鍼灸医学の懐

主に黄帝内経の意訳と解説 最後に原文と読み下しを記しています。その他、随時古典資料を追加しています。

傷寒ー内雍不汗 巻之二

 本文は、近世漢方医学書集成18・19の「叢桂亭医事小言」(1)(2)を底本としたもので、できるだけ原書に忠実であるよう努めながら、以下のように改めてテキスト化したものである。

  

  1.原文中のカタカナを平仮名に書き換え、現代語に近くなるようにした。

  2.おくりがなは、現代文に通じるように改めた。

  3. 原文中の漢文は、読み下し文に改めた。

  4.文集のカタカナのルビは原文の記載をそのまま記載した。

  5.筆者ルビは、ひらがなで記載した。

  6.句点は、筆者の読みやすき所に置いた。

  7.本文中の引用箇所は、筆者がこれを追記し括弧でくくって表記した。

 

内雍不汗

 

 伝変は色々なれども半表半裏と云うが、十に七八なる者なり。

 

 表証の有るにひかれ、汗をせむるに解せず。

 

 夫れ発汗の理は内より表へ達するものなり。

 

 邪気、内に結して有る故に、表へ出ることならず。

 

 たとえば足を縛りたる鳥の如し。飛升(とびのぼ)らんと欲しても、飛ぶことならず。

 

 蓋(けだ)し鳥の飛ばんとするときは、身を伏して先ず足を縦(ユルメ)て、而(しかし)て翅(ツバサ)を揚て飛び出す。

 

 是れ戦汗の理も同意なり。

 

 又水入(みずいれ)の後の穴を閉ずれば一滴も出ず。発汗の義は是に同じ。得と裏邪の結びたるを見定たらば、承気の主方としるべし。

 

 裏気一たび通ぜば、発汗に及ばずして汗出るなり。

傷寒ー急証急攻 巻之二

 本文は、近世漢方医学書集成18・19の「叢桂亭医事小言」(1)(2)を底本としたもので、できるだけ原書に忠実であるよう努めながら、以下のように改めてテキスト化したものである。

  

  1.原文中のカタカナを平仮名に書き換え、現代語に近くなるようにした。

  2.おくりがなは、現代文に通じるように改めた。

  3. 原文中の漢文は、読み下し文に改めた。

  4.文集のカタカナのルビは原文の記載をそのまま記載した。

  5.筆者ルビは、ひらがなで記載した。

  6.句点は、筆者の読みやすき所に置いた。

  7.本文中の引用箇所は、筆者がこれを追記し括弧でくくって表記した。

 

急証急攻

 

 発熱すること二三日にて、舌に白胎、粉をつけたるほど厚くみゆる時は小柴胡を用ゆるに、昼頃は黄色になり、胸膈満痛、大渇、煩躁などを見(あらわ)す。

 

 是れ伏邪、胃に伝るなり。前法に大黄を加えて之を下して煩渇少しはやみ、熱もやわらかぐかと思う中に、昼過には煩躁、発熱、舌も一面に黒くなり、刺を生ずと云うて猫の舌のようにざらざらとして、鼻孔煤けて黒くなる。此の毒、甚だ重し。

 

 急に大承気を投ず。

 

 夕方になると大いに下り、夜半より熱退き、明朝は鼻黒、胎刺さらりととれて快くなる有り。

 

 此は一日の中に数日の容体をあらわし、治法、時を越さずに配合して手際の入ることなり。

 

 毒のはげしきは伝変、至て速きなり。

 

 治法も手ぬるくては間にあわず。此の如く証にゆるゆるとした療治をしては二三日の中に死す。

 

 心得べきことなり。

 

傷寒ー伝変不常 巻之二

 本文は、近世漢方医学書集成18・19の「叢桂亭医事小言」(1)(2)を底本としたもので、できるだけ原書に忠実であるよう努めながら、以下のように改めてテキスト化したものである。

  

  1.原文中のカタカナを平仮名に書き換え、現代語に近くなるようにした。

  2.おくりがなは、現代文に通じるように改めた。

  3. 原文中の漢文は、読み下し文に改めた。

  4.文集のカタカナのルビは原文の記載をそのまま記載した。

  5.筆者ルビは、ひらがなで記載した。

  6.句点は、筆者の読みやすき所に置いた。

  7.本文中の引用箇所は、筆者がこれを追記し括弧でくくって表記した。

 

伝変不常

 

 戦汗自汗より解するは、前に云し如くなれども、竟(つい)に少汗も無く胃に伝えて自汗そそぐが如く、或は渇強く白虎を用いて戦汗し解す有り。

 胃気壅鬱して必ず下剤を用いられて戦汗するも有り。表は汗より解したれども裏邪の残りが有る故、何のわけも無しに五三日も過て前証再発するも有り。

 飲食のさわりたるの風寒を冒したらん抔(など)と看病人を咎むれども左に非ず。胃中に残りたる邪の復(また)聚りたるなり。

 下されて発黄するも有り、発斑して解するも有り。又裏証で居ながら発斑して下さ子(ね)ば治せぬも有り。是は常変也。

 意を用いて見れば皆驚くほどのことにはなし。

 又男子淫欲を侵し、夫れに乗じて邪気下焦に陥て小便閉塞、小腹脹満、毎夜発熱して導赤散、五皮散の類、一向に効なきに大承気一服にて小便注ぐが如くに出て治する有り。

 或は失血後、経水の通閉、心痛、疝気、痰喘などの類、疫にさそわれ発すること有り。皆疫邪をとれば旧病は皆止む。その伝変常ならざるは皆人々の持ち前にて異なると知るべし。

傷寒十勧 巻之二

 本文は、近世漢方医学書集成18・19の「叢桂亭医事小言」(1)(2)を底本としたもので、できるだけ原書に忠実であるよう努めながら、以下のように改めてテキスト化したものである。

  

  1.原文中のカタカナを平仮名に書き換え、現代語に近くなるようにした。

  2.おくりがなは、現代文に通じるように改めた。

  3. 原文中の漢文は、読み下し文に改めた。

  4.文集のカタカナのルビは原文の記載をそのまま記載した。

  5.筆者ルビは、ひらがなで記載した。

  6.句点は、筆者の読みやすき所に置いた。

  7.本文中の引用箇所は、筆者がこれを追記し括弧でくくって表記した。

 

 

傷寒十勧

 

傷寒与他証不同投薬一差生死立判。李子建傷寒十勧不可不知。

人家有病求医未至或無医者、若知此十勧、則不致有誤所益非軽。詳具于後。

 <傷寒と他証は同じからず。投薬一の差は、生死立ちどころに判す。李子の建てる傷寒十勧を知らざるべからず。

 人家に病有りて医を求めて未だ至らず、或いは医者無きに、若し此の十勧を知れば、則ち誤り有るに致さず、益する所は軽きに非ず。詳らかに後に具す。>

 

 此は鎮江府医官、沈應暘(ちんおうよう)と云う者の『明医秘伝済世奇方万病必愈』と云う書に出せる文なり。

 

一、傷寒頭疼身熱。便是陽証不可服熱薬。

<傷寒頭疼み身熱す。便ち是陽証なり。熱藥を服すべからず>

 

 傷寒は三陰三陽へ伝る病なり。其の六経の内、太陰病は頭も疼まず身も熱せず。

 少陰病は、熱気はあれども頭はいたまず。

 厥陰病は頭疼はすれども熱はなし。

 故に頭疼身熱共に有るは、是れ陽証にて表の病なり。若し妄(みだり)に熱薬を用ゆれば死亡を致す。

 

二、傷寒必須直攻毒気不可補。

<傷寒、必ず須(すべから)く直(ただち)に毒気を攻め補うべからず>

 

 傷寒、はやく病邪を攻めること第一の主方なり。毒気退けば夫れにて事すむなり。平日病身なるの元気虚弱のと、毒の盛んなるに補藥を用ゆるはあしし。

 

三、傷寒不思飲食不可服温脾胃藥。

<傷寒、飲食を思わざるは脾胃を温むる薬を服すべからず>

 

  傷寒の毒はげしき時に、食気の無きは定まりの容体なり。邪気盛んなればなり。餓死の理なし。

 苦労する証に非ず。邪気の猛(たけき)を苦労にすべし。食気無きとも脾胃を温め調(ととのう) の薬は必ず用ゆべからず。

 

四、傷寒腹痛亦有熱証不可軽服温煖藥。

<傷寒腹痛し、また熱証有るは軽々しく温暖の薬を服すべからず>

 

 傷寒の腹痛は、熱邪内結する故なり。腹痛するとも煖(あたたむ)る薬はあしし。毒を攻て取れば愈(いゆる)なり。

 

五、傷寒自利当看陰陽証不可服補藥煖藥止瀉藥。

<傷寒、自利するは当(まさ)に陰陽の証を看て、補藥、煖藥、止瀉薬を服すべからず>

 

 傷寒の下(くだり)の有るは必ず冷滑に非ず。熱結傍流などと云て邪毒溢れて下る。又初起より自利する有り。是は下りに構わずして表を攻めるなり。葛根湯にてよし。

 俗人(一般人)、庸医(ようい つたない平凡な医者)、甚だおそろしきことに取り成して、止瀉の薬を用いて、終に死に至るもの有り。是はこちらから迎えて下すこともあり。

 下利、譫語するに大承気と有る、味うべし。陰陽の証をわけて治すべし。邪毒盛なる内は下痢には拘わり居ることならず。

 毒に眼をつけるべし。陰証の下痢清穀は附子の主るなり。看法第一なれば明(あきらか) に心得居るべし。

 

六、傷寒、胸脇痛及腹脹満、不可乱用艾灸。

<傷寒、胸脇痛及び腹脹満するは艾灸を乱用すべからず。>

 

 傷寒の胸膈、或は脇痛、或は腹滿するは、是れ亦(ま)た毒気の為す所なり。内結に属す。下剤になるもの多し。灸をして大に熱毒を増す。火逆と云うになる。満と痛みとは陽実とするなり。

 

七、傷寒、手足厥冷、当看陰陽不可例作陰証医。

<傷寒、手足厥冷するは、当(まさ)に陰陽を看て例(いず)れも陰証と作して医すべからず。)

 

 傷寒の手足冷るは他証と異するなり。必ず厥冷せば、附子の証とすべからず。

 其根、元(もと)熱なれども、物の為に塞がるときは、内雍して四肢は冷る。体厥、或は陽厥と云う。毒を下して乍(たちまち)に手足も温るなり。※謾に四逆輩を用ゆべからず。

※謾(まん)・・・あなどる おこたる

 

八、傷寒、病已在裏。却不可用薬発汗。

<傷寒、病已(すで)に裏に在り。却って薬を用いて発汗すべからず>

 

 傷寒已に表証なく裏証になりたらば、発汗の剤は悪し。大小柴胡、三承気、白虎などの証になるを云うなり。

 

九、傷寒、飲水為欲愈。不可令病人恣飲過度。

<傷寒、飲水を為さんと欲するは愈ゆ。病人をして恣(ほしいまま)に飲の度を過ごすべからず。>

 

 傷寒、表已(すで)に解し、渇して冷水を好む。是れ愈えんと欲するの候なり。

 好みにまかせ与うべからず。水を禁ずる医あり。是は不学なるなり。

 仲景の少々与えて飲ましむと云うを知らざるなり。

 呉又可が、表気を達せんと論じたる、白虎の場ならん。

 

十、傷寒、病初安、不可過飽及労勤、或食羊肉行房事、及食諸骨汁并飲酒。

<傷寒病初めて安んずるは、飽き過ぎ及び労勤、或いは羊肉を食して房事を行う、及び諸骨汁を食し并びに飲酒するべからず>

 

 傷寒は愈ての後も大事なり。少しの事もさわりて再復す。むさとしたることは、何事も用心して吉 (よ)し。過食にて打返すを食復。又心労し、力作して再復するを労復。又房事によるを女労復と云う。

 何れも慎むべし。当人は猶更、看病人にも得と教えて置くべし。

 怒も悲も深く工夫すること、少も力の入ること、面倒なること皆熱を復す。

 士以上は近習侍婢などを叱りなんとし、商人は利分の勘定算盤(そろばん)なんど早く取り出して、再復すること十人に七八人なり。

 

傷寒 巻之二

 本文は、近世漢方医学書集成18・19の「叢桂亭医事小言」(1)(2)を底本としたもので、できるだけ原書に忠実であるよう努めながら、以下のように改めてテキスト化したものである。

  

  1.原文中のカタカナを平仮名に書き換え、現代語に近くなるようにした。

  2.おくりがなは、現代文に通じるように改めた。

  3. 原文中の漢文は、読み下し文に改めた。

  4.文集のカタカナのルビは原文の記載をそのまま記載した。

  5.筆者ルビは、ひらがなで記載した。

  6.句点は、筆者の読みやすき所に置いた。

  7.本文中の引用箇所は、筆者がこれを追記し括弧でくくって表記した。

 

叢桂亭医事小言巻之二

 

                     原南陽先生口授

 

                門人     常陸     大嶋員  筆記

 

                   東都     山形豹  校正

           

 

傷寒

 傷寒は別て治療の六ケ敷(むつかしき)ものにて此の治法に熟すれば諸病ともに自由するは別儀(べつぎ、さしさわりの意)に非ず。表裏の証候を知る故なり。

 仍(よっ)て傷寒論に熟して仲景氏の方法、古人の真面目を知りて医をなすべし。傷寒と題せし名目よりして論中の中風の名、三陰三陽の篇目ともに諸医書に論したる見解にては通ぜず。

 桃井寅の古訓に、仲景の論を学ぶには今日まで習いたる事を捨て、新眼にて読むべしと云うは尤もの説なれども傷寒の外に温病有りと云うは非なり。夫れ傷寒と云うは疫疾の事なり。

 陰陽大論に曰く、 「冬時厳寒なり。萬類深く蔵ず。君子固密するときは則ち寒に傷られず。之に触冒する者は乃ち傷寒と名(なずく)る」耳(のみ)。

 其の四時之気に傷られるも、皆能く病を為す。傷寒を以て毒と為す者は、其の最も殺癘之気を成すを以てなり。中(あた)りて即ち病む者を名づけて傷寒と曰う。即ち病まざる者は寒毒肌膚に蔵し、春に至って変じて温病と為し、夏に変じて暑病と為す。暑病は熱極りて温に重すなりとある故に、傷寒は冬の病名とする事、古今の定名なり。

 然(しか)れども、此の眼を以て傷寒論を読むは悪し。

 此の時代に疫を傷寒と唱えたるにや、後漢の崔寔(さいしょく)と云う人の政論にも傷寒の字見ゆ。此外に儒書に傷寒と云うこと見あたらず。

 又傷寒論に重きを傷寒とし軽きを中風とす。是亦多くの医書に出たる半身不仁の中風とは異なるなり。又三陰三陽と云うも経絡流注の義に非ず。

 素問熱論の序次に合わせんことを欲して、後人太陽の次に陽明を移せしならん。太陰少陰厥陰と三陰に対する故に、太陽少陽陽明とあるべきなりと云う説あり。至りて宜しき考えなり。

 明の呉又可(ごゆうか)の『温疫論』に、傷寒は少なくして伝染せず、温疫は多くして伝染することを論じ、邪気も一種の雑気なり、傷寒と異なるなりと云うは、是も仲景の書を常の眼にて見たる故に誤りなり。仲景何ぞ少き傷寒を以て論ぜんや。

 且つ仲景の世に疫疾の多く行われたるは、序文中にも宗族多く亡(なくせ)しことを記せり。

 是れも傷寒にて死たるにて疫には非ずと云はば、又仲景の時代を考(かんがえ)見るべし。

 建安中に別して疫疾流行したる事にて、呉の孫権合肥城を圍(かこ)むに、此時に疫疾多く士卒死亡すること有り。

 又魏の文帝の呉質に与(あたえ)る書に曰く、

 「昔年疾疫親故(しんこ、親類の意)、多く其の災いを離(かが、罹患の意)る。徐陳應劉(ちんじょおうりゅう、四人の人命の意)、一時倶に逝(せい)す」とあり。是皆仲景時代の事にて、当時疾疫多きを知るべし。

 此の外『後漢書・禮儀志』に、臘(ろう 年の暮れ 陰暦1月2月)に先だつこと一日、大に儺(な、鬼を追う払う儀式)す。之を逐疫と謂う。

 其の儀、中黄門の子弟十歳以上十二歳以下、百二十人を選して、振子と為し殿中を逐うこと有り。

 此外(このほか)前後漢の間、疫を恐れ剛卯などと云う事を行うの類、毎挙(まいきょ、枚挙の意)するに暇あらず。

 又、和漢一般に歳暮年頭より五節句に至るまでの儀式は、皆疫を除くの事なり。叢桂偶記に詳(つまびらか)にせり。返す返すも仲景何ぞ其の多き疫を置きて、少なき傷寒を以て論を著せんや。

