢などの主人を偽り、病に託するほどの下賎たる人に多ければ、其の智も亦上等の人をあざむくべからずと雖も、姦智巧偽の者は頗る本病に似るものあり。

 是は四診にて 乍(たちまち) に見分けるべし。猶又、師到れば壁に向かうなど古人の云う所の如く、不正の心事正人に対しかねること彼の狐つきの如し。
 『傷寒論』平脈法に曰く。設し壁に向かいて臥しせしめ、師の到れるを聞きても驚起せずして盻視(けいし)し、若しくは三言三止す。之を脈するに唾を嚥む者は此れ詐病なり。

 ※盻視(けいし)・・・にらみつける

 設(もし)脈自ら和さしめるする処なれば、此の病大いに重しと言い、当に 須(すべから) く吐下の薬を服さしめ、鍼灸数十百処すべし、乃ち愈ゆ。(『醫燈續焔』に曰く其の詐を嚇(おどす)なり」とあり。

 余は肘上を縛して脈を閉じたる体にしたるを見たることあり。眼中爽やかにて言辞度を失すること多きを以て診したりき。

 

腹 候

 本文は、近世漢方医学書集成18・19の「叢桂亭医事小言」(1)(2)を底本としたもので、できるだけ原書に忠実であるよう努めながら、以下のように改めてテキスト化したものである。

  

  1.原文中のカタカナを平仮名に書き換え、現代語に近くなるようにした。

  2.おくりがなは、現代文に通じるように改めた。

  3. 原文中の漢文は、読み下し文に改めた。

  4.文集のカタカナのルビは原文の記載をそのまま記載した。

  5.筆者ルビは、ひらがなで記載した。

  6.句点は、筆者の読みやすき所に置いた。

  7.本文中の引用箇所は、筆者がこれを追記し括弧でくくって表記した。

 

腹  候


 腹部の見ようは呼吸の腹候応ずるを候うべし。急変のある病人は呼吸の応じよう、おだやかならず。

 次に動悸を候うべし。素問に云う「胃の大絡を名づけて虚里と曰く。膈を貫き肺を絡ひ、左の乳下に出づ。其の動、衣に応ずるは脈の宗気なり」(其の動、衣に応ずるの四字、馬玄台曰く、衍字(えんんじ)なり。下文にて考えるに衍ならん)とあり、此の虚里の動、甚だせわしく、高く手にあたるは悪証にて、猶更妊者などには甚だ忌むことなり。産後急証発することあり。又下文に其の動、衣に応ずるは宗気泄れるなりとあるにて味わいみるべし。
 ※衍字…語句の中に間違って入った不必要な文字(デジタル大源泉)

 去りながら世に黄胖と云う病は此の動、甚だ高し。必ず悪証に非ず、勘弁すべし。是も偶記(『叢桂偶記』)に論じたり。さて詳らかなることは黄胖にて語るべし。

 又此の虚里の動ばかりにてかぎらず、腹部の動悸へ心を付けて候うべし。動悸に変があらば何病にても油断はならず、急変をなすことあり。

 小児は驚を発すること多し。又何ぞ痼疾のある人の動悸は常にかわることもあるべし。是等は猶更に問切と望聞とを参伍して候(ウカカヒ)得るべし。
 ※黄胖…黄胖は貧血や出血が原因で体内血液が不足して皮膚の乾燥、生理不順、神経の乱れなどの症状が診られる


 大小建中柴胡湯の類、皆腹より方を付けるものなれば、腹候を油断すべからず。
 腹の一体を候うの法は、腹の皮厚く肉ゆったりとして、肥人の股の如く皮と肉との分からぬを善とす。腹の皮薄くてうるおいなく、肉と皮との離れて幾つと云うかずもなく、筋のみえるは悪ししとす。

 腹勢を診すると云うは柔らかならず、こわからず、呼吸の応おだやかに、何れの処を按じても痛みこたえることのなきを、腹勢のよきとは云うなり。
 腹の皮が薄く肉と離れて背につき肉は引張て、縫箔屋のわくに掛けたる絹の如くになりたるは津液(ウルホイ)のなき人の腹なり。癖嚢・吐瀉・虚脱の人にあるものなり。

 極めて津液の尽きる腹は、皮浮き立ちて羽をむしりたる鳥の胸を撫づるが如し、極虚の凶候とす。此の手ざわりは、自汗強く死に近き人の、手足の肌にも有るものなり。又死人の肌を撫でて覚ゆべし。

 ※癖嚢(へきのう)…胃痛を伴う胃拡張、胃がんの類か。

 又多産の婦は、腹皮肉にはな(離)れて浮きたるは常態なり。津液を以て見分けべし。

 心下より痞鞕して板を按ずる如くに指もうけつけぬは難治多し。然れども甚だ怒りなどして欝したる人、腹も斯の如くなることあり、是は難治ならず。

 又皮の離れて底の引張て、板の如く筋立ち多く見えて、任脈凹にてあるも悪候にて労瘵に多し。引張る故、呼吸せわしく脈も数なるものなり。臍下ドフドフと力無きは虚腹なり。
 さて其の力の無き臍下を按じてみれば、沈んで動か(ぬ)塊がある、夫れを強く按ぜば臍の四方は勿論、五体へ響て堪え難く痛むは虚なり。臍下はたわいもなきほど力なくとも、少しも按ぜば痛あり、是も虚に属す。関元気海辺は大切を救う穴処になりてあるも理なり。

 総て上腹は大いにして痩せ、下腹は力なく処々に動気ありて、面色紅なる所なくば大病を催す候なり、むざとは療治ならず。長病の人、動悸へ手をあてても痛甚だかたきは極虚なり、難治なり。動悸の静なるは大病にても急死は無きものなり。

 肥人の腹の形、胸肋よりむつくりと高く、下腹に至るほど大きく軟なる腹あり。又心下はすきて下腹大きなるは、皆是を佳き腹と云う。痩人の腹は胸肋よりひきく、小腹まで同じ形にて按ずるに軟なるは佳き腹なり。以上の腹は皆腹皮厚く、肉に離れずしてうるおいあり、動悸もなきものなり。

 小児は心下高めにて少腹小なるものなり。人々腹形悪きと云えども、是は小児の常態なり。形は此の如くなることを先ず心得て腹候するに、病の半ばより腹形変じて脊につき削りて去りたる如くに、胸肋よりは板の如くになりて横骨の所にて段々に高くなること悪候なり。疫にも痢にも一二日のうちに此の如くなること多し。難治となす。動悸などあらわれて至て悪しく見えるまで知らずにはすまず。

 此の如くならぬ前より腹診に熟すると、勢いの脱するは知るる故、早く難治を極めて明に治すべし。 

  五臓の積を分けて名もあれども(肝は肥気、心は伏梁、脾は痞気、肺は息賁、腎は奔豚とあり)必ず拘ることに非ず。古方家にて腹に拘攣(コウレン)と云うことを、芍薬の症なりと口癖(クチクセ)にする。是は伏梁と指すものなるべし。

 大概は乳下の通りよりつけねの処まで引きはり、臂(ヒヂ)のようにある者、梁(ウツハリ)を伏せたる如くに見ゆると云う義なるべし。

 観臓の時、彼の伏梁と云うべきものを、段々と皮肉を割りて見れば、衆筋引きしまり聚まりたるにて、皮を割るに従いてみなみなゆるみて異なるもの有るを見ず。皮の上よりは塊の如くに手にさわりて見えけるなり。拘急の腹は甘草、大棗、又芍薬の験ある処なり。夫れにて急痛せば小建中湯の主る所なり。

 奔豚は腎積なりとあれども、動悸の上へうちあげるの形をたとえたるにて、其の動の甚だしきは、呼吸促逼し或いは昏眩するに至る。又驚に発することもあり。必ず腎積とばかり一筋に心得ては、医学者の療治の下手になると云う処へあたる。

 金匱要略に其の病を四つありと云いてある。此の説解しかねれども、驚悸有りと云うものなどは頗る知るべし。千金方などにも奔豚と云うこと処々に出たり。猶委細は積聚の処にて語るべし。

 何ほど脈数にて熱強く見ゆるとも、腹候して腹に熱のなきは推付け(オッツケ)さめる表熱なり。

 さて腹候のとき、手の平へチリチリと熱勢の見えるは、伏したる熱にて容易にさめず。わけて小児の暴熱するは甚だ見わけかねる。引付も有るべきや、どれほどのことにならんやと覚束(おぼつか)なく、脈にては知れかねるものなり。ことごとく腹候にて決知すべし。心下の真中に動悸もありて、手掌へヂリヂリと応ずるは油断すべからず。


 水腫にもせよ脚気にもせよ心下に水気の見えぬは大事なし。心下から水気を催したらば油断はならず。病家へとくと云いきかせて療治せよ。別ても水腫は外見がよく見えるもの故、急変を知らずに居たると悪く唱えらるる。

 心下に畜水ありて呼吸せわしきは急変の処に気を付け(る)べし。さて又水腫の証に咳嗽があるも、腹の動気強きも、脈に数のあるも悪証なり。脚気の衝心は心下と動気と呼吸と脈にて決知すべし。


 虫積の候は心下にあり。内がやわらかにてムックリと高く手を当ててみれば、どこともなく脹るようにて脹るにもあらず。掌の下にこるかと云う気味にあるものなり。此の腹の人は虫積の外候備わりてあるものなり。外候の詳なることは虫積の時に語るべし。

 腹の痞を按ぜば、水面に物を浮きたるようにて手に随いて移る。下して取れるものなりと思うべからず。見える時もあり、又隠れる時もあり、全く塊もあり、又腸の脂膜切れて浮かみ出て、手にて按ぜばたわいもなく隠れる。皆悪候なり。脂膜の切れたることは疝の時に告ぐべし。

 又臍下に堅塊の処々へまわることあり。是は指してかまいにならぬこともあるべし。悪くすると小便不利することあり、転胞の因になるあり。詳しくは其の時語らん。


 気急の人、肋骨の動きて 扇(アオグ)如くなるもの悪候なり。急変あるもの多し。心下の真ん中に細(く)動悸のありて鳩尾へうちのぼる人は快寝することならず。腹気上へばかり引きあげる故なり。彼の奔豚の意味あり。酸棗仁湯の茯苓の味、考え知るべし。

 さて積持ちの夜ねらぬと云うは、空腹になるほど気がすんで寝られぬものなり。元来病しき故に食の塩梅も常ならざれば、空腹になりたると意もつかぬものなり。其の大概をみて、是には臨臥に軽き茶漬(ツケ)けなどを食せしめると睡りを催す。腹気がぢっと落ち着く故なり。


 又小児の遺溺(ネショウベン)するも、腹気引き上がりて少腹の空虚になるゆえ、遺弱するなり。大人も長夜になると度々小便に起きるは下冷する故なり、と云いておけれども、是も腹気の引き上げる故なり。

 臨臥に餅か厚味の魚鳥の類を食すれば、其の夜起きず。小児の遺溺も厚味の食にて其の夜は止むものなり。是腹中実して腹気の引き上げぬ故なり。淡味にては早く消化するゆえ、深更に至れば、睡中に空腹になりて腹の引き上がる故に頻数は止まず。

 さて又早起きして直に朝食を食することのならぬ人あり。是も積気のある人なり。寝口ゆえに食のならぬと云えども、睡中に空腹になりて腹気引き上がりて積気の動くゆえ食事しにくし。昼も空腹をこらえ過ぎて、却って食事のならぬことあるものなり。やはり此の意味なり。

 静かに朝茶にても飲み、起歩する内に腹気もゆるみ食事がなる。終夜食せぬものゆえ、睡中に飢ゆるの理は、諸の治療に考え合わせて助けになること多し。

 誰々も積持ちなれども、夜は快寝、或いは早起きしても食のなるなどと一概に云う人とは談することならず。

 人の性によりて消化の厚薄もあり、大食すれば翌朝の飯は待ちかねるほど空腹になるを、昨夜腹を食い広げたる故なりと云うことあり。是は飽食にて睡中に空腹にならず、腹気実して醒める故に翌朝よきほどの腹の塩梅故、飯のうまく食えるなり。

 さて又動悸あれば上(ウハ)づりに成るものと知るべし。上逆して耳のドンドンと鳴ると云うなどは、やはり動脈の耳中にてうつ響きなり。心下の悸ある人は眩暈するものなり。

 几(ツクヘ)上にて書き物して、俄(にわか)に立ち上がれば昏倒するは肩のつかえたるもあれども、先ずは動悸の急に立ち上がりたる故に、一際(ヒトキ)ははげしく心下に逼りたるなり。早く心下を按ぜば昏倒せず。子玄子の禁暈術の意を解すべし。

 又奔豚気の味も知るべし。心下に言ぶんのあるは、多くは気を塞ぐ。故に或いは立ちくらみなどして、気を失うこともあり、苓桂朮甘湯の意味知るべし。


 腸癰(ちょうよう)は腹候にて決するものなり。臍下少腹の辺に塊ありて、指もつけることならぬほど痛み、皮膚甲錯するとて潤いなくサラサラとなりて腹痛はげしく腹内雷鳴して、徳利より水にてもこぼす如くの音もあり。又杓にて水汲みかえす如くの音のするは是膿を作したるなり。

 さて指を付けても痛むと云うもの、常の積にもあれども、腫物の膿をもつと云う処へさわるものなれば、痛む様子(ヨウス)も按じた処もわかるものなり。半産に多し。

 産後と食傷の後、腹痛するは油断すべからず、度々ある病気なり。膿血を下してから腸癰なりと云ては医者の見識はなきなり。猶詳らかなることは腸癰の時に語らん。

 塊物を下す事、至て手際の入ることなり。又大事のことなり。大概は下らぬものなり。又自ら下ることはあるべし。塊物の臍以上にあるは益(ますます)くだり難し。

 婦人の塊下りやすし。撃ても攻めても動かぬ塊は必ずつよく長戦はならず、命までを攻め殺すなり。大積大聚は侵すべからずと古も言えり。夫れ故害をなさずば大概はこらえて無理に療治すべからず。


 姙娠の見ようは腹候第一なり。子玄子の産論並びに産論翼に詳なれども、賀川家に親炙して学ぶべし。委しくは猶、婦人の病論に詳らかに語らん。


 さて心得の一条は、病にての経閉は不順の至り、瘀血の為すことなれば腹にも云分あるべきに、腹候に心にかかるほどの悪候もなく常に不順にもなき、経水の滞りたらば妊娠なりと知るべし。二月目にては知れかねるも多し。

 又崩漏脱血の後、娠むこと産論にもある通り、時々あることなれば心を用いて兼日のことを尋問して参伍すべし。

 常に腹の鳴りて下りやすき人、動悸もありて胸膈に痞えて心下うるさく、気を塞ぎ、肋骨の下通りを按ぜば腰の方へ響くは疝気なり。

 さて疝積はいろいろの証に見ゆるものなり。気を塞ぐ人は気を付けて参伍すべし。疝積多し。旧腹痛も旧痢も水腫にも疝を療じて功を得ること数々有り、疝は人々にあるものと知るべし。

 手足の不自由か、引きつるなどの類は皆腹に根本の塊物あるものなり。左にあれば左あしく右にあれば右あしし。必ず手足へ目を付けては治せず、腹部にて病根を除くべし。

 中風は全く此の因より発す故に、名義は叢桂偶記に詳にすれば読みて知るべし。中風の腹より発すると云うことは素問に、「岐伯曰く。病、伏梁と名づく、此れ風根なり」とあるは即ち此の意味なり。

 水腫の腹満したるに臍の凸に出ることあり、凶候なり。腹満・鼓脹にも凸出することあり。臍を按じてみれば、あちらこちらへ移るなり、又悪候なり。また小児の啼泣するもの凸出するは、その啼泣するの因を極めて夫オさえ治せば、臍は低くなるものなり。夫れ故小児には凶悪とせず。

 水腫にも脚気は猶更心下より水気を催すもの故に、心下を候えば未病を治すと云うほどに早く知るるなり。是は数人を見て、指下に水気の手ざわりを覚ゆるを第一の要とす。

 腹は衣被の中にて候するもの故、眼(に)みるべからず、又腹の水気、初起は按じたる跡は皮下につくのみにて、手足の様にありありとくぼくはみえず。此の事を知りて候すべし。

 婦人は肌に手のつくことを嫌うゆえ、医も亦是を憚(はばか)りて衣を隔てて候するときは知ること能わず。高貴の人は猶更此の行いありて腹候自由ならず。故に弁胎などには甚だ誤ることあり。左右に報して衣を隔てずに候すべし。

 又初起の時、脚脛の内通りの骨上を按じて其の跡を指にて撫でれば、肉に指跡くぼんであるなり。目にて見ゆるまで知らずにいては医と云わんや。手馴るれば指を下せば手ざわりにて知るるなり、撫でて見るに及ばず。然れども初心にては知れざるものなり。精神を用いて診候すべし。

 暗夜に脈を診しても、寸口に水気をもちたる肌は手ざわりにて知るものなり。白日には三指の跡、三部に窪んで見えるものゆえ、病者の手を引き込むのとき、心をつけて見つけて用に立ちたることも数々なり。 

脉 論

 本文は、近世漢方医学書集成18・19の「叢桂亭医事小言」(1)(2)を底本としたもので、できるだけ原書に忠実であるよう努めながら、以下のように改めてテキスト化したものである。

  

  1.原文中のカタカナを平仮名に書き換え、現代語に近くなるようにした。

  2.おくりがなは、現代文に通じるように改めた。

  3. 原文中の漢文は、読み下し文に改めた。

  4.文集のカタカナのルビは原文の記載をそのまま記載した。

  5.筆者ルビは、ひらがなで記載した。

  6.句点は、筆者の読みやすき所に置いた。

  7.本文中の引用箇所は、筆者がこれを追記し括弧でくくって表記した。

 

 脉 論  

 

 脈は医門の大綱にて死生吉凶を決するの根本なり。即ち四診の切の字なり。必ず病状を知るの具に非ず。素問難経に其の論詳(つまびら)かなれば熟読して知るべし。

 去りながら悪く泥めば一向に役に立たず。脈は至って初学には知れかねるものなり。猶更知れぬものと云う心得にて見ては更に用に立たずと云うほどの事なり。 

 

 素問に脈の動静を切し、精明を視て、五色を察し、五臓の有余不足六府の強弱形の盛衰を観て、此れを以て参伍して死生の分を決すと。(素問・脉要精微論)

 又云う治の要極は色脈を失すること無し。之を用いて惑わざるは治の大則なりと云うにて考えれば、必ず脈許(バカリ)にて察するものに限らず、脈と外候を参考して死生は決するものと知るべし。 

 

 さて四季の脈は弦鉤毛石と四つなれども、初学の人にて知れることに非ず。況んや二十四脈に至ては益々繁くて並々のことに非ず。

 古人も夫れ故、七表八裏を分け、或いは六脈を以て平日の用に立てるの説なれども、つまる処が指三本の下にて一皮かむりてあるものを探るなれば、知りがたきも尤なり。

 脈を取る専要と云うは、胃の気を候うが専一なり。胃の気なければ弦鉤毛石も浮沈遅数滑濇も死脈となる。

 素問に云う平人の常気は胃に稟く。胃は平人の常気なり。人に胃気無きを逆と曰く。逆なる者は死す。(素問・平人気象論)

何れにも胃の気たしかなれば、なかなか病人が急に死するものにてなし。 

 

 さて其の胃の気と云うは形はなし。四季の脈は弦鉤毛石と皆形をとけり。六脈も浮沈遅数滑濇と皆形状あり。されども胃の気なければ死脈なり。さすれば胃の気と云うは形のなきものと云うこと知るべし。

 如何様(いかよう)の脈にても胃の気が大切の見処なり。死生を決するの要務にして精神を指下に用いて脈を診すべし。何れにも脈を候(ウカガイ) たきほど取りて、指を重くして骨に至る。是を難経にて腎脈の部とす。

 夫れを今一つ押してみれば、尺部に押し切られても関か寸の部に脈がひびく、是を胃気の脈と云う。脈の形は何れにもせよ押し切られて脈の通ぜざるが胃気なしとす。

 是脈力の無きにて脈力は元気の粋なり。乃ち胃気と称するものなり。其の脈の胃気なきは猶更長病人ならば油断はならず。如何ほど病勢強く見ゆるとも、胃気があらば手段は尽たると云うべからず。

 さて是も功を積まねば胃気があるようにても無きこともあり、無きようにても有ることも有り。

 平日心を深く用いて平人の脈にて取り覚えるべし。是先君子、清漣先生の教えを奉ずる所にて、今に至りて多試多験なり。脾脈と云うも胃気のことなり。脾胃ともに一同に論じてある。 

 

  難経に云う呼は心、肺とに出る。吸は腎、肝とに入る。呼吸の間、脾は穀味を受けるなり。其の脈、中に在りと云うを見て、一呼再動、一吸再動、呼吸定息脈五動、閏するに大息を以てする(素問・平人氣象論篇)の大息を、中に在りと云う字面へかけて、脾の候なりと云うは悪しし。

 既に四臓は皆形を説き末に至りて脾は中州故、其の脈中に在りと云うにて、大息のことにて無きことを知るべし。

 又十五難に脾は中州なり。其の平和は得て見るべからず。衰はすなわち見るのみ。是大息のことに非ず。又常に形のなきことも考え知るべし。来ること雀の 喙(ツイバム) が如く、水の下漏(モレル)が如く、是脾の衰るの見(アラワ)るるなり。

 是脈のきざみ、一つ一つに切れて続かざるの形なり。胃気あるは何ほど押し切りても押し切れぬ故、一つ一つになることなし。雀(スズメ)の喙すると水の漏(モリ)たるようにはならず。是胃の気のなき故なることを知るべし。

 さて又胃気の脈は和緩なるを指して云うなど云いし人もあり。又素問に四季の脈へ微の字を帯びて論じてある處もあれども、是は別に説あることなり。事なかければ爰(ここ)に論ぜず。兎角胃の気の脈に形はなし。

 素問にも帝曰く、脾の善悪は得て見るべきや。岐伯曰く、善なる者は得て見るべからず。悪なる者は見るべし(素問・玉機真蔵論)と形のなきこと考え知るべし。 

 

 脈に打ち切れと云うありて、素人も知りて恐がる。去(さ)りながら一通りの打ち切れて死ぬものに非ず。積のある人か老人の血液燥枯して、うるおいのなき人には常にあることなり。脈許りにてもなし、一身の動気が一様に打ち切れるなり。