 『肘後方』に曰く、「傷寒、時行、温疫、三名同じく一種耳(のみ)。而して源本小異なり。」

 又貴勝(きしょう、勝つことをとうとぶの意)雅言(がげん、洗練された優雅な言葉の意)、総て傷寒と名付け、世俗因りて号して時行と為す、と見ゆ。

 又『小品方』に「傷寒は是雅士之辞。天行瘟疫と云うは、是れ田間の号耳(のみ)」。

 又『張果医説・古今病名不同篇』に曰く、「古人経方雅奥多く、痢を以て滞下と為す。躄(へき、いざり あしなえの意)を以て脚気と為し、淋を以て癃と為し、実を以て秘と為し、天行を以て傷寒と為す」と。

 此の言、「以て千載(ぜんざい、千年長い年月の意)聾聵(ろうかい 聴覚障害)を以て発す可し。」とあれども、疫と云うもの正名にて、其の外の名は医家にて名付けたるなり。

 如何なれば正史に疫と記す。是は國政に過失あれば天地の気候、其の正を得ずして、人民疫疾を患(わずらう)るに至る。人君をして其の過を改めしむんが為に史官正く記するの故に疫を正名とす。

 疫の字義は其の流行するに、あまねく戸々に病て徭役(ようえき、国による強制労働の意)にあたるが如くなる故に、殳(しゅ 杖で人を撃ち殺す)に从(したが)いて疫とは云うなりとみえたり。

 是乃ち伝染の病なり。呉又可(ごゆうか)の説、益々信ずべからず。傷寒中風のことは是も偶記を読みて知るべし。

 さて何故に仲景の書は今の眼にては読みがたきとなれば、古は今の様に素問難経を以て学びたることはあらず。別に伝有ると見ゆ。史伝に載(のせ)たる古医の事を見て考え合わすべし。

 医和の惑蠱(わくこ)、医緩の膏肓篇、扁倉伝の医論。是れ今の医家の説と合わせず。尤も此の類は儒者の書たるもの故、医家の説にあわず、虚言なりと云う説もあれども、史を作るほどの人、医のことも少しは知りて文作はすべし。

 若し医のことを知らざるほどならば、天官地理日者と、者の類も虚言多からんや。遙降(はるかくだ)りて褚澄(ちょちょう)の説さえ吻合せざる所あり。況(いわん)や仲景の時をや。

 しかるを今の素難の説に合わせんと註解するは不案内ならん。是を知らざる世々の註家、是非に取り合せんと其の文を入れ替え、章句を改めなどして却って其の真を乱る。

 此の故に今風の眼にては読みかねるは傷寒中風の名目のみならず、是を以て見れば素問は後漢の涪翁(ふうおう)の作ならんと云う説などは面白からんか。

 呉又可(ごゆうか)曰う、陰陽大論にある通りにて冬寒・春温・夏暑・秋涼は四時の正気なり。冬を傷寒とし、春を温病とし、夏を暑病とすれば秋涼に至りては涼病と名づけべきに、涼病とは云い難きと見えて湿証を以て州塞(フサケル)するは謬妄(びゅうもう、根拠がなくでたらめの意)なり。

 又寒に中りて即ち病まず、春に至りて変じて温病となり、夏に至りて変じて熱病となるとあれども、然れども風寒のやぶる所、最も軽きものを感冒とし(引風なり)、重きを傷寒とす。感冒の一証は至りてかるきものにてさえ頭痛、身痛、四支拘急、鼻塞、声重、痰嗽、喘急、悪寒、発熱して病む。

 人身、邪気を隠して容(い)るべき所なし。況(いわん)や冬時厳寒に傷らるるは軽き事にあらず。夫れが反って蔵伏して時を過ぎて発せんや。

 凡そ人身は十二経絡・奇経八脈にて百骸を栄養するに、其の気少しも滞る所は麻木不仁し、造化の気、寸刻も運(めぐ)らざれば仆倒(ぼくとう)す。

 又風寒の人を傷るは肌表より入るに、寒邪既に身にあたり、其の毒肌膚に隠れてある中繊毫もしれず。飲食・起居・神思、常の如くにてあるべき理なし。春になるまで皮膚の間にあるべきは、如何に霊異なりとも余り合点せず。

 此の理を以て之を推すに、冬寒を受けて春に至りて病み、又夏に至りて病むの事は無き事ならんと。予按ずるに冬衣服薄く或いは食に乏しき貧人は、必ず春に至って疫を患う。是は冬寒に傷られたるに似たり。

 左(さ)れば冬寒気に日々の保護を失い血気も是が為に充満せずに居る故に、冬の中に病むも有れども、日月の長き間彌(すでに)血気を傷る。故に春に至って邪を受けるならん。邪気は新たに受けるとは見ゆれども皆此れ臆度(おくたく、おしはかるの意)にて眼前に見るべからず。猶佛家の前世の未来の説の如し。

 今世神霊妙手と云う人有りて冬時に其の人を見て、春に至りて疫を病まん、夏に至りて熱を病まんと前年より知るならば、其の論説臆度と云うべからず。されども今日まで斯くの如き上工の医に逢いたること無し。

 さて又冬に受けたらんも春に至りて新たに受けたらんも、治法に於いては別に手段あることにあらず。故に過法の因縁には構いなし。故に吾が門にては其の病みつきてよりの証候内外を見はづさざるを専務とす。空理を求むるは、予が好まざる所なり。

 傷寒頭疼悪寒すると手足解怠し、或いは腰痛脉数鼻息あつく、やがて熱になる。是には只の引風も有り。されども疫熱なれば見所よりは気分もあしく、熱伏して表に浮(うか)まず、腹候もちりぢりとして格別なるものなり。

 脉浮にして惣身熱し、腹候して一応はちりぢりと掌へ熱すれども、暫(しばら)く按ずれば始めの手あたりよりは薄く、猶心を用いて候するほど常の肌に似て汗を発せんとうるおいも有れば、苦悩するとも大熱にはならず。

 又左のみの熱にも非ず食も無理にはなり、床にも未だ着(つかず)に両日も催し、漸熱の強く成るも有り。是は見分けに巧者の入ることにて望聞問切の四診を以て弁すべし。

 又労熱にもならんかと微悪風、飲食を好まず床に着きもせず、脉弦数にして肌は悪熱し数日を煩うこと有り。俗人皆すすめて弱気もの哉、病にしかるるぞとて強いて浴櫛(モクシツ)し、或いは見物などを催し、却って熱気いやまし解しかねること有り。彌(いよいよ)労熱なりとして治するに随い大病に仕立て、或いは四華の灸などにて益々難治にする。是は軽疫にてあるなり。

 心を付けて診すれば労脉にはなく外証の所多きものなり。さて舌上をみるべし。必ず胎をかけて有るものなり。

 年により微疫の多きこと有り。兼ねて心得あるべきことなり。初起の治方は上衝頭痛脉浮にして悪風寒熱、汗の出るは桂枝湯。項背強らば桂枝加葛根湯。脉浮緊と、ひどきは熱強、悪寒、頭疼、身痛、喘咳するには麻黄湯。項背強には葛根湯。寒熱しばしばに往來して咳するは桂枝麻黄各半湯。咳するは小青竜湯。渇するは大青龍の類撰用す。発表の効届かざるは、狂躁、譫語、煩渇等の諸悪証を見(あらわ)し、死生相半するに至る。

 初心にては証候を詳(つまび)らかに具せんことを欲して度々方を転じ、或いは時々下し、或いは芎黄散の類を兼用するもの大いに仲景の真を失う。

 凡そ表証の有るに下すは仲景の規矩に非ず。誤下すれば心下に滞(とどこおり) 出来て痞鞕・支結、甚だしきは結胸などになるの類、往々仲景論じたるを知らざるは眼光の紙上に及ばざるなり。何れにも発表を専らとするなり。

 傷寒治療の助けになるものは呉又可(ごゆうか)の温疫論なり。以上論ずる所までは用ゆべからず。表証既に解せずして陽明に至るものより以後は、呉氏の論至りて実地にかけて甚だ宜し。千載の一人とも賞する可し。

 然れども不内不外募原と云う所に邪気の居と云う説、又達原飲と云う方を用ゆるの論は、建言家の常態にて深く怪しむべき事に非ず。発表の手をゆるむるは仲景の方に非ず。是全く傷寒温疫を両途に見たるの誤りなり。表証に裏を攻むるは仲景の規矩に非ず。

 先ず飽くまで発表して而る後に夫々の証に随うべし。世人の治法を見るに二三日も発表すれば表証の有無に構わず柴胡などにす。是れ大いに非なり。

 表証の盡きざるに此の如く手を引くべからず。発表の手当(テアテ)届けば狂騒譫語に至らしめず、太陽にて邪は打ち止まるなり。此の手当不届きなれば陽明まで攻め込まる。然れども邪、陽明に屯(たむろ)せば十分治し易く、勝ち軍(いくさ)ならんこと掌(たなごころ)にあり。

 兎角(とかく)太陽々明二証のもの多し。又治しやすしとす。故に桂枝麻黄・大小柴胡・大小承気・白虎に治するもの多しとす。少陽の証は柴胡にて左までの事も無き故に仲景の論も短きなり。

 太陽の証は頭痛・項痛・腰も痛み、強きは折れる様に痛むこともあり。陽明の証は目痛・眉稜骨痛・鼻乾く。

 少陽は脇痛・耳聾・寒熱・嘔にして口苦し。大概は太陽と併病す。陽明の証に成るもの多し。

 さて此の病を受ること自然に病むもあり。又伝染するも有れど其の治療は一つ事なり。邪気を深く受けたる人はあたりて直に病む。浅く受たるは飢飽・労碌(ろうろく、苦労して働くの意)・憂思喜怒にさそわれて発す。始めは悪寒し甚きは手足冷ゆ。

 是は容器閉じて表へ達しかねる故なり。漸(ようやく)に通ずるに至れば中外皆熱になる。夫れよりは悪寒止む。表証の盡きたると云うは此の處なり。此時はしとしとと汗も有るものなり。

 表に在る邪なれば一汗にて解せども、内に伏したるは何ほど汗有ても不益にて、元気許(ばかり)を疲(つか)らかす故、其伏邪のくつろぐを見合わせべし。

 爰(ここ)に戦汗と云うことあり。温疫論に詳(つまびらか) なり。是は表気内へ通ることの、なるほど邪気くつろぎ、持分(時分)の積気は邪気の除くに随いて表へ通ずるの際に振戦し、瘧の悪寒の如く其の後一度に熱になると大汗流るるが如く、衣服を換(カユ)るほどにて脉も静かになり、身に熱無く神気爽(さわやか)に忘れたる如くに睡りて全快す。甚だ面白きものなり。戦汗を知らざる医は、大いに騒て参附などを主方すは以ての外。

 悪しき戦汗にも死証あり。先ず戦して(振るえること)汗出ざれば、明日又戦すべし。其の時汗出ればよし。若し汗出ざるは中気の虚にて厥も止まず、汗も出ずして死す。傷寒論の厥深き者は熱もまた深しと云うは、此等に考え合わせ様も有らんか。

 又戦して厥は止めども汗の無きは死するに限らざれども、急には愈えず、津液のめぐるを待ちてゆるゆると治すべし。 凡そ戦して痙を発するは死す。

 門人奥州海辺に居る山形玄之と云う者曰く、潮時の戦汗は皆死す。引き潮の戦汗は邪盡きず、総べて潮時に戦するものなりと云う。余未だ試さず。他日を俟(ま)つ。

 さて戦汗のことは傷寒論に出づ。又狂汗と云うこと有り。是も戦汗と同じく俄に大熱を加えて煩躁甚だしくして大汗を発し、身熱失うが如し。

 以上、呉又可(ごゆうか)の論、熟覧すべし。戦汗の名は後来の事にて、傷寒論に曰く※1「太陽病、未だ解けず。陰陽の脉、倶に停。必ず振慓して汗出でて解く。但陽脉微なる者は、先ず汗出でて解く。但陰脉微なる者はこれを下して解く。若しこれを下さんと欲するは、調胃承気湯に宜し。」

 又曰く、※2「凡そ柴胡湯の病証にしてこれを下す。若し柴胡証罷(やま)ざる者は復た柴胡湯を与う。必ず蒸蒸(じょうじょう)として振い、却(かえ)って復た發熱し汗出でて解す。」の類は戦汗の事なり。然る所、歳運の異なるにや。

 予が壮時は戦汗狂汗の疫を常に治したるに、近来温疫論に説く所の疫至て、稀にて附子を用いて効あるもの多し。爰(ここ)に談ずれば紛れやすからんと、予が誤りを後に語らん。

 さて伏邪退かず、今までの汗も止み熱も段々盛になり、昼過より毎日潮熱す。是れ陽気時刻と持合なり。是ぞ悪寒無く偏(かたより)に熱するもの多し。

 或は微悪寒するも、或は強悪寒するも有るは、是は病人持ち前の陽気の盛衰なり。其の発熱すること久しきも久しからざるも、或いは昼夜純熱し、或いは早朝に稍(やや)醒るは、其の邪を受けたる所の軽重なり。其の変証に至りては、色々裏証が急に表証に成るもあり。表証ばかりにて裏証をあらわさぬもあり。内から陥るもあり、外より解するもあり。

 外と云うは発班、発黄、戦汗、狂汗、自汗、盗汗なり。内に陥るとは胸膈痞悶、心下脹満、或いは腹中痛、燥結便秘、熱結傍流、或いは協熱下痢、或いは嘔吐悪心、譫言、唇黄舌黒、胎刺などの証は証によりて変を知り、変によりて治を知るべし。

 一婦人疫を患い東洞流の医之(これ)を治し、一夜煩躁・慕(暮)熱す。其の医来て予が診を乞う。共に行きて見るに寸時も安からず。手足をなげうつ。

 予、何薬をか与えたりけり、忘れたり。暁に至て安静なり。よく見れば一身薫黄の如し。熱解し身涼し。是は夜間にて黄を発したらんか。心も付かず目にも見付けぬなりき。三四日、茵蔯を用いて全快す。

 傷寒は直に邪気を逐うこと専務なり。邪気退けば、其れに付たる諸証は悉く除くなり。此にいらざる工夫を付て、余り表発に過ぎるは、陽気を亡くすと。ややもすれば人参を加え、平日気虚したの、腎虚のと、取り越し過ぎた手当をする故、猛烈の病勢暫時に熱気内鬱し、舌も乾枯、飲食も通らず死に至れば、いよいよ虚弱にて邪気退かずと大剤の獨參湯或いは參薑湯などを用い、死に至れども暁(さと)らず。

 是まで人参を用いても救いかねるは、能々(よくよく)弱き所有りけると療治違いに気も付かず、此の所へ一際(ヒトキハ)力を用いたる医は、人参を去りて薬を投ぜんとすれば、病家狐疑(こぎ、相手を疑う事の意)して決せず。富貴の人は猶更人参と言えば大事に取扱いて療治するぞと思う故に、十が七八は此に死す。悲しき哉。

 虚弱にても邪気を逐(おう)までにて、持ち前の気血を損ずる薬と云うは無し。邪熱こそ血気を耗傷するものなれ。邪気退けば持ち分の平身になるなり。愈す虚損の所あらば、あとにて治方を行うべし。

 邪気の未だ退かざるうちは虚弱な人ほど其の邪気に堪えかぬる故、速(すみやか)に攻めざればならず、譬えば邪気のあるは戦の最中の如し。其の族を退治せぬ内は静謐(せいひつ、静かで落ち着いているの意)せず、いかに補薬がよろしきとて戦のすまぬに礼楽を以て治めようとするの類なり。

 礼楽は宜しけれども乱世には用いられず。治世になりたる時こそ人を教化するの道具なり。

 熱病は初の内は少々宛(まで)は食もなれども、半ばころよりは食絶えて重湯位になる。是れ毒気愈(いよいよ)進て勢いくじけぬ故なり。食のなるは吉兆なれば悦ぶべきの一証なり。

 妄語狂燥などするも脉の胃気と腹候にさはりなきは、絶食と強熱ばかりにては死すことなし。只初めの発表不足にては悪証多端に出るものなり。

 傷寒は別(わけ)て持重(じちょう、大事を取って慎重にするの意)すること入用なり。必ず色々に方を替えて病候にうろたえること勿れ。持重する所、専一なり。

 男女ともに治を異にせず。只熱にさそわれ経水の来たると来て去らずと、産後近きなどは欠(アクと)などして血熱を挟むことあり。下したる後、盡たらんと思う熱の残るなどは、極めて血熱を挟みてあり。加味逍遙散などにて効を取ることあり。承気の証と見分け肝要なり。

 傷寒表熱速に解せず、日数を送り色々の証を発す。毒内に結する故、俄(にわか)に腹痛するあり。毒結などは下剤にてよし。大柴胡、大小承気、其の証に応じて用ゆべし。二三行下痢すれば腹痛止み、内気和暢して熱も退くものなり。

 さにながら其の下す所、甚だ見分けの入るところなり。仲景三承気を立て、少し与へ多くあたえて将息す。傷寒論に熟すればことごとく知るなり。

 小承気に曰う※2

 「陽明病、潮熱し、大便微(すこ)しく鞕なる者は、大承氣湯を與うべし。鞕ならざる者は、之を與うべからず。若し大便せざること六、七日なれば、恐らくは燥屎(そうし)有り。之を知らんと欲するの法は、少しく小承氣湯を與え、湯腹中に入り、轉(てん)失氣する者は、此れ燥屎有るなり、乃(すなわ)ち之を攻むべし。

 若し轉失氣せざる者は、此れ但(た)だ初頭(しょとう)鞕く、後必ず溏(とう)す、之を攻むべからず。之を攻むれば、必ず脹滿し食すること能わざるなり。水を飲まんと欲する者に、水を與えれば則ち噦(えつ)す。其の後發熱する者は、必ず大便復(ま)た鞕くして少なきなり、小承氣湯を以て之を和す。轉失氣せざる者は、慎んで攻むべからざるなり。」と。

 是にて下すことは容易にせざることを知るべし。此の外、承気に戒たる言葉多し。

 さて下すことの早過ぎたるは、熱をおびやかした許(ばかり)にて用に立たぬのみならず、却て熱さめかねる、或いは恊熱利に成るも有り。少し遅きはよし。即ち呉又可(ごゆうか)が胃中に集まるを待(まち)て下せと云は、此の所なり。

 前にも言し如く、初めより大黄などの入りたる散藥を兼用することいわれ無し。其の度に至りたる所を下せば手に応ずることなり。傷寒論に反下と云う字は、皆誤下を云う。

 表証未だ盡きざるうちは下すと、心下痞満或いは結胸などの事、皆反下と云う後に見えたり。能々心を留て読むべし。疫の初起は胃中には邪なし。然るに承気を用いて却って熱を加ゆるものなり。胃に伝るを待(まち)て下すべし。其の胃に伝たるを見分の事は追々にかたらん。亦、結糞に拘ることなかれの條と見合わすべし。

 通鑑(『資治通鑑』)にも載す、耶律楚材(やりつそざい)と云し人は、蒙古の忠臣にて器量ものなり。「蒙古鉄木真(てむじん、チンギスハンの幼名)盡(ことごと)く夏城邑(ゆう)に克(か)つ。其の民鏨(たがね)で土石を穿ち、以て鋒鏑(ほうてき、ほこさきとやじりの意)を避く。免る者、百に一に無し。白骨野を蔽(おお)ふ。

 蒙古の主、暑を六盤山に避(さ)く。月を踰(こ)え、夏の主、睍(けん 目が出たさま)か屈して降る。遂に縶(ちゅう しばる 捕らえるの意)して以て帰る。

 夏の亡する時、諸将争て子女財幣を掠(かす)む。耶律楚材(やりつそざい)獨り書数部、大黄両駝を取る已(のみ)。軍士疫を病む。唯大黄を得て愈す可し。楚材之を用て萬人を活かす。(蒙古は後に元と国号す。)

 補を恐る事は太陽にて解するは論なし。陽明の証になるもの多き故に、胃家実にて大黄の力を第一にする故なり。

 又、李子建と云う人の傷寒十勧の文は大に規矩になること故、心得置くべし。聚方規矩にも出たるかと覚ゆ。


※1 傷寒論 94条

「太陽病未解。陰陽脉倶停。必振慓汗出而解。但陽脉微者先汗出而解。但陰脉微者下之而解。若欲下之宜調胃承気湯。又曰凡柴胡湯病証而下之、若柴胡証不罷者復与柴胡湯、必蒸々而振発熱汗出而解。」


※2 傷寒論 217条

「陽明病。潮熱大便微鞕者可与大承気湯。不鞕者不与之。若不大便六七日恐有燥屎乃可攻之。若転矢気者此但初頭鞕。後必溏。不可攻之。攻之必脹満不能食也。欲飲水者与水則噦。其後発熱者必大便復鞕而少也。以小承気湯和之。不転矢気者慎不可攻也。

 

主  客 巻之一畢

 本文は、近世漢方医学書集成18・19の「叢桂亭医事小言」(1)(2)を底本としたもので、できるだけ原書に忠実であるよう努めながら、以下のように改めてテキスト化したものである。

  

  1.原文中のカタカナを平仮名に書き換え、現代語に近くなるようにした。

  2.おくりがなは、現代文に通じるように改めた。

  3. 原文中の漢文は、読み下し文に改めた。

  4.文集のカタカナのルビは原文の記載をそのまま記載した。

  5.筆者ルビは、ひらがなで記載した。

  6.句点は、筆者の読みやすき所に置いた。

  7.本文中の引用箇所は、筆者がこれを追記し括弧でくくって表記した。

 

主  客

 

 凡の病を治するに先ず病因をたずね、其の後主証と兼証とをわけるべし。主客みえねば薬はきかず。其のわけようにて病名のつけようも違うなり。

 是其の医者の見立てにて工(巧)拙のわかる処にて、眼のつけどころ第一なり。わるく心得ると主客の差別もなく、うかとして薬を与るものあり。

 たとえば熱ありて寒けもあり頭痛もすれば咳も出る痰もはると云う時は、桂枝湯も麻黄湯も又小青竜湯も参蘇飲も芎黄散も敗毒散のようなるものは皆用いて適せずといわず。人々の心得て用いた所が何れでも治す。

 是は元来引く風が主証故、発散すれば外邪の気去りて、彼の兼証の咳も頭痛も治するなり。是に悪しく飲み込むと、方は何れにても良き事も思うは大非(おおいにひ)なり。

 其の主証は軽邪なれば薬にてなしとも、温麺(ウドン)にても生姜酒にても一汗して治す。引く風の病人を見合いにして、大病にても何方にてもすむと、取りさわぎをするは不案内より起きたるなり。

 初(はじめ)の邪気が強ければ、うかうかとして居る内に大病になる。主客の証、見えねば一方にては主治不足な様になるは筋を飲み込まぬなり。


 方は短味を貴ぶ。一味の分量多き故、其の気強し。

 多味なれば匕(ひ)に少しばかりをかける故、何ほどの神品にても其の力豈(あに)に強からんや。

 欲心深く加減と云えども、減はせずに加ばかりして本方の薬味より加味多くなる有り。全くの主客の見えぬ人のする所にて、是を大損と云う。

 さて主客のとりように付いて一つのはなしあり。

 夏日、奥州白川郡渡瀬村の農民の娘、産をしたりけるが時々寒熱ありて大汗流れる如く、遥かに予を迎う。因って官に乞いて宿を経て行きて治す。

 豪農なれば医者大勢集まりて、衣被沢山着せて大事にかけて戸障子も閉じて、独参湯と大補湯にて数日を連服すといえども、大汗二、三日に一発し、少しずつの汗は毎日なり。

 予、脈を診するに浮散数、産後血熱の常体なり。飲食乏しく傍人のさわぎつよき故、当人も必死の気になりて甚だ衰えたる様なり。


 医生等曰く、汗多く陽亡おそるべきの第一にて、頻りに参耆の効を頼めども、自汗多く衣被も二、三度つつむも着がえるに猶滫(シュン)(滲)すと云う。
 ※滫(しゅう、しゅ)・・・とぎしる、米の研ぎ汁

 予、病家へ告げて曰く。

 着服多く戸障子も閉じたれば、温熱の時節に余り欝して悪しし。平日通りに少し心を付けて取り扱りてよし。気力益々衰えるなれば、よき程にすべし。以来は汗も出まじ。と言い含めたれば、医生等、予が高言吐いたりと思いしや詰り問ふ。


 予、曰く。

 公等は兼証を治せし故に治することなし。自汗ばかりが風(フ)と発するならば、公等の主方通りてよきことならんが、先ず寒熱が来てから汗を発するは、汗は兼証にて寒熱が主証なり。寒熱をさえとれば、汗は出ずべきはづなし。是主客の証の取りちがえなり。

 極めて知る、此の婦人は産後壮健をたのみて保護の仕方悪くして此の証を発したらんと云えば、家人皆曰く、平産故にあまり用心もせざりけるが、一日悪寒戦慄して此の如くになりたりとかたる。
 産後二、三日を経て発熱するは血気も新(アラタ)に動きて、未だおちつかぬかぬ処へ外より動かす故に、件の如き証を発するもの多し。即ち柴胡桂枝湯を作りて飲ましむ。

 二宿逗留する中、起色を得て、是より寒熱来たらず。寒熱なき故、発汗もなく全快したり。

 主客の見分けようにて病人を不治の郷へ案内して引き込むようになることあり。

 又産後二、三日を過ぎて、血暈を発するものは必ず乳汁出ず、其の熱も解しかねること、産の当坐に発暈(ウン)するよりも悪しきものなり。

 

                                                                                                 叢桂亭医事小言巻之一  畢

病  因 巻之一

 本文は、近世漢方医学書集成18・19の「叢桂亭医事小言」(1)(2)を底本としたもので、できるだけ原書に忠実であるよう努めながら、以下のように改めてテキスト化したものである。

  

  1.原文中のカタカナを平仮名に書き換え、現代語に近くなるようにした。

  2.おくりがなは、現代文に通じるように改めた。

  3. 原文中の漢文は、読み下し文に改めた。

  4.文集のカタカナのルビは原文の記載をそのまま記載した。

  5.筆者ルビは、ひらがなで記載した。

  6.句点は、筆者の読みやすき所に置いた。

  7.本文中の引用箇所は、筆者がこれを追記し括弧でくくって表記した。

 

病  因   

 病因とは、その病の起こる所の根本なり。其の本を治すれば他はひとりに良くなる。随分と念を入れて問うべし。即ち四診の問の字なり。病因と外証を合わせて方は処すべし。是れ素問に標本と称するものなり。

 去りながら病因にかかわらず見証にて治すこともあり。是は時宜(じぎ)にしたがうにて、何病にもせよ急卒に倒れて手足厥冷すれば四逆湯なり。是外証にて方を付けねばならぬ病なり。

 

 沈痾、痼癖に至りては、病因を極めて外証にて参(まじ)え考えれば、内因も符節の如くに合するものなり。かくなりたる時は死生を指すこと掌中にあり。又外証に主客の差別あり。是を主証、兼証とす。

 さて病を問うに何の構(かまい)にならぬところ(まとはずれの意)を因にとると、方を付けて験もなし。

 総て工(巧)拙は此に違いのある事なり。長病、痼疾ほど因をとらねば治すことならず。

 

 たとえば先年下疳を 病たると云はば、病因となるの心なり。

 婦人は第一に経行を問うべし。瘀血の因に属するもの、十に八、九なり。腰背疼痛、手足拘攣などは瘀血によるなり。

 其の因のたずね様、疎末なれば奇験をとりがたし。

 他日、人によりて病くせもあり。大そうになりさわぐ癖もあり。又一向に苦痛の事は物語らぬ人もあり。又医師の工拙(巧拙)を見ようとかくして見せる人もあり。

 

 是は蘇東坡曰く。

 疾有るに至りて療を求むは、必ず先に尽く告げるに患る所を以てす。而して後、診を求めば便(すなわ)ち医了然として患のこれ至る所を知るなり。

 東坡の流、至極よし。さまでのことにもあらねども、病因隠れたるは、しれがたきことあり。 

 

  天明丁未(1787年)、元旦早朝する時、小吏医師を連れて馳せ行くを見る。

 急病人やあると出仕して聞けば、富田総裁七十に近き人なりけるが、廟堂に於いて急病なるにより、同僚も三人有司の命にて行たりと云う。

 やがて同僚も一同 帰り来 りて席につけば、一席の諸士何病にて如何なりと尋ね問うに、何か苦痛強く起き上がり起き上がりするを、ようやく脈を見たりと云う人もあり、中寒などにてあらんかと云う人もあり、中気の気味にもあらんか涎を流したりと云う人もあり、決定して病証を言い切りたる人なし。

 

 余心に、拙き見様哉(かな)、何ぞ主証とさだまるものありそうなもの、と思いけれども、其の儘(まま)にて朝礼もすみて退出せり。

 富田が嫡男、人を馳て曰く、かりに最(モ)寄りの由緒へ引き取たれば一診を乞うと。

 云うにまかせ往きて診するに、なるほど先に見たる人々の名を付けかねたるも尤もにて、いかにも知りかねる。

 朝衣のままにて巨燵(コタツ)へ臥して微にうなるばかりにて挨拶もなし。

 脈は洪大にて数を帯び、頭より自汗出て手足逆冷す。中気のように見ゆれども、手足は痿たるとも見えず欠(厥)もせず。中寒と云いしも無理ならず。

 腹を按ずるに満して痛むとみえて、中脘の辺へ指をつければ顔をしかめ眼中は常の通りなり。

 先に営中にて服薬したるに吐逆して受けざるのみならず、時々嘔(吐)くことありと。

 薬を飲むと皆吐逆したりと云うに因って前夜の様子を委しく問えば、出仕前に魚味にて酒を飲みたりと云う。其の魚に子もありしよし、沢山 食(しょくし) たりと云う。

 さては宿食なり、酔後寒を受けたるばかりならずと中正湯を煎服す。何事もなく飲みたり。

 二便あらば苦痛も退かんと思えども、衰老故(ゆえ)心元(こころもと)無く、哺時(日暮れ時)に又診すれば、小便通じて腹痛半を減ず。病人も少しは挨拶もある。

 其の夜、大便通じて明日に至れば床に座す位になり、三、四貼にて全快したり。

 是は因にばかり依りて治したり。

 又疝気のある人は、其の疝の証候隠れて見えざることあり。

 診法を精(くわ)しくして沈痾を治すこと度々なり。病因はおろそかにすべからず。

 水腫、痢病、吐食、反胃、気癖などに疝の因なること有り。 

 

 南風がふくか雨にても催すと云う日より(天候)といえば、頭痛して上衝する人あり。桂枝の証か芎黄散の証か加味逍遥散かと云う病人は、其の因は虫積なり。

 婦人にあれば、胡乱に血のみちとして治すれども、是は芟(カリ)凶湯にて蚘虫を下せば再発せぬものなり。病因のことは万病に入用なり。 

  ※芟凶湯(さんきょうとう)

 紀藩の士、十三歳なりとぞ、安永甲午の年。京都にて通し矢を仕(し)たりるけるが、極めて秀たる事にてありき。

 少し不快のことありて同盟藤岡氏なるもの療を乞うに、虫積の候ある故に芟(シン)凶湯を与えて其の病愈たり。

 此の人、矢数をかけると左の肩、隱々と痛みたることありき。

 蚘虫を下して後、肩の痛みを忘れたりとなり。虫積の害をなすこと思いもよらぬ事あり。芟凶湯を用いて知るべし。

 然れども虫積を見分誤れば無益の薬なり。

 眼病にも、痢病、瘧、水腫の類にも病因は虫積なるときあり、心を用いて診すべきなり。

察 色 巻之一

 本文は、近世漢方医学書集成18・19の「叢桂亭医事小言」(1)(2)を底本としたもので、できるだけ原書に忠実であるよう努めながら、以下のように改めてテキスト化したものである。

  

  1.原文中のカタカナを平仮名に書き換え、現代語に近くなるようにした。

  2.おくりがなは、現代文に通じるように改めた。

  3. 原文中の漢文は、読み下し文に改めた。

  4.文集のカタカナのルビは原文の記載をそのまま記載した。

  5.筆者ルビは、ひらがなで記載した。

  6.句点は、筆者の読みやすき所に置いた。

  7.本文中の引用箇所は、筆者がこれを追記し括弧でくくって表記した。

 

察 色


 扁鵲伝に病の応は大表に見(あらわ)るとて、察色大切の見所、証候を知る所なり。四診の望の字なり。
 顔色声音呼吸は定まりたることは余も知らざれども、診察の一にて、人相者は一生の吉凶も云うことなり。さすれば見所多きものと知るべし。


 さて病人に対したる初日に、一々に心を付けて見て置くべし。夫れより後に変のある時は、初日の診と比べて見ると、甚だ心得になることあるものなり。


 顔色の赤きは上逆、唇の白きは凶兆なるは俗人も知れる所なり。

 たとえば其の赤と白を得ると見て置けば、前よりよきか悪きかと、後に計り知ることなる。

 度々心を付けて見れば、後には熱の伏したる顔色も、又狂騒するも、快を得るも、死に近きも知るべし。又眼中にてみえることもあるものなり。

 平人の喜怒の色は誰も知れる。病人の色は、猶更心を用ゆるならば何ぞ知れざらん。『医種子』に載りたる察色の法を見て、古人の察色を論じること此の如きを知るべし。

 嘗て桓公、諸侯を令(レイ)することを読むに、衛人後れて至る。公朝して管仲と衛を伐たんと謀る。退朝して奥へ入れり。

 衛姫君を望見して、堂を下りて再拝して衛君の罪を請う。公の曰く、吾が衛に於いて故なし、子何ぞ請うことをする。

 曰く、妾、君の入りたまうを望むに、足高く気強し。国を伐つの志あり。妾を見て動く色あるは、衛を伐つなりと申しける。

 明日公朝して管仲揖(イツ)して進ましむ。管仲曰く、君は衛を捨てたまうか。公の曰く、仲父何ぞこれを知れる。

 仲曰く、君の朝に揖するや恭して言を出したまうに、往々臣を見て※慙(ハツ)る色あり。臣ここを以て知れりと。 
 此の二人は心を専らにして桓公に事える故に、其の容貌を見て、其の用捨を知れり。 