 成る程いやなることなり。然れども驚くことにあらず。是は結脈とも促脈とも云う。結は緩脈の打切りなり、促は数脈の打切りなり。死脈に非ず。

 難経には五十動にて一止するは一臓のかけたるとあれども、今病人を診るに、五、六動にて一止するか、七、八動、或いは一、二動にて一止するもの多し。

 難経の説なれば五臓の気皆尽くしたりと云う所なれども、必ず病人死するに限らず。 

 又今時の医者は五十動を診するほどは脈を取りて居らず。握ると思うと直に放す。夫れ故七、八動の打ち切れも見つけぬことあり。

 真の打ち切れは古に代脈と云うものなり。代の字義によりて考えれば、かわると云う意なるべし。数脈が一止すると急に遅脈になり、大脈が一止すると乍ち細脈になるの類なるべし。是は大病人には折々有る事なり。是こそ死にちかきと知るべし。

 されども傷寒論に云う代脈と云うにはかなわず、是は文にわけのあるなるべし。初学の人、打ち切れに驚きて療治に臆することあり。よくよく心得べし。 

 

  三部にて病状を診得(ウカガイウ)るの法は、関前寸部より脈の形すすんで魚際へのぼるほどに見ゆるは、上衝頭痛眼疾耳鳴眩暈の類とす。

 関部にわるく力があるか、脈のきさみ(刻み)か知りかねるの類は腹部のしつらいとなす。尺部の脈に力ばかりて尻はりなるは腰脚足脛の病となす。左右は左右を分ける。是に心を用いて候学(ウカガイマナヒ)は大概はわかるものなり。 

 

 近来の流行にて、脈などの事に骨を折れるは見識の無きように成りたるは、古方家以来の幣なるべし。初学の輩は精神をこらして工夫をなすべし。

 されども脈ばかりみて他候にかまわぬ医者あり。夫れでも知れるならば勿論なれども恐らくは知れかねるならん。余は参伍しても洞見することならず。また前条に引証する通り、素問の診法にそむけり。 

 脈の虚脱して取りにくく様子(ヨウス)も衰えて何から見ても大病と知れるあり。病人は一向のこと指して工夫も入らず。

 只恐るべきものは数脈なり。急卒の病に至りて数ならば油断(ユダン)はならず。小児は勿論なり。驚証などになること数脈より変ず。大人とても数の甚だしきは急変を生ずることあり。

 得と胃気を候い外候へも参伍すべし。新病旧病の差別なし。去りながら熱あればいつにても数脈は表わすものなれば、よくよく精神を用いて取り得べし。さまでもなき熱を臆して治しそこねぬ心得すべし。又平日無病の人にて数脈なるは労瘵の催しなるもの多し。 

 

 脈衰えて長病急病の別なく、頻りに大被を重く覚えて覆することならず。薄着にて臥することを好むは大切なり。極めて胃気を候すべし。絶えて有るもの多し。外見はよくとも油断すべからず。

 又肌は冷めて居ながら甚だ熱を覚えて、昼夜衣被(きぬかずき)を発開し覆することならぬものあり。冷汗などあり、四肢微冷する類、傷寒論の病人身大熱し反って衣を近づけんと欲するは、熱皮膚に在り、寒骨髄に在るなり。身大寒し反って衣を近づけんと欲せざるは、寒皮膚に在り、熱骨髄に在るなりと有れども後人の論説と見ゆる。仮寒真熱、仮熱真寒と医籍にあり。(傷寒論・11条)

 ※衣被(きぬかずき)・・・単衣(ひとえ)の小袖(こそで)を頭からかぶったもの。

 又活人書(傷寒活人書)に先ず陽旦湯を与へ、後に小柴胡を与ふ。先ず白虎を与へ、次に桂麻各半湯を与ふるの説は空理を以て論じたるなり。是極虚の候にて長病の老人、小児の痢後、死に近しなどに多し。虚熱陰火などとも云うべきなり。脈形悪きは猶更なり。指を屈し死を期する悪候なり。 

 ※陽旦湯・・・桂枝湯のこと

 脈と証と合わせぬは凶兆なれども、一定の看法に仕がたし。悪証にても脈よりとりすがりて療治することあり。此の時は証脈の合わせぬを佳とす。又脈は悪けれども病形よろしき故、一手段つけて治すること日用の事なり。定法とすべからず。取捨に巧拙の入る所なり。 

 

医 学

 本文は、近世漢方医学書集成18・19の「叢桂亭医事小言」(1)(2)を底本としたもので、できるだけ原書に忠実であるよう努めながら、以下のように改めてテキスト化したものである。

  

  1.原文中のカタカナを平仮名に書き換え、現代語に近くなるようにした。

  2.おくりがなは、現代文に通じるように改めた。

  3. 原文中の漢文は、読み下し文に改めた。

  4.文集のカタカナのルビは原文の記載をそのまま記載した。

  5.筆者ルビは、ひらがなで記載した。

  6.句点は、筆者の読みやすき所に置いた。

  7.本文中の引用箇所は、筆者がこれを追記し括弧でくくって表記した。

 

叢 桂 亭 医 事 小 言 巻 之 一

 

 原 南 陽 先 生  口 授

        

          門 人 水 戸   大 河 内 政 存 筆 記

          常 北         丹 彜 校 正

 

 

   医  学  

 

  医の学び難きことは、儒学と違い正典の無き故にて、世々の医師、其の見る所に依って己々の見解を以て道理を推して薬験を試みて、是にて違いなきと思う所を説き出す故に、多端になり、後学の者は何れに適従することを知らず。

 また何れの書も方薬を取りて用いるに一つ二つは異験あるものなれは、文盲の人は書に載りたるほどなれば、これに極めて他を顧みるに及ばずと思て励(ハゲマ)さるに至る。畢竟(ひっきょう)徴(シルシ)を取るの書なければなり。 

  ※異験(いげん)・・・ふしぎなききめ。

 

  内経難経は古書なれば徴(しるし)を取るべきものなれども、是又聖経と違い後人の作を雑えて五行に陥り、治療の際に至りては却って害になることも多し。然れども内経は古書なれば要語各所に散在す。故に悉く読(ヨマ)まねばならず、また悉く取ることならず。 

 

 程子の説に、此の書戦国の間に成(ナレ)りと云うは、大儒の見にてさも有るべし。 

 また淮南子(えなんじ)と同作ならんと七修類稿に見ゆ。また徂徠先生の素問評には各篇に文章の違いあることを評せり。此の如くなれば一人の作にては無きと見えたり。 

 

 愚按ずるに、家語(孔子家語)の文にも似たる所多し。また三、四部を集めて素問内経と名づけたりと云う説もあり。

 史記の倉公伝に、公乗陽慶、尽(コトゴト)く黄帝・扁鵲の書を収(オサメ)て淳于意に伝う。是脈書、上下経、五色診、奇咳術、揆度陰陽外変、薬論は石神接陰陽禁書なりとあり。また受読んで之を験することを解くこと一年ばかりなるべしと云うにて見れば、今の素問霊枢の事ならんと云う説もあり。 

 

 また後漢の鍼医、郭玉が師を程高と云う。程高が師を涪翁(ばいおう)と云う。涪翁は其の出る所を知らず。常に涪水に釣りするに因って涪翁と号して、其の術、世に称せらる。鍼経・診脈法を著して世に伝う。

 疑うらくは今の素霊・難経の書は涪翁の著する所ならんと云う説もあり。つまる処が明徴なきことにて其の人々の見なり。何れにしても一部中に一理に成り難き所ありて、是を註するに同意にせんとするは不案内なる事なるべし。 

 

  難経は一人の作にて、是も古書なれども、全く今の素問を読みたる人にて無きと思う所あり。難経を療治本なりと云う古説あれども、今古学力の異(こと)なるにや。

 さて此の如き事は鹿門先生の医官玄稿に論じて詳らかなり。医書の考は医官玄稿みて知るべし。

 また近ごろ桂山先生の素問解題に家々の説を具せり。黄帝岐伯の自作のように覚えたる目にては、古今論弁しても、盲者の五彩に於ける斉し。方薬は素難二書に出でざれば、今の治療には其の道理を 弁(ワキマヘ) るのみなり。 

 

 方薬は仲景氏の傷寒論に出たるを医方の鼻祖(ハジマリ)とす。仲景氏の事跡、並びに傷寒の名義のことは先に著す所の叢桂偶記に詳らかに載せたり。

 蓋し仲景の組み立てられたる方なるや、また後漢の頃まで通用したる古方なるや、其の徴する所無ければ仲景方と唱える外に云うべき言葉なし。

 ややもすれば古方は今の人に宜しからず、と云うことを以て口実となし、権貴の後庭(オクカタ)、或いは富饒(ふぎょう)の人を惑(マヨ)わす。一体病にも古今無く、人身にも古今の相違なし。 

 世人或いは言う、古人は質朴にて寡欲なり、故に肌膚五内も厚しと。是また古今のわけには非ず。古より天地に変わりなければ天地の間に生育する人間に違いあるべき理なし。

 若し違うとならば、天地の間に生産する薬石草木も其の性柔らかに成りて、人間とよきほどに釣り合うべきの理なり。豈に夫れ人間ばかり天地古今の違いあらんや。

 


 今を以て見るに、市民は奸巧(原文はf:id:ichinokai-kanazawa:20200128130222j:plain意味を推測して改める)れば風俗によりて古今によらず。病に至りては風土異なれば病を異にす。是れまた古今の違いたるに非ず。淳朴の民は五内厚きに非ず。奸巧とて脾胃薄弱に非ず。

 厚薄は禀賦(ウマレツキ)に在りて、山民必ず壽(よわい)ならず、市民必ず夭(よう)せず。余嘗て医訓と云う文を書きて是を論じたりき。 

 ※奸:おかす、よこしま  ※巧:たくみ、たくむ、うまい

 

 さて傷寒論も全書にあらざることは、先輩往々是を論ずる通り、闕文・錯簡多くありて、王叔和(鄭樵が通史氏族略に曰く、周の王叔虎(カ)之裔なり。王叔を以て姓と為し、此れに因りて之を観れば王叔は複姓なり)撰次を経て今に伝うと雖も、王叔和の文も本文に誤入して、今の本は王叔和の撰次せられたる時の本とも違うなり。

※撰次・・・選んで順序だてること

 然しながら、此れ傷寒論に熟せざれば湯薬の始まる所を知る事能わず。古今の方の変化を見分けることもならず。よって余が門にて初学の童子には、先ず傷寒論を暗記さするなり。

 治療は傷寒こそ治しにくし。表裏の証あればなり。此の病を理会すれば、其の他は准じて治療成るべし。また傷寒は証を以て之を治するものなれば、方証相適することを貴ぶなり。

 譬えば詩を作り歌を読むより、連歌俳諧に至るまで古人の句を広く覚えて居る故に、自己の句は胸中より出れども、古人の句を覚えたる力を以て佳句の出ると同前にて、胸中に種(タネ)のなき人にては句弱くて下手なるものなり。 

 

 医療も其の通りにて方証のこと胸中に無ければ下手なる道理なり。傷寒論に熟したる人は仲景の風に方もつき、万病回春に熟したる人は龔廷賢(きょうていけん)の様に方もつく。

 則ち唐を学べば唐詩に似、宋を好めば宋風に出来る。其の格調は人々異なれども、平仄(ひょうそう)・韻字は違わず、詩は詩なり。

 此の理と医療も同味なり。然るときに初心の人、回春(万病回春)などに拠(よ)れば、桂枝麻黄の所へ参蘇飲・敗毒散と処剤すれば、唐と宋との風に違いたるばかりなれども、見えもせぬ所に工夫が附いて、新婚、或いは妾の多きを見れば水蔵不足を兼ねたりと思い、劇職(イソガシキ)の人を見ては気虚を帯びたりと、邪毒盛んにして脇目も振ることならぬ最中に他証の方を投ず。凡そ百の事、両端を持して宜き事無きにて知るべし。

 是を以て初心には傷寒論より学ぶばするは表裏の規則を知るのためなり。眼前の敵を敗(ヤブ)れば民の塗 炭(トタンナンギ)は、仕方の有る道理なり。先ず傷寒を治して腎虚気虚は後に治すべきなり。是にて平仄(ひょうそく)の違わぬ療治なる所なり。 

 然れば回春を読むは悪しきかと思えば、五宝散など云う神方は多くの先達回春より取り用いるを以て、回春も読まねばならぬことは知るべし。 

※平仄・・・漢詩や駢文(べんぶん)で、声調の調和のために規定される平字と仄字の配列法。つじつま。順序。

 

 鍼灸は病によりて湯薬より奇験の有るもの故に常に学び置くべし。譬えば卒倒・驚風などは灸の力を第一とす。別て小児に異験あり。其の妙、一々に説きがたし。 

 

 さて治療の際に臨みては、経絡に拘(カカワラ)らずして新作意(オモイツキ)にて鍼灸しても効をとることも有るべけれども、其の法を了解(ノミコミ)して後には新作意にて灸も鍼もなるべし。先ず其の法は甲乙経にて学ぶべし。古書なればなり。

 何故にや吾が医道は古書より学ばずに末書より教えるにや、是先にも云う。正典の無き故に十四経・大成論・格致餘論などを先に読ませて、下手(ヘタ)になれなれと仕込むなり。

 古を学ぶを学者の要とす。儒の四書五経を教える、則ち其の法なり。古書は是より古書なるは無し。終えて左国史漢(春秋左氏伝、国語、史記漢書)或いは老荘列(老子荘子列子)などと次第す。

 其の後には末書も思い思いに学ぶ。見識是に開けて修身の業成る。之を大いにしては治国平天下なり。是稽古と俗に習う事に唱える通り、古よりするを学者の法とするに、経絡は十四経によるは如何なる事にや。甲乙経は素問の考になる書なり。 医官玄稿を読んで知るべし。 

 

 兪穴は余が著す所の経穴彙解(いかい)にて学ぶべし。銅人形にて学んでは悪しし。古書は皆頭面・腹背・手足にて穴処を分けたり。十四経行(オコ)なわれてより各経にて分けるなり。経を以て分けたるは外台秘要に創(ハジ)まり、奇穴の任督に脈を加えて、十二経を十四経にしたるが滑伯仁が作意なり。

 夫れ兪穴は人身の骨隙(コツゲキ)・陥罅(カンカ)・分肉宛々(エンエン)たるを尋ねて之を知るなり。必ず分寸に拘らず、皆骨空・分肉に求む。故に銅人形にては方角ばかりを知るのみにて、治療に至りて実地にかからず。分寸は其の大概(ガイ)に備う。詳らかに経穴彙解に備論せり。 

 ※罅・・・ひび、すきま の意

 

 四診と云うは医家、病を治するの大綱にて、是を捨てては何れにも療治することならず。四診は望聞問切なり。

 望とは病者の顔色・肥痩(コエヤセ)・盛衰等をのぞむ。聞とは苦痛するや、五音や咳嗽するや等を聞く。問とは苦しむ所、飲食の多少、二便の利不利、病前よりの事、病者の問わざれば言わざる所を問う。

 以上にて病証・病因を識りて之を詳らかにして、其の後に脈を診する。是を切と云うなり。そこで病の軽重・安危を知る。仍(より)て病名をもうく。

 脈を切にするは吉凶・安危のほどを知り、治と不治とを知るの用にて、脈にて病を知ることの用には非ず。 

 

 譬えば咳嗽寒熱を患える人あり。此の証は是労瘵(サイ)になるべき病体なり。此れにて脈を切にするに、其の人の脈細数なれば難治とす。脈浮数にてあらば発汗して治すべしとす。是労瘵には非ざる故なり。

 乃ち切の所にて定むるなり。脈にて病証を知るものと思いては悪しし。吉凶・安危を知ると云う所か、至って容易に知るべきものに非ず。

 此れに苦心すること多年、仍(かさね)て腹診を参伍して診脈の助けとすべし。腹診も意を留めざれば知れがたきものなり。 

 

 死生、命有りと云うは聖人の語にてあれども、其の命の来るや来らざるやは誰人にても知れず。また命数かぎり有るものならば、病とも安然として居るに極めて宜しからんに、飲み難き薬を飲んで病を治するを以て見れば、治せば生き、治せざれば死の理なり。

 天命常なしと云うものにて、不養生・不用心なれば天命を終えること能わずして半途に死す。其の死するにまた禀賦薄弱にて老壮に至ることのならぬ人もあり、是等を天命と云うべきなり。

 人の病する時に、是は治すと治せざると預(アラカジメ)知りて療を施(ホドコス)を医と云うべし。治すか治せざるかを問わず、此の証をば此の薬にて治すべしとばかりにては、薬を飲むは医者を頼むに及ばず、書籍にあるままを薬店より取り寄せて飲むと斉(ヒトシ)からん。

 夫れ医緩(いかん)の晋侯を診するも、扁鵲の虢(かく)の太子を診するも、皆預(あらかじめ)死生を知る。是れ古(いにしえ) 名医の行なう所にて、今に至りて医たるもの、精度沉思(イッシンフラン)にて学び習(ナラウ)うべきの手本なり。

 さて死生を云えば二つなれども得と味わえると一つなり。死なれども生なれども、はっきりと片々知れば夫れにてよし。

 死すと知れば生の理なく、生と知れば死の理なし。死生を詳らかに知て人命を療ずべし。其の死生を知るは脈より知りやすきは無し。さて脈ほど知りがたきは無し。

 故に望・聞・問・切と腹診を参伍して是を定む。死生さえ明らかに知るれば天下に畏るる所なし、鬼神をも哭(ナカス)せしむべし。 

 

 余が学ぶ所は方に古今無し。其の験あるものを用ゆ。されども方は狭く使用することを貴ぶ。約ならざれば薬種も多品になる。華佗は方、数種に過ぎずと云うは、上手にて面白きことを味わえ知るべし。

 其の源を取りて病を理会(ガテン)せば、一方にて数病を治すべし。褚澄(ちょちょう)(褚氏遺書)の善く薬を用ゆる者は、姜に桂の効ありと云いしも此の理なり。

 何ほど奇験の神方にても用ゆる場悪しければ寸効なし。偏(ヒトエ)に運用にあり。広く方を尋ぬると繁雑になりて悪しけれども、博く方法を学んで、是を約にするを第一の学問とす。

 用ゆる場よければ生姜が肉桂ほどな験をなすとは、能々(よくよく)解了すれば将棋の如し。上手の指す駒も下手の指す駒も、其のききようは変わらず。同じように動(うごか)すうちに、歩兵は金銀よりも働きをなす。則ち此の理なり。

 下手のつけた桂枝湯も上手のつけた桂枝湯も同じ方なれども、下手なれば、つけた所ばかりなり。上手のつけたる方は、外の所に響(ヒビキ)を以て、誰も同じくするように見える中に効を取るなり。 

 

 世に古方家なるもの出てより、医の眼目を開き、今は人々仲景氏の方を使用することを知る。偏(ひとえ)に古方家の功なり。 

 名古屋玄医と云し人は丹水子と号して、至りて功者の大家なりけるとなり。医方問余、難経註疏、と云う書を著し、附子を多く使用する療治にて、痢病に逆挽湯とて天下に弘(ひろ)く通用する方は、此の丹水子の方なり。

 此の一事にても其の功しるべし。弁証録にも大瀉門に逆挽湯(ぎゃくばんとう)と云う方を出せり、此れと同名異方なり。

 其の方、人参一両 茯苓二両 大黄一両 黄連三銭 梔子三銭 甘草二銭 水煎服一剤。

 腹痛除き、瀉もまた頓に止む。此の方、人参を用いるは、以て其の脾胃の気を固め、則ち気、脱驟(しゅうだつ)に至らず。然るに最も奇なるは大黄を用いるに在るなり。〇丹水子の逆挽湯は桂枝人参湯に茯苓、枳殻を加う。 

 ※脱驟・・・にわかに漏れ出る

 少しく仲景を用ゆるの意ありと云う時に、後藤艮山先生は佐一と称す。後藤又兵衛が末の由なり。

 先生弱冠より心中に日本にて第一の座に居て第二に続けざる、上座のことをなさずば生まれても甲斐無しと思慮するうちに、其の中、仁齋文学の名、海内に溢れる。此の上に立ちがたし。

 僧は戒行(かいぎょう)にて世に勝れんも安かるべけれども、深草の元政を其の頃、如来の再生と人いえば其の上に座しがたし。

 医は今、其の人無きことに人を救う術なりとて、丹水子の門に入って丹水子に学ばんと、鳥目一貫文を携え束脩(そくしゅう)となして、入門せん事を乞う時に、都講(ガクトウ)其の常式に協(カナ)わざるとて其の入門を許さず。

 佐一大いに怒って一貫文を地に投じ、押付(おっつ)け此の門を傾けて見せんと言い捨て去りにけると。後に苦学独立して古方家の元祖と仰がれたり。

 先生治療を初められしときより、沈痾・癈疾、世医の難治として捨て置きたる者の治したるを見て、有志の輩一時に競争して門下に馳せ加う。故に高名の門人多し。其の書は病因考、師説筆記あり。また傷風約言、艾灸通説など云う書、家に出て子孫に人物乏しからず。 

※束脩・・・入門の謝礼 ※都講・・・塾頭 ※沈痾(ちんあ)・・・なかなか治らない病

※癈疾(はいしつ)・・・身体障害を伴う回復不能の病

 さて後藤の門人に数輩の豪傑を出せり。其の一人は山脇道作東洋先生と号す。外台秘要を刻し、蔵志医則を著す。中風を熱癱癇(たんかん)を云う所より考えて、多く石膏を使用す。

※癱(たん)手足が麻痺して動けない病気。癇(かん)ひきつけ

 

 また一人は香川太仲秀庵先生と号すれども、堂号世に高く聞こえて一本堂と称す。

薬選、行余医言、医事説約の著あり。艾灸を以て多くの沈痼を療ず。

※沈痼・・・長年の悪習。長患い。

 

 また一人は松原圭介と云い、此の人はさせる著述も無きにや、経験の家方を記したる書のみを見たり。

 其の門人に吉益周介東洞先生と号する人出て大いに高論を吐き、建殊録、薬徴、方極、類聚方等の書を著す。今世に古方と云えば吉益流のようになりたるは、全く吉益の豪傑によれり。別けて下剤を好む療風なり。

 此の頃京師(けいし)古方大いに行なわれて、四方の書生競い学んで海内の療治の風、爰(ここ)に一変す。世に四大家と云うは後藤・山脇・香川・吉益四流を指す。其の意趣家々に異なり。 

 

 山脇の門人に永富鳳介(ほうかい)と云う人出て、赤馬関獨嘯庵と号す。京師の俚言(りげん)に、人の心のままに任せずもとれる人を広く指して毒性(ドクショウ)と呼ぶ。蓋(けだ)し其の唱の同じきを以て此の如くば号せりや。

 此の人、越前にて奥村良筑と云う人に従って吐法を受けて上京し、東洋先生に語れば、先生大いに嘉(ヨミ)し、嫡子東門先生を遥かに越前へ下し吐方を学ばしむ。良筑教えて曰く、吾子(あこ)こそ吐すべき証候具せりと云うより徒(タダチ)に上京して東洋先生に其の侯を告げ、また越前に下向して吐薬を試みたり。 