 若し能く心を病者に専らにしなば、一望して其の病の深遠自然に知るべし。又季札が楽を聞きて言う所も、聞法の一義なりといえり。


※揖(イツ・ゆう)・・・中国の昔の礼の一。両手を胸の前で組み、これを上下した

            り前にすすめたりする礼。

※慙・・・はじる。はじ。「慙愧(ざんき)・慙死/無慙」  (コトバンクより)

 

 声音は力の脱(ヌケ)たるは早く知れる所なり。肺癰は声音にてよく知れることあり。肺痿は猶更なり。ひしげたようにてさびのある声になり、咳嗽までひしげた様になるものなり。

 麻疹の咳はよく肺癰に似たり。小児の痢病などの日を経て脱したるは、泣き声かなぎり高く細くなるもの凶候なり。

 気急する病人、呼吸につれて小鼻の動くは久病ならば死に近し。久病ならずとも安からぬことと思うべし。是を鼻扇と云うなり。

 爪の色も見所なり。青は寒、紫は瘀血など論ず。黄胖は爪の色潤沢ならず。或いは条理高く垢つき、或いはくだけて長ぜず、或いは厚くなりてへげる、或いは薄くなりて反りてかけるものなり。又黄疸は眼中と爪甲より、早く見ゆるもの多し。

 皮膚の覆うもの無き故に透明して早く黄の見ゆるなり。爪は骨のようなれども条理ありて津液ここに通ず。怪我(ケカ)して強く爪を打つと瘀血条理に結して染まる如く。爪をはさむ時に小口(コクチ)より見て、血も打ちためて凝りたるは知るべし。

 労瘵に桃花蛀と云うことあり。『証治要訣』に云う。面色故の如く、肌体自ら充(ミチ)、外は無病の如きに看て内は虚損すること有り。俗に桃花蛀と呼ぶ。新に粧(ヨソオウ)者の如し。 顔色良ろしきとて悦ぶことに非ず。決して死を免がれず。

 又惣身顔色ともに痩せて両顴(ホウホネ)ばかり赤くせしめ、紅を粧えたるが如く見ゆるを帯桃花と云う。

 労瘵に多くあらわれ、婦人・鼓脹にも有る候なり。何れも同じく難治なり。

 『外台(秘要)』に云たる、崔氏方の五蒸を治するの処に、嗽後面色白く、両頬(ホウ)赤を見(あら)わことすこと臙脂(えんじ)色の如し。

 団々とせしめ銭許(ハカリ)の大きさの如く、左に臥すれば即ち右に出る。唇口常の鮮赤に非ず。若し至りて赤鮮(アカスギル)なれば即ち極めて重し。十なれば則ち七は死し、三は活くとあり、今は医の拙なきにや十に一生なし。

 口眼喎斜するは中風にある証なれども、壮年の人の手足も滞る所なく俄に口眼喎斜(クハシャ)するはやはり中風の一証をあらわせるなり。何の事もなく中風の薬にてよし。其の壮実をたのんで酒色過度の人、老来にて発する中風を取り越えて発したる故、諸証具せずに一証を表わせしなり。

 癩風も口眼咼斜する者あり。肉色を見て麻木を尋ぬべし。中風と違い一ヶ所ずつに 瘀血の凝って不 仁(ヒトハタナラス)する者、其の処血色を察すべし。中風と異なり、又毛髪の脱落するや否をも察すべし。

 痘は全く察色に在り。其の発する部分(ブワケ)を以て云うは信ずべかざるに似たり。

 痘の多くは凶、痘の少なきは吉と云うは天下の知る所なれども、潤沢と乾枯とに吉凶あり。紅鮮と紫黒とに吉凶ありて多少に非ず。然れども少なきものは凶候の出るは稀なり。悉くは痘瘡門にて語るべし。

 

 狐つきは望んで知るべし。然れども狐に上下あり、上狐の憑きたるはまぎれやすし。

 巫祝の言に云う、十三種ありて天狐・地狐・黒狐・白狐など云うは甚だ奇異なるよし。

 野狐は自分より口ばしりて、稲荷(イナリ)なり、赤豆飯を喰わせしめよ、なんどと云にてこれを医門に託せず、直に祈祷にかかる。
 又十三種の内の上狐に憑かれたるは、祈祷も何も構わず病人と見ゆるあり。是を医者に託す。医者も又物憑きか乱心かの堺(サカイ)知れかぬるものなり。

 中にも乱心かと思えば、本心の所もあり、狐付つきかと思えば、乱心のようにも見えて、一日の中にも色々になる。
 夜寝かね或いは死せんと欲する真似(マネ)をして看病人をつからかすものなり。

 病人も意気を得(トク)と見て熟察すべし。能く気をつけて見んとすれば、病人嫌がるは乱心には少(スク)なし。

 

 又巫祝の折風(カサオレ)と称するあり。これは益々見わけ悪(にく)し。是は常につきては居らぬものにて、ちらりちらりと風にさそわわれたる如くになるよし。

 予嘗て巫祝の功者なるに問い求めたるに、彼の教えを後に試みるに助けになりたること多し。

 食事をする所を気を付けて見るべし。口もと常ならず、或は大食になる人もあり、或は食事をするに奴婢の外は人を近づけざるものあり。
 兎角愚人を相手に仕(し)たがるか、総(そうじ)て食事に変わり有ものなり。相対して座したる時、真向(マムキ)に眼と眼を見合わせかね、必ず面を背け、或いは面を伏して両膝へ手をつき、肩をすぼめ、すくみたるようにて面を挙(アゲ)げざるは決して乱心に非ず。

 又腋下へ手を着けさせず、後へも人を廻さぬものなり。此の外に四診有りと云う。秘して伝えず。


 予嘗て試みるに又印堂ムックリ高くなりてある時もあり、気のこりたるなるべし。

 夫れを堅く押さゆれば手足の力抜けるものなり。又背を下より逆に撫でれば大いに怒るものなり。
 さて治は灸治よし、鍼もよし、紫円も効あるものなり。烏頭・瓜蒂も効はあらんと思えども未だ試みず。

 

 又大奇事あり、袂のうちに沢山に毛あることは皆人の知る所なれども、病家の味噌桶の下を見るべし。衣服へついてある毛と同様の毛あるものなり。能く利害を説て聞きすれば、鍼灸にも及ばす治するものあり。

 治せずば斯の如きの手段にせんと云うこと兼ねて心得て有る故に、其の術に恐れて治するなれば攻め道具の用意なしには利害ばかりにては治すまじ。

 子啓子嘗て狐つきを落とす鍼法を伝えられたり。子啓子は相対したるばかりにて鍼を刺したることなく験ありしよし。

 其の法は手の左右の大拇指の爪甲をこよりにて堅く縛(シハリ)り、腋下か背後に凝りたるものを力まかせに肘臂の方へ段々にひしぎ出し、肘まで出たる時、他の腰帯の類にて緊(ヒキシク)しせしめ、其の凝りたる塊の上へ鋒鍼にて存分に刺すべし、治するなり。
 其のひしぎ出す時、並々のことにては狂躁する故、人を雇(ヤトイ)て総身をかくるる処なきように尋ねてひしぎ出すべし。

 此の伝を得て後に東門先生へ物語れば、足の大拇指も縛すべし。第一病人の気を飲むように張り合いつけ(る)べし。若し向(むこう)に飲まるる時は何ほどにしても治せず。蔭鍼(カケハリ)にて狐つきの落ちると云うは、此の術なりとありけり。


 余は刺鍼を解さざるゆえ、他にも鍼家に術ありや否(や)を知らず。灸法薬方も『千金方』などに詳らかに見えたり。十三鬼穴など是なり。

 仲景の狐惑病は狐つきのことには非ず。『(叢桂)偶記』に論じ置たり。狐つきは邪崇と云うものなるに、俗医狐惑病と覚えたるを時々聞きて笑うべき事と思いしに、入門(『医学入門』)に狐つきを狐惑と書きたる所あり。仍(さ)てはめったに笑われぬものなり。

 頃(ちかごろ) 南総の名医、津田玄仙子の『経験筆記』を読むに、狐狸秘訣と云う処に曰く。

 狐憑きは人中の紋ゆがむ○喉に×此の通りの紋を生ず○腋の下に動塊あり○手の大指をかくす ○脈両方背(ソムケ)て斉(ソロ)わず忽ち変ず。

 右五証の内一つ二つもあらば狐託(ツキ)のせんき(先規)肝要なり。


 巴黄雄姜湯を用いて、其の精液を下す。巴黄雄姜湯方、巴豆・大黄・雄黄・乾姜各等分、右四味細末にして一銭ほど湯にて用うべし。大便瀉下するを以て効ありとす。若し治せずんば、又三日ばかり間をおいて用うべし。必ず愈ゆるなり。後は安神散の類を用いて補うべし。

 ※先規(せんき・せんぎ)・・・前からのおきて、しきたり、先例


 詐病(ケビョウ)を見つけずに拙(ツタナシ)と唱えらるることあり。

 元来奴婢などの主人を偽り、病に託するほどの下賎たる人に多ければ、其の智も亦上等の人をあざむくべからずと雖も、姦智巧偽の者は頗る本病に似るものあり。

 是は四診にて 乍(たちまち) に見分けるべし。猶又、師到れば壁に向かうなど古人の云う所の如く、不正の心事正人に対しかねること彼の狐つきの如し。
 『傷寒論』平脈法に曰く。設し壁に向かいて臥しせしめ、師の到れるを聞きても驚起せずして盻視(けいし)し、若しくは三言三止す。之を脈するに唾を嚥む者は此れ詐病なり。

 ※盻視(けいし)・・・にらみつける

 設(もし)脈自ら和さしめるする処なれば、此の病大いに重しと言い、当に 須(すべから) く吐下の薬を服さしめ、鍼灸数十百処すべし、乃ち愈ゆ。(『醫燈續焔』に曰く其の詐を嚇(おどす)なり」とあり。

 余は肘上を縛して脈を閉じたる体にしたるを見たることあり。眼中爽やかにて言辞度を失すること多きを以て診したりき。

 

腹 候 巻之一

 本文は、近世漢方医学書集成18・19の「叢桂亭医事小言」(1)(2)を底本としたもので、できるだけ原書に忠実であるよう努めながら、以下のように改めてテキスト化したものである。

  

  1.原文中のカタカナを平仮名に書き換え、現代語に近くなるようにした。

  2.おくりがなは、現代文に通じるように改めた。

  3. 原文中の漢文は、読み下し文に改めた。

  4.文集のカタカナのルビは原文の記載をそのまま記載した。

  5.筆者ルビは、ひらがなで記載した。

  6.句点は、筆者の読みやすき所に置いた。

  7.本文中の引用箇所は、筆者がこれを追記し括弧でくくって表記した。

 

腹  候


 腹部の見ようは呼吸の腹候応ずるを候うべし。急変のある病人は呼吸の応じよう、おだやかならず。

 次に動悸を候うべし。素問に云う「胃の大絡を名づけて虚里と曰く。膈を貫き肺を絡ひ、左の乳下に出づ。其の動、衣に応ずるは脈の宗気なり」(其の動、衣に応ずるの四字、馬玄台曰く、衍字(えんんじ)なり。下文にて考えるに衍ならん)とあり、此の虚里の動、甚だせわしく、高く手にあたるは悪証にて、猶更妊者などには甚だ忌むことなり。産後急証発することあり。又下文に其の動、衣に応ずるは宗気泄れるなりとあるにて味わいみるべし。
 ※衍字…語句の中に間違って入った不必要な文字(デジタル大源泉)

 去りながら世に黄胖と云う病は此の動、甚だ高し。必ず悪証に非ず、勘弁すべし。是も偶記(『叢桂偶記』)に論じたり。さて詳らかなることは黄胖にて語るべし。

 又此の虚里の動ばかりにてかぎらず、腹部の動悸へ心を付けて候うべし。動悸に変があらば何病にても油断はならず、急変をなすことあり。

 小児は驚を発すること多し。又何ぞ痼疾のある人の動悸は常にかわることもあるべし。是等は猶更に問切と望聞とを参伍して候(ウカカヒ)得るべし。
 ※黄胖…黄胖は貧血や出血が原因で体内血液が不足して皮膚の乾燥、生理不順、神経の乱れなどの症状が診られる


 大小建中柴胡湯の類、皆腹より方を付けるものなれば、腹候を油断すべからず。
 腹の一体を候うの法は、腹の皮厚く肉ゆったりとして、肥人の股の如く皮と肉との分からぬを善とす。腹の皮薄くてうるおいなく、肉と皮との離れて幾つと云うかずもなく、筋のみえるは悪ししとす。

 腹勢を診すると云うは柔らかならず、こわからず、呼吸の応おだやかに、何れの処を按じても痛みこたえることのなきを、腹勢のよきとは云うなり。
 腹の皮が薄く肉と離れて背につき肉は引張て、縫箔屋のわくに掛けたる絹の如くになりたるは津液(ウルホイ)のなき人の腹なり。癖嚢・吐瀉・虚脱の人にあるものなり。

 極めて津液の尽きる腹は、皮浮き立ちて羽をむしりたる鳥の胸を撫づるが如し、極虚の凶候とす。此の手ざわりは、自汗強く死に近き人の、手足の肌にも有るものなり。又死人の肌を撫でて覚ゆべし。

 ※癖嚢(へきのう)…胃痛を伴う胃拡張、胃がんの類か。

 又多産の婦は、腹皮肉にはな(離)れて浮きたるは常態なり。津液を以て見分けべし。

 心下より痞鞕して板を按ずる如くに指もうけつけぬは難治多し。然れども甚だ怒りなどして欝したる人、腹も斯の如くなることあり、是は難治ならず。

 又皮の離れて底の引張て、板の如く筋立ち多く見えて、任脈凹にてあるも悪候にて労瘵に多し。引張る故、呼吸せわしく脈も数なるものなり。臍下ドフドフと力無きは虚腹なり。
 さて其の力の無き臍下を按じてみれば、沈んで動か(ぬ)塊がある、夫れを強く按ぜば臍の四方は勿論、五体へ響て堪え難く痛むは虚なり。臍下はたわいもなきほど力なくとも、少しも按ぜば痛あり、是も虚に属す。関元気海辺は大切を救う穴処になりてあるも理なり。

 総て上腹は大いにして痩せ、下腹は力なく処々に動気ありて、面色紅なる所なくば大病を催す候なり、むざとは療治ならず。長病の人、動悸へ手をあてても痛甚だかたきは極虚なり、難治なり。動悸の静なるは大病にても急死は無きものなり。

 肥人の腹の形、胸肋よりむつくりと高く、下腹に至るほど大きく軟なる腹あり。又心下はすきて下腹大きなるは、皆是を佳き腹と云う。痩人の腹は胸肋よりひきく、小腹まで同じ形にて按ずるに軟なるは佳き腹なり。以上の腹は皆腹皮厚く、肉に離れずしてうるおいあり、動悸もなきものなり。

 小児は心下高めにて少腹小なるものなり。人々腹形悪きと云えども、是は小児の常態なり。形は此の如くなることを先ず心得て腹候するに、病の半ばより腹形変じて脊につき削りて去りたる如くに、胸肋よりは板の如くになりて横骨の所にて段々に高くなること悪候なり。疫にも痢にも一二日のうちに此の如くなること多し。難治となす。動悸などあらわれて至て悪しく見えるまで知らずにはすまず。

 此の如くならぬ前より腹診に熟すると、勢いの脱するは知るる故、早く難治を極めて明に治すべし。 

  五臓の積を分けて名もあれども(肝は肥気、心は伏梁、脾は痞気、肺は息賁、腎は奔豚とあり)必ず拘ることに非ず。古方家にて腹に拘攣(コウレン)と云うことを、芍薬の症なりと口癖(クチクセ)にする。是は伏梁と指すものなるべし。

 大概は乳下の通りよりつけねの処まで引きはり、臂(ヒヂ)のようにある者、梁(ウツハリ)を伏せたる如くに見ゆると云う義なるべし。

 観臓の時、彼の伏梁と云うべきものを、段々と皮肉を割りて見れば、衆筋引きしまり聚まりたるにて、皮を割るに従いてみなみなゆるみて異なるもの有るを見ず。皮の上よりは塊の如くに手にさわりて見えけるなり。拘急の腹は甘草、大棗、又芍薬の験ある処なり。夫れにて急痛せば小建中湯の主る所なり。

 奔豚は腎積なりとあれども、動悸の上へうちあげるの形をたとえたるにて、其の動の甚だしきは、呼吸促逼し或いは昏眩するに至る。又驚に発することもあり。必ず腎積とばかり一筋に心得ては、医学者の療治の下手になると云う処へあたる。

 金匱要略に其の病を四つありと云いてある。此の説解しかねれども、驚悸有りと云うものなどは頗る知るべし。千金方などにも奔豚と云うこと処々に出たり。猶委細は積聚の処にて語るべし。