※吾子・・・わが子

 本邦にて上古は知らず、吐流は此の良筑翁より創(ハジメ)たり。一代の内に一人も薬を乞うもの無く、絶したること両度ありと。されども泰然として吐を以て名医と呼ばれる事、其の人物を思うべし。

 独嘯庵、活達雅量にして、吐方考、漫遊雑記を著す。書中に人意の表に出たる所多し。山脇の塾に居る時、三条橋上に酔臥して奉行所より通達ありて引き取ることありと。其の任誕(ヤリッパナシ)なること斯(この)如し。然れども書生を励まし、人才多く出来したりとぞ。上の著述を読まずんばあるべからず。 

 ※任誕・・・中国古書『世説新語』中の竹林の七賢の逸話。世俗にとらわれないことの意。

 凡そ人の平生無事の常体は一身の陽気は外へ疎通するものにて、其の気閉塞(フサカル)し、内壅したる所の出来したるが病の起こる所なり。少しの滞にても閉塞して通暢せず、夫れを順行するように療治するを医薬と云う。

 夫れ人の毛孔九竅(キョウ)は、みな発泄(モレル)の具なり。其の大なるは口鼻二陰なり。呼吸を止むれば死し、二便閉れば病むは人皆是を知ると雖も、周身ともに疎通を以て無事に居ると云うことは弁じかねる人多し。

 冬天清朗なる時に人の日向(ヒナタ)に在るを見れば、気の上に昇る影見ゆる。是は皆毛髪の孔より疏するなり。

 一身陽気外へ張りてあれば、寒暑風湿ともにうけず、睡眠するときは陽気張らずして沈む。故に衣被を発開すれば病を受ける。仮寝(ウタタネ)すれば少しの間に風を引く。

 酒の醒際(サメギワ)に外感するも、荒業(アラワザ)力作して裸(ハダカ)になりて騒ぐ中は、陽気大いに表へ張る故に風寒も知らず、休息する時に俄に風を引く。即ちこの理なり。また空腹なれば周身の気張らず、故に外感するも同理なり。気張ると張らざるとにて諸外感皆爰(ここ)に起こるなり。 

 

 さて邪を受ければ毛孔閉ずる故、気は表へ通ぜんとして出ることならず。故に周身皮膚の泄する所を尋ぬる時に、気升降してゾクゾクと悪寒す。其の時に毛孔へ泄れ出んとすれども、閉じてある故に張れあがりて粟起す。是を鳥肌(トリハダ)と云う。発汗すれば外へ通暢する故外邪去るの理なり。

 この処を解しそこねて日を移せば、陽気外へ泄らすことならぬ故に内に欝す。外に泄れて出ることならぬと極むれば、升降して出路を争うの気止む。其の止む時に悪寒去りて熱ばかりと成る。ここが表症なきと云う場なり。

 夫れ故、往来寒熱は半表半裏と云うにて、外に達せんと云う気の猶残りてあるうちなり。胃中猶陽気を外へ敷くことの勢い有る故なり。

 また壮年の人、天井の低き所に長座し、或いは頭巾笠など着ては昇る気を押さえる故に、欝して煩わしくなることあり。湯気(ユゲ)のあがるも同じなり。兎角に疎通せねば陽気閉じて欝する故に熱になる。是発熱するの訳(ワケ)なり。 

 

 さて其の陽と云うは何処より出来るものなれば、胃より出づると見ゆ。水穀胃に入りて陽気を造り出すことかぎり無く止むとき無し。是を表へ通ずるが平生無事の姿なり。 

 陰症となれば表を閉じたる邪気、次第に深く入って囲む故に、胃より造り出す陽気の通ずる所の分内せまくなりて、陽気も次第に屈伏して一身へ敷く所に至らず。

 そこで一身の端々へは一向にとどき合わぬ所が、手足逆冷、鼻尖も冷えるなり。是手足まで陽気のとどかぬ故なり。附子を用いて胃気を助ける意味知るべきなり。 

 

 また腫物を発せんとして寒熱するも、周身の気通暢せざる処の出来たる故に、陽気欝して熱するなり。また疔発などと云うは何事もなく卒倒するの後に疔を発す。項強背脊強にて卒倒するもの、俗にはやうちかたと云う類、早く血を去れば活す。是欝結を疏したる故に陽気発泄して癒ゆるなり。とかく疏通のよきは無事の時なり。 

 ※早打ち肩・・・急に肩が充血して激痛を感じ、動悸(どうき)が高まり人事不省になる病気。

 盛壮の人、紙子(カミコ)を着すれば欝冒(うつぼう)昏眩(こんげん)するの類、皆推して知るべし。平人、常体を知って後、病体を考え知るべし。気は此の如く泄するを以て無形なり。

 凡そ飲食胃に入れば精気化して気となる。是乃ち人身の陽気にて即ち元気と云うものなり。此の陽気を造り出すこと胃の役にて量なく造り出す。

 其の造り出す陽気を通暢して運動するが人身の常体なり、皆胃の役なり。故に食を絶すれば死するは、胃気尽きて件(くだん)の気を造ることならぬ故なり。

 呼吸の気、二便の利、皆胃より敷く所なり。故に胃気尽きれば陽気尽きるの理なり。 

 ※紙子・・・和紙でできた着物。軽くて保温性に優れている。

 一士人暈倒(うんとう)して縁より堕ちて、庭石(ニワイシ)にて額と唇を打ち破る。抱き挙げるに、本心なきにはあらねども、はっきりとなし。脈伏して絶したるにあらず。

 先ず三黄湯を与えるに、二度飲むと今はよほど快しと云うや否や、疵(きず)つきたる所より血を流す。閉じる所あれば血の出ざるのみならず気の発泄せざる故に暈倒したるならん。味わいて解すべし。 

 

 天地陰陽の道、生育を以て大なりとす。故に産婦の治法を知るを専要とすべし。孫思邈、千金方に婦人科を始めに設けるは此の意なり。生育のことは天地自然の事にて病に非ず。人事の入るべきことには非ざれども、難産に至りては病にて、其の法を得ざれば死す。

 皆是養護宜しきを失し、或いは多欲にて胎を偏(ひとえ)に成し、執作度(ハタラキ)を失い、仆撲躓倒(コロブ)などにて横産するも有り。

 鳥獣は交わるに時あり、人は交わるに度無し。犬猫の類、已に胎を受ければ再び牡を近づけず、其の上卵生、被膜生(しょうじれ)ば四肢の支えなき故に難産無し。

 また多欲なれば産後血熱多く血暈などし、此の血熱日を経て解せざる。或いは風冷などに侵されて咳嗽を加へ、終いに労瘵の状に至るものを蓐労(ジョクロウ)と名づけ難治とす。 

 ※仆撲(ふぼく) 躓倒(ちとう・ころぶ)

 其の倒逆生(しょうじる)は自然に受胎の事にて、順産になすの術なし。子がえりと云うは虚妄の説なり。是は産前腹候して順逆は予めに知らるべきなり。 

 

 子玄子の腹候せらるるを見たるに百中なり。胎の腹内にある形を明(あきらか)に解すれば見はずしの無きはずなり。子玄子一たび出で、千古の惑いを解して、天下始めて産乳の理を知ることを得たり。人事の大要、是を学ぶには、産論并(なら)びに翼の二書なり。

 手術に二十二ありて、回生、鉤胞の二術に至りては筆墨に明(あきらか)にすること能わず。故に翼にも此の二術を載せざるは禁秘したるのみに非ず、未熟にて人を誤り害をなすことを恐れる。此の二術を知らずんば死を起こすことならす。 

 

 子玄子は産論に小伝あり、その神奇の事は今賛(サン)するに及ばず。其の術の始めを語らるるを聞くに、この時より此の事を考えつけて、此の術は始めたり。

 一々に奇異なること人意の表に出ず。只文字の無き人故に其の事、皆俗事より発すれども、暗に紅毛(オランダ)の説に符合するは、天の告げるに子玄子を以てせるか。

 其の頃は紅毛学、今のようには行なわれざる時なり。また常に語(いえ)らく、往時は寒窶(ビンボウ)にて古銅・鉄器を買いて生とす。殆ど窮せり。仍(よっ)て按摩を取り世を渡るに隣店に難産あり。急に作意にて術を設けて之を救う。是を斯道(しどう)の始めとす。四十餘歳の時なりと。

 夫れより十四、五年の間に天下に名を振るい、一家の祖と仰がれたり。其の時より一貫町に住せる故に、また他に移るべからずとて、其の処に隠居す。 

※寒窶(カンク)・・・まずしくやつれること。

※斯道(しどう)・・・人の人たる道。仁道。

 性任侠なることは東門の序文に見ゆ。極めて世の物体(モッタイ)なるを悪む。

※物体・・・ことさら重々しい態度や威厳をつけること。

 或る時、一富商の婦、産後血暈して数名医を迎えるに甦(サメ)ず。雪中に子玄子を延(まね)くにより、常には紫の被風(ヒフ)を着しはなし。目貫の短刀にて駕篭にて出られけるが、其の日には銀拵えの太刀作朱鞘の大小を帯し草鞋をはき其の門に至れば、幾つも駕篭(かご)をならべ供も大勢居たり。やがて玄関にしりうたげし(腰掛て)高く呼びて湯を一つ呉(クレ)られよ、足を洗いたし。

 上工の医者は駕篭には乗れども治法は知らず。賀川玄悦は草鞋(ワラジ)に乗りて来れども、指が一本ちゃっとさわれば立ちどころに治すと、満座の時師(有名な医師)の並居るところを思儘(まま)に冗言すれども一言の返答するものなし。

※目貫・・・柄(つか)の外にあらわれた目釘の鋲頭(びょうがしら)と座。柄の装飾が施されていないという意味か。

 産室に入って禁暈術を行い房より出て各(おのおの) 御大儀、暈をば玄悦療じてござる。是からは各の手に宜しきほどなるべし、今より帰らんと欲す。夫れともまた悪くしたらば早く迎えをつかわされよと、玄関の真ん中にて草鞋をはき、傍若無人なること皆此の類なり。 

 

  九、十月頃、毎朝袖なし羽織無刀にて藜杖(れいじょう)をつき、島原へ出る辺りの貧民の籬落(りらく、まがき)の間を閑行す。

 児童未だ寒衣を着ずに街頭に遊戯するを見て、六条へ人を遣わし綿衣を幾つも求め、件(くだん)の児童に着せて廻る。是を楽(たのしみ)とす。

 また宅の向かいの寺門に野乞食居る。寒中に至れば夜々粥を煮、鍋のまま熱に乗じて其の処に持たせて一人も残さずに施す。故に是を知って乞食共群居せり。 

 ※藜杖・・・あかつえ

 さて此の術、二代目子啓子までは異端の治法とそしられて、堂上に用いることなかりけるに、当代に至りて恭(うやうや)しく御医に擢(ぬき)んでられ、今は雲上に行なわれる。其の精しきは其の門に謁して学ぶべし。手術は常に熟せざれば用をなさず。 

※堂上・・・昇殿を許された公卿・殿上人の総称。公家。堂上方。

※雲上・・・内裏(だいり)。宮中。朝廷。天皇・公家(くげ)など高貴な人々のいる所。

 さて唐にて産を論じたるは、別て臆説にて杜選(ずさん)多し。本邦にては中条帯刀(なかじょう たてわき)と云う人、婦人の療治に名あり。世に中条流と云い、其の書至りて迂遠の事あり。

 薬方は世に多く用ゆるに効験ありと云う。中古戦国の時、産婦と金瘡を一様に見なして同方を用いたること、此の中条流のみに非ず。

 昔時吉益流、浅見駿河守が家方、江州鷹見甚左衛門など皆戦場より仕覚えたる事と見ゆ。紅毛人の産を論じたるは皆実地にかけて其の図、全く子玄子の説と符合す。回生などには奇器も多し。仍(よっ)て思うに、腑わけと受胎の事などを論ずるは紅毛を第一とす。 

 

 腑わけは一、二度も見るべし。内景を知りて格別理解することあり。今は民人太平の時に生まれて干戈(かんか)を見ざること二百年。故に文運大いに開けて、古に通ぜざる異国の文字も読みて、自由に通用する事になり、諸名家輩出せり。暇あらば学び問ふべし。

 唐にて腑わけのことは、前漢王莽(おうもう)が時に粤嶲(えつすい)の蛮夷任貴、亦大守枚根を殺す。翟義(てきぎ)の党、王孫慶を捕うるを得たり。莽、大医尚方(しょうほう)をして巧屠と共に之を刳剥(こはく)せしむ。

 五臓を量度し、竹筵(ちくえん)を以て其の脈を導き、終始する所を知る。云う、以て病を治すべしとあり分量などを見るは、唐の空理を好む学風より出て無益の事なり。内景を見るの意、其の所には非ず。 

 

 さて産乳の事に通ぜざれば、経閉と妊者を弁ずること能わず。大病に仕立てること多し。

 孕候(ようこう)を知らざるに属す頃、一婦嫁して後、経行来たらず。父母以て娠為(なら)んなりと、一医をして診せしむ。飲食乏しく心気衰敗すれども悪阻なりとして省みず。

 漸(ようや)く微寒熱を発し咳嗽して瘵疾になりてけり。是全く孕候を詳らかにせざる故なり。其の候悉く腹診にあり。詳らかには娠者の治法にかた(語)るべし。然れども産乳の事は賀川家に従って学ぶにしくはなし。 

  ※しくはなし・・・匹敵する

解精微論篇第八十一.

 足かけ6年に及ぶこのシリーズも、ようやく終えることが出来、自分の中にも一応の区切りがついたかのように感じている。

 過去の投稿を振り返り見ると、随所に筆者のその拙さが露呈しており、赤面の情に絶えないものがある。

 ここを一つの終わりにして、また次の始まりとしたい。

 さて、本篇の内容を、なぜ締めくくりの81篇に持ってきたのであろうか。

 編纂者の意図を汲みかねるが、本篇の内容は、身体と七情との兼ね合いを「泣く」という現象の病理を説いたものである。

 ここから表題の「精微を解く」ことの意味を拡大解釈すれば、人体に表現されるあらゆる症状。

 つまり森羅万象を観て、気の動きを陰陽で捉えろ と訴えているように感じる。

 対象を認識する手段は様々存在していても、天人合一、陰陽の道理を離れてこの医学は成り立たないのだと語りかけられてるようである。

 読者諸氏のお考え、ご意見など賜れば、幸甚です。

 

             原 文 意 訳

 

 黄帝が明堂に居られたとき、雷公がお願いして申された。
 臣は帝より授かりました医学を、医学生に伝えております。

 経論、従容形法、陰陽刺灸、そして湯薬の滋養するところなど、これらを用いて臨床指導を行っております。
 ところが医学生には賢愚の者が居りまして、未だに完璧という状況ではありません。
 すでにお聞きしております、悲哀喜怒などの七情の問題、燥濕寒暑などの自然環境の変化と人体の問題、陰陽婦女など小児・婦人科の問題などにつきまして、さらに詳しくお聞かせ願いたく存じます。
 さらに卑賎富貴、人の形体、帝に仕えている多くの部下や通使に、帝のお指図通り、事あるたびにこの道術を行ってまいりました。
 ここに至りまして、経にも記されていないような諸問題を抱えております。
 臣は愚鈍なもので聞き漏らしたのかも知れませんが、これらの諸問題についてお聞かせくださいませんでしょうか。


 帝が申された。

 おぉ~そうであったか、それらは大変重要な事である。


 雷公が願い問われた。
 大声をあげて泣き叫んでも、涙の出ないものがおります。ところが中には涙は出るのですが鼻水が少ない者もおりますが、これらの違いの理由はどこに在るのでしょうか。


 帝が申された。
 それらは、すでに経に記されていることである。


 雷公が重ねて問われた。
 涙も鼻水も共に水であります。その水がどこから、何によって生じるのか分からないのであります。


 帝が申された。
 汝のこの質問は、直接治療には利益の無いことである。
 なにより医師として知っておくべきことは、陰陽の道によってこれらのことが生じているということである。


 心には五臓の精が集中している。目はその心気が現れる穴であり、顔面の気色や目の気色には、心の状態が現れているものである。
 これらのことから、その人に徳が備わっておれば気が和している状態が目に現れ、なにか失うようなことがあれば憂いの状態が目に現れるのが道理である。
 従って悲哀すれば涙は出るものであり、涙が出るということは水がどこかから生じて目にあふれ出たということになる。
 そしてその水の大元は、体内に蓄えられた積水によるものであり、積水は至陰である腎の精である。
 この腎精の水である涙が出ない場合は、腎がこれを固摂しているからであり、腎気は水を動かすが同時に制御もしているのである。
 したがって特殊な状況でなければ、涙は出ることが無いのが通常である。


 陰である水の精は志であり、陽である火の精は神である。この上下・水火が互いに感応し合い、心志が共に悲しむことによって、目に涙という水を生じさせるのである。
 ゆえに以下のような諺がある。
 「心悲しむを名づけて志悲という。」と。 これは志と心精が、一緒になって目に湊(あつま)ることを言っているのである。


 以上のことを踏まえて、心腎がともに悲しみに感応すれば、神気は心にのみ伝えて精を上らせ、孤立した腎志は悲んで水の制約を解くので、水は上って目から涙が出るのである。(神気が上実下虚を起こし、腎の固摂が解かれるので上に水が溢れるということであろう)
 涙も鼻水も脳に関係する。脳というのは陰であり、また同じ陰である髄は骨を充たしているものである。この故に、陰である脳からにじみ出てきたものが、鼻水なのである。
 志は骨を主っているのだから、水が動いて涙として出てくると同時に、脳髄から滲みだしてきた鼻水も同時に出てくるのである。涙も鼻水も、共に水の類(同源)であり動きも似ているのである。


 これを兄弟に例えることもできる。
 なにか重大で急なことがあれば共に死し、また共に助け合い共に生きるようなものである。
 このように志が早々に悲しんで水の制約を解けば、涙と鼻水は一緒になってとめどなく流れ出るのである。これは涙と鼻水が同じ水の類に属しているからである。


 雷公が思わず申された。

 「偉大だ」と。


 再度請いて問わせていただきます。
 人が大声を張り上げて泣いており、涙の出ない者が居ります。もしくは出るには出ても少なく、鼻水もまた涙に従って一緒に出ない者などが居りますが、これはいったいどのような訳なのでありましょうや。


 帝が申された。
 それはだな、涙が出ないということは、大声を張り上げてはいても、本当に悲しんでいないからである。
 そもそも泣かないということは、神に慈悲が無いからである。神に慈悲が無ければ腎も悲しんで水の制約を解くことも無い。
 したがって、陰陽・上下が互いに水を保持しているのであるから、どうして涙だけが出てくる道理があろうか。


 志というのは堅持する気であり、悲というのはこみあげてくる感情の気である。
 この志悲がせめぎ合えば、惋(えん)という鬱積した状態となる。この鬱積したものがその拮抗を失い、陰気を衝けば志は目を去り神気も精を保持することが出来ず、精神共に目から去ることとなる。
 結果として涙と鼻水が出ることとなるのである。


 ところで汝は、經言を読んでいながら、これらのことについてよく思考しなかったのであろうか。厥証になれば、目に見る所なしとあるではないか。


 人が厥証になれば、陽気は上部に結集し、陰気は下部に結集する。
 上部に陽気が結集すれば、火となり孤立する。一方下部に陰気が結集すれば、足が冷え水が集まり脹をなすことになる。
 目には水が存在するが、上部に結集した五火には勝てないものである。そのゆえに目が見えなくなるのである。


 また陽邪である風気が目にあたると涙が出て止まらなくなる現象は、内を守っている陽気と風邪が合わさって火邪となり、目を焼いてしまうからである。


 自然界の現象を見るがよい。
 火熱が一気に盛んともなれば風が起ころう。
 風は上昇気流となり、雨を招来するであろうが。
 自然現象も人体生理も、同じ道理で営まれているのであるぞ。

 

 

 

       原文と読み下し文

 

黄帝在明堂.

雷公請曰.

臣授業.傳之行教.以經論.從容形法.陰陽刺灸.湯藥所滋.行治有賢不肖.未必能十全.

若先言悲哀喜怒.燥濕寒暑.陰陽婦女.請問其所以然者.

卑賎富貴.人之形體.所從群下.通使臨事.以適道術.謹聞命矣.

請問有毚愚仆漏之問.不在經者.欲聞其状.

黄帝明堂に在り。

雷公請いて曰く。

臣業を授かり、これを傳えて教えを行う。經論、從容形法、陰陽刺灸、湯藥の滋する所を以て、治を行うも、賢不肖有りて、未だ必ずしも十全たること能わず。

若し先に言う悲哀喜怒、燥濕寒暑、陰陽婦女、其の然る所以の者を請いて問う。

卑賎富貴、人の形體、從う所の群下通使、事に臨みて、以て道術に適わしむる。

謹しみて命を聞けり。請い問う。愚仆漏の問い、經に在らざる者有り。其の状を聞かんことを欲す。

 

帝曰.大矣.

公請問.哭泣而涙不出者.若出而少涕.其故何也.

帝曰.在經有也.

帝曰く。大なりと。

公請いて問う。哭泣して涙出でざる者、若くは出でて涕の少なきは、其の故は何ぞや。

帝曰く。經に在りて有るなり。

※涕・・・てい: 感情がこもったなみだ、もしくは涙と鼻水

 

復問.不知水所從生.涕所從出也.

帝曰.

若問此者.無益於治也.工之所知.道之所生也.

夫心者五藏之專精也.目者其竅也.華色者其榮也.是以人有徳也.則氣和於目.有亡.憂知於色.

是以悲哀則泣下.泣下水所由生.

水宗者積水也.積水者至陰也.至陰者腎之精也.宗精之水.所以不出者.是精持之也.輔之裹之.故水不行也.

復た問う。水の從(よ)りて生ずる所、涕の從(よ)りて出ずる所を知らざるなり。

帝曰く。

若(なんじ)の此れを問う者は、治に益無きなり。工の知る所は、道の生ずる所なり。

夫れ心なる者は五藏の專精なり。目なる者は其の竅なり。華色なる者は其の榮なり。是れを以て人に徳有るは、則ち氣は目に和す。亡(うしな)うこと有れば憂を色に知る。

是れを以て悲哀すれば則ち泣下る。泣下るは水の由りて生ずる所なり。

水宗なる者は積水なり。積水なる者は至陰なり。至陰なる者は腎の精なり。宗精の水、出でざる所以の者は、是れ精れを持せばなり。これを輔(たす)けこれを裹(つつ)む。故に水行かざるなり。

 

夫水之精爲志※.火之精爲神.水火相感.神志倶悲.是以目之水生也.

故諺言曰.

心悲名曰志悲.志與心精.共湊於目也.

是以倶悲.則神氣傳於心.精上不傳於志.而志獨悲.故泣出也.

泣涕者腦也.腦者陰也.

髓者骨之充也.故腦滲爲涕.

志者骨之主也.是以水流而涕從之者.其行類也.

夫涕之與泣者.譬如人之兄弟.急則倶死.生則倶生.其志以早悲.是以涕泣倶出而横行也.夫人涕泣倶出而相從者.所屬之類也.

夫れ水の精を志と爲し、火の精を神と爲す。水火相感じ、神志倶に悲しむ。是れを以て目の水生ずるなり。

故に諺言(げんげん)に曰く。

心悲しむは名づけて志悲と曰く。志と心精と共に目に湊るなり。

是れを以て倶に悲しめば、則ち神氣は心に傳え、精は上りて志に傳えずして、志は獨り悲しむ。故に泣出ずるなり。

泣涕なる者は腦なり。腦なる者は陰なり。

髓なる者は骨の充なり。故に腦滲(にじ)みて涕を爲す。

志なる者は骨の主なり。是れを以て水流れて涕これに從う者は、其の行類すればなり。

夫れ涕と泣なる者は、譬えば人の兄弟の如し。急なれば則ち倶に死し、生くれば則ち倶に生く。其の志以て早く悲しむ。是れを以て涕泣倶に出でて横行するなり。夫れ人の涕泣倶に出でて相從う者は、屬する所の類なればなり。

 

雷公曰.大矣.

請問.人哭泣而涙不出者.若出而少.涕不從之.何也.

雷公曰く。大なるかな。

請うて問う。人哭泣して涙出でざらぬ者、若しくは出ずるも少く、涕これに從わざるは、何なるや。

 

帝曰.

夫泣不出者.哭不悲也.

不泣者.神不慈也.

神不慈則志不悲.陰陽相持.泣安能獨來.

夫志悲者惋.惋則沖陰.沖陰則志去目.志去則神不守精.精神去目.涕泣出也.

惋…鬱積した感情

帝曰く。

夫れ泣して出でざる者は、哭して悲まざるなり。

泣かざる者は、神慈せざるなり。

神に慈あらざれば則ち志は悲しまず。陰陽相持す。泣安(いずく)んぞ能く獨り來らんや。

夫れ志悲しむ者は惋す(わん)す。惋すれば則ち陰に沖す。陰に沖すれば則ち志は目を去る。志去れば則ち神は精を守らず。精神目を去り、涕泣出ずるなり。

 

且子獨不誦不念夫經言乎.厥則目無所見.

夫人厥.則陽氣并於上.陰氣并於下.陽并於上.則火獨光也.

陰并於下.則足寒.足寒則脹也.

夫一水不勝五火.故目眥盲.

且つ子獨り夫の經言を誦せず念ぜざるや。厥すれば則ち目に見る所無し。

夫れ人厥すれば、則ち陽氣上に并し、陰氣下に并す。陽上に并すれば、則ち火獨り光あるなり。

陰下に并すれば、則ち足寒す。足寒すれば則ち脹するなり。

夫れ一水は五火に勝たざるなり。故に目眥盲す。

 

是以衝風.泣下而不止.

夫風之中目也.陽氣内守於精.是火氣燔目.故見風則泣下也.

有以比之.夫火疾風生.乃能雨.此之類也.

是れを以て風衝けば、泣下りて止まざず。

夫れ風の目に中るや、陽氣内に精を守る。是れ火氣目を燔(や)く。故に風を見れば則ち泣下るなり。

以てこれを比する有り。夫れ火疾(と)くして風生じて、乃ち能く雨するは、此れこの類なり。

 

方盛衰論篇第八十.

 いよいよ素問の意訳も残すところあと一篇となって参りました。

 本篇中の厥証に関して、筆者はこれまで何度か遭遇した経験を踏まえて意訳を試みております。

 またここに至って、医師としての有り様を解いていますが、象・数・理の三要素と、術者の心に映し出される世界。

 この術者の心神と相手の心神の共鳴・共振こそが、この医学のキモであると改めて感じ入った次第です。

 むろん、象・数・理の三要素の重要性は変わりませんが、これら認識道具を用いて、最終的に術者の心内に去来するものこそが、「すべて」だと感じているからです。

 

 また些事ですが、本文中に「至陽」なる語が使われています。

 この「至陽」は、経穴名でもあり第7胸椎下、膈兪の中央に位置しております。

 至陽穴、膈兪穴の状態を診て、上下・内外を察するヒントが記されていると思います。

 一を聞いて十を知る。

 このような感性・悟性が、この医学に携わる者に求められていると考えてます。

 読者諸氏は、いかがお考えでしょうか。

 

         原 文 意 訳

 

 雷公が教えを乞うて申された。
 陰陽の気には多少ということがございますが、その逆従・順逆はどのように判断すればよろしいのでありましょうか。


 黄帝が答えて申された。
 聖人は南面して立ち、左右は陰陽の道路であったな。
 しかるに陽は東から昇り、西に沈むのであるから、陽は左から右に行くのが従である。
 反対に陰は西から生じ始め北を周って東で尽きる。また陰は降りるのであるから、陰は右から左に行くのを従とするのである。
 また老者は、成長の極みから次第に下が衰えるのであるから、相対的に上に気が実するようになるのが従である。
 反対に、少者は下に気が実して、ここから上に伸びようとするのが従である。
 これらは、春夏に陽の気に従えば生を為すのであるが、秋冬に陽の気に従えば散じて死を為すのである。
 これに反して、秋冬に陰の気に従えば生を為すのである。
 このように気の多少はあるものの、その陰陽盛衰の方向が逆になれば、すべて手足が冷えあがる厥証を起こすのである。


 雷公が問うて申された。
 陰陽の気が有余している場合であっても、厥証を生じるのでありましょうや。


 黄帝が答えて申された。
 陽気が激しく上昇して降りなければ、足膝は相対的に虚して寒厥となろう。
 年少者で、まだ下焦の気が定まっていないものは、陰気の盛んな秋冬に死するであろう。
 下焦が衰え始めた老年者は、春夏の陽気の散じる季節は危ういが、収斂の秋冬は比較的持ちこたえて生きるものである。
 ところが気が上昇して下降しない状態が続けば、頭痛や意識障害を伴う巓疾を起こすようになるものである。
 この厥証の病に際しては、陽気の存亡を知ろうとしても得ることが難しく、また陰気の状態も詳しく得ることが難しいものである。
 また意識が無いのであるから、五臓もその相互の気の交流が断たれており、その生命の徴候もかすかであるため、とらえるのが非常に困難である。
 厥証に陥った人を例えるならば、広野にひとりポツンと孤独で居るかのようであり、空っぽの部屋に伏せて身動きできないかのようである。
 このような静かで生きてるのか死んでるのか定かでない状態が、綿々としてしばらく続いているようでは、その命が丸一日持つことはあるまい。


 以上のことを踏まえて、少気による厥証には、色々な夢をみせるものである。その厥証が極まると、昏迷の度合いも深まるのである。


 このような場合の脉象は、三陽が絶しているため軽按ではその脈に触れることが出来ない。
 三陰も気が微であるため、重按してやっと弱々しいその脈に、やっと触れることが出来るのみである。これを少気の厥証と判断する目安とするのである。


 これらのことを踏まえた上で、肺気が虚すれば白いものを夢見させ、人が切られて血がドクドクと流れて騒然となっている様を夢見させる。
しかも金気が盛んな時に至れば、兵が戦う様子を夢見るようになるのである。
 腎気が虚した場合は、船舶に乗っていながら水に溺れる夢を見るものである。水気が盛んな時になれば、なにか恐ろしいことから逃れるかのように、水中にジッとしてひそんでいる夢を見るものである。
 肝気が虚した場合は、菌香や草が生い茂る夢を見る。木気が盛んな時には、樹木の下にジッと伏して起き上がろうとしない夢見をするものである。
 心気が虚した場合は、火事を消そうとしたり、龍や稲妻のような陽物を夢見るのである。火気が盛んな時に至れば、炭火や焼けた鋼などに象徴されるような燔灼状態を夢見る。
 脾気が虚すれば、飲食が不足している夢を見る。土気が盛んな時に至れば、土で垣根や家の屋根を築く夢を見るものである。


 これらの夢見は、それぞれ五臓の気が虚しているからであり、陽気有余、陰気不足によるものである。これら五臓の有餘不足を念頭において診断し、陰陽の道理に従って平衡を図る治療は、経脉に在るのである。


 診察には、十の尺度を用いるのである。
 その尺度とは、脉度、藏度、肉度、筋度、兪度の五つに、左右を掛け合わせた十の尺度である。
 これらを用いて、陰陽の偏盛・偏衰をことごとく掌握すれば、人の病の状態は自ずと手中に入ってくるものである。
 脈を按じたその拍動には、絶対的な基準は無いのである。
 たとえば陰が散じて陽が勝っていても、それがそのまま脈に現れるとは限らない。
 診察には、ある程度の定石はあるにしても、それにかかずわらない(拘泥しない)ことである。
 それはとりもなおさず、身分の上下であるとか、庶民と君卿との違いを考慮することでもある。


 また師匠の教えを最後まで学ぶことも無く終え、その学術もおぼろげで、順逆・従逆さえ察することが出来なければ、ついにその治療は、妄行となってしまうのである。
 つまり雌を手にしていながら雄の存在に気づけず、また陰を捨て去って陽しか目に入らない状態で、陰陽・雌雄の両儀を併せ見ることすらも知らないということである。
 従って明確な診断が下せないばかりか、これを後世に伝えようものなら、その拙さやでたらめさは自ずと世にあきらかになってしまうものである。


 至陰である地気が虚すれば、地気は昇ることが出来ないので天気は絶することになる。
 至陽である天気が盛んであれば、天気は下ることが出来ないので地気は不足することになる。
 このように陰陽が相交する法則は、至人の医家が行うところのものである。
 この陰陽相交は、陽気が先ず至り、後に陰気がそれに従い至るものである。
 これらのことを踏まえた聖人と称される人の診察は、陰陽・先後の順を守り、一般論では捉えきれない奇恒の60の種別と微かな兆しを合わせて陰陽の変化を追いかけるのである。
 そして五臓の情勢を明確にし、虚実を明確に区別する要を手中にして、五診十度を定めて行われるのであり、これらのことを十分に知り得てこそ診察に足りるのである。


 これらをもって診察に当たるのであるが、陰である肉体を切し、陽である気の情を知り得ないようでは、もはや診察とは呼べないのである。


 また陽である文字で書き著された書物を読み、その裏に秘められた陰である意図を汲み得ないようでは、学問知りの人知らずであり、机上の学問にしかならないのである。


 さらに治療においては、左を知りて右を知らず、右を知りて左を知らず。上を知りて下を知らず、先を知りて後を知らずといった平面的で片手落ちな診方であれば、医家として久しく永らえることはできないのである。


 醜さと善、病と不病、高きと低き、坐と起、行くことと止まることなど、これらすべての物事が相反することを知り得た上で用いれば、それが筋道となり自然と綱紀と成っていくのである。
 このような診察の道具を持ち得ていれば、萬世にわたって過ちを犯すことは無いであろう。


 そして有余しているところを見て不足しているところを察して知り、さらに身体の上下を図ることが出来るようになれば、脉理の道は至り、脈診も一定レベルに達することが出来るのである。


 このようにして診れば、身体が弱々しく気もまた虚していれば、形気ともに合して死するものである。
 身体も気力も有余しておったとしても、脈気が不足している者はまた、死するものである。
 逆に、脈気が充実して有余であれば、身体、気力共に不足していても生きるものである。


 このように診察には一定の道理が存在するのであるから、医師たるものは常日頃から座起に規律を持ち、出入りの行いに品格を具え、患者の神明を幸へと転じることが重要である。
 そして医師の心持ちは、必ず清にして浄を保ち、上を観て下を観、八風の邪を候い、五臓六腑を弁別し、脈の動静を按じ、尺膚の滑濇・寒熱の意味するところに従い、大小便の状態を視て、これらすべてを合して病態を把握するのである。このように逆従を得ておれば、自ずと病名も知れてくるのである。
 このようであれば診察は完璧なものとなり、人情にも背くことは無いのである。
 ゆえに、診察に際しては、患者の呼吸の状態やその心情にまでしっかりと意識的に視るのである。
 さすれば、条理は失われず、歩むべき医道も非常に明察することが出来るようになり、過誤なく医家として長久することができるのである。
 しかるに、この医道を知らざれば、本筋たるまっすぐな縦軸を失い、正しい条理は絶え、口にすることや生死の期もでたらめとなるのである。これを医家の道を失ったというのである。

 

 

        原文と読み下し文

 

雷公請問.氣之多少.何者爲逆.何者爲從.

黄帝答曰.

陽從左.陰從右.老從上.少從下.

是以春夏歸陽爲生.歸秋冬爲死.反之則歸秋冬爲生.是以氣多少逆.皆爲厥.

雷公請うて問う。氣の多少、何れの者をか逆と爲し、何れの者をか從と爲すや。

黄帝答えて曰く。

陽は左に從い、陰は右に從う。老は上に從い、少は下に從う。

是れを以て春夏は陽に歸して生と爲し、秋冬に歸して死と爲す。これに反すれば則ち秋冬に歸して生と爲す。是れを以て氣の多少の逆は、皆厥を爲す。

 

問曰.有餘者厥耶.

答曰.

一上不下.寒厥到膝.少者秋冬死.老者秋冬生.

氣上不下.頭痛巓疾.求陽不得.求陰不審.五部隔無徴.若居曠野.若伏空室.緜緜乎屬不滿日.

問うて曰く。有餘なる者も厥するや。

答えて曰く。

一たび上りて下らざれば、寒厥は膝に到る。少なる者は秋冬に死し、老なる者は秋冬に生く。

氣上りて下らざるは、頭痛巓疾す。陽を求むれども得ず、陰を求むれども審(つまび)らかならず、五部は隔して徴無く、曠野に居るが若く、空室に伏するが若く、緜緜乎(めんめんこ)として日の滿さざるに屬す。

 

是以少氣之厥.令人妄夢.其極至迷.三陽絶.三陰微.是爲少氣.

是以肺氣虚.則使人夢見白物.見人斬血藉藉.得其時.則夢見兵戰.

腎氣虚.則使人夢見舟舩溺人.得其時.則夢伏水中.若有畏恐.

肝氣虚.則夢見菌香生草.得其時.則夢伏樹下不敢起.

心氣虚.則夢救火陽物.得其時.則夢燔灼.

脾氣虚.則夢飮食不足.得其時.則夢築垣蓋屋.

此皆五藏氣虚.陽氣有餘.陰氣不足.合之五診.調之陰陽.以在經脉.

是れを以て少氣の厥は、人をして妄りに夢みさせ、其の極は迷に至る。三陽絶し、三陰微なる、是れを少氣と爲す。

是てを以て肺氣虚すれば、則ち人をして夢に白物を見、人の斬血藉藉※たるを見せしむ。其の時を得れば、則ち夢に兵戰を見る。

腎氣虚すれば、則ち人をして夢に舟舩(しゅうせん)人を溺((おぼ)らしむるを見る。其の時を得れば、則ち夢に水中に伏して畏恐すること有るが若し。

肝氣虚すれば、則ち夢に菌香生草を見る。其の時を得れば、則ち夢に樹下に伏して敢えて起きず。

心氣虚すれば、則ち夢に火を救い陽物を見る。其の時を得れば、則ち夢に燔灼す。

脾氣虚すれば、則ち夢に飮食不足す。其の時を得れば、則ち築垣蓋屋を夢にす。

此れ皆な五藏の氣虚し、陽氣有餘にして、陰氣不足す。これを五診に合し、これを陰陽に調うるは、以て經脉に在り。

※藉藉(せきせき)・・・がやがやと騒がしい様

 

診有十度度人.脉度.藏度.肉度.筋度.兪度.陰陽氣盡.人病自具.

脉動無常.散陰頗陽.脉脱不具.

診無常行.診必上下.度民君卿.

受師不卒.使術不明.不察逆從.是爲妄行.持雌失雄.棄陰附陽.不知并合.診故不明.傳之後世.反論自章.

診に十度有りて人を度(はか)る。脉度、藏度、肉度、筋度、兪度、陰陽の氣を盡して、人の病は自ずと具(つぶ)さなり。

脉動に常きは、陰散じて頗(すこぶ)る陽、脉に脱して具わらず。

診に常行なし。診するに必ず上下ありて、民と君卿とを度(はか)る。

師に受けて卒(おわ)らず、術をして明らめず、逆從を察せず。是れ妄行を爲す。雌を持して雄を失し、陰を棄てて陽に附き、并わせ合するを知らず。診は故に明らかならず。これを後世に傳うれば、反論は自ずから章(あきら)かなり。

 

陰虚.天氣絶.至陽盛.地氣不足.

陰陽並交.至人之所行.

陰陽並交者.陽氣先至.陰氣後至.

是以聖人持診之道.先後陰陽而持之.奇恒之勢.乃六十首.診合微之事.追陰陽之變.章五中之情.其中之論.取虚實之要.定五度之事.知此乃足以診.

陰虚すれば、天氣絶す。至陽盛んなれば、地氣不足す。

陰陽並び交わるは、至人の行う所なり。

陰陽並び交わる者は、陽氣先ず至り、陰氣後に至る。

是れを以て聖人の診を持するの道は、陰陽を先後してこれを持す。奇恒の勢は、乃ち六十首なり。微を合した事を診し、陰陽の變を追い、五中の情を章(あきら)め、其の中の論は、虚實の要を取りて、五度の事を定む。此れを知れば乃ち以て診するに足れり。

 

是以切陰不得陽.診消亡.

得陽不得陰.守學不湛.知左不知右.知右不知左.知上不知下.知先不知後.故治不久.

知醜知善.知病知不病.知高知下.知坐知起.知行知止.

用之有紀.診道乃具.萬世不殆.

是れを以て陰を切して陽を得ざれば、診は消亡す。

陽を得て陰を得ざれば、學を守りて湛(たん)ならず、左を知りて右を知らず、右を知りて左を知らず、上を知りて下を知らず。先を知りて後を知らず。故に治は久しからず。

醜を知りて善を知り、病めるを知りて病ざるを知り、坐するを知りて起きるを知り、行を知りて止まるを知る。

これを用いて紀有れば、診道は乃ち具わり、萬世に殆(あやう)からず。

※湛・・・たたえる・あつい・ふける・しずむ・ふかい

 

起所有餘.知所不足.度事上下.脉事因格.

是以形弱氣虚.死.

形氣有餘.脉氣不足.死.

脉氣有餘.形氣不足.生.

是以診有大方.坐起有常.出入有行.以轉神明.必清必淨.上觀下觀.司八正邪.別五中部.按脉動靜.循尺滑濇寒温之意.視其大小.合之病能.逆從以得.復知病名.診可十全.不失人情.

有餘の所に起きて、不足なる所を知る。事の上下を度(はか)り、脉事は因りて格(いた)る。

是れを以て形弱く氣虚するは、死す。

形氣有餘なるも、脉氣不足するは、死す。

脉氣有餘し、形氣不足するは生く。

是れを以て診に大方有り。坐起に常有り、出入に行い有りて、以て神明を轉ず。必ず清必ず淨。上を觀て下を觀る。八正邪を司り、五中の部を別ち、脉の動靜を按じ、尺の滑濇寒温の意に循いて、その大小を視て、病能に合し、逆從を以て得て、復た病名を知れば、診して十全たるべく、人情を失せず。

 

故診之.或視息視意.故不失條理.道甚明察.故能長久.

不知此道.失經絶理.亡言妄期.此謂失道.

故にこれを診するに、或いは息を視、意を視る。故に條理を失せず。道は甚だ明察なり。故に能く長久たり。

此の道を知らざれば、經を失い理は絶し、言を亡(うしな)い期を妄りにす。此れ道を失うと謂うなり。

 

 

陰陽類論篇第七十九.