 何ほど脈数にて熱強く見ゆるとも、腹候して腹に熱のなきは推付け(オッツケ)さめる表熱なり。

 さて腹候のとき、手の平へチリチリと熱勢の見えるは、伏したる熱にて容易にさめず。わけて小児の暴熱するは甚だ見わけかねる。引付も有るべきや、どれほどのことにならんやと覚束(おぼつか)なく、脈にては知れかねるものなり。ことごとく腹候にて決知すべし。心下の真中に動悸もありて、手掌へヂリヂリと応ずるは油断すべからず。


 水腫にもせよ脚気にもせよ心下に水気の見えぬは大事なし。心下から水気を催したらば油断はならず。病家へとくと云いきかせて療治せよ。別ても水腫は外見がよく見えるもの故、急変を知らずに居たると悪く唱えらるる。

 心下に畜水ありて呼吸せわしきは急変の処に気を付け(る)べし。さて又水腫の証に咳嗽があるも、腹の動気強きも、脈に数のあるも悪証なり。脚気の衝心は心下と動気と呼吸と脈にて決知すべし。


 虫積の候は心下にあり。内がやわらかにてムックリと高く手を当ててみれば、どこともなく脹るようにて脹るにもあらず。掌の下にこるかと云う気味にあるものなり。此の腹の人は虫積の外候備わりてあるものなり。外候の詳なることは虫積の時に語るべし。

 腹の痞を按ぜば、水面に物を浮きたるようにて手に随いて移る。下して取れるものなりと思うべからず。見える時もあり、又隠れる時もあり、全く塊もあり、又腸の脂膜切れて浮かみ出て、手にて按ぜばたわいもなく隠れる。皆悪候なり。脂膜の切れたることは疝の時に告ぐべし。

 又臍下に堅塊の処々へまわることあり。是は指してかまいにならぬこともあるべし。悪くすると小便不利することあり、転胞の因になるあり。詳しくは其の時語らん。


 気急の人、肋骨の動きて 扇(アオグ)如くなるもの悪候なり。急変あるもの多し。心下の真ん中に細(く)動悸のありて鳩尾へうちのぼる人は快寝することならず。腹気上へばかり引きあげる故なり。彼の奔豚の意味あり。酸棗仁湯の茯苓の味、考え知るべし。

 さて積持ちの夜ねらぬと云うは、空腹になるほど気がすんで寝られぬものなり。元来病しき故に食の塩梅も常ならざれば、空腹になりたると意もつかぬものなり。其の大概をみて、是には臨臥に軽き茶漬(ツケ)けなどを食せしめると睡りを催す。腹気がぢっと落ち着く故なり。


 又小児の遺溺(ネショウベン)するも、腹気引き上がりて少腹の空虚になるゆえ、遺弱するなり。大人も長夜になると度々小便に起きるは下冷する故なり、と云いておけれども、是も腹気の引き上げる故なり。

 臨臥に餅か厚味の魚鳥の類を食すれば、其の夜起きず。小児の遺溺も厚味の食にて其の夜は止むものなり。是腹中実して腹気の引き上げぬ故なり。淡味にては早く消化するゆえ、深更に至れば、睡中に空腹になりて腹の引き上がる故に頻数は止まず。

 さて又早起きして直に朝食を食することのならぬ人あり。是も積気のある人なり。寝口ゆえに食のならぬと云えども、睡中に空腹になりて腹気引き上がりて積気の動くゆえ食事しにくし。昼も空腹をこらえ過ぎて、却って食事のならぬことあるものなり。やはり此の意味なり。

 静かに朝茶にても飲み、起歩する内に腹気もゆるみ食事がなる。終夜食せぬものゆえ、睡中に飢ゆるの理は、諸の治療に考え合わせて助けになること多し。

 誰々も積持ちなれども、夜は快寝、或いは早起きしても食のなるなどと一概に云う人とは談することならず。

 人の性によりて消化の厚薄もあり、大食すれば翌朝の飯は待ちかねるほど空腹になるを、昨夜腹を食い広げたる故なりと云うことあり。是は飽食にて睡中に空腹にならず、腹気実して醒める故に翌朝よきほどの腹の塩梅故、飯のうまく食えるなり。

 さて又動悸あれば上(ウハ)づりに成るものと知るべし。上逆して耳のドンドンと鳴ると云うなどは、やはり動脈の耳中にてうつ響きなり。心下の悸ある人は眩暈するものなり。

 几(ツクヘ)上にて書き物して、俄(にわか)に立ち上がれば昏倒するは肩のつかえたるもあれども、先ずは動悸の急に立ち上がりたる故に、一際(ヒトキ)ははげしく心下に逼りたるなり。早く心下を按ぜば昏倒せず。子玄子の禁暈術の意を解すべし。

 又奔豚気の味も知るべし。心下に言ぶんのあるは、多くは気を塞ぐ。故に或いは立ちくらみなどして、気を失うこともあり、苓桂朮甘湯の意味知るべし。


 腸癰(ちょうよう)は腹候にて決するものなり。臍下少腹の辺に塊ありて、指もつけることならぬほど痛み、皮膚甲錯するとて潤いなくサラサラとなりて腹痛はげしく腹内雷鳴して、徳利より水にてもこぼす如くの音もあり。又杓にて水汲みかえす如くの音のするは是膿を作したるなり。

 さて指を付けても痛むと云うもの、常の積にもあれども、腫物の膿をもつと云う処へさわるものなれば、痛む様子(ヨウス)も按じた処もわかるものなり。半産に多し。

 産後と食傷の後、腹痛するは油断すべからず、度々ある病気なり。膿血を下してから腸癰なりと云ては医者の見識はなきなり。猶詳らかなることは腸癰の時に語らん。

 塊物を下す事、至て手際の入ることなり。又大事のことなり。大概は下らぬものなり。又自ら下ることはあるべし。塊物の臍以上にあるは益(ますます)くだり難し。

 婦人の塊下りやすし。撃ても攻めても動かぬ塊は必ずつよく長戦はならず、命までを攻め殺すなり。大積大聚は侵すべからずと古も言えり。夫れ故害をなさずば大概はこらえて無理に療治すべからず。


 姙娠の見ようは腹候第一なり。子玄子の産論並びに産論翼に詳なれども、賀川家に親炙して学ぶべし。委しくは猶、婦人の病論に詳らかに語らん。


 さて心得の一条は、病にての経閉は不順の至り、瘀血の為すことなれば腹にも云分あるべきに、腹候に心にかかるほどの悪候もなく常に不順にもなき、経水の滞りたらば妊娠なりと知るべし。二月目にては知れかねるも多し。

 又崩漏脱血の後、娠むこと産論にもある通り、時々あることなれば心を用いて兼日のことを尋問して参伍すべし。

 常に腹の鳴りて下りやすき人、動悸もありて胸膈に痞えて心下うるさく、気を塞ぎ、肋骨の下通りを按ぜば腰の方へ響くは疝気なり。

 さて疝積はいろいろの証に見ゆるものなり。気を塞ぐ人は気を付けて参伍すべし。疝積多し。旧腹痛も旧痢も水腫にも疝を療じて功を得ること数々有り、疝は人々にあるものと知るべし。

 手足の不自由か、引きつるなどの類は皆腹に根本の塊物あるものなり。左にあれば左あしく右にあれば右あしし。必ず手足へ目を付けては治せず、腹部にて病根を除くべし。

 中風は全く此の因より発す故に、名義は叢桂偶記に詳にすれば読みて知るべし。中風の腹より発すると云うことは素問に、「岐伯曰く。病、伏梁と名づく、此れ風根なり」とあるは即ち此の意味なり。

 水腫の腹満したるに臍の凸に出ることあり、凶候なり。腹満・鼓脹にも凸出することあり。臍を按じてみれば、あちらこちらへ移るなり、又悪候なり。また小児の啼泣するもの凸出するは、その啼泣するの因を極めて夫オさえ治せば、臍は低くなるものなり。夫れ故小児には凶悪とせず。

 水腫にも脚気は猶更心下より水気を催すもの故に、心下を候えば未病を治すと云うほどに早く知るるなり。是は数人を見て、指下に水気の手ざわりを覚ゆるを第一の要とす。

 腹は衣被の中にて候するもの故、眼(に)みるべからず、又腹の水気、初起は按じたる跡は皮下につくのみにて、手足の様にありありとくぼくはみえず。此の事を知りて候すべし。

 婦人は肌に手のつくことを嫌うゆえ、医も亦是を憚(はばか)りて衣を隔てて候するときは知ること能わず。高貴の人は猶更此の行いありて腹候自由ならず。故に弁胎などには甚だ誤ることあり。左右に報して衣を隔てずに候すべし。

 又初起の時、脚脛の内通りの骨上を按じて其の跡を指にて撫でれば、肉に指跡くぼんであるなり。目にて見ゆるまで知らずにいては医と云わんや。手馴るれば指を下せば手ざわりにて知るるなり、撫でて見るに及ばず。然れども初心にては知れざるものなり。精神を用いて診候すべし。

 暗夜に脈を診しても、寸口に水気をもちたる肌は手ざわりにて知るものなり。白日には三指の跡、三部に窪んで見えるものゆえ、病者の手を引き込むのとき、心をつけて見つけて用に立ちたることも数々なり。 

脉 論 巻之一

 本文は、近世漢方医学書集成18・19の「叢桂亭医事小言」(1)(2)を底本としたもので、できるだけ原書に忠実であるよう努めながら、以下のように改めてテキスト化したものである。

  

  1.原文中のカタカナを平仮名に書き換え、現代語に近くなるようにした。

  2.おくりがなは、現代文に通じるように改めた。

  3. 原文中の漢文は、読み下し文に改めた。

  4.文集のカタカナのルビは原文の記載をそのまま記載した。

  5.筆者ルビは、ひらがなで記載した。

  6.句点は、筆者の読みやすき所に置いた。

  7.本文中の引用箇所は、筆者がこれを追記し括弧でくくって表記した。

 

 脉 論  

 

 脈は医門の大綱にて死生吉凶を決するの根本なり。即ち四診の切の字なり。必ず病状を知るの具に非ず。素問難経に其の論詳(つまびら)かなれば熟読して知るべし。

 去りながら悪く泥めば一向に役に立たず。脈は至って初学には知れかねるものなり。猶更知れぬものと云う心得にて見ては更に用に立たずと云うほどの事なり。 

 

 素問に脈の動静を切し、精明を視て、五色を察し、五臓の有余不足六府の強弱形の盛衰を観て、此れを以て参伍して死生の分を決すと。(素問・脉要精微論)

 又云う治の要極は色脈を失すること無し。之を用いて惑わざるは治の大則なりと云うにて考えれば、必ず脈許(バカリ)にて察するものに限らず、脈と外候を参考して死生は決するものと知るべし。 

 

 さて四季の脈は弦鉤毛石と四つなれども、初学の人にて知れることに非ず。況んや二十四脈に至ては益々繁くて並々のことに非ず。

 古人も夫れ故、七表八裏を分け、或いは六脈を以て平日の用に立てるの説なれども、つまる処が指三本の下にて一皮かむりてあるものを探るなれば、知りがたきも尤なり。

 脈を取る専要と云うは、胃の気を候うが専一なり。胃の気なければ弦鉤毛石も浮沈遅数滑濇も死脈となる。

 素問に云う平人の常気は胃に稟く。胃は平人の常気なり。人に胃気無きを逆と曰く。逆なる者は死す。(素問・平人気象論)

何れにも胃の気たしかなれば、なかなか病人が急に死するものにてなし。 

 

 さて其の胃の気と云うは形はなし。四季の脈は弦鉤毛石と皆形をとけり。六脈も浮沈遅数滑濇と皆形状あり。されども胃の気なければ死脈なり。さすれば胃の気と云うは形のなきものと云うこと知るべし。

 如何様(いかよう)の脈にても胃の気が大切の見処なり。死生を決するの要務にして精神を指下に用いて脈を診すべし。何れにも脈を候(ウカガイ) たきほど取りて、指を重くして骨に至る。是を難経にて腎脈の部とす。

 夫れを今一つ押してみれば、尺部に押し切られても関か寸の部に脈がひびく、是を胃気の脈と云う。脈の形は何れにもせよ押し切られて脈の通ぜざるが胃気なしとす。

 是脈力の無きにて脈力は元気の粋なり。乃ち胃気と称するものなり。其の脈の胃気なきは猶更長病人ならば油断はならず。如何ほど病勢強く見ゆるとも、胃気があらば手段は尽たると云うべからず。

 さて是も功を積まねば胃気があるようにても無きこともあり、無きようにても有ることも有り。

 平日心を深く用いて平人の脈にて取り覚えるべし。是先君子、清漣先生の教えを奉ずる所にて、今に至りて多試多験なり。脾脈と云うも胃気のことなり。脾胃ともに一同に論じてある。 

 

  難経に云う呼は心、肺とに出る。吸は腎、肝とに入る。呼吸の間、脾は穀味を受けるなり。其の脈、中に在りと云うを見て、一呼再動、一吸再動、呼吸定息脈五動、閏するに大息を以てする(素問・平人氣象論篇)の大息を、中に在りと云う字面へかけて、脾の候なりと云うは悪しし。

 既に四臓は皆形を説き末に至りて脾は中州故、其の脈中に在りと云うにて、大息のことにて無きことを知るべし。

 又十五難に脾は中州なり。其の平和は得て見るべからず。衰はすなわち見るのみ。是大息のことに非ず。又常に形のなきことも考え知るべし。来ること雀の 喙(ツイバム) が如く、水の下漏(モレル)が如く、是脾の衰るの見(アラワ)るるなり。

 是脈のきざみ、一つ一つに切れて続かざるの形なり。胃気あるは何ほど押し切りても押し切れぬ故、一つ一つになることなし。雀(スズメ)の喙すると水の漏(モリ)たるようにはならず。是胃の気のなき故なることを知るべし。

 さて又胃気の脈は和緩なるを指して云うなど云いし人もあり。又素問に四季の脈へ微の字を帯びて論じてある處もあれども、是は別に説あることなり。事なかければ爰(ここ)に論ぜず。兎角胃の気の脈に形はなし。

 素問にも帝曰く、脾の善悪は得て見るべきや。岐伯曰く、善なる者は得て見るべからず。悪なる者は見るべし(素問・玉機真蔵論)と形のなきこと考え知るべし。 

 

 脈に打ち切れと云うありて、素人も知りて恐がる。去(さ)りながら一通りの打ち切れて死ぬものに非ず。積のある人か老人の血液燥枯して、うるおいのなき人には常にあることなり。脈許りにてもなし、一身の動気が一様に打ち切れるなり。

 成る程いやなることなり。然れども驚くことにあらず。是は結脈とも促脈とも云う。結は緩脈の打切りなり、促は数脈の打切りなり。死脈に非ず。

 難経には五十動にて一止するは一臓のかけたるとあれども、今病人を診るに、五、六動にて一止するか、七、八動、或いは一、二動にて一止するもの多し。

 難経の説なれば五臓の気皆尽くしたりと云う所なれども、必ず病人死するに限らず。 

 又今時の医者は五十動を診するほどは脈を取りて居らず。握ると思うと直に放す。夫れ故七、八動の打ち切れも見つけぬことあり。

 真の打ち切れは古に代脈と云うものなり。代の字義によりて考えれば、かわると云う意なるべし。数脈が一止すると急に遅脈になり、大脈が一止すると乍ち細脈になるの類なるべし。是は大病人には折々有る事なり。是こそ死にちかきと知るべし。

 されども傷寒論に云う代脈と云うにはかなわず、是は文にわけのあるなるべし。初学の人、打ち切れに驚きて療治に臆することあり。よくよく心得べし。 

 

  三部にて病状を診得(ウカガイウ)るの法は、関前寸部より脈の形すすんで魚際へのぼるほどに見ゆるは、上衝頭痛眼疾耳鳴眩暈の類とす。

 関部にわるく力があるか、脈のきさみ(刻み)か知りかねるの類は腹部のしつらいとなす。尺部の脈に力ばかりて尻はりなるは腰脚足脛の病となす。左右は左右を分ける。是に心を用いて候学(ウカガイマナヒ)は大概はわかるものなり。 

 

 近来の流行にて、脈などの事に骨を折れるは見識の無きように成りたるは、古方家以来の幣なるべし。初学の輩は精神をこらして工夫をなすべし。

 されども脈ばかりみて他候にかまわぬ医者あり。夫れでも知れるならば勿論なれども恐らくは知れかねるならん。余は参伍しても洞見することならず。また前条に引証する通り、素問の診法にそむけり。 

 脈の虚脱して取りにくく様子(ヨウス)も衰えて何から見ても大病と知れるあり。病人は一向のこと指して工夫も入らず。

 只恐るべきものは数脈なり。急卒の病に至りて数ならば油断(ユダン)はならず。小児は勿論なり。驚証などになること数脈より変ず。大人とても数の甚だしきは急変を生ずることあり。

 得と胃気を候い外候へも参伍すべし。新病旧病の差別なし。去りながら熱あればいつにても数脈は表わすものなれば、よくよく精神を用いて取り得べし。さまでもなき熱を臆して治しそこねぬ心得すべし。又平日無病の人にて数脈なるは労瘵の催しなるもの多し。 

 