  本篇を通読すると、まず三陰三陽の働きとその病脉象が記されている。

 さらに四時陰陽の気の盛衰と死期との関係についても述べられている。

 ここで述べられている内容を、気の偏在・盛衰を意識しながら手元に引き寄せ、理解しようと試みた。

 それだけでなく、この篇の著者の陰陽の定位が、どこに立てられているのかを探りながら意訳を試みたが、非常に困難であるため直訳の部分もあることをご承知くださればと思います。

 

 三陰三陽の働きに関しては、当ブロブ<陰陽離合論(六) - 一即多、多即一 (1)を併せてお読みくだされば、自ずと通じるものを読み取って頂けるのではと思います。

 本篇の難解な内容が、素問の後半のさらに後に記されてる校正・編者の意図を汲み取ろうとすれば、以下の文言が筆者の目に止まりました。

 

 『決以度.察以心.合之陰陽之論.』

 <決するに度を以てし、察するに心を以てし、これを陰陽の論に合す。>

 

 本篇に至るまでの内経医学の世界観・人体観に基づいた生理病理をしっかりと認識し、人に切して術者の心に映る感覚で気を捉えよ。

 そしてさらに最後に、もう一度陰陽の道理に照らし合わせて万全たれと、そのような声が聞こえるのですが、読者諸氏はいかがでしょうか。

 

 ところで黄帝と雷公のやり取りの中の、最も貴い臓が何であるかが明確に記されていないところが、いやはやなんと理解すればいいのでしょうか・

 終始循環の法則からしてみれば、ひとつだけが貴いということはあり得ないということでしょうか。

        原 文 意 訳

 

 立春となった日に、黄帝はくつろぎながら座し、場に臨んでを八方・八風の気を感得しながら雷公に問うて申された。

 陰陽を用いての分類はいろいろとあり、経脉の道、五臓もそれぞれあるが、その中で最も太極とすべき貴き臓は何であるか。

 

 雷公がその問いに対して申された。

 春は甲乙の主る季節でありまして、万物が芽を出し動き始まめる季節であります。その色は青でありますので、人体に在りては肝が主となります。その期間は七十二日でありまして、これは肝の脈が人体を主る時であります。

 臣は、このような理由から、すべての始まりである肝の臓が最も貴いものと存じます。

 

 黄帝が申された。

 上下經の陰陽、従容の内容をよくよく思い返せば、そちが貴いと申す肝の臓は、その最も下であるぞ。

 

 雷公、斎戒すること7日、夜明けに再び座して黄帝がお出ましになるのを待っておられた。

 

 黄帝が申された。

 三陽(太陽)は背部を単独で走行するので経とし、二陽(陽明)は他経と交わりながら走行するので維とし、一陽(少陽)は身体側面を走行して陰陽の枢であるため游部(ゆうぶ)とする。

 これらのことから、五臓の気の始まりと終わりの循環を知ることが出来よう。

 三陰(太陰)は表であり、二陰(少陰)を裏とし、一陰(厥陰)に至って絶するのである。これは月の初めと末日のように、天地陰陽の消長にもぴったりと符合するのである。

 

 雷公が申された。

 私は業を教わり受けましたが、まだその理を明らかにして理解することが出来ておりません。

 

 帝が申された。

 いわゆる三陽というのは、太陽であり経脉のことである。太陽の気は手の太陰に至るのである。その脉象が弦浮にして沈でない場合、四時陰陽の盛衰と病人の気血の盛衰を兼ねて考慮し、心で病態を察するのである。さらに最終的に陰陽の法則に照らし合わせるのである。

 いわゆる二陽というのは、陽明のことである。陽明の気は手太陰に至り、脉象が弦にして沈急でありながら鼓する力が無く発熱しているようであれば、皆死するものである。

 一陽というのは、少陽のことである。少陽の気は手太陰に至りて人迎に連なる。その脉象が、弦急にして頼りないようでも絶しないようであれば、これは少陽の病である。だが胃の気が窺えないようであれば死するものである。

 三陰すなわち太陰は、六経の主る所であり太陰に交わるものである。その脉象が伏して力強く鼓して浮でないのは、上下の気血が不通となり、上の心志も空虚となっているからである。

 二陰すなわち少陰は、肺に至りてその気は膀胱に帰し、外は脾胃に連なるのである。

 一陰すなわち厥陰が単独で至るようであれば、経気は絶し、気は浮いて鼓することが出来ず、鉤にして滑を呈するのである。

 これら六脉は、陰陽・陽陰とそれぞれ入れ替わり立ち代わりしながら五臓に絡みつくように通じるのであるが、これらは全て陰陽の道理に合するのである。

 最初に手太陰の脈に現れるものを主とし、後に現れるものを客とし、その主従を判断するのである。

 雷公が申された。

 臣は自分の意を尽くして経脉を理解することが出来ました。また従容の道もその素晴らしさを実感しております。しかしながら従容とした心持で居りましても、経脉の陰陽の道理と雄雌の道理が理解できずにおります。

 

帝が申された。

 三陽である太陽は、天であり父であり尊いのである。

 二陽の陽明は、外の邪気から身を守る衛である。

 一陽の少陽は、太陽と陽明を取り仕切り、相互に切り替える綱紀である。

 三陰の太陰は、地であり母であり、卑(ひく)くして万物を養育するのである。

 二陰の少陰は、雌であり内の守りであり、受けて生み出すのである。

 一陰の厥陰は、太陰と少陰を単独で行き来する使いである。

 二陽一陰、つまり陽明と厥陰の合病では、陽明が病を主る。陽明が厥陰に勝つことが出来ず、脈は軟にして動であれば、九竅は通利しなくなるのである。

 三陽一陰、つまり太陽と厥陰の合病では、太陽が勝ち、厥陰がそれを制することが出来ないものである。したがって内部では五臓の気が乱れ、外では情緒不安定な驚駭となるのである。

 二陰二陽、つまり少陰と陽明の合病は、肺に現れる。少陰脈は沈で肺に勝ちて脾を傷り、外は四肢を障害するのである。

 二陰一陽、つまり少陰と少陽の合病は、腎に現れる。陰気が心に留まり、下部の竅は空疎となって閉塞し、四肢は思い通りに動かすことが出来なくなるのである。

 一陰一陽、つまり厥陰と少陰の合病で代脈で絶するようであるならば、これは陰気が心に至り、上下・内外の気が正常を失い、咽喉も乾燥してしまうのである。この病は、脾土に在るのである。

 二陽三陰、つまり陽明と太陰の合病である場合、至陰の太陰が主となり、陰陽の相交が閉ざされて隔絶し、脉浮であれば血瘕(痞塊・腫瘍)を生じ、脈沈であれば膿腫となるのである。

 陰陽の気が共に盛んであれば、下の前陰・後陰にその状態が現れるのである。

 上ははっきりと明るい天道に合し、下は暗くてはっきりとしない地理・地道に合し、これらを踏まえて診察を行い、死生の時期を決し、最後に一年の最初を知り、どの臓が最も貴いのかを理解するのである。

雷公が申された。

 どうか短期間で亡くなる理由をお尋ねしたいのですが。

 黄帝、応ぜず。

 雷公が再び問われた。

黄帝が、すでに経論の中にあるではないか、と申された。

再度雷公が、経論中にあります短期で亡くなる理由をお聞かせください、と申された。

 

帝が申された。

寒気の盛んな冬の三か月に、病が陽にあり、春の初めの正月に死徴の脈を表わすようであれば、皆春の終わりに帰幽するのである。

冬三か月の病で、陰陽の理で計りてすでに胃の気の尽きたるものは、草や柳の葉が芽吹くころに皆死するものである。春に陰陽の気がすべて絶しているようであれば、死期は正月の孟春である。

春三か月の病は、陽殺というのである。陰陽がすべて絶するときは、秋の草枯れのころが死期である。

夏三か月の病で、至陰つまり脾の病であれば、十日を過ぎずして死するものである。また陰陽が交わっているようであれば、水がきれいに澄んでくる秋の時節に死するものである。

秋三か月の病で、三陽が共に起きるものは、治せずとも自然に治るものである。

また陰陽の気が互いに入り混じり、陰陽の偏盛偏衰を生じた場合は、坐ることが出来なかったり、また立つことが出来なくなるのである。

また三陽のみが至りて陰気が至らない場合、死期は水が凍りつく石水の頃である。

二陰のみが至りて陽気が至らない場合、死期は氷が解けて水となる正月、盛水の頃である。

 

 

       原文と読み下し文

 

孟春始至.黄帝燕坐.臨觀八極.正八風之氣.而問雷公曰.

陰陽之類.經脉之道.五中所主.何藏最貴.

孟春始めて至る。黄帝燕坐して八極を臨觀し、八風の氣を正して雷公に問うて曰く。

陰陽の類、經脉の道、五中の主る所、何れの藏か最も貴きや。

 

雷公對曰.春甲乙青中主肝.治七十二日.是脉之主時.臣以其藏最貴.

雷公對して曰く。春は甲乙、青、中は肝を主る。治むること七十二日、是れ脉の時を主る。臣其の藏を以て最も貴しとす。

 

帝曰.却念上下經.陰陽從容.子所言貴.最其下也.

帝曰く。上下經の陰陽從容を念(おも)い却(かえ)れば、子が貴しと言う所は、最も其の下なり。

 

雷公致齋七日.旦復侍坐.

雷公齋を致すこと七日。旦(あした)に復(ま)た坐して侍す。

 

帝曰.

三陽爲經.二陽爲維.一陽爲游部.此知五藏終始.

三陰※爲表.二陰爲裏.一陰至絶作朔晦.却具合以正其理.

帝曰く。

三陽を經と爲し、二陽を維と爲し、一陽をと爲す。此に五藏の終始を知る。

三陰※を表と爲し、二陰を裏と爲し、一陰至りて絶すれば朔晦(さくかい)を爲す。却って具(つぶ)さに合し以て其の理を正す。

※三陽を三陰に作る

※游部(ゆうぶ) 位置を定めず動き回る、あそぶ、ぶらぶらする。

 

雷公曰.受業未能明.

帝曰.

所謂三陽者.太陽爲經.三陽脉至手太陰.弦浮而不沈.決以度.察以心.合之陰陽之論.

所謂二陽者.陽明也.至手太陰.弦而沈急不鼓.炅至以病.皆死.

一陽者.少陽也.至手太陰.上連人迎.弦急懸不絶.此少陽之病也.專陰則死.

雷公曰く。業(わざ)を受けるも未だ能く明らかならず。

帝曰く。

所謂(いわゆる)三陽なる者は、太陽を經と爲す。三陽の脉は太陰に至り、弦浮にして沈ならず。決するに度を以てし、察するに心を以てし、これを陰陽の論に合す。

所謂(いわゆる)二陽なる者は、陽明なり。手太陰に至り、弦にして沈急にして鼓せず。炅(けい)至りて以て病むは、皆死す。

一陽なる者は、少陽なり。手太陰に至りて上は人迎に連らなり、弦急にして懸なるも絶せざるは、此れ少陽の病なり。陰專(もっぱ)らなれば則ち死す。

※炅(けい)烈火、火

 

三陰者.六經之所主也.交於太陰.伏鼓不浮.上空志心.

二陰至肺.其氣歸膀胱.外連脾胃.

一陰獨至.經絶.氣浮不鼓.鉤而滑.

此六脉者.乍陰乍陽.交屬相并.繆通五藏.合於陰陽.先至爲主.後至爲客.

三陰なる者は、六經の主る所なり。太陰に交わり、伏鼓して浮ならず、上は志心空(むな)しゅうす。

二陰は肺に至る。其の氣は膀胱に歸し、外は脾胃に連らなる。

一陰獨り至り、經絶すれば、氣は浮いて鼓せず。鉤にして滑なり。

此の六脉なる者は乍(たちま)ち陰乍(たちま)ち陽。交(こも)ごも屬して相い并し、五藏に繆(まつ)わり通じ、陰陽に合す。先に至るを主と爲し、後に至るを客と爲す。

 

雷公曰.臣悉盡意.受傳經脉.頌得從容之道.以合從容.不知陰陽.不知雌雄.

雷公曰く。臣悉(ことごと)く意を盡(つく)し、經脉を受け傳(つた)え、從容の道を頌(しょう)し得て、以て從容に合すれども、陰陽を知らず、雌雄を知らざるなり。

※頌(しょう)ほめたたえる、ほめたたえるうた。

 

帝曰.

三陽爲父.二陽爲衞.一陽爲紀.

三陰爲母.二陰爲雌.一陰爲獨使.

帝曰く。

三陽を父と爲し、二陽を衞と爲し、一陽を紀と爲す。

三陰は母と爲し、二陰は雌と爲し、一陰は獨(ひと)り使と爲す。

 

二陽一陰.陽明主病.不勝一陰.脉耎而動.九竅皆沈.

三陽一陰.太陽脉勝.一陰不能止.内亂五藏.外爲驚駭.

二陰二陽.病在肺少陰脉沈.勝肺傷脾.外傷四支.

二陰二陽.皆交至.病在腎.罵詈妄行.巓疾爲狂.

二陰一陽.病出於腎.陰氣客遊於心.脘下空竅.堤閉塞不通.四支別離.

一陰一陽代絶.此陰氣至心.上下無常.出入不知.喉咽乾燥.病在土脾.

二陽三陰.至陰皆在.陰不過陽.陽氣不能止陰.陰陽並絶.浮爲血瘕.沈爲膿胕.

陰陽皆壯.下至陰陽.

上合昭昭.下合冥冥.診決死生之期.遂合歳首.

二陽一陰、陽明病を主る。一陰に勝たず。脉耎(ぜん)にして動なれば、九竅は皆沈む。

三陽一陰、太陽の脉勝ちて、一陰止むこと能わず。内は五藏亂(みだ)れ、外は驚駭を爲す。

二陰二陽、病は肺に在り。少陰の脉沈、肺に勝ち脾を傷り、外は四支を傷る。

二陰二陽、皆交(こもご)も至れば、病は腎に在り。罵詈妄行し、巓疾して狂を爲す。

二陰一陽、病は腎に出ず。陰氣は心に客遊し、脘下の空竅、堤は閉塞して通ぜず。四支は別離す。

一陰一陽代絶するは、此れ陰氣心に至り、上下に常無く、出入を知らず、喉咽乾燥す。病は土脾に在り。

二陽三陰、至陰皆在るは、陰は陽に過ぎず、陽氣は陰を止めること能わず。陰陽並びて絶す。浮は血瘕(けっか)と爲し、沈は膿胕と爲す。

陰陽皆壯(さか)んなれば、下は陰陽に至る。

上は昭昭に合し、下は冥冥に合す。診して死生の期を決し、遂(つい)に歳首に合す。

 

雷公曰.請問短期.

黄帝不應.

雷公復問.

雷公曰く。請いて短期を問う。

黄帝應ぜず。

雷公復た問う。

 

黄帝曰.在經論中.

雷公曰.請聞短期.

黄帝曰く。經論の中に在り。

雷公曰く。請いて短期を聞かん。

 

黄帝曰.

冬三月之病.病合於陽者.至春正月.脉有死徴.皆歸出春.

冬三月之病.在理已盡.草與柳葉.皆殺.春陰陽皆絶.期在孟春.

春三月之病.曰陽殺.陰陽皆絶.期在草乾.

夏三月之病.至陰不過十日.陰陽交.期在溓水.

秋三月之病.三陽倶起.不治自已.

陰陽交合者.立不能坐.坐不能起.三陽獨至.期在石水.

二陰獨至.期在盛水.

黄帝曰く。

冬三月の病、病が陽に合する者は、春正月に至りて、脉に死徴有るは、皆出春に歸す。

冬三月の病、理に在りて、已に盡きるは、草と柳葉と皆殺(さい)する。春に陰陽皆絶するは、期は孟春に在り。

春三月の病、陽殺と曰く。陰陽皆絶するは、期は草乾に在り。

夏三月の病、至陰なれば十日を過ぎず。陰陽交われば、期は溓水(れんすい)に在り。

秋三月の病、三陽倶に起き、治せずして自ずと已(や)む。

陰陽交ごも合する者は、立ちて坐すること能わず、坐して起きること能わず。三陽獨(ひと)り至るは、期は石水に在り。

二陰獨(ひと)り至るは、期は盛水に在り。

 

徴四失論篇第七十八.

  本篇は、前篇<疏五過論>に引き続いて、治療者への戒めと理解される内容である。

 学校教育で授かった経絡学や東洋医学理論は、有資格者であれば一定のレベルにあります。

 この誰でもが知っている程度のことでは、実際の臨床においては不十分であると記されてます。

 これは、残念ながら現代においても未だに通用することではないでしょうか。

 他は、一読くだされば文意はそんなに難しくは無いと思われます。

 本篇も筆者の感性に従って、大胆に意訳の手を加えております。

 読者諸氏のご意見・ご感想を期待しております。

 

         原 文 意 訳

 

  黄帝が政務を司る明堂にお出ましになり、雷公はその傍らに座しておられた。 

  そして黄帝が以下のように申された。

 そちは数多くの書を読誦して通じ、広く多くの医術を授かっておることであろう。試しに治療が非常に奏功した場合と失敗した場合の理由を申してみよ。

 それに対して雷公が申された。

 経典に記されていることに循(したが)うことと、師から授かった治療の業は全て完璧であります。そうであるにもかかわらず、治療に際して過失を犯してしまうことがございます。

 これはいったいどういうことなのでしょうか。どうかその理由をお聞かせください。

 

 黄帝が申された。

 そちはまだ年少者であるため、智慧がまだ十分に働かないのであろうかのう。はたまたそちはよく学んでおるがゆえに、医学各家の数々の論説をうまく比類することができていないのかも知れないのう。

 さて、十二經脉や三百六十五絡脉などは、医師であれば誰でもが明らかに知っていることであり、皆これに従って治療しているものである。

 であるにもかかわらず、十分な治療結果が得られないのは、医師の精神が専らでないばかりか、志意が天道に適っていない、はたまた患者に十分意識が集中していないためである。

 であるから、患者が現している状態と治療者が感じ取る内容とがちぐはぐとなり、挙句に疑義を生じてしまうから、あやういことをしでかしてしまうのじゃ。

 その診察に際しては、陰陽の道理に合致しているか否かなど、その理(ことわり)を会得していないことに起因しているからなのじゃ。

 これが治療に際して足りない一失である。

 

 次なるは、師について学んでおりながら最後までその学業を終えず、途中で自ずと成ったと勘違いして正法に適わない雑多な術を行い、でたらめな自説を以て道に法ったと言い放つ。

 しかも自説にもとづき病名を改めて己の功績とする。さらには、でたらめに砭石を用いて反って病人を苦しめ、ついには人から責められたり非難されるようになるのである。

   これが治療に際して足りない二失である。

 

 診察に際しては、貧富貴賤の状況に応じて住居環境の善し悪しや安逸に過ごしすぎていないか、また働き過ぎて過労に陥っているのではないかなど。

 またそれに伴って身体が寒温のどちらに偏っているのか。

 さらに飲食上の適不適やその人がおびえやすいのか勇ましいのかと言ったことが病にどのように関係しているかも知らずに居るとどうなると思うか。

 このような有様であれば、治療の結果に惑うばかりであり、自らこころを乱すことになってしまうのである。

 しかもである、治療者自身のこころが混乱している理由を自ら明らかにできないのである。

 これが治療に際して足りない三失である。

 

 病を診察する際には、まずはその病が何時どのようにして起きたのかを問診する必要があるのじゃ。

 またさらには、患者が思い煩っていることの有無や飲食の不摂生、何時寝て起きるのか等の生活の乱れ、あるいは何かの中毒にかかっていないか、さてはどのような湯液を服しているのかなどを知ることが必須である。

 それにも関わらず、何も知らずにいきなり寸口の脈を取ったところで、どのような病であるのか分かるはずが無いではないか。

 それなのにでたらめを言って患者を納得させ、その時は何とかごまかすことができても、その後何度治療しても病が治らない。

 そのうちに粗工(粗悪な医師)は、自ら追い込まれて窮することとなるのじゃ。

 これが治療に際して足りない四失である。

 

 このようにして世間のその医師への悪風評は、千里の果てまでも走り広まってしまうのである。

 それというのも、寸尺の脈診の道理に暗く、診察に人事を察することも無く、天人の道理に基づくことができないので、自然と道理が見えてくる従容とした感覚に自分を包むことができないからである。
 そもそも、ろくに学ぶこともせずしてただ漫然と座り、患者の寸口の脈を取ったところで、五臓の脈をかみ分けられる道理とて無いではないか。

 このようであるから百病ことごとく、病の起こり始めの病因や病理などを的中させることができないのである。

 おまけに自分の無学・無術を顧みること無く、こうなったのは師匠の教えが悪いのだと逆恨みするようになる始末じゃ。

 また師匠の弟子と知る者には、弟子にした師匠への咎を残すことになるのじゃ。

 この故に、治療には理が無いために妄言をまき散らし、この素晴らしい医学を世間に貶めてしまうのじゃ。

 また妄りに治療して、たまたま偶然にでも治るようなことがあれば、愚かな馬鹿は我が意を得たりとして得意になるものじゃ。

 ああ、この計り知れない深遠なる真理よ、誰がその道に通ずることが出来ようか。

 医道の大なるは天地になぞらえ、四海(東西南北の海)に相当するようなものである。

 そちが自分で理解していると思っている道などは、まだまだ机上のものである。明らかなる教えを受けておきながら、まだまだ暗いのお。

 

        原文と読み下し文

 

黄帝在明堂.雷公侍坐.

黄帝曰.夫子所通書.受事衆多矣.試言得失之意.所以得之.所以失之.

雷公對曰.循經受業.皆言十全.其時有過失者.請聞其事解也.

黄帝明堂に在り。雷公侍坐す。

黄帝曰く。夫子が通ずる所の書、事を受けること衆多なり。試しに得失の意、これを得る所以、これを失する所以を言え。

雷公對えて曰く。經に循い業を受けるに、皆十全と言う。其の時に過失有る者は、請う其の事の解を聞かん。

 

帝曰.

子年少.智未及邪.將言以雜合耶.

夫經脉十二.絡脉三百六十五.此皆人之所明知.工之所循用也.

所以不十全者.精神不專.志意不理.外内相失.故時疑殆.

診不知陰陽逆從之理.此治之一失矣.

帝曰.

子年少なく、智は未だ及ばざるや。將(は)た言を以て雜合するや。

夫れ經脉十二、絡脉三百六十五。此れ皆人の明らかに知る所、工の循い用うる所なり。

十全ならざる所以(ゆえん)の者は、精神專らならず、志意に理あらず、外内相い失す。故に時に疑殆す。

診するに陰陽の逆從の理を知らず。此れ治の一失なり。

 

受師不卒.妄作雜術.謬言爲道.更名自功.妄用砭石.後遺身咎.此治之二失也.

師に受けて卒(お)わらず、妄りに雜術を作(な)し、謬言(びゅうげん)して道と爲し、名を更(あら)ため自ら功とし、妄りに砭石を用いて、後に身の咎を遺(のこ)す。此れ治の二失なり。

 

不適貧富貴賎之居.坐之薄厚.形之寒温.不適飮食之宜.不別人之勇怯.不知比類.足以自亂.不足以自明.此治之三失也.

貧富貴賎の居、坐の薄厚、形の寒温に適わず、飮食の宜しきに適わず、人の勇怯を別たず、比類を知らず、以て自ずから亂れるに足りて、以て自ずから明らかにするに足らず。此れ治の三失なり。

 

診病不問其始.憂患飮食之失節.起居之過度.或傷於毒.不先言此.卒持寸口.何病能中.妄言作名.爲粗所窮.此治之四失也.

病を診するに病其の始めを問わず、憂患、飮食の節を失し、起居の過度、或いは毒に傷られるか先ず此れを言わずして卒(にわ)かに寸口を持しせば、何の病か能く中らん。妄言して名づくるを作す。粗の窮する所と爲す。此て治の四失なり。

 

是以世人之語者.馳千里之外.不明尺寸之論.診無人事.

治數之道.從容之葆.坐持寸口.診不中五脉.百病所起始.以自怨.遺師其咎.

是故治不能循理.棄術於市.妄治時愈.愚心自得.

嗚呼.窈窈冥冥.熟知其道.

道之大者.擬於天地.配於四海.汝不知道之諭.受以明爲晦.

是れを以て世人の語なる者は、千里の外を馳す。尺寸の論を明らめず、診に人事、

治數の道、從容の葆(ほう)無し。坐して寸口を持し、診は五脉、百病の起始する所に中らず、以て自ずから怨み、師に其の咎を遺(のこ)す。

是れ故に、治は理に循うこと能わず、市に術を棄つ。妄りに治して時に愈ゆれば、愚心は自ずと得たりとす。

嗚呼(ああ)、窈窈冥冥(ようようめいめい)、熟(たれ)か其の道を知らん。

道の大なる者は、天地に擬(なぞ)らえ、四海に配す。汝道の諭(たと)えを知らず、受けて以て明を晦(かい)と爲す。

※葆(ほう) おおう、つつむと訳した。

※窈窈(ようよう) 奥深い

※冥冥(めいめい) 暗い、目に見えない、人知の及ばない

疏五過論篇第七十七.

 本篇に記されている内容は、内経医学の疾病観に関わることが記述されている。

 人生には卒業・入学・就職・退職・結婚・離婚・死別など、数多くの節目や浮き沈みがつきものである。

 このような人生の荒波の中で、人は様々な事を思い感情もまた揺れ動くものである。

 人の内面的世界や人生の浮き沈みが、病と深くかかわっていることは、臨床的には決して珍しく無い。

 本編で主張されている骨子は、『単に病を診るのではなく、人を観てこれを治す』ということである。

 このような視点に立って病に相対時すれば、病が治癒すればその人の生命が耀く方向へと流れ、その人の望む人生そのものが平和に全うされることに繋がる。

 社会は、関係性で成り立っています。

 世界を広く観れば医学は、小事です。

 政治は、大事です。

 いわば、上から治めるか、下から治めるのかの違いだけです。

 個人個人が平和で健康的調和が保たれていれば、平和で調和的な世界が実現されるというのが、内経医学の思想だと筆者は理解しております。

 これが内経医学で唱えられている『国士たる医療者の意識』だと考えています。

 この世でご縁があり導かれ、与えられたこの仕事を通じて自らを高め、真に社会に貢献することを説いた篇であるとも認識してます。

 ちなみに、黄帝が述べている五過四徳の「徳」については、触れているところがありません。

 五過を要約して陰陽転化すれば、四徳となるのではないかと推測しています。

 この意訳は、筆者の主観が色濃く反映されていますので、深く自分なりの解釈を求められる方は、原文と読み下し文に触れてくださればと思います。

 さて、読者諸氏はいったい、どのように読まれるでしょうか。

 

 

           意 訳

 

 黄帝が深く嘆息しながら、聖人の術に遠く思いを馳せ、思案しておられた。宇宙法則の深遠なることは、深淵を視るがごとく、浮雲を仰ぎ望むかのようである。

 深淵は深いといっても計測することができるが、浮雲を仰ぎ望んでは、その動きや形、その雲の浮き出て消えるその様は計測することができないものだ。

 聖人の術というのは、万民の手本であり、我々もまた見習うべきものである。時に人々の志意の善悪を論じて裁決することがあっても、必ず天道に適っているものだ。

 このように経脉に循(したが)い天の定数を守り、医事を按じてこれに循い、万民の補佐とならなくてはならない。

 さて、医事には五過四徳ということがあるのだが、そちはこれを知っておるか。

 雷公は席を離れ、再拝して申された。

 臣は年少者でして、物事に暗く愚かでありますゆえ惑う者であります。五過と四徳は、聞いたことがございません。

 病形や病名にとらわれてしまっております上に、それらを比類してはみるものの判然とせず、虚しくいずれかの経脉に引き当ててはみるものの、心中にしっくりと来るような納得を得られないでおります。

 帝が申された。

 おおよそ初めて病人を診るときは、必ず元々貴く高い地位にあった者が後に賤民になり下がったのではないかを問うのである。もしそのようであるなら、邪気に中らずとも病は内部から生ずるものである。これを名づけて営脱と称するのである。

 またかつて裕福で後に貧賤に陥いり、発病したものは、名づけて失精と称するのである。この場合、五臓の気がそれぞれ連なるように留滞し、合併症など複雑な状態を現出する。

 医者がこのような病人を診た場合、特に臓腑の異常所見を得られないばかりか、外見上の肥痩にも目立った変化が見られず、診察を終えて詐病ではないかと疑いさえ生ずる有様で、病名のつけようもないのである。

 ところがその日より身体は日に日に痩せ衰えるようになり、気は虚して精もまた無くなってくる。そして病が次第に深くなり気が無くなればゾクゾクとして震え寒がり、時にちょっとしたことにも驚くようになってくるものじゃ。

 これは、外の衛気がジワジワと損耗され、内は栄気が奪するからである。

 腕の良い医者であっても、このような病の背景や由来が病の原因になることを知らないようでは、病情を診察しても診断はおろか適切な治療さえできないものじゃ。これはまた、治療者の過失の第一である。

 

 およそ病を診ようとするのであれば、必ず飲食の内容や状態、住んでいる所が低地なのか高地なのかなど、どのようなところに住居し、またその住居がどんな様子なのかを問うことが大切である。

 その上で、にわかに喜び楽しみ、また窮して苦しむような状態で無いかどうか。または最初は喜び楽しんでいたとしても、その後に窮して苦しんでいないかどうかも大切な着眼点である。

 もしそのようであれば、皆精気を傷っているものである。精気が尽きて絶えてしまえば、肉体もまた損なわれてしまうのである。

 さらにまた、にわかに怒するようなことがあれば陰気を傷り、にわかに喜ぶようなことがあれば、陽気を傷ってしまうのである。怒が過度であれば、厥気が上行して脈は満ち、ついには身体が傷れて死に至るのである。

 愚医がこのような者を治療するに際しては、七情の病であることなど眼中にないので病に対する補瀉を知ることさえができないのじゃ。病情の機序も理解できないので、神気の現れである精華は日を追うごとに抜けていき、虚に乗じて邪気がはびこるようになるのである。これが治療者の過失の第二である。

 

 脈診に長じている者は、必ず比類と奇恒、つまり病や症例を比較して分類し、一般論と特殊論をかみ分けた上で、従容として脈が表現しているものを正確につかみ取ることができるのである。

 したがって医師となってこれらのことを知らないということであれば、貴き医師としては不足である。これが治療者の過失の第三である。

 

 また診察に際しては、三つの定石があるのじゃ。

 まずはその人が世上で貴いと言われている身分なのか、それとも賤しいと言われている身分なのかどうか。

 そしてかつては国を任される程の身分にありながら、何かのことで敗れて成り下がったのかどうか。

 また侯王など、高い地位を望んで得られなかったのかどうか。

 これらのことを必ず、問いて明らかとすることが大事なのじゃ。

 そして貴き地位にあった者が、一度権勢を失うと精神はすでに内に傷れているものであるから、邪に中らずとも身体はやがて敗亡していくものである。

 地位だけでなく金銭においても同じことが言えるのじゃ。

 元々裕福であった者が貧者に転落すれば、邪に中るまでもなく、自ら皮毛はやつれ衰え、筋肉が硬くなって姿勢も屈したようになり、手足が萎えて自由が利かなくなる痿躄(いへき)となり、全身が引きつれたかのようになるものじゃ。

 このような病態の患者に対しては、医師たるものが毅然とした態度と言動で患者の心の有り様を説き諭すべきなのである。

 もし医師がそのような厳然たる態度を取り、諭すことが出来ないのであれば、患者の神気は動かないであろう。

 ましてや、医師が患者の気を損ねることを恐れたり、また自分の身を守るために患者の訴えに同調し、柔軟な態度で患者に接すれば、医師、患者ともに神気は乱れて常道を失うであろう。

 そのようなことでは移精変気の法を用いることなど、とてもおぼつかず、医事そのものが成り立たなくなるのじゃ。

 こうなってしまっては、双方ともに元も子も無くしてしまう。

 これが治療者の過失の第四である。

 

 おおよそ診察に際しては、必ず終始循環の法則に則り、発病前・発病・発病後の経過・病の予後の、最低この四つを知ることである。

 その上で、患者の身の回りの状態や日常の生活状況などの細々としたことを聞いてゆくのじゃ。

 その上で脉を切して名を問い、男女の生理の違いを参合して診断するのである。

 そして親族縁者、親友・恋人との生き別れ・死に別れなどの愛別離などがあれば、神気は鬱して結ばれていよう。

 また憂恐喜怒などの七情の情動が大いに乱れれば、五臓の精気は空虚となり気血は内を離れて守りを失するであろう。

 医師がこれらのことを知ることができないのであれば、どのように高邁で深淵な医学理論であろうと、これを語ってなんになろうか。

 かつて裕福であった者が貧賤のどん底に陥るようなことにでもなれば、そのうちに筋は斬られたかのように動かなくものじゃ。今まだ身体は動かせてはいても、気血の流れは次第に身体を潤さなくなるものである。

 そうすると、傷敗した血気は留まって硬く結ばれることとなり、陽にせまって変化して膿を生じ、さらに留結が留結を生んで寒熱交錯の病態となるのである。

 このことを知らず、しかも術の至っていない粗工である医師が治療にあたり、手足、腹背など手当たり次第に何度も刺鍼すれば、身体の精気は解散し、手足は転筋のように引きつれてしまうのである。このようなところにまで陥れば、死期もあと幾日と数えることができるようになってしまうのじゃ。

 治療にあたる医師が、これらの人情に不明で、また根となる病の背景を問うことさえ知らず、ただ死期を告げるだけでは、これもまた駄医の粗工である。これが治療者の過失の第五である。

 

 おおよそこれらの五過を犯してしまうのは、学んで術を手にしてはいるが、人事や世情に暗いからである。

 だからこそ、聖人とまで謳(うた)われる人物の治療は、必ず天地陰陽の消長・転化、四季の移り変わりの法則、それら天地に従って五臓六腑が変化する理(ことわり)、表裏関係にある男女の生理の違いなど、自然と人間との相関性をしっかりと認識しておるのじゃ。

 さらにそれだけではなく、鍼灸・砭石の宜しき所、毒藥の主る所など、落ち着いてゆったりとして構えてはいても、これらに世上の人間の人事までをも加味してすべてお見通しである。

 従って学問と道理とが一体となり、明確に目の前の病人を治することができるのである。

 

 そもそも貴賤貧富の者たちは、それぞれに備わっている品が異なっているのであるから、気血もまたその理(ことわり)が異なっているものである。

 また年齢的に気が盛んな年少者であるのか、気が衰え始めた年長者であるのかや、勇ましいか怯えやすいかなどの性格・性質なども問診術で探るのである。

 このようにまず太極をしっかりと捉えた上で、全体と細部とを矛盾を生じないようにはっきりと道理を以てつなげ、そもそも病に至った本質を知るのである。

 ちなみに、四時八風の理や九候などの診察法は、かならず付き添えて行うのである。

 

 治病の道は、内臓の気を最も貴びこれを宝とすることである。色々と考えをめぐらしてその理を求め、どうしてもその診断がつかない場合は、八綱・表裏の診断に立ち返り、そこに過ちが無かったかどうかを確認するのである。

 そして天の度数を人に当てはめてこれを守り、これを治療のよりどころとしてさらに兪穴の理を得てこの術を行えば、生涯医師としてあやういことから逃れることができるであろう。

 もしこの兪穴の理を知らないようであれば、五臓に熱が集まり積もり、六腑に廱(よう=腫物)を発するようになるであろう。

 病人を診察して病因病理や病理機序を明確にできないようであれば、医師として常道を逸した者というべきであろう。

 しかし、謹んでこれまで述べてきたことを踏まえて治療に臨めば、経に記されていない言外のことまでもが、明確に心に映るであろう。

 上経・下経に記されている、陰陽で病を明確に処する揆度(きたく)陰陽、一般論と特殊論の奇恒、五臓に中った病など、これらの最終診断は、明堂の気色・光沢などを診て決するのである。

 さらにこれに病の終始をつまびらかにすることが出来れば、自由闊達、鍼を自由無尽に駆使することが出来るであろう。

            原文と読み下し

 

黄帝曰.嗚呼.遠哉閔閔乎.若視深淵.若迎浮雲.視深淵尚可測.迎浮雲莫知其際.聖人之術.爲萬民式.論裁志意.必有法則.循經守數.按循醫事.爲萬民副.故事有五過四徳.汝知之乎.

黄帝曰く。ああ、遠なるかな※閔閔(ぴんぴん)乎として、深淵を視るが若き、浮雲を迎えるが若し。深淵を視るは尚測るべし。浮雲を迎えては其の際を知ることなし。聖人の術は、萬民の式たり。志意を論裁して、必ず法則有り。經に循いて數を守り、醫事を按循して、萬民の副と爲す。故に事に五過四徳有り。汝これを知るや。

※閔閔…ああでもない、こうでもないと思いをめぐらすこと。

 

 雷公避席再拜曰.臣年幼小.蒙愚以惑.不聞五過與四徳.比類形名.虚引其經.心無所對.

雷公席を避け再拜して曰く。臣年幼小にして、蒙愚にして以て惑う。五過と四徳を聞かず。形名を比類し、虚しく其の經を引くも、心に對する所無し。

 

帝曰.

凡未診病者.必問嘗貴後賎.雖不中邪.病從内生.名曰脱營.

嘗富後貧.名曰失精.

五氣留連.病有所并.

醫工診之.不在藏府.不變躯形.診之而疑.不知病名.

身體日減.氣虚無精.病深無氣.洒洒然時驚.病深者.以其外耗於衞.内奪於榮.

良工所失.不知病情.此亦治之一過也.

帝曰く。

凡そ未だ病を診せざる者は、必ず嘗(かつ)て貴くして後に賎しきかを問う。邪に中らずと雖(いえ)ども病は内より生ず。名づけて脱營と曰く。

嘗て富み後に貧しきは、名づけて失精と曰く。

五氣留連して、病并せる所有り。

醫工これを診るに、藏府に在らず、躯形は變せず、これを診して疑い、病名知らず。

身體は日に減じ、氣虚して精無し。病深く氣無ければ、洒洒然(さいさいねん)として時に驚す。病深き者は、其の外の衞を耗し、内は榮を奪するを以てなり。

良工の失する所、病情を知らず。此れ亦た治の一過なり。

 

 

凡欲診病者.必問飮食居處.暴樂暴苦.始樂後苦.皆傷精氣.精氣竭絶.形體毀沮.

暴怒傷陰.暴喜傷陽.厥氣上行.滿脉去形.

愚醫治之.不知補寫.不知病情.精華日脱.邪氣乃并.此治之二過也.

凡そ病を診んと欲する者は、必ず飮食居處を問う。暴かに樂しみ暴かに苦しみ、始め樂しみ後苦しむは皆精氣を傷る。精氣は竭絶(けつぜつ)し、形體は毀沮(きそ)す。

暴かに怒すれば陰を傷り、暴かに喜こべば陽を傷る。厥氣上行し、脉滿ちて形去る。

愚醫はこれを治して、補寫を知らず、病情を知らず、精華は日に脱し、邪氣は乃ち并す。此れ治の二過なり。

 

 

善爲脉者.必以比類奇恒.從容知之.爲工而不知道.此診之不足貴.此治之三過也.

善く脈を爲(おさ)める者は、必ず比類奇恒を以て、從容としてこれを知る。工と爲りて道を知らず。此れ診の貴きに足らず。此れ治の三過なり。

 

診有三常.必問貴賎.封君敗傷.及欲侯王.

故貴脱勢.雖不中邪.精神内傷.身必敗亡.始富後貧.雖不傷邪.皮焦筋屈.痿躄爲攣.

不能嚴.不能動神.外爲柔弱.亂至失常.病不能移.則醫事不行.此治之四過也.

診に三常有り。必ず貴賎、封君の敗傷、及び侯王たらんと欲するを問う。

故に貴きにて勢を脱すれば、邪に中らずと雖ども、精神内に傷れて、身必ず敗亡す。始め富み後貧するは、邪は傷らずと雖ども、皮は焦し筋は屈し、痿躄(いへき)して攣を爲す。

醫嚴なること能わず、神を動かすこと能わず、外は柔弱と爲せば、亂れて常を失うに至る。病移ること能わざれば則ち醫事行なわれず。此れ治の四過なり。

 

 

凡診者必知終始.有知餘緒.

切脉問名.當合男女.離絶結.憂恐喜怒.五藏空虚.血氣離守.工不能知.何術之語.

凡そ診する者は必ず終始を知り、餘緒を知ること有り。

脉を切して名を問い、當に男女を合すべし。離絶菀結、憂恐喜怒すれば、五藏は空虚し、血氣守りを離る。工知ること能わざれば、何の術をかこれを語らん。

 

 

嘗富大傷.斬筋絶脉.身體復行.令澤不息.故傷敗結留.薄歸陽膿.積寒炅.粗工治之.亟刺陰陽.身體解散.四支轉筋.死日有期.醫不能明.不問所發.唯言死日.亦爲粗工.此治之五過也.

嘗つて富しが大いに傷れ、筋を斬(た)ち脉を絶つ。身體は復(ま)た行くも、澤をして息せざらしめん。故に傷敗して結留し、薄(せま)れば陽に歸して膿み、積みて寒炅(かんけい)す。粗工これを治するに、亟(しば)しば陰陽を刺せば、身體は解散し、四支は轉筋して、死日に期有り。醫明らかとすること能わず、發する所を問わず、唯だ死日を言うは、亦た粗工と爲す。此れ治の五過なり。

 

 

凡此五者.皆受術不通.人事不明也.

故曰.聖人之治病也.必知天地陰陽.四時經紀.五藏六府.雌雄表裏.刺灸砭石.毒藥所主.從容人事.以明經道.

凡そ此の五者は、皆術を受けて通ぜず、人事明かならざるなり。

故に曰く。聖人の病を治するや、必ず天地陰陽、四時經紀、五藏六府、雌雄表裏、刺灸砭石.毒藥の主る所、從容として人事を知り、以て經道を明らかとする。

 

 

貴賎貧富.各異品理.問年少長.勇怯之理.

審於分部.知病本始.八正九候.診必副矣.

貴賎貧富、各おの品理を異にす。年の少長、勇怯の理を問いて、

部分を審らかとし、病の本始を知る。八正九候、診必副す。

 

 

治病之道.氣内爲寳.循求其理.求之不得.過在表裏.

守數據治.無失兪理.能行此術.終身不殆.

不知兪理.五藏菀熟.癰發六府.診病不審.是謂失常.

謹守此治.與經相明.

上經下經.揆度陰陽.奇恒五中.決以明堂.審於終始.可以横行.

病を治するの道、氣内を寳と爲す。循(めぐ)りて其の理を求む。これを求めて得ざれば、過は表裏に在り。

數を守り治に據(よ)りて、兪の理を失すること無く、能く此の術を行えば、終身殆(あや)うからず。

兪の理を知らざれば、五藏は菀熟し癰(よう)は六府に發す。病を診て審らかならず。是れを常を失うと謂う。

謹しみて此の治を守れば、經と相い明らかなり。

上經下經、揆度陰陽、奇恒五中、決するに明堂を以てし、終始を審らかにして、以て横行すべし。

 

※揆度(きたく) 揆・はかる、やりかた 度・ほどあい、程度、

 <素問・玉板論要篇> 病の深浅をはかる。 <素問・病能論篇> 脉象から病を推測・判断する。

示從容論篇第七十六.

  本編は、従容(しょうよう)たることの重要性を説いているが、同時に少数鍼の根拠ともなりえる内容である。

 筆者は、父親から多く鍼を用いるものは下手くそであり、上手なものはホンの少数しか鍼を用いないものだと伝えられた。

 さて、従容とはいったいどのようなことなのであろうか。

 容とは、入れ物であり器(うつわ)であり、姿形は定まっている。

 従容を単純に読めば、容(器ーうつわ)に従うことであるが、さてこの容とは一体なんであるのか。

 さてまた従容という言葉は、「従容として死に赴く」などのように、ゆったりとして落ち着いているさまとして形容詞的な用い方をされている。

 いずれ人が死に赴くのは、定まった宇宙の法則である。

 それを自ら悟り受け入れることができれば、心はくつろいぎ落ち着いて、死のまどろみを満喫できるのであろう。

 さてさて、読み方は自由でありますが、鍼を行う上で定まった宇宙の法則とは如何に。

 すでにこの篇に至るまでの随所に、繰り返し記載されていると筆者は考えていますが、この篇に及んで臨床例を用いて従容の重要性を説いていると思われます。

 さて、従容に至る道とは、これいかに!

 さて、読者諸氏はどのように読み、感じ取られますでしょうか。

 

         原 文 意 訳

 

 黄帝はくつろぎながらゆったりと座り、雷公をお召しになって問うて申された。


 汝は、医術を授かり医学書も読んでおるのでおるようである。さすれば様々な学問を広く観てそれを比較して分類し、道理に合して通じていよう。そこで余にそちの得意なところを申してみよ。


 五臓六腑、胆・胃・大小腸・脾・女子胞・膀胱、脳髄・涕唾などは、哭泣悲哀などの七情の変動によって水が従い行く所である。これらは全ての人に生じる生理現象であるが、治療を誤るところでもある。もしそちがこれらのことを明確にすることができれば万全であろうが、もしこのことを知らないようであれば、世の怨みを受けることになろうぞ。

 

 雷公が申された。

 臣は請い求めて経脉の上下篇を何度も読誦いたしました。それぞれに異なるものを別ち、分類したものを比較しておりますが、未だ完璧という訳ではありません。またどうしてこれを明確にすることができましょうや。

 

 黄帝が申された。

 試しにそちが理解している五臓の病変、六腑の和せざるところや、鍼石の不適、毒藥が適している場合や湯液の滋味など、つぶさにそれらを申してみよ。その上でまだ分からないことがあれば、応えてやるので問うてみよ。

 

 雷公が申された。

 肝虚・腎虚脾虚というのは、いずれも身体が重く煩悶いたします。そこで毒薬を服用させてみたり鍼灸・砭石・湯液と様々に治療したのですが、治ったり治らなかったりするのですが、その理由をお聞かせくださいませ。

 

 黄帝が申された。
 そちは長くこの医学に携わっておきながら、どうしてそのような稚劣な問いを発するのか。余がそちにこのような問いをしたのが間違いであったか。

 余はそちにもっと奥深いことを問うているのだがのう。それを上下篇の内容そのままに答えるとはなんとしたことか。
 それ脾虚の脈は浮で肺の脈に似て、腎の病は小浮にして脾の脈に似ており、肝の病は急沈にして散なるは腎の脈に似ておるものじゃ。これらは工(医師)が皆判断に迷うところである。
 であるが、普段のとおりゆったりと落ち着いてよくよく判断すれば、明確に弁別することができるものだ。


 脾・肝・腎の三臓は、五行的には土・木・水であり、ともに膈下にあってそれぞれの気は互いに入り混じるものである。このようなことは、幼い子供でも知っていることであるのに、そちがこれを問うとはいかなることか。

 

 雷公が申された。
 ここに頭痛して筋が引きつり骨は重く、怯えているようで少気し、しかもしゃっくりやゲップを生じて腹満し、時に驚いて臥することを嗜なまないという人があります。
 この病は、何の臓から発したものでありましょうや。

 脈を切しますと、浮にして弦。さらに切しますと石堅でありますが、私にはその答えが見出せません。ですから改めて三臓についてお聞きするために質問をいたした次第で、脾・肝・腎の三蔵を比較して鑑別したいと思っております。

 

 帝が申された。
 それはこれまで学んできたことを背景にゆったりと構え、そしてじっくりと判断することが大事なのじゃ。
 ざっくりと太極を申せば、年長者は腑に、年少者は経に、年壯者は臓にそれぞれ目をつけて診るのじゃ。なぜならば年長者は気が衰え排泄に問題が現れ、年少のものは気が盛んで動き回るからである。さらに年壯のものは、その充実に頼んで無理をして精を費やし、疲れ切ってしまう傾向にあるからである。


 今のそちには、八風の邪が鬱して発熱する外因、五臓の衰えと邪の伝変の内因とを弁別する認識が欠けておるのう。
 よいか、つまり浮にして弦なるは腎の不足であり、沈にして石なるは腎気が内に籠って行らないからである。
 また怯えたかのように呼吸が弱くせわしいのは水道が通じないために津液も行らず、形気ともに消耗してしまったためである。
 さらに咳嗽してモヤモヤとして苦しむのは、腎気が上逆して心肺を犯すからである。
 人間ひとりの気の病というものは、このように腎ひとつの臓が病んだだけで、このように多彩な病態を現してくるものなのじゃ。
 それを三臓それぞれが倶に病んでいるというのは誤りであり、この医学の法に外れたことである。