 脈衰えて長病急病の別なく、頻りに大被を重く覚えて覆することならず。薄着にて臥することを好むは大切なり。極めて胃気を候すべし。絶えて有るもの多し。外見はよくとも油断すべからず。

 又肌は冷めて居ながら甚だ熱を覚えて、昼夜衣被(きぬかずき)を発開し覆することならぬものあり。冷汗などあり、四肢微冷する類、傷寒論の病人身大熱し反って衣を近づけんと欲するは、熱皮膚に在り、寒骨髄に在るなり。身大寒し反って衣を近づけんと欲せざるは、寒皮膚に在り、熱骨髄に在るなりと有れども後人の論説と見ゆる。仮寒真熱、仮熱真寒と医籍にあり。(傷寒論・11条)

 ※衣被(きぬかずき)・・・単衣(ひとえ)の小袖(こそで)を頭からかぶったもの。

 又活人書(傷寒活人書)に先ず陽旦湯を与へ、後に小柴胡を与ふ。先ず白虎を与へ、次に桂麻各半湯を与ふるの説は空理を以て論じたるなり。是極虚の候にて長病の老人、小児の痢後、死に近しなどに多し。虚熱陰火などとも云うべきなり。脈形悪きは猶更なり。指を屈し死を期する悪候なり。 

 ※陽旦湯・・・桂枝湯のこと

 脈と証と合わせぬは凶兆なれども、一定の看法に仕がたし。悪証にても脈よりとりすがりて療治することあり。此の時は証脈の合わせぬを佳とす。又脈は悪けれども病形よろしき故、一手段つけて治すること日用の事なり。定法とすべからず。取捨に巧拙の入る所なり。 

 

医 学 巻之一

 本文は、近世漢方医学書集成18・19の「叢桂亭医事小言」(1)(2)を底本としたもので、できるだけ原書に忠実であるよう努めながら、以下のように改めてテキスト化したものである。

  

  1.原文中のカタカナを平仮名に書き換え、現代語に近くなるようにした。

  2.おくりがなは、現代文に通じるように改めた。

  3. 原文中の漢文は、読み下し文に改めた。

  4.文集のカタカナのルビは原文の記載をそのまま記載した。

  5.筆者ルビは、ひらがなで記載した。

  6.句点は、筆者の読みやすき所に置いた。

  7.本文中の引用箇所は、筆者がこれを追記し括弧でくくって表記した。

 

叢 桂 亭 医 事 小 言 巻 之 一

 

 原 南 陽 先 生  口 授

        

          門 人 水 戸   大 河 内 政 存 筆 記

          常 北         丹 彜 校 正

 

 

   医  学  

 

  医の学び難きことは、儒学と違い正典の無き故にて、世々の医師、其の見る所に依って己々の見解を以て道理を推して薬験を試みて、是にて違いなきと思う所を説き出す故に、多端になり、後学の者は何れに適従することを知らず。

 また何れの書も方薬を取りて用いるに一つ二つは異験あるものなれは、文盲の人は書に載りたるほどなれば、これに極めて他を顧みるに及ばずと思て励(ハゲマ)さるに至る。畢竟(ひっきょう)徴(シルシ)を取るの書なければなり。 

  ※異験(いげん)・・・ふしぎなききめ。

 

  内経難経は古書なれば徴(しるし)を取るべきものなれども、是又聖経と違い後人の作を雑えて五行に陥り、治療の際に至りては却って害になることも多し。然れども内経は古書なれば要語各所に散在す。故に悉く読(ヨマ)まねばならず、また悉く取ることならず。 

 

 程子の説に、此の書戦国の間に成(ナレ)りと云うは、大儒の見にてさも有るべし。 

 また淮南子(えなんじ)と同作ならんと七修類稿に見ゆ。また徂徠先生の素問評には各篇に文章の違いあることを評せり。此の如くなれば一人の作にては無きと見えたり。 

 

 愚按ずるに、家語(孔子家語)の文にも似たる所多し。また三、四部を集めて素問内経と名づけたりと云う説もあり。

 史記の倉公伝に、公乗陽慶、尽(コトゴト)く黄帝・扁鵲の書を収(オサメ)て淳于意に伝う。是脈書、上下経、五色診、奇咳術、揆度陰陽外変、薬論は石神接陰陽禁書なりとあり。また受読んで之を験することを解くこと一年ばかりなるべしと云うにて見れば、今の素問霊枢の事ならんと云う説もあり。 

 

 また後漢の鍼医、郭玉が師を程高と云う。程高が師を涪翁(ばいおう)と云う。涪翁は其の出る所を知らず。常に涪水に釣りするに因って涪翁と号して、其の術、世に称せらる。鍼経・診脈法を著して世に伝う。

 疑うらくは今の素霊・難経の書は涪翁の著する所ならんと云う説もあり。つまる処が明徴なきことにて其の人々の見なり。何れにしても一部中に一理に成り難き所ありて、是を註するに同意にせんとするは不案内なる事なるべし。 

 

  難経は一人の作にて、是も古書なれども、全く今の素問を読みたる人にて無きと思う所あり。難経を療治本なりと云う古説あれども、今古学力の異(こと)なるにや。

 さて此の如き事は鹿門先生の医官玄稿に論じて詳らかなり。医書の考は医官玄稿みて知るべし。

 また近ごろ桂山先生の素問解題に家々の説を具せり。黄帝岐伯の自作のように覚えたる目にては、古今論弁しても、盲者の五彩に於ける斉し。方薬は素難二書に出でざれば、今の治療には其の道理を 弁(ワキマヘ) るのみなり。 

 

 方薬は仲景氏の傷寒論に出たるを医方の鼻祖(ハジマリ)とす。仲景氏の事跡、並びに傷寒の名義のことは先に著す所の叢桂偶記に詳らかに載せたり。

 蓋し仲景の組み立てられたる方なるや、また後漢の頃まで通用したる古方なるや、其の徴する所無ければ仲景方と唱える外に云うべき言葉なし。

 ややもすれば古方は今の人に宜しからず、と云うことを以て口実となし、権貴の後庭(オクカタ)、或いは富饒(ふぎょう)の人を惑(マヨ)わす。一体病にも古今無く、人身にも古今の相違なし。 

 世人或いは言う、古人は質朴にて寡欲なり、故に肌膚五内も厚しと。是また古今のわけには非ず。古より天地に変わりなければ天地の間に生育する人間に違いあるべき理なし。

 若し違うとならば、天地の間に生産する薬石草木も其の性柔らかに成りて、人間とよきほどに釣り合うべきの理なり。豈に夫れ人間ばかり天地古今の違いあらんや。

 


 今を以て見るに、市民は奸巧(原文はf:id:ichinokai-kanazawa:20200128130222j:plain意味を推測して改める)れば風俗によりて古今によらず。病に至りては風土異なれば病を異にす。是れまた古今の違いたるに非ず。淳朴の民は五内厚きに非ず。奸巧とて脾胃薄弱に非ず。

 厚薄は禀賦(ウマレツキ)に在りて、山民必ず壽(よわい)ならず、市民必ず夭(よう)せず。余嘗て医訓と云う文を書きて是を論じたりき。 

 ※奸:おかす、よこしま  ※巧:たくみ、たくむ、うまい

 

 さて傷寒論も全書にあらざることは、先輩往々是を論ずる通り、闕文・錯簡多くありて、王叔和(鄭樵が通史氏族略に曰く、周の王叔虎(カ)之裔なり。王叔を以て姓と為し、此れに因りて之を観れば王叔は複姓なり)撰次を経て今に伝うと雖も、王叔和の文も本文に誤入して、今の本は王叔和の撰次せられたる時の本とも違うなり。

※撰次・・・選んで順序だてること

 然しながら、此れ傷寒論に熟せざれば湯薬の始まる所を知る事能わず。古今の方の変化を見分けることもならず。よって余が門にて初学の童子には、先ず傷寒論を暗記さするなり。

 治療は傷寒こそ治しにくし。表裏の証あればなり。此の病を理会すれば、其の他は准じて治療成るべし。また傷寒は証を以て之を治するものなれば、方証相適することを貴ぶなり。

 譬えば詩を作り歌を読むより、連歌俳諧に至るまで古人の句を広く覚えて居る故に、自己の句は胸中より出れども、古人の句を覚えたる力を以て佳句の出ると同前にて、胸中に種(タネ)のなき人にては句弱くて下手なるものなり。 

 

 医療も其の通りにて方証のこと胸中に無ければ下手なる道理なり。傷寒論に熟したる人は仲景の風に方もつき、万病回春に熟したる人は龔廷賢(きょうていけん)の様に方もつく。

 則ち唐を学べば唐詩に似、宋を好めば宋風に出来る。其の格調は人々異なれども、平仄(ひょうそう)・韻字は違わず、詩は詩なり。

 此の理と医療も同味なり。然るときに初心の人、回春(万病回春)などに拠(よ)れば、桂枝麻黄の所へ参蘇飲・敗毒散と処剤すれば、唐と宋との風に違いたるばかりなれども、見えもせぬ所に工夫が附いて、新婚、或いは妾の多きを見れば水蔵不足を兼ねたりと思い、劇職(イソガシキ)の人を見ては気虚を帯びたりと、邪毒盛んにして脇目も振ることならぬ最中に他証の方を投ず。凡そ百の事、両端を持して宜き事無きにて知るべし。

 是を以て初心には傷寒論より学ぶばするは表裏の規則を知るのためなり。眼前の敵を敗(ヤブ)れば民の塗 炭(トタンナンギ)は、仕方の有る道理なり。先ず傷寒を治して腎虚気虚は後に治すべきなり。是にて平仄(ひょうそく)の違わぬ療治なる所なり。 

 然れば回春を読むは悪しきかと思えば、五宝散など云う神方は多くの先達回春より取り用いるを以て、回春も読まねばならぬことは知るべし。 

※平仄・・・漢詩や駢文(べんぶん)で、声調の調和のために規定される平字と仄字の配列法。つじつま。順序。

 

 鍼灸は病によりて湯薬より奇験の有るもの故に常に学び置くべし。譬えば卒倒・驚風などは灸の力を第一とす。別て小児に異験あり。其の妙、一々に説きがたし。 

 

 さて治療の際に臨みては、経絡に拘(カカワラ)らずして新作意(オモイツキ)にて鍼灸しても効をとることも有るべけれども、其の法を了解(ノミコミ)して後には新作意にて灸も鍼もなるべし。先ず其の法は甲乙経にて学ぶべし。古書なればなり。

 何故にや吾が医道は古書より学ばずに末書より教えるにや、是先にも云う。正典の無き故に十四経・大成論・格致餘論などを先に読ませて、下手(ヘタ)になれなれと仕込むなり。

 古を学ぶを学者の要とす。儒の四書五経を教える、則ち其の法なり。古書は是より古書なるは無し。終えて左国史漢(春秋左氏伝、国語、史記漢書)或いは老荘列(老子荘子列子)などと次第す。

 其の後には末書も思い思いに学ぶ。見識是に開けて修身の業成る。之を大いにしては治国平天下なり。是稽古と俗に習う事に唱える通り、古よりするを学者の法とするに、経絡は十四経によるは如何なる事にや。甲乙経は素問の考になる書なり。 医官玄稿を読んで知るべし。 

 

 兪穴は余が著す所の経穴彙解(いかい)にて学ぶべし。銅人形にて学んでは悪しし。古書は皆頭面・腹背・手足にて穴処を分けたり。十四経行(オコ)なわれてより各経にて分けるなり。経を以て分けたるは外台秘要に創(ハジ)まり、奇穴の任督に脈を加えて、十二経を十四経にしたるが滑伯仁が作意なり。

 夫れ兪穴は人身の骨隙(コツゲキ)・陥罅(カンカ)・分肉宛々(エンエン)たるを尋ねて之を知るなり。必ず分寸に拘らず、皆骨空・分肉に求む。故に銅人形にては方角ばかりを知るのみにて、治療に至りて実地にかからず。分寸は其の大概(ガイ)に備う。詳らかに経穴彙解に備論せり。 

 ※罅・・・ひび、すきま の意

 

 四診と云うは医家、病を治するの大綱にて、是を捨てては何れにも療治することならず。四診は望聞問切なり。

 望とは病者の顔色・肥痩(コエヤセ)・盛衰等をのぞむ。聞とは苦痛するや、五音や咳嗽するや等を聞く。問とは苦しむ所、飲食の多少、二便の利不利、病前よりの事、病者の問わざれば言わざる所を問う。

 以上にて病証・病因を識りて之を詳らかにして、其の後に脈を診する。是を切と云うなり。そこで病の軽重・安危を知る。仍(より)て病名をもうく。

 脈を切にするは吉凶・安危のほどを知り、治と不治とを知るの用にて、脈にて病を知ることの用には非ず。 

 

 譬えば咳嗽寒熱を患える人あり。此の証は是労瘵(サイ)になるべき病体なり。此れにて脈を切にするに、其の人の脈細数なれば難治とす。脈浮数にてあらば発汗して治すべしとす。是労瘵には非ざる故なり。

 乃ち切の所にて定むるなり。脈にて病証を知るものと思いては悪しし。吉凶・安危を知ると云う所か、至って容易に知るべきものに非ず。

 此れに苦心すること多年、仍(かさね)て腹診を参伍して診脈の助けとすべし。腹診も意を留めざれば知れがたきものなり。 

 

 死生、命有りと云うは聖人の語にてあれども、其の命の来るや来らざるやは誰人にても知れず。また命数かぎり有るものならば、病とも安然として居るに極めて宜しからんに、飲み難き薬を飲んで病を治するを以て見れば、治せば生き、治せざれば死の理なり。

 天命常なしと云うものにて、不養生・不用心なれば天命を終えること能わずして半途に死す。其の死するにまた禀賦薄弱にて老壮に至ることのならぬ人もあり、是等を天命と云うべきなり。

 人の病する時に、是は治すと治せざると預(アラカジメ)知りて療を施(ホドコス)を医と云うべし。治すか治せざるかを問わず、此の証をば此の薬にて治すべしとばかりにては、薬を飲むは医者を頼むに及ばず、書籍にあるままを薬店より取り寄せて飲むと斉(ヒトシ)からん。

 夫れ医緩(いかん)の晋侯を診するも、扁鵲の虢(かく)の太子を診するも、皆預(あらかじめ)死生を知る。是れ古(いにしえ) 名医の行なう所にて、今に至りて医たるもの、精度沉思(イッシンフラン)にて学び習(ナラウ)うべきの手本なり。

 さて死生を云えば二つなれども得と味わえると一つなり。死なれども生なれども、はっきりと片々知れば夫れにてよし。

 死すと知れば生の理なく、生と知れば死の理なし。死生を詳らかに知て人命を療ずべし。其の死生を知るは脈より知りやすきは無し。さて脈ほど知りがたきは無し。

 故に望・聞・問・切と腹診を参伍して是を定む。死生さえ明らかに知るれば天下に畏るる所なし、鬼神をも哭(ナカス)せしむべし。 

 

 余が学ぶ所は方に古今無し。其の験あるものを用ゆ。されども方は狭く使用することを貴ぶ。約ならざれば薬種も多品になる。華佗は方、数種に過ぎずと云うは、上手にて面白きことを味わえ知るべし。

 其の源を取りて病を理会(ガテン)せば、一方にて数病を治すべし。褚澄(ちょちょう)(褚氏遺書)の善く薬を用ゆる者は、姜に桂の効ありと云いしも此の理なり。

 何ほど奇験の神方にても用ゆる場悪しければ寸効なし。偏(ヒトエ)に運用にあり。広く方を尋ぬると繁雑になりて悪しけれども、博く方法を学んで、是を約にするを第一の学問とす。

 用ゆる場よければ生姜が肉桂ほどな験をなすとは、能々(よくよく)解了すれば将棋の如し。上手の指す駒も下手の指す駒も、其のききようは変わらず。同じように動(うごか)すうちに、歩兵は金銀よりも働きをなす。則ち此の理なり。

 下手のつけた桂枝湯も上手のつけた桂枝湯も同じ方なれども、下手なれば、つけた所ばかりなり。上手のつけたる方は、外の所に響(ヒビキ)を以て、誰も同じくするように見える中に効を取るなり。 

 

 世に古方家なるもの出てより、医の眼目を開き、今は人々仲景氏の方を使用することを知る。偏(ひとえ)に古方家の功なり。 

 名古屋玄医と云し人は丹水子と号して、至りて功者の大家なりけるとなり。医方問余、難経註疏、と云う書を著し、附子を多く使用する療治にて、痢病に逆挽湯とて天下に弘(ひろ)く通用する方は、此の丹水子の方なり。

 此の一事にても其の功しるべし。弁証録にも大瀉門に逆挽湯(ぎゃくばんとう)と云う方を出せり、此れと同名異方なり。

 其の方、人参一両 茯苓二両 大黄一両 黄連三銭 梔子三銭 甘草二銭 水煎服一剤。

 腹痛除き、瀉もまた頓に止む。此の方、人参を用いるは、以て其の脾胃の気を固め、則ち気、脱驟(しゅうだつ)に至らず。然るに最も奇なるは大黄を用いるに在るなり。〇丹水子の逆挽湯は桂枝人参湯に茯苓、枳殻を加う。 