 

 雷公が申された。
 ここにひとりの病人がおりまして、その症状は四肢が無力でだるく、喘ぎながら咳をしまして血を下しています。
 愚でありますわたくしが診察しましたところ、肺が傷れていると判断いたしました。

 脈を取りますと、浮大にして緊(虚?)でありましたので、確信が持てないので治療を行いませんでした。
 ところが粗工(下手な医者)が砭石(石メス)を用いて切開して瀉血したところ、大量の出血の後、出血が治まるのと同時に患者の身は軽くなり、病も治ってしまいました。これはいったいどういったことが起きたのでございましょう。

 

 帝が申された。
 そちがよく治療できることも、数多くの学問にも通じておることは、すでに余の知るところである。しかしながらこの病に対しては失したな。
 粗工が病を治すことができたのは、たとえば鳥が空高く飛んで、大きな天にたまたま衝きあたったもので、山勘が偶然当たっただけの話である。


 そもそも聖人の治療というものは、自然界の法則に順い、その運行度数を守り、様々な症例を比較・分析して分類し、暗くてはっきりとしない病態を明確にするものである。
 であるからして、身体上部に症状が現れておれば、身体下部の状態はどうなっているのか等、症状部位だけでなく他所にまでその診察の目は及ぶのである。であるからして、必ずしも経典に記されている通りのことを行うわけではないのである。


 今そちが申した、脉浮大にして虚(緊?)というのは、脾気が絶して外に津液を行らすことができない状態を現わしている。胃の気は去ってしまい脾の外腑である陽明に津液が留まるのである。
 これらは、心・肺の二火である陽臓が、肝・脾・腎の三水である陰臓に勝てない姿である。そのために脉は乱れ一定しないのである。

 四肢が無力でだるくなるのは、脾気が虚してその精気が行らないためである。
 喘ぎながら咳をするのは、水気が陽明に結集しているためである。
 血を泄するのは、脉流が急すぎて脈中に溢れて行く所が無いために決壊して出血するからである。


 もしこれらの症候を診て肺が傷れていると判断するならば、従容たる視点を失い狂っているからである。過去の症例も参考にして比較・分析をしないのであれば、はっきりと明確に病態をとらえることなどできるはずがないではないか。

 

 もし肺が傷れているのであれば、脾気は散じて守ることができず、胃の気は濁氣にまみれて清ならず、肺の経気は臓腑の使いとしての機能を果たせなくなるはずじゃ。
 そうなれば真気を蓄えている臓は決壊し、他の経脉までもが絶して五臓の真気もまた漏れ出てしまい、鼻から出血するか、さもなくば嘔するであろう。


 この傷肺と傷脾の二者は、相類することができない別ものである。
 たとえて申せば、天に形が無く、地には理が無い曖昧模糊(混沌)とした状態のようである。はっきりと明暗を分ける白と黒の遠いことよ。
 であるがそちのことは、吾の過失である。
 余はそちがすでにこれらのことを知っていると思っていたので、そちに告げなかったのである。
 症例から明らかに病理を引いて理法を理解できるようになれば、理法によって気血を導く道が見えてくるようになる。

 さすれば落ち着いてゆったりと構える従容となるなるものじゃ。
 さすればそちの論もまた診経と名づけることができよう。これを道に至ると言うのである。

 

         原文と読み下し

 

黄帝燕坐.召雷公而問之曰.汝受術誦書者.若能覽觀雜學.及於比類.通合道理.爲余言子所長.五藏六府.膽胃大小腸脾胞膀胱.腦髓涕唾.哭泣悲哀.水所從行.此皆人之所生.治之過失.子務明之.可以十全.即不能知.爲世所怨.
黄帝燕坐し、雷公を召してこれに問うて曰く。汝術を受け書を誦するは、若し能く雜學を覽觀し、比類に及び道理に通合すれば、余が爲に子の長ずる所を言え。五藏六府、膽胃大小腸脾胞膀胱、腦髓涕唾、哭泣悲哀、水の從い行く所、此れ皆人の生ずる所、治の過失なり。子務めてこれを明らかにすれば、以て十全たるべし。即ち知ること能わざれば、世の怨む所と爲す。

 

雷公曰.臣請誦脉經上下篇.甚衆多矣.別異比類.猶未能以十全.又安足以明之.
雷公曰く。臣請う。脉經の上下篇を誦するも、甚だ衆多なり。異を別ち類を比するも、猶お未だ以て十全なること能わず。又安(いずく)んぞ以てこれを明らかしむるに足らんや。

 

帝曰.子別試通五藏之過.六府之所不和.鍼石之敗.毒藥所宜.湯液滋味.具言其状.悉言以對.請問不知.
帝曰く。子、五臓の過、六府の和せざる所に通じ、鍼石の敗、毒藥の宜しき所、湯液の滋味を試みに別ち、具(つぶさ)その状を言え。悉く言わば以て對(こた)えん。請う知らざるを問え。

 

雷公曰.肝虚腎虚脾虚.皆令人體重煩寃.當投毒藥刺灸砭石湯液.或已或不已.願聞其解.
雷公曰く。肝虚腎虚脾虚、皆人をして體重く煩寃せしむ。當に毒藥を投じて刺灸し、砭石湯液するも、或いは已え或いは已えず。願わくばその解を聞かん。

 

帝曰.公何年之長而問之少.余眞問以自謬也.吾問子窈冥.子言上下篇以對.何也.夫脾虚浮似肺.腎小浮似脾.肝急沈散似腎.此皆工之所時亂也.然從容得之.若夫三藏.土木水參居.此童子之所知.問之何也.
帝曰く。公何んぞ年の長にして問の少なきや。余眞に問いて以て自ら謬れり。吾子に窈冥(ようめい)を問う。子は上下篇を言いて以て對するは何なるや。夫れ脾虚は浮にして肺に似、腎は小浮にして脾に似、肝は急沈にして散なるは腎に似る。此れ皆工の時に亂れる所なり。然るに從容としてこれを得、若し夫れ三藏の土木水參わり居れば、此れ童子の知る所。これを問うは何ぞや。

 

雷公曰.於此有人.頭痛筋攣骨重.怯然少氣.噦噫腹滿.時驚不嗜臥.此何藏之發也.脉浮而弦.切之石堅.不知其解.復問所以三藏者.以知其比類也.
雷公曰く。此れに人有り。頭痛、筋攣、骨重く、怯然(きょぜん)として少氣し、噦噫、腹滿、時に驚き嗜臥せず。此れ何(いず)れの藏の發するや。脉浮にして弦。これを切して石堅。その解を知らず。復た三臓なる所以を問いて、以てその比類を知らんとす。

 

帝曰.夫從容之謂也.夫年長則求之於府.年少則求之於經.年壯則求之於藏.今子所言.皆失八風菀熟.五藏消爍.傳邪相受.夫浮而弦者.是腎不足也.沈而石者.是腎氣内著也.怯然少氣者.是水道不行.形氣消索也.欬嗽煩寃者.是腎氣之逆也.一人之氣.病在一藏也.若言三藏倶行.不在法也.
帝曰く。夫れ從容これを謂うなり。夫れ年長なれば則ちこれを府に求め、年少なれば則ちこれを經に求め、年壯なれば則ちこれを藏に求む。今子の言う所、皆八風菀熟、五藏消爍、傳邪相い受けることを失す。夫れ浮にして弦なる者は、是れ腎不足なり。沈にして石なる者は、是れ腎氣内に著くなり。怯然として少氣する者は、是れ水道行らず、形氣は消索するなり。欬嗽し煩寃(はんえん)する者は、是れ腎氣の逆なり。一人の氣の病は一藏に在るなり。若し三藏倶に行くと言うは、法に在らざるなり。

 

雷公曰.於此有人.四支解墮.喘欬血泄.而愚診之.以爲傷肺.切脉浮大而緊.愚不敢治.粗工下砭石.病愈.多出血.血止身輕.此何物也.
雷公曰く。此に人有り。四支解墮し喘欬して血泄す。しかして愚これを診して、以て傷肺と爲す。脉を切するに浮大にして緊。愚敢えて治せず。粗工砭石を下して病愈ゆ。多く血を出だし、血止みて身輕し。此れ何する物や。

 

帝曰.
子所能治.知亦衆多.與此病失矣.
譬以鴻飛.亦沖於天.
夫聖人之治病.循法守度.援物比類.化之冥冥.循上及下.何必守經.
今夫脉浮大虚者.是脾氣之外絶.去胃外歸陽明也.夫二火不勝三水.是以脉亂而無常也.
帝曰く。
子の能く治する所、亦た衆多と知るも、此の病とは失するなり。
譬(たと)うるに、鴻の飛びて亦た天に沖するを以てなり。
夫れ聖人の病を治するは、法に循(したが)い度を守り、物を援(ひ)きて比類し、冥冥これを化し、上に循(したが)いて下に及ぶ。何ぞ必ずしも經を守らん。
今夫れ脉浮大にして虚なる者は、是れ脾氣の外絶し、胃を去りて外陽明に歸するなり。夫れ二火は三水に勝たず。是れを以て脉亂れて常無きなり。

 

四支解墮.此脾精之不行也.
喘欬者.是水氣并陽明也.
血泄者.脉急.血無所行也.若夫以爲傷肺者.由失以狂也.不引比類.是知不明也.
四支解墮するは、此れ脾精の行らざるなり。
喘欬する者は、是れ水氣陽明に并(あわ)するなり。
血泄す者は、脉急にして、血の行く所無きなり。若し夫れ以て傷肺と爲す者は、失して以て狂するに由るなり。比類を引かず。是れ知の明らかならざるなり。

 

夫傷肺者.脾氣不守.胃氣不清.經氣不爲使.眞藏壞決.經脉傍絶.五藏漏泄.不衄則嘔.此二者.不相類也.
譬如天之無形.地之無理.白與黒.相去遠矣.
是失吾過矣.
以子知之.故不告子.明引比類.從容是以名曰診輕.是謂至道也.
夫れ肺を傷る者は、脾氣守らず、胃氣清ならず、經氣使と爲さず。眞藏壞決し、經脉傍絶し、五藏漏泄し、衄せざれば則ち嘔す。此の二者は、相い類せざるなり。
譬えば天の形無く、地の理無きが如し。白と黒、相い去ること遠きなり。
是の失は吾の過なり。
子これを知るを以ての故に子に告げず。明らかに比類を引くに、從容たれば是れを以て名づけて診輕と曰く。是れ至道と謂うなり。

 

著至教論篇第七十五.

 本篇では、天人合一思想を軸として陰陽論を駆使して記されている。

 本中に「上は天文を知り、下は地理を知り、中は人事を知る」とあるは、上は天気に応じ、下は地気に応ずと読み替えることができる。

 中の人事は、我々の意識的・理知的な働きとして読んでもいいのであろうか。

 それとも天地の間にあって、我々の人事が生じると読むのであろうか。

 そこは読者諸氏のしっくりとくる読み方でよいと思われる。

 突発的な病は今起きたのではなくて、それ以前より積み重なったものが何か偶然のきっかけで表出したに過ぎないことを述べている。

 我々は、四診の筆頭、望診術をはじめ様々な術が伝承されている。

 伝わっている伝承を知るもの少なし、といった感じだろうか。

 

 

          意 訳

 黄帝は、政務を行う宮殿に座り、雷公をお召しになられ、「そちは医道を心得ておるか」と問われました。

 

 それに対して雷公が申された。

 私は声に出して読み、一応の理解はできております。ですが、未だにしっかりと弁別することができませんで、仮に弁別したとしても確信することができませんので、はっきりこうだと人に伝えることもできない状態です。

 ですから同僚の治病はまま行えますが、国の大事を預かる王侯の治病を行うのには、恐れ多い次第であります。
 願いますれば、天の運行法則をしっかりと自分の意識に擁立し、四時陰陽の盛衰・消長と照らし合わせ、星辰と日月の光を観察してこの医術を人に伝えることができるよう、明確に致したいと存じます。
 そして後世に至って益々明確になりますれば、上は神農に通じることができましょうし、この至教を著し、過去偉大なる二皇にも肩を並べられる人物となりたく存じます。

 

 黄帝が申された。

 よし、よくわかった。今申したことを忘れる出ないぞ。

 そちが申したことは全て、陰陽・表裏、上下・雄雌と相互に感応し合うものである。

 さらにこの医道は、上は天文を知り、下は地理を知り、中は人事を知ることで長久することができるのである。

 このような普遍の真理を以て大衆に教え導いたとしても、人々の心に疑いを生じることは無いであろう。

 そしてこの医道の論篇は後世に伝えるべきであり、また宝とすべきものである。

 

 雷公が申された。

 これを読経して暗唱し、深く理解してこれを用いますので、どうかこの医道を授けてください。

 

 帝が申された。

 そちは陰陽伝という書物を聞いたことがあるか。

 

 雷公が申された。

 知りません。

 

 黄帝が申された。

 三陽は天の働きと同じである。上下の気の交流が常道を離れてしまえば、天人合して病となるのである。

 それは天地・上下に気が偏り、陰陽の気の交流が害されてしまうからなのである。

 

 雷公が申された。

 三陽は当たること無しとは、いったいどのように理解すればよろしいのでしょうか。どうかお聞かせください。

 

 黄帝が申された。

 三陽がひとり至るとは、三陽がひとつとなって一気に至るということである。その様は突然やってくる風雨のようであり、上に症状が現れると巓疾のように突然意識を失ったり、下に症状が現れると大小便が漏れてしまうなどの漏病を現すのである。

 三陽がひとつとなって怒涛の如く押し寄せれば、このような様であるから外に現れる症状は予測することができず、また五臓六腑の正常な生理も乱れ失われるので、経典に記されている規律にも当てはまらず、診察しても病根が上下のどこにあるのかさえ分からないので、書き著すことさえできないものである。

 雷公が申された。

 私が治療いたしましても、治ることはまれでありまして、病に対して思うことを述べるに留まってしまいます。

 帝が申された。

 三陽の病というのは、陽の最も盛んな状態である。このような至陽である三陽が、内部に積もり積もって一気に発すれば、驚躁状態となるのである。それはあたかも疾風のように迅速で突然であり、また晴天の霹靂(へきれき)の如く猛烈で衝撃的な形で起こるのである。

 そうなると、体中の穴という穴(九竅)は全て塞がって通じなくなり、陽気は満ち溢れて口中は乾いてしまい喉もまた塞がってしまうのである。

 この三陽の病が、五臓六腑の陰に集まれば、正常な上下の気の交流が乱れてしまい、さらに陰に迫れば筒下しのような下痢。つまり腸澼(ちょうへき)を起こすのである。このような状態を、三陽が直接心を侵したというのである。

 このようであれば、座ることはできても立つことはできず、仰向けになるとようやく体が楽になるのは、三陽の病であるからである。

 そちが天下の諸事を知ろうとするのであれば、何を以て陰陽を別ち、四時の気に応じ、これらを五行に合致させるのか。

 雷公が申された。

 表立って述べられてる言葉が識別できませんで、また言葉に込められている深遠な理もまた理解できません。

 改めてどうか教えを頂戴しまして、この混沌とした困惑を解き、道に至りたく存じます。

 

帝が申された。

そちがもし、余が授けた伝を受けても、道に至る過程に合致させることができなければ、余の教えを惑わすだけになるであろう。そちに道に至る要を語って聞かせてやろう。

 病邪が五臓を傷害すれば、筋骨は日ごと痩せ衰えていくものである。それをそちがこれまで述べてきた陰陽・四時・五行の理を以て明確にできないというのであれば、世の医学は伝えることができずに廃れていくであろう。

 一例を挙げれば、腎がまさに今絶えんとする場合は、なんとなく不安定な気持ちで日が暮れ、落ち着いてしまったかのように外に出たからず、社会生活や日常生活が消沈するようになるなどである。

 もう一度振り返り、自らの不明な困惑を明らかにし、道に至るがよい。

 

             原文と読み下し

 

黄帝坐明堂.召雷公而問之曰.子知醫之道乎.

雷公對曰.

誦而頗能解.解而未能別.別而未能明.明而未能彰.

黄帝明堂に座し、雷公を召してこれに問うて曰く。子、醫の道を知るや。

雷公對して曰く。

誦(しょう)して頗る能く解す。解するも未だ能く別たず。別かつも未だ能く明らかならず。明らかにして未だ能く彰らかならず。

足以治群僚.不足至侯王.願得受樹天之度.四時陰陽合之.別星辰與日月光.以彰經術.後世益明.上通神農.著至教.疑於二皇.

以て群僚を治するに足るも、侯王に至りて足りず。願わくば天の度を樹(た)つるを受け、四時陰陽これを合し、星辰と日月の光りを別ちて、以て經術を彰らめん。後世益ます明らめ、上は神農に通じ、至教を著わし、二皇に疑するを得ん。

 

帝曰善.無失之.

此皆陰陽表裏.上下雌雄.相輸應也.

而道上知天文.下知地理.中知人事.

可以長久.以教衆庶.亦不疑殆.

醫道論篇.可傳後世.可以爲寳.

雷公曰.請受道.諷誦用解.

帝曰く、善し。これを失することなかれ。

此れ皆陰陽表裏、上下雌雄、相い輸して應ずるなり。

しかして道、上は天文を知り、下は地理を知り、中は人事を知り、

以て長久すべく、以て衆庶を教え、また疑殆せざるなり。

醫道の論篇、後世に傳うべく、以て寳と爲すべし。

雷公曰く。請う、道を受け、諷誦(ふうじゅ)して用いて解せん。

 

帝曰.子不聞陰陽傳乎.

曰不知.

曰.夫三陽.天爲業.上下無常.合而病至.偏害陰陽.

帝曰く、子は陰陽傳を聞かざるや。

曰く、知らず。

曰く、夫れ三陽は、天を業と爲す。上下に常無ければ、合して病至り、偏(かた)よりて陰陽を害す。

 

雷公曰.

三陽莫當.請聞其解.

帝曰.

三陽.獨至者.是三陽并至.并至如風雨.上爲巓疾.下爲漏病.外無期.内無正.不中經紀.診無上下.以書別.

雷公曰.臣治疏愈.説意而已.

雷公曰く。

三陽當たること莫しとは、請うその解を聞かん。

帝曰く。

三陽獨り至る者は、是れ三陽并せ至るなり。并せ至ること風雨の如し。上は巓疾を爲し下は漏病を爲す。外に期すること無く、内に正なること無し。經紀に中らず、診するに上下は、書を以て別たず。

雷公曰く。臣治して愈ゆること疏(まれ)なり。意を説きて已(や)む。

 

帝曰.

三陽者至陽也.積并則爲驚.病起疾風.至如礰.

九竅皆塞.陽氣滂溢.乾嗌喉塞.并於陰.則上下無常.薄爲腸澼.此謂三陽直心.坐不得起.臥者便身全.三陽之病.

帝曰.

三陽なる者は至陽なり。并(あ)わせ積めば則ち驚を爲す。病の起ること疾風なりて、至ること礔礰の如し。

九竅皆塞がり、陽氣滂溢(ぼういつ)し、嗌乾きて喉塞る。陰に并するは、則ち上下に常無し。薄(せま)れば腸澼を爲す。此れ三陽心に直(あた)ると謂い、坐して起することを得ず、臥する者は便(すなわ)ち身を全うするは、三陽の病なり。

 

且以知天下.何以別陰陽.應四時.合之五行.

雷公曰.陽言不別.陰言不理.請起受解.以爲至道.

且(まさ)に以て天下を知らんとすれば、何を以て陰陽を別ち、四時に應じ、これを五行に合するや。

雷公曰.陽は言を別たず、陰の言は理せず。請う起きて解を受け、以て至道と爲さん。

 

帝曰.

子若受傳.不知合至道.以惑師教.語子至道之要.

病傷五藏.筋骨以消.子言不明不別.是世主學盡矣.

腎且絶.惋惋日暮.從容不出.人事不殷.

帝曰く。

子若し傳を受け、至道に合するを知らざれば、以て師教を惑わさん。子に至道の要を語らん。

病五藏を傷れば、筋骨以て消す。子不明にして別たずと言うは、是れ世の主學盡きたり。

腎且(まさ)に絶せんとすれば、惋惋(えんえん)として日暮れ、從容として出ず、人事は殷(さかん)ならず。

 

12.足厥陰 肝

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正經

肝足厥陰之脉.起于大指叢毛之際.上循足上廉.去内踝一寸.上踝八寸.交出太陰之後.上膕内廉.循股陰.入毛中.過陰器.抵小腹.挾胃.屬肝.絡膽.上貫膈.布脇肋.循喉之後.上入頏.連目系.上出額.與督脉會于巓.

其支者.從目系.下頬裏.環脣内.

其支者.復從肝別.貫膈.上注肺.

肝足厥陰の脉は、大指叢毛(そうもう)の際に起こり、上りて足跗(そくふ)の上廉を循(めぐ)り、内踝(ないか)を去ること一寸、踝(か)を上ること八寸、①太陰の後に交り出で、膕(かく)の内廉を上り、②股陰を循(めぐ)り、毛中に入り、③陰器を過ぎ、小腹に抵(あた)り、④胃を挾(はさ)み肝に屬(ぞく)し膽(たん)を絡(まと)う。上りて膈を貫き、⑤脇肋に布き、喉嚨(こうろう)の後を循(めぐ)り、上りて頏顙(こうそう)に入り、⑥目系に連なり、上りて額に出で、督脉と巓(てん)で會(かい)す。

其の支なる者は、目系より、頬裏を下り、⑦脣内(しんない)を環(めぐ)る。其の支なる者は、復(ま)た肝より別れ、膈を貫ぬき、上りて肺に注ぐ。

【解説】

①太陰の後に交り出で:陰陵泉付近で足太陰と交差する。足を走行する経絡は、互いに交わりながら主に身体を支える土台を形成する。

②股陰を循(めぐ)り:男女の生殖器を流注しており、妊娠・出産のほか、生殖器疾患に深くかかわる。

③陰器を過ぎ、小腹に抵(あた)り:女性の卵巣・子宮疾患には、瘀血が関係することが多々ある。この場合、脾統血、肝蔵血、腎固摂を破り肺気の粛降作用を利用して駆瘀血する。用いる経穴は合谷、三陰交、臨泣、刺法は瀉法である。

④胃を挾(はさ)み肝に屬(ぞく)し膽(たん)を絡(まと)う:肝は昇発、胃は和降であるため、虚実の兼ね合いはあるが、流注によって肝胃不和を説明することができる。また、肝の熱が胃に伝わると、過食や嘈雜を来しやすい。胃腸症状の主従の主が肝であれば、肝を治療すると奏功する。

⑤脇肋に布き:脇は胸の側面から脇腹にかけての広範囲の部分で、章門は、肝脾不和など肝と脾の状態が現れやすい。

⑥目系に連なり:目の裏に流注し、手少陰と交会して百会で督脈と交会する。このことから、眼底出血や視野の欠損などは、心・肝・胆を治療すれば回復を望むことができる。また百会を用いて、肝気上逆や内風を治めることができる。

⑦脣内(しんない)を環(めぐ)る:唇周囲は多くの経絡が関係するが、主に脾と肝の状態が現れる。唇の内側に生じる口内炎などは、肝を中心に肝脾との兼ね合いで診る。

 

正經病症

是動則病腰痛不可以俛仰.丈夫疝.婦人少腹腫.甚則乾.面塵脱色.是主肝所生病者.胸滿嘔逆.泄.狐疝.遺溺.閉

是れ動ずれば則ち病む。腰痛し以って俛仰(ふぎょう)すべからず。①丈夫は㿗疝(たいせん)し、婦人は少腹腫れ、甚だしければ則ち嗌(のど)乾き、②面塵(ちり)づいて色脱す。

是れ肝を主として生ずる所の病の者は、③胸満して嘔逆し、④飧泄(そんせつ)、⑤狐疝(こせん)、⑥遺溺(いじゃく)、⑦閉癃(へいりゅう)す。

【解説】

①丈夫は㿗疝(たいせん)し、婦人は少腹腫れ:男性は睾丸が腫れ痛み、女性は下腹部が腫れ痛む。女性は、生理痛などが連想される。

②面塵(ちり)づいて色脱す:顔面が煤けたようになり、顔色がさえない様子。

③胸満して嘔逆し:胸がいっぱいになり吐き気を催すこと。

④飧泄(そんせつ):筒下しの下痢、未消化便。

⑤狐疝(こせん):陰嚢ヘルニア

⑥遺溺(いじゃく):小便が漏れやすい、失禁する。

⑦閉癃(へいりゅう):「閉」は小便が全くでない状態。「瘤」は、小便がしたたり、スムーズに排泄できない状態。

 

經別

足厥陰之正.別上.上至毛際.合于少陽.與別倶行.此爲二合也.

足厥陰の正、跗(ふ)上に別れ、①上りて毛際に至り、少陽に合し、別と倶(とも)に行く。此れ二合と為すなり。

【解説】

①上りて毛際に至り、少陽に合し:足少陽正経と経別と合流し、主に足少陽の経別と関係を深める。

 

經筋

足厥陰之筋.起于大指之上.上結于内踝之前.上循脛.上結内輔之下.上循陰股.結于陰器.絡諸筋.

足厥陰の筋、大指の上に起り、上りて内踝(か)の前に結び、上りて脛を循(めぐ)り、上りて内輔(ないほ)の下に結び、上りて陰股を循(めぐ)り、陰器に結び、①諸筋を絡(まと)う。

【解説】

①諸筋を絡(まと)う:<類経>「陰器者、合太陰、厥陰、陽明、足少陽之筋、以及衝、任、督之脉皆聚于此、故曰宗筋」

 

經筋病症

其病足大指支内踝之前痛.内輔痛.陰股痛轉筋.陰器不用.傷於内.則不起.傷於寒.則陰縮入.傷於熱.則縱挺不收.

其の病足の大指支(つか)え、内踝(か)の前痛み、内輔(ないほ)痛み、陰股痛みて轉筋(てんきん)し、陰器用いず、内傷れば則ち起きず、寒に傷らるれば則ち陰縮み入り、熱に傷らるれば則ち縦挺(じゅうてい)して収まらず。

 

絡脈

足厥陰之別.名曰蠡溝.去内踝五寸.別走少陽.其別者.循脛上睾.結于莖.

足厥陰の別、名づけて蠡溝と曰く。内踝(か)を去ること五寸、別れて少陽に走る。其の別なる者は、脛を循(めぐ)り睾(こう)に上り、莖(けい)に結ぶ。

 

絡脈病症

其病氣逆則睾腫卒疝.實則挺長.虚則暴癢.取之所別也.

其の病、氣逆すれば則ち睾(こう)腫れ卒疝(そつせん)す。實すれば則ち挺(てい)長し、虚すれば則ち暴癢(ぼうよう)す。之(これ)を別れる所に取るなり。

 

※挺(てい)長…異常勃起 暴癢(ぼうよう)…異常に痒くなる

11.足少陽 胆

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正經

膽足少陽之脉.起于目鋭眥.上抵頭角.下耳後.循頚行手少陽之前.至肩上.却交出手少陽之後.入缺盆.

其支者.從耳後.入耳中.出走耳前.至目鋭眥後.

其支者.別鋭眥.下大迎.合于手少陽.抵于.下加頬車.下頚.合缺盆.以下胸中.貫膈.絡肝.屬膽.循脇裏.出氣街.繞毛際.横入髀厭中.

其直者.從缺盆.下腋.循胸.過季脇.下合髀厭中.以下循髀陽.出膝外廉.下外輔骨之前.直下抵絶骨之端.下出外踝之前.循足上.入小指次指之間.

其支者.別上.入大指之閒.循大指岐骨内.出其端.還貫爪甲.出三毛.

膽足少陽の脉は、目の鋭眥(えいし)に起り、上りて頭角に抵(あた)り、耳後を下り、頚を循(めぐ)り手少陽の前を行き、肩上に至り、却(しりぞ)いて①手少陽の後に交り出で、缺盆に入る。

其の支なる者は、耳後より、②耳中に入り、出でて耳前に走り、目の鋭眥(えいし)の後に至る。

其の支なる者は、鋭眥(えいし)に別れ、大迎に下り、手少陽と合す。䪼(せつ)に抵(あた)り、下りて③頬車に加わり、頚を下りて④缺盆に合し、以って胸中を下り、⑤膈を貫き肝を絡(まと)い膽に屬す。脇裏を循(めぐ)り、氣街に出で、毛際を繞(めぐ)り、横に⑥髀厭(ひえん)の中に入る。

其の直なる者は、缺盆より腋を下り、胸を循(めぐ)り⑦季脇を過ぎ、下りて髀厭(ひえん)の中に合し、以って下りて髀陽を循(めぐ)り、膝の外廉に出で、⑧外輔骨(がいほこつ)の前を下り、直(ただ)ちに下りて⑨絶骨の端に抵(あた)り、下りて外踝(がいか)の前に出で、足跗(そくふ)の上を循(めぐ)り、小指の次指の間に入る。

其の支なる者は、⑨跗上(ふじょう)に別れ、大指の閒に入り、大指岐骨(きこつ)の内を循(めぐ)りて其の端に出ず。還(めぐ)りて爪甲を貫ぬき、三毛に出ず。

【解説】

①手少陽の後に交り出で:肩井から大椎に流注して缺盆へと入っていく。

②耳中に入り:手少陽と共に、耳との関係が深いことを示している。上焦の少陽部位に病邪が侵襲すると、中耳炎、難聴など耳の疾患を生じる。小柴胡湯証264条<少陽中風、両耳無所聞、目赤、胸中満而煩者、…>

③頬車に加わり:足陽明と合流し、顎関節症と関係する。この場合、足の甲を取穴する。

④缺盆に合し:足陽明と同じく、ここから深部と浅部の二本が流注する。

⑥膈を貫き肝を絡(まと)い膽に屬す:期門で肝を絡い、日月で胆に属する。この期門と日月の募穴間の位置は、肋骨弓の上下であり距離も他の表裏募穴間に比べて近くに位置している。このことから肝胆は相照らし合いながら一体となって生理機能を行っている。

⑤季脇を過ぎ:この部位で腎募穴・京門穴、帯脉穴を通って仙骨部・八髎穴を流注して環跳穴へと流れていく。

⑥髀厭(ひえん):環跳穴

⑦外輔骨:腓骨頭、陽陵泉で足陽明経筋・足太陽経筋が合流する。

⑧絶骨の端:陽輔穴

⑨跗上(ふじょう)に別れ:臨泣穴から大衝穴・行間穴を循って指先に至り、向きを変えて足の親指の爪甲根部に至る。

 

正經病症

是動則病口苦.善大息.心脇痛不能轉側.甚則面微有塵.體無膏澤.足外反熱.是爲陽厥.

是主骨所生病者.頭痛頷痛.目鋭眥痛.缺盆中腫痛.腋下腫.馬刀侠.汗出振寒瘧.胸脇肋髀膝外.至脛絶骨外踝前.及諸節皆痛.小指次指不用

是れ動ずれば則ち病む。①口苦く、善(よ)く②大息(たいそく)し、③心脇痛みて轉側(てんそく)すること能(あた)わず、甚だしければ則ち③面微(かす)かに塵(ちり)有り、體(たい)に膏澤(こうたく)無く、足の外反って熱す。是れ陽厥(ようけつ)と為す。

是れ骨を主として生ずる所の病の者は、頭痛頷(がん)痛み、目の鋭眥(えいし)痛み、缺盆の中腫れ痛み、腋下腫れ、④馬刀侠癭(ばとうきょうえい)し、汗出で振寒し、⑤瘧(がい)し、胸・脇・肋・髀(ひ)・膝の外より、脛・絶骨・外踝(か)の前、及び諸節に至りて皆痛み、小指の次指用ず。

【解説】

①口苦く:小柴胡湯証263条<少陽之爲病、口苦、咽乾、目眩也>

②大息(たいそく):大きなため息。気の鬱滞を開放する動作。

④心脇痛みて:胸脇苦満。

⑤面微(かす)かに塵(ちり)有り:ちりのようにかすかに黒っぽくなること。

⑥馬刀侠癭(ばとうきょうえい):馬刀とは、マテガイの別名。癭とはできもの、腫れもの。頸部にできるリンパ腺炎、甲状腺腫など。

⑦瘧(がい):マラリアのように間欠的に悪寒と発熱を繰り返す病。小柴胡湯証266条<本太陽病不解、轉入少陽者、脇下滿、乾嘔不能食、往来寒熱、…>

 

經別

足少陽之正.繞髀.入毛際.合于厥陰.別者.入季脇之間.循胸裏.屬膽.散之上肝.貫心.以上挾咽.出頤頷中.散于面.繋目系.合少陽于外眥也.

足少陽の正、髀(ひ)を繞(めぐ)り、毛際に入り、①厥陰に合す。別なる者は、季脇(ききょう)の間に入り、胸裏を循(めぐ)り、膽(たん)に屬(ぞく)し、散じて上りて肝に之(ゆ)き、②心を貫ぬき、以て上りて咽を挾(ばさ)み、頤頷(いがん)の中に出で、面に散じ、③目系に繋(つな)がり、少陽と外眥(がいし)に合するなり。

【解説】

①厥陰に合す:陰部付近で表裏が合する。

②心を貫ぬき:心神との関係を示している。

③目系に繋(つな)がり:内眥に流注している手太陽と足少陽で、左右の目の動きを行っている。メニエル氏病などの眩暈時には、眼球が左右に振れるのが観察される。

 

經筋

足少陽之筋.起于小指次指.上結外踝.上循脛外廉.結于膝外廉.

其支者.別起外輔骨.上走髀.前者結于伏兔之上.後者結于尻.

其直者.上乘[月少]季脇.上走腋前廉.繋于膺乳.結于缺盆.直者.上出腋.貫缺盆.出太陽之前.循耳後.上額角.交巓上.下走頷.上結于.支者.結于目眥.爲外維.

足少陽の筋、小指の次指に起り、上りて外踝(か)に結び、上りて脛の外廉を循(めぐ)り、膝の外廉に結ぶ。

其の支なる者は、別れて外輔骨(がいほこつ)に起り、上りて髀(ひ)に走り、前なる者は①伏兎の上に結び、後なる者は②尻(こう)に結ぶ。其の直なる者は、上りて③䏚(びょう)と季脇(ききょう)に乗(じょう)じ、上りて腋の前廉に走り、膺乳(ようにゅう)に繋(つな)がり、缺盆に結ぶ。直なる者は、上りて腋に出で、缺盆を貫ぬき、太陽の前に出で、耳後を循(めぐ)り、額角を上り、④巓上(てんじょう)に交わり、下りて頷(がん)に走り、上りて頄(きゅう)に結ぶ。支なる者は、目眥(もくし)に結びて外維(がいい)と為す。

【解説】

①伏兎の上に結び:足陽明に繋がる。

②尻(こう)に結ぶ:臀部で足太陽と繋がる。

③䏚(びょう):季肋の下、腸骨上部の骨の無い柔らかい部分。

④巓上:百会穴。

 

經筋病症

其病小指次指支轉筋.引膝外轉筋.膝不可屈伸.膕筋急.前引髀.後引尻.即上乘[月少]季脇痛.上引缺盆膺乳頚維筋急.從左之右.右目不開.上過右角.並脉而行.左絡于右.故傷左角.右足不用.命曰維筋相交.

其れ病めば小指の次指支(つか)え轉筋(てんきん)し、膝外に引きて轉筋(てんきん)し、膝屈伸すべからず、膕(かく)筋急し、前は髀(ひ)に引き、後は尻(こう)に引き、即ち上りて䏚(びょう)と季脇(ききょう)に乗(じょう)じて痛み、上は缺盆・膺乳(ようにゅう)に引きて頚維の筋急す。左より右に之(ゆ)けば、右目開かず、上りて右角を過(よ)ぎり、蹻脉(きょうみゃく)と並び行き、左は右を絡(まと)う。故に左角を傷(やぶ)れば右足用いず。命じて①維筋相交(いきんそうこう)と曰(いわ)く。

【解説】

①維筋相交(いきんそうこう):「気の偏在」としてみれば経筋に限らず、維筋相交(いきんそうこう)は存在する。足少陽経筋病症にわざわざ維筋相交と記しているのは、任脈・督脈で左右の経絡は接しており、また帯脉は上下左右の空間の軸=枢であるためである。(帯脉主冶穴=臨泣穴)

 

絡脈

足少陽之別.名曰光明.去踝五寸.別走厥陰.下絡足

足少陽の別、名づけて光明と曰く。踝(か)を去ること五寸、別れて厥陰に走り、下りて①足跗(そくふ)を絡(まと)う。

【解説】

①足跗(そくふ)を絡(まと)う:足の甲は、足陽明と足少陽が密接に関係している。

 

絡脈病症

實則厥.虚則痿躄.坐不能起.取之所別也.

實すれば則ち厥(けつ)し、虚すれば則ち痿躄(いへき)し、坐して起つこと能(あた)わず。之(これ)を別つ所に取るなり。

 

10.手少陽 三焦

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正經

三焦手少陽之脉.起于小指次指之端.上出兩指之間.循手表腕.出臂外兩骨之間.上貫肘.循臑外.上肩而交出足少陽之後.入缺盆.布中.散絡(落)心包.下膈.循屬三焦.

其支者.從中.上出缺盆.上項.繋耳後.直上出耳上角.以屈.下頬.至

其支者.從耳後.入耳中.出走耳前.過客主人前.交頬.至目鋭眥.

三焦手少陽の脉、小指の次指の端に起り、上りて兩指の間に出で、手の表腕を循(めぐ)り、臂外(ひがい)兩骨の間に出で、上りて肘を貫き、臑外(じゅがい)を循(めぐ)り、肩に上りて①足少陽の後に交わり出で、缺盆に入り、膻中に布き、散じて心包を絡(まと)(落)い、膈を下り、循(めぐ)りて②三焦に屬(ぞく)す。

其の支なる者は、膻中より、上りて缺盆に出で、項を上り、耳後に繋(つな)がり、直(ただ)ちに上りて耳の上角に出で、以て屈して頬を下り䪼(せつ)に至る。

其の支なる者は、③耳後より耳中に入り、出でて耳前に走り、客主人の前を過ぎ、頬に交わり、目の鋭眥(えいし)に至る。

【解説】

① 足少陽の後に交わり出で:足少陽と交差して大椎穴で交会する。

② 三焦に屬す:この他、三焦下合穴:委陽穴

③ 耳後より耳中に入り:外耳など、比較的浅い部分。

 

正經病症

是動則病耳聾渾渾焞焞腫喉痺.

是主氣所生病者.汗出.目鋭眥痛.頬痛.耳後肩臑肘臂外皆痛.小指次指不用.

是れ動ずれば則ち病む。耳聾(じろう)して①渾渾焞焞(こんこんとんとん)たり。嗌(のど)腫れ喉痹(こうひ)す。

是れ氣を主として生ずる所の病の者は、汗出で、目の鋭眥痛み、頬痛み、耳後、肩、臑(じゅ)、肘、臂(ひ)外皆痛み、小指の次指用いず。

【解説】

① 渾渾焞焞:渾:にごる、おおきい 焞:盛大。耳鳴りが大きくひどいさま。もしくは、モヤモヤとして中にこもり、曖昧模糊とした様子。

 

經別

手少陽之正.指天.別于巓.入缺盆.下走三焦.散于胸中也.

手少陽の正、①天を指し、②巓(てん)に別れ、缺盆に入り、下りて三焦に走り、胸中に散ずるなり。

【解説】

① 天を指し:上行する。

② 巓:百会穴。

 

經筋

手少陽之筋.起于小指次指之端.結于腕中.上循臂結于肘.上繞臑外廉.上肩走頚.合手太陽.

其支者.當曲頬.入繋舌本.

其支者.上曲牙.循耳前.屬目外眥.上乘頷.結于角.

手少陽の筋、小指の次指の端に起り、腕中に結び、上りて臂(ひ)を循(めぐ)り肘に結び、上りて臑(じゅ)の外廉を繞(めぐ)り、肩に上り頚に走り、手太陽と合す。

其の支なる者は、曲頬(きょくきょう)に當(あた)り、入りて舌本に繋(つなが)る。其の支なる者は、曲牙(きょくが)を上り、耳前を循(めぐ)り、目の外眥(がいし)に屬(ぞく)し、上りて頷(がん)に乗(じょう)じ、角に結ぶ。

 

經筋病症

其病當所過者.即支轉筋.舌卷.

其の病、過ぎる所に當(あた)る者は、即ち支(つか)え轉筋(てんきん)し①舌巻く。

【解説】

① 舌巻く:舌が巻き上がる。舌に流注しているすべての臓腑に影響する。

 

絡脈

手少陽之別.名曰外關.去腕二寸.外遶臂.注胸中.合心主.

手少陽の別、名づけて外關(がいかん)と曰く。腕を去ること二寸、外は臂(ひ)を遶(めぐ)り、胸中に注ぎ、心主に合す。

 

絡脈病症

病實則肘攣.虚則不收.取之所別也.

病實すれば則ち肘攣(れん)し、虚すれば則ち収(おさ)まらず。之(これ)を別れる所に取るなり。

 

9.手厥陰 心包

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正經

心主手厥陰心包絡之脉.起于胸中.出屬心包絡.下膈.歴絡三焦.

其支者.循胸.出脇.下腋三寸.上抵腋下.循臑内.行太陰少陰之閒.入肘中.下臂.行兩筋之閒.入掌中.循中指.出其端.

其支者.別掌中.循小指次指.出其端.

心主手厥陰心包絡の脉は、①胸中に起り、出でて心包絡に屬(ぞく)し、膈を下り、②三焦を③歴絡(れき)らく)す。

其の支なる者は、④胸を循(めぐ)り脇に出で、腋三寸を下り、上りて腋下に抵(あた)り、臑内(じゅない)を循(めぐ)り、太陰少陰の閒(かん)を行き、肘中に入り、臂(ひ)を下り兩筋の閒(かん)を行き、掌中に入り、中指を循(めぐ)り、其の端に出ず。

其の支なる者は、掌中に別れ、小指の次指を循(めぐ)り、其の端に出ず。

【解説】

① 胸中:足少陰の流れを受けて、おおよそ膻中穴付近。

② 三焦:五腑の袋=包である。焦は隹(とり)を火で焼く姿。三焦とは、陽気に特化した名称。

③ 歴絡:歴とは、経験・体験してきたこと。つまり心包の気血は、三焦から受けたのであるが、さらにまた三焦を再び絡うことを意味する。

④ 胸を循り脇に出で:天地穴は、そのまま上焦と下焦の状態が現れる意。このあたりで脾の大絡=大包と繋がる。

⑤ 掌中に別れ:労宮穴

 

正經病症

是動則病手心熱.臂肘攣急.腋腫.甚則胸脇支滿.心中憺憺大動.面赤.目黄.喜笑不休.

是主脉所生病者.煩心心痛、掌中熱.

是れ動ずれば則ち病む。手心熱し、臂(ひ)肘攣急(れんきゅう)し、腋腫れ、甚だしければ則ち胸脇①支満(しまん)し、心中②憺憺(たんたん)として③大いに動ず、面赤く、目黄し、喜笑して休(や)まず。

是れ脉を主として生ずる所の病の者は、煩心し、心痛し、掌中熱す。

【解説】

① 支満:一杯になってつかえる。一杯になって息苦しい。

② 憺憺:憂いのために、心が恐れて胸騒ぎがする。

③ 大いに動ず:激しく動悸がする。

 

經別

手心主之正.別下淵腋三寸.入胸中.別屬三焦.出循喉.出耳後.合少陽完骨之下.此爲五合也.

手心主の正、別れて①淵腋を下ること三寸にして、胸中に入り、別れて②三焦に屬(ぞく)し、出でて喉嚨(こうろう)を循(めぐ)り、耳後に出で、②少陽完骨の下に合す。此れ五合と為すなり。

【解説】

① 淵腋を下ること三寸:足少陰と脾の大絡=大包と繋がる。

② 三焦に屬(ぞく)し:心包・膻中=気 三焦・大包=水が連想される。

③少陽完骨:手少陽三焦経と合流。

 

經筋

手心主之筋.起于中指.與太陰之筋並行.結于肘内廉.上臂陰.結腋下.下散前後挾脇.

其支者.入腋.散胸中.結于臂(賁).

手心主の筋、中指に起り、太陰の筋と並び行き、肘の内廉に結び、臂(ひ)陰を上り、腋下に結び、下りて前後に散じて①脇を挾(ばさ)む。其の支なる者は、腋に入り、胸中に散じ臂(ひ)(賁(ふん))に結ぶ。

【解説】

①脇を挾(ばさ)む:少陽部位と深くかかわる。

 

經筋病症

其病當所過者.支轉筋.前及胸痛息賁.

其の病の過(す)ぐる所に當(あた)る者は、支(つか)え轉筋(てんきん)し、前及び胸痛みて①息賁(そくふん)す。

【解説】

① 息賁:肺積=右脇下の腫塊

 

絡脈

手少陰之別.名曰内關.去腕二寸.出于兩筋之間.循經以上繋于心包.絡心系.

手心主の別、名づけて内關(ないかん)と曰く。腕を去ること二寸、兩筋の間に出で、經を循(めぐ)り以って上り心包に繋(つな)がり、心系を絡(まと)う。

 

絡脈病症

實則心痛.虚則爲頭強.取之兩筋間也.

實すれば則ち心痛し、虚すれば則ち頭強を為す。之(これ)を兩筋の間に取るなり。

 

※(頭強…甲乙經では「煩心」)