 ※脱驟・・・にわかに漏れ出る

 少しく仲景を用ゆるの意ありと云う時に、後藤艮山先生は佐一と称す。後藤又兵衛が末の由なり。

 先生弱冠より心中に日本にて第一の座に居て第二に続けざる、上座のことをなさずば生まれても甲斐無しと思慮するうちに、其の中、仁齋文学の名、海内に溢れる。此の上に立ちがたし。

 僧は戒行(かいぎょう)にて世に勝れんも安かるべけれども、深草の元政を其の頃、如来の再生と人いえば其の上に座しがたし。

 医は今、其の人無きことに人を救う術なりとて、丹水子の門に入って丹水子に学ばんと、鳥目一貫文を携え束脩(そくしゅう)となして、入門せん事を乞う時に、都講(ガクトウ)其の常式に協(カナ)わざるとて其の入門を許さず。

 佐一大いに怒って一貫文を地に投じ、押付(おっつ)け此の門を傾けて見せんと言い捨て去りにけると。後に苦学独立して古方家の元祖と仰がれたり。

 先生治療を初められしときより、沈痾・癈疾、世医の難治として捨て置きたる者の治したるを見て、有志の輩一時に競争して門下に馳せ加う。故に高名の門人多し。其の書は病因考、師説筆記あり。また傷風約言、艾灸通説など云う書、家に出て子孫に人物乏しからず。 

※束脩・・・入門の謝礼 ※都講・・・塾頭 ※沈痾(ちんあ)・・・なかなか治らない病

※癈疾(はいしつ)・・・身体障害を伴う回復不能の病

 さて後藤の門人に数輩の豪傑を出せり。其の一人は山脇道作東洋先生と号す。外台秘要を刻し、蔵志医則を著す。中風を熱癱癇(たんかん)を云う所より考えて、多く石膏を使用す。

※癱(たん)手足が麻痺して動けない病気。癇(かん)ひきつけ

 

 また一人は香川太仲秀庵先生と号すれども、堂号世に高く聞こえて一本堂と称す。

薬選、行余医言、医事説約の著あり。艾灸を以て多くの沈痼を療ず。

※沈痼・・・長年の悪習。長患い。

 

 また一人は松原圭介と云い、此の人はさせる著述も無きにや、経験の家方を記したる書のみを見たり。

 其の門人に吉益周介東洞先生と号する人出て大いに高論を吐き、建殊録、薬徴、方極、類聚方等の書を著す。今世に古方と云えば吉益流のようになりたるは、全く吉益の豪傑によれり。別けて下剤を好む療風なり。

 此の頃京師(けいし)古方大いに行なわれて、四方の書生競い学んで海内の療治の風、爰(ここ)に一変す。世に四大家と云うは後藤・山脇・香川・吉益四流を指す。其の意趣家々に異なり。 

 

 山脇の門人に永富鳳介(ほうかい)と云う人出て、赤馬関獨嘯庵と号す。京師の俚言(りげん)に、人の心のままに任せずもとれる人を広く指して毒性(ドクショウ)と呼ぶ。蓋(けだ)し其の唱の同じきを以て此の如くば号せりや。

 此の人、越前にて奥村良筑と云う人に従って吐法を受けて上京し、東洋先生に語れば、先生大いに嘉(ヨミ)し、嫡子東門先生を遥かに越前へ下し吐方を学ばしむ。良筑教えて曰く、吾子(あこ)こそ吐すべき証候具せりと云うより徒(タダチ)に上京して東洋先生に其の侯を告げ、また越前に下向して吐薬を試みたり。 

※吾子・・・わが子

 本邦にて上古は知らず、吐流は此の良筑翁より創(ハジメ)たり。一代の内に一人も薬を乞うもの無く、絶したること両度ありと。されども泰然として吐を以て名医と呼ばれる事、其の人物を思うべし。

 独嘯庵、活達雅量にして、吐方考、漫遊雑記を著す。書中に人意の表に出たる所多し。山脇の塾に居る時、三条橋上に酔臥して奉行所より通達ありて引き取ることありと。其の任誕(ヤリッパナシ)なること斯(この)如し。然れども書生を励まし、人才多く出来したりとぞ。上の著述を読まずんばあるべからず。 

 ※任誕・・・中国古書『世説新語』中の竹林の七賢の逸話。世俗にとらわれないことの意。

 凡そ人の平生無事の常体は一身の陽気は外へ疎通するものにて、其の気閉塞(フサカル)し、内壅したる所の出来したるが病の起こる所なり。少しの滞にても閉塞して通暢せず、夫れを順行するように療治するを医薬と云う。

 夫れ人の毛孔九竅(キョウ)は、みな発泄(モレル)の具なり。其の大なるは口鼻二陰なり。呼吸を止むれば死し、二便閉れば病むは人皆是を知ると雖も、周身ともに疎通を以て無事に居ると云うことは弁じかねる人多し。

 冬天清朗なる時に人の日向(ヒナタ)に在るを見れば、気の上に昇る影見ゆる。是は皆毛髪の孔より疏するなり。

 一身陽気外へ張りてあれば、寒暑風湿ともにうけず、睡眠するときは陽気張らずして沈む。故に衣被を発開すれば病を受ける。仮寝(ウタタネ)すれば少しの間に風を引く。

 酒の醒際(サメギワ)に外感するも、荒業(アラワザ)力作して裸(ハダカ)になりて騒ぐ中は、陽気大いに表へ張る故に風寒も知らず、休息する時に俄に風を引く。即ちこの理なり。また空腹なれば周身の気張らず、故に外感するも同理なり。気張ると張らざるとにて諸外感皆爰(ここ)に起こるなり。 

 

 さて邪を受ければ毛孔閉ずる故、気は表へ通ぜんとして出ることならず。故に周身皮膚の泄する所を尋ぬる時に、気升降してゾクゾクと悪寒す。其の時に毛孔へ泄れ出んとすれども、閉じてある故に張れあがりて粟起す。是を鳥肌(トリハダ)と云う。発汗すれば外へ通暢する故外邪去るの理なり。

 この処を解しそこねて日を移せば、陽気外へ泄らすことならぬ故に内に欝す。外に泄れて出ることならぬと極むれば、升降して出路を争うの気止む。其の止む時に悪寒去りて熱ばかりと成る。ここが表症なきと云う場なり。

 夫れ故、往来寒熱は半表半裏と云うにて、外に達せんと云う気の猶残りてあるうちなり。胃中猶陽気を外へ敷くことの勢い有る故なり。

 また壮年の人、天井の低き所に長座し、或いは頭巾笠など着ては昇る気を押さえる故に、欝して煩わしくなることあり。湯気(ユゲ)のあがるも同じなり。兎角に疎通せねば陽気閉じて欝する故に熱になる。是発熱するの訳(ワケ)なり。 

 

 さて其の陽と云うは何処より出来るものなれば、胃より出づると見ゆ。水穀胃に入りて陽気を造り出すことかぎり無く止むとき無し。是を表へ通ずるが平生無事の姿なり。 

 陰症となれば表を閉じたる邪気、次第に深く入って囲む故に、胃より造り出す陽気の通ずる所の分内せまくなりて、陽気も次第に屈伏して一身へ敷く所に至らず。

 そこで一身の端々へは一向にとどき合わぬ所が、手足逆冷、鼻尖も冷えるなり。是手足まで陽気のとどかぬ故なり。附子を用いて胃気を助ける意味知るべきなり。 

 

 また腫物を発せんとして寒熱するも、周身の気通暢せざる処の出来たる故に、陽気欝して熱するなり。また疔発などと云うは何事もなく卒倒するの後に疔を発す。項強背脊強にて卒倒するもの、俗にはやうちかたと云う類、早く血を去れば活す。是欝結を疏したる故に陽気発泄して癒ゆるなり。とかく疏通のよきは無事の時なり。 

 ※早打ち肩・・・急に肩が充血して激痛を感じ、動悸(どうき)が高まり人事不省になる病気。

 盛壮の人、紙子(カミコ)を着すれば欝冒(うつぼう)昏眩(こんげん)するの類、皆推して知るべし。平人、常体を知って後、病体を考え知るべし。気は此の如く泄するを以て無形なり。

 凡そ飲食胃に入れば精気化して気となる。是乃ち人身の陽気にて即ち元気と云うものなり。此の陽気を造り出すこと胃の役にて量なく造り出す。

 其の造り出す陽気を通暢して運動するが人身の常体なり、皆胃の役なり。故に食を絶すれば死するは、胃気尽きて件(くだん)の気を造ることならぬ故なり。

 呼吸の気、二便の利、皆胃より敷く所なり。故に胃気尽きれば陽気尽きるの理なり。 

 ※紙子・・・和紙でできた着物。軽くて保温性に優れている。

 一士人暈倒(うんとう)して縁より堕ちて、庭石(ニワイシ)にて額と唇を打ち破る。抱き挙げるに、本心なきにはあらねども、はっきりとなし。脈伏して絶したるにあらず。

 先ず三黄湯を与えるに、二度飲むと今はよほど快しと云うや否や、疵(きず)つきたる所より血を流す。閉じる所あれば血の出ざるのみならず気の発泄せざる故に暈倒したるならん。味わいて解すべし。 

 

 天地陰陽の道、生育を以て大なりとす。故に産婦の治法を知るを専要とすべし。孫思邈、千金方に婦人科を始めに設けるは此の意なり。生育のことは天地自然の事にて病に非ず。人事の入るべきことには非ざれども、難産に至りては病にて、其の法を得ざれば死す。

 皆是養護宜しきを失し、或いは多欲にて胎を偏(ひとえ)に成し、執作度(ハタラキ)を失い、仆撲躓倒(コロブ)などにて横産するも有り。

 鳥獣は交わるに時あり、人は交わるに度無し。犬猫の類、已に胎を受ければ再び牡を近づけず、其の上卵生、被膜生(しょうじれ)ば四肢の支えなき故に難産無し。

 また多欲なれば産後血熱多く血暈などし、此の血熱日を経て解せざる。或いは風冷などに侵されて咳嗽を加へ、終いに労瘵の状に至るものを蓐労(ジョクロウ)と名づけ難治とす。 

 ※仆撲(ふぼく) 躓倒(ちとう・ころぶ)

 其の倒逆生(しょうじる)は自然に受胎の事にて、順産になすの術なし。子がえりと云うは虚妄の説なり。是は産前腹候して順逆は予めに知らるべきなり。 

 

 子玄子の腹候せらるるを見たるに百中なり。胎の腹内にある形を明(あきらか)に解すれば見はずしの無きはずなり。子玄子一たび出で、千古の惑いを解して、天下始めて産乳の理を知ることを得たり。人事の大要、是を学ぶには、産論并(なら)びに翼の二書なり。

 手術に二十二ありて、回生、鉤胞の二術に至りては筆墨に明(あきらか)にすること能わず。故に翼にも此の二術を載せざるは禁秘したるのみに非ず、未熟にて人を誤り害をなすことを恐れる。此の二術を知らずんば死を起こすことならす。 

 

 子玄子は産論に小伝あり、その神奇の事は今賛(サン)するに及ばず。其の術の始めを語らるるを聞くに、この時より此の事を考えつけて、此の術は始めたり。

 一々に奇異なること人意の表に出ず。只文字の無き人故に其の事、皆俗事より発すれども、暗に紅毛(オランダ)の説に符合するは、天の告げるに子玄子を以てせるか。

 其の頃は紅毛学、今のようには行なわれざる時なり。また常に語(いえ)らく、往時は寒窶(ビンボウ)にて古銅・鉄器を買いて生とす。殆ど窮せり。仍(よっ)て按摩を取り世を渡るに隣店に難産あり。急に作意にて術を設けて之を救う。是を斯道(しどう)の始めとす。四十餘歳の時なりと。

 夫れより十四、五年の間に天下に名を振るい、一家の祖と仰がれたり。其の時より一貫町に住せる故に、また他に移るべからずとて、其の処に隠居す。 

※寒窶(カンク)・・・まずしくやつれること。

※斯道(しどう)・・・人の人たる道。仁道。

 性任侠なることは東門の序文に見ゆ。極めて世の物体(モッタイ)なるを悪む。

※物体・・・ことさら重々しい態度や威厳をつけること。

 或る時、一富商の婦、産後血暈して数名医を迎えるに甦(サメ)ず。雪中に子玄子を延(まね)くにより、常には紫の被風(ヒフ)を着しはなし。目貫の短刀にて駕篭にて出られけるが、其の日には銀拵えの太刀作朱鞘の大小を帯し草鞋をはき其の門に至れば、幾つも駕篭(かご)をならべ供も大勢居たり。やがて玄関にしりうたげし(腰掛て)高く呼びて湯を一つ呉(クレ)られよ、足を洗いたし。

 上工の医者は駕篭には乗れども治法は知らず。賀川玄悦は草鞋(ワラジ)に乗りて来れども、指が一本ちゃっとさわれば立ちどころに治すと、満座の時師(有名な医師)の並居るところを思儘(まま)に冗言すれども一言の返答するものなし。

※目貫・・・柄(つか)の外にあらわれた目釘の鋲頭(びょうがしら)と座。柄の装飾が施されていないという意味か。

 産室に入って禁暈術を行い房より出て各(おのおの) 御大儀、暈をば玄悦療じてござる。是からは各の手に宜しきほどなるべし、今より帰らんと欲す。夫れともまた悪くしたらば早く迎えをつかわされよと、玄関の真ん中にて草鞋をはき、傍若無人なること皆此の類なり。 

 

  九、十月頃、毎朝袖なし羽織無刀にて藜杖(れいじょう)をつき、島原へ出る辺りの貧民の籬落(りらく、まがき)の間を閑行す。

 児童未だ寒衣を着ずに街頭に遊戯するを見て、六条へ人を遣わし綿衣を幾つも求め、件(くだん)の児童に着せて廻る。是を楽(たのしみ)とす。

 また宅の向かいの寺門に野乞食居る。寒中に至れば夜々粥を煮、鍋のまま熱に乗じて其の処に持たせて一人も残さずに施す。故に是を知って乞食共群居せり。 

 ※藜杖・・・あかつえ

 さて此の術、二代目子啓子までは異端の治法とそしられて、堂上に用いることなかりけるに、当代に至りて恭(うやうや)しく御医に擢(ぬき)んでられ、今は雲上に行なわれる。其の精しきは其の門に謁して学ぶべし。手術は常に熟せざれば用をなさず。 

※堂上・・・昇殿を許された公卿・殿上人の総称。公家。堂上方。

※雲上・・・内裏(だいり)。宮中。朝廷。天皇・公家(くげ)など高貴な人々のいる所。

 さて唐にて産を論じたるは、別て臆説にて杜選(ずさん)多し。本邦にては中条帯刀(なかじょう たてわき)と云う人、婦人の療治に名あり。世に中条流と云い、其の書至りて迂遠の事あり。

 薬方は世に多く用ゆるに効験ありと云う。中古戦国の時、産婦と金瘡を一様に見なして同方を用いたること、此の中条流のみに非ず。

 昔時吉益流、浅見駿河守が家方、江州鷹見甚左衛門など皆戦場より仕覚えたる事と見ゆ。紅毛人の産を論じたるは皆実地にかけて其の図、全く子玄子の説と符合す。回生などには奇器も多し。仍(よっ)て思うに、腑わけと受胎の事などを論ずるは紅毛を第一とす。 

 

 腑わけは一、二度も見るべし。内景を知りて格別理解することあり。今は民人太平の時に生まれて干戈(かんか)を見ざること二百年。故に文運大いに開けて、古に通ぜざる異国の文字も読みて、自由に通用する事になり、諸名家輩出せり。暇あらば学び問ふべし。

 唐にて腑わけのことは、前漢王莽(おうもう)が時に粤嶲(えつすい)の蛮夷任貴、亦大守枚根を殺す。翟義(てきぎ)の党、王孫慶を捕うるを得たり。莽、大医尚方(しょうほう)をして巧屠と共に之を刳剥(こはく)せしむ。

 五臓を量度し、竹筵(ちくえん)を以て其の脈を導き、終始する所を知る。云う、以て病を治すべしとあり分量などを見るは、唐の空理を好む学風より出て無益の事なり。内景を見るの意、其の所には非ず。 

 

 さて産乳の事に通ぜざれば、経閉と妊者を弁ずること能わず。大病に仕立てること多し。

 孕候(ようこう)を知らざるに属す頃、一婦嫁して後、経行来たらず。父母以て娠為(なら)んなりと、一医をして診せしむ。飲食乏しく心気衰敗すれども悪阻なりとして省みず。

 漸(ようや)く微寒熱を発し咳嗽して瘵疾になりてけり。是全く孕候を詳らかにせざる故なり。其の候悉く腹診にあり。詳らかには娠者の治法にかた(語)るべし。然れども産乳の事は賀川家に従って学ぶにしくはなし。 

  ※しくはなし・・・匹敵する

解精微論篇第八十一.

 足かけ6年に及ぶこのシリーズも、ようやく終えることが出来、自分の中にも一応の区切りがついたかのように感じている。

 過去の投稿を振り返り見ると、随所に筆者のその拙さが露呈しており、赤面の情に絶えないものがある。

 ここを一つの終わりにして、また次の始まりとしたい。

 さて、本篇の内容を、なぜ締めくくりの81篇に持ってきたのであろうか。

 編纂者の意図を汲みかねるが、本篇の内容は、身体と七情との兼ね合いを「泣く」という現象の病理を説いたものである。

 ここから表題の「精微を解く」ことの意味を拡大解釈すれば、人体に表現されるあらゆる症状。

 つまり森羅万象を観て、気の動きを陰陽で捉えろ と訴えているように感じる。

 対象を認識する手段は様々存在していても、天人合一、陰陽の道理を離れてこの医学は成り立たないのだと語りかけられてるようである。

 読者諸氏のお考え、ご意見など賜れば、幸甚です。

 

             原 文 意 訳

 

 黄帝が明堂に居られたとき、雷公がお願いして申された。
 臣は帝より授かりました医学を、医学生に伝えております。

 経論、従容形法、陰陽刺灸、そして湯薬の滋養するところなど、これらを用いて臨床指導を行っております。
 ところが医学生には賢愚の者が居りまして、未だに完璧という状況ではありません。
 すでにお聞きしております、悲哀喜怒などの七情の問題、燥濕寒暑などの自然環境の変化と人体の問題、陰陽婦女など小児・婦人科の問題などにつきまして、さらに詳しくお聞かせ願いたく存じます。
 さらに卑賎富貴、人の形体、帝に仕えている多くの部下や通使に、帝のお指図通り、事あるたびにこの道術を行ってまいりました。
 ここに至りまして、経にも記されていないような諸問題を抱えております。
 臣は愚鈍なもので聞き漏らしたのかも知れませんが、これらの諸問題についてお聞かせくださいませんでしょうか。


 帝が申された。

 おぉ~そうであったか、それらは大変重要な事である。


 雷公が願い問われた。
 大声をあげて泣き叫んでも、涙の出ないものがおります。ところが中には涙は出るのですが鼻水が少ない者もおりますが、これらの違いの理由はどこに在るのでしょうか。


 帝が申された。
 それらは、すでに経に記されていることである。


 雷公が重ねて問われた。
 涙も鼻水も共に水であります。その水がどこから、何によって生じるのか分からないのであります。


 帝が申された。
 汝のこの質問は、直接治療には利益の無いことである。
 なにより医師として知っておくべきことは、陰陽の道によってこれらのことが生じているということである。


 心には五臓の精が集中している。目はその心気が現れる穴であり、顔面の気色や目の気色には、心の状態が現れているものである。
 これらのことから、その人に徳が備わっておれば気が和している状態が目に現れ、なにか失うようなことがあれば憂いの状態が目に現れるのが道理である。
 従って悲哀すれば涙は出るものであり、涙が出るということは水がどこかから生じて目にあふれ出たということになる。
 そしてその水の大元は、体内に蓄えられた積水によるものであり、積水は至陰である腎の精である。
 この腎精の水である涙が出ない場合は、腎がこれを固摂しているからであり、腎気は水を動かすが同時に制御もしているのである。
 したがって特殊な状況でなければ、涙は出ることが無いのが通常である。


 陰である水の精は志であり、陽である火の精は神である。この上下・水火が互いに感応し合い、心志が共に悲しむことによって、目に涙という水を生じさせるのである。
 ゆえに以下のような諺がある。
 「心悲しむを名づけて志悲という。」と。 これは志と心精が、一緒になって目に湊(あつま)ることを言っているのである。


 以上のことを踏まえて、心腎がともに悲しみに感応すれば、神気は心にのみ伝えて精を上らせ、孤立した腎志は悲んで水の制約を解くので、水は上って目から涙が出るのである。(神気が上実下虚を起こし、腎の固摂が解かれるので上に水が溢れるということであろう)
 涙も鼻水も脳に関係する。脳というのは陰であり、また同じ陰である髄は骨を充たしているものである。この故に、陰である脳からにじみ出てきたものが、鼻水なのである。
 志は骨を主っているのだから、水が動いて涙として出てくると同時に、脳髄から滲みだしてきた鼻水も同時に出てくるのである。涙も鼻水も、共に水の類(同源)であり動きも似ているのである。


 これを兄弟に例えることもできる。
 なにか重大で急なことがあれば共に死し、また共に助け合い共に生きるようなものである。
 このように志が早々に悲しんで水の制約を解けば、涙と鼻水は一緒になってとめどなく流れ出るのである。これは涙と鼻水が同じ水の類に属しているからである。


 雷公が思わず申された。

 「偉大だ」と。


 再度請いて問わせていただきます。
 人が大声を張り上げて泣いており、涙の出ない者が居ります。もしくは出るには出ても少なく、鼻水もまた涙に従って一緒に出ない者などが居りますが、これはいったいどのような訳なのでありましょうや。


 帝が申された。
 それはだな、涙が出ないということは、大声を張り上げてはいても、本当に悲しんでいないからである。
 そもそも泣かないということは、神に慈悲が無いからである。神に慈悲が無ければ腎も悲しんで水の制約を解くことも無い。
 したがって、陰陽・上下が互いに水を保持しているのであるから、どうして涙だけが出てくる道理があろうか。


 志というのは堅持する気であり、悲というのはこみあげてくる感情の気である。
 この志悲がせめぎ合えば、惋(えん)という鬱積した状態となる。この鬱積したものがその拮抗を失い、陰気を衝けば志は目を去り神気も精を保持することが出来ず、精神共に目から去ることとなる。
 結果として涙と鼻水が出ることとなるのである。


 ところで汝は、經言を読んでいながら、これらのことについてよく思考しなかったのであろうか。厥証になれば、目に見る所なしとあるではないか。


 人が厥証になれば、陽気は上部に結集し、陰気は下部に結集する。
 上部に陽気が結集すれば、火となり孤立する。一方下部に陰気が結集すれば、足が冷え水が集まり脹をなすことになる。
 目には水が存在するが、上部に結集した五火には勝てないものである。そのゆえに目が見えなくなるのである。


 また陽邪である風気が目にあたると涙が出て止まらなくなる現象は、内を守っている陽気と風邪が合わさって火邪となり、目を焼いてしまうからである。


 自然界の現象を見るがよい。
 火熱が一気に盛んともなれば風が起ころう。
 風は上昇気流となり、雨を招来するであろうが。
 自然現象も人体生理も、同じ道理で営まれているのであるぞ。

 

 

 

       原文と読み下し文

 

黄帝在明堂.

雷公請曰.

臣授業.傳之行教.以經論.從容形法.陰陽刺灸.湯藥所滋.行治有賢不肖.未必能十全.

若先言悲哀喜怒.燥濕寒暑.陰陽婦女.請問其所以然者.

卑賎富貴.人之形體.所從群下.通使臨事.以適道術.謹聞命矣.

請問有毚愚仆漏之問.不在經者.欲聞其状.

黄帝明堂に在り。

雷公請いて曰く。

臣業を授かり、これを傳えて教えを行う。經論、從容形法、陰陽刺灸、湯藥の滋する所を以て、治を行うも、賢不肖有りて、未だ必ずしも十全たること能わず。

若し先に言う悲哀喜怒、燥濕寒暑、陰陽婦女、其の然る所以の者を請いて問う。

卑賎富貴、人の形體、從う所の群下通使、事に臨みて、以て道術に適わしむる。

謹しみて命を聞けり。請い問う。愚仆漏の問い、經に在らざる者有り。其の状を聞かんことを欲す。

 

帝曰.大矣.

公請問.哭泣而涙不出者.若出而少涕.其故何也.

帝曰.在經有也.

帝曰く。大なりと。

公請いて問う。哭泣して涙出でざる者、若くは出でて涕の少なきは、其の故は何ぞや。

帝曰く。經に在りて有るなり。

※涕・・・てい: 感情がこもったなみだ、もしくは涙と鼻水

 

復問.不知水所從生.涕所從出也.

帝曰.

若問此者.無益於治也.工之所知.道之所生也.

夫心者五藏之專精也.目者其竅也.華色者其榮也.是以人有徳也.則氣和於目.有亡.憂知於色.

是以悲哀則泣下.泣下水所由生.

水宗者積水也.積水者至陰也.至陰者腎之精也.宗精之水.所以不出者.是精持之也.輔之裹之.故水不行也.

復た問う。水の從(よ)りて生ずる所、涕の從(よ)りて出ずる所を知らざるなり。

帝曰く。

若(なんじ)の此れを問う者は、治に益無きなり。工の知る所は、道の生ずる所なり。

夫れ心なる者は五藏の專精なり。目なる者は其の竅なり。華色なる者は其の榮なり。是れを以て人に徳有るは、則ち氣は目に和す。亡(うしな)うこと有れば憂を色に知る。

是れを以て悲哀すれば則ち泣下る。泣下るは水の由りて生ずる所なり。

水宗なる者は積水なり。積水なる者は至陰なり。至陰なる者は腎の精なり。宗精の水、出でざる所以の者は、是れ精れを持せばなり。これを輔(たす)けこれを裹(つつ)む。故に水行かざるなり。

 

夫水之精爲志※.火之精爲神.水火相感.神志倶悲.是以目之水生也.

故諺言曰.

心悲名曰志悲.志與心精.共湊於目也.

是以倶悲.則神氣傳於心.精上不傳於志.而志獨悲.故泣出也.

泣涕者腦也.腦者陰也.

髓者骨之充也.故腦滲爲涕.

志者骨之主也.是以水流而涕從之者.其行類也.

夫涕之與泣者.譬如人之兄弟.急則倶死.生則倶生.其志以早悲.是以涕泣倶出而横行也.夫人涕泣倶出而相從者.所屬之類也.

夫れ水の精を志と爲し、火の精を神と爲す。水火相感じ、神志倶に悲しむ。是れを以て目の水生ずるなり。

故に諺言(げんげん)に曰く。

心悲しむは名づけて志悲と曰く。志と心精と共に目に湊るなり。

是れを以て倶に悲しめば、則ち神氣は心に傳え、精は上りて志に傳えずして、志は獨り悲しむ。故に泣出ずるなり。

泣涕なる者は腦なり。腦なる者は陰なり。

髓なる者は骨の充なり。故に腦滲(にじ)みて涕を爲す。

志なる者は骨の主なり。是れを以て水流れて涕これに從う者は、其の行類すればなり。

夫れ涕と泣なる者は、譬えば人の兄弟の如し。急なれば則ち倶に死し、生くれば則ち倶に生く。其の志以て早く悲しむ。是れを以て涕泣倶に出でて横行するなり。夫れ人の涕泣倶に出でて相從う者は、屬する所の類なればなり。

 

雷公曰.大矣.

請問.人哭泣而涙不出者.若出而少.涕不從之.何也.

雷公曰く。大なるかな。

請うて問う。人哭泣して涙出でざらぬ者、若しくは出ずるも少く、涕これに從わざるは、何なるや。

 

帝曰.

夫泣不出者.哭不悲也.

不泣者.神不慈也.

神不慈則志不悲.陰陽相持.泣安能獨來.

夫志悲者惋.惋則沖陰.沖陰則志去目.志去則神不守精.精神去目.涕泣出也.

惋…鬱積した感情

帝曰く。

夫れ泣して出でざる者は、哭して悲まざるなり。

泣かざる者は、神慈せざるなり。

神に慈あらざれば則ち志は悲しまず。陰陽相持す。泣安(いずく)んぞ能く獨り來らんや。

夫れ志悲しむ者は惋す(わん)す。惋すれば則ち陰に沖す。陰に沖すれば則ち志は目を去る。志去れば則ち神は精を守らず。精神目を去り、涕泣出ずるなり。

 

且子獨不誦不念夫經言乎.厥則目無所見.

夫人厥.則陽氣并於上.陰氣并於下.陽并於上.則火獨光也.

陰并於下.則足寒.足寒則脹也.

夫一水不勝五火.故目眥盲.

且つ子獨り夫の經言を誦せず念ぜざるや。厥すれば則ち目に見る所無し。

夫れ人厥すれば、則ち陽氣上に并し、陰氣下に并す。陽上に并すれば、則ち火獨り光あるなり。

陰下に并すれば、則ち足寒す。足寒すれば則ち脹するなり。

夫れ一水は五火に勝たざるなり。故に目眥盲す。

 

是以衝風.泣下而不止.

夫風之中目也.陽氣内守於精.是火氣燔目.故見風則泣下也.

有以比之.夫火疾風生.乃能雨.此之類也.

是れを以て風衝けば、泣下りて止まざず。

夫れ風の目に中るや、陽氣内に精を守る。是れ火氣目を燔(や)く。故に風を見れば則ち泣下るなり。

以てこれを比する有り。夫れ火疾(と)くして風生じて、乃ち能く雨するは、此れこの類なり。

 

方盛衰論篇第八十.

 いよいよ素問の意訳も残すところあと一篇となって参りました。

 本篇中の厥証に関して、筆者はこれまで何度か遭遇した経験を踏まえて意訳を試みております。

 またここに至って、医師としての有り様を解いていますが、象・数・理の三要素と、術者の心に映し出される世界。

 この術者の心神と相手の心神の共鳴・共振こそが、この医学のキモであると改めて感じ入った次第です。

 むろん、象・数・理の三要素の重要性は変わりませんが、これら認識道具を用いて、最終的に術者の心内に去来するものこそが、「すべて」だと感じているからです。

 

 また些事ですが、本文中に「至陽」なる語が使われています。

 この「至陽」は、経穴名でもあり第7胸椎下、膈兪の中央に位置しております。

 至陽穴、膈兪穴の状態を診て、上下・内外を察するヒントが記されていると思います。

 一を聞いて十を知る。

 このような感性・悟性が、この医学に携わる者に求められていると考えてます。

 読者諸氏は、いかがお考えでしょうか。

 

         原 文 意 訳

 

 雷公が教えを乞うて申された。
 陰陽の気には多少ということがございますが、その逆従・順逆はどのように判断すればよろしいのでありましょうか。


 黄帝が答えて申された。
 聖人は南面して立ち、左右は陰陽の道路であったな。
 しかるに陽は東から昇り、西に沈むのであるから、陽は左から右に行くのが従である。
 反対に陰は西から生じ始め北を周って東で尽きる。また陰は降りるのであるから、陰は右から左に行くのを従とするのである。
 また老者は、成長の極みから次第に下が衰えるのであるから、相対的に上に気が実するようになるのが従である。
 反対に、少者は下に気が実して、ここから上に伸びようとするのが従である。
 これらは、春夏に陽の気に従えば生を為すのであるが、秋冬に陽の気に従えば散じて死を為すのである。
 これに反して、秋冬に陰の気に従えば生を為すのである。
 このように気の多少はあるものの、その陰陽盛衰の方向が逆になれば、すべて手足が冷えあがる厥証を起こすのである。


 雷公が問うて申された。
 陰陽の気が有余している場合であっても、厥証を生じるのでありましょうや。


 黄帝が答えて申された。
 陽気が激しく上昇して降りなければ、足膝は相対的に虚して寒厥となろう。
 年少者で、まだ下焦の気が定まっていないものは、陰気の盛んな秋冬に死するであろう。
 下焦が衰え始めた老年者は、春夏の陽気の散じる季節は危ういが、収斂の秋冬は比較的持ちこたえて生きるものである。
 ところが気が上昇して下降しない状態が続けば、頭痛や意識障害を伴う巓疾を起こすようになるものである。
 この厥証の病に際しては、陽気の存亡を知ろうとしても得ることが難しく、また陰気の状態も詳しく得ることが難しいものである。
 また意識が無いのであるから、五臓もその相互の気の交流が断たれており、その生命の徴候もかすかであるため、とらえるのが非常に困難である。
 厥証に陥った人を例えるならば、広野にひとりポツンと孤独で居るかのようであり、空っぽの部屋に伏せて身動きできないかのようである。
 このような静かで生きてるのか死んでるのか定かでない状態が、綿々としてしばらく続いているようでは、その命が丸一日持つことはあるまい。


 以上のことを踏まえて、少気による厥証には、色々な夢をみせるものである。その厥証が極まると、昏迷の度合いも深まるのである。


 このような場合の脉象は、三陽が絶しているため軽按ではその脈に触れることが出来ない。
 三陰も気が微であるため、重按してやっと弱々しいその脈に、やっと触れることが出来るのみである。これを少気の厥証と判断する目安とするのである。


 これらのことを踏まえた上で、肺気が虚すれば白いものを夢見させ、人が切られて血がドクドクと流れて騒然となっている様を夢見させる。
しかも金気が盛んな時に至れば、兵が戦う様子を夢見るようになるのである。
 腎気が虚した場合は、船舶に乗っていながら水に溺れる夢を見るものである。水気が盛んな時になれば、なにか恐ろしいことから逃れるかのように、水中にジッとしてひそんでいる夢を見るものである。
 肝気が虚した場合は、菌香や草が生い茂る夢を見る。木気が盛んな時には、樹木の下にジッと伏して起き上がろうとしない夢見をするものである。
 心気が虚した場合は、火事を消そうとしたり、龍や稲妻のような陽物を夢見るのである。火気が盛んな時に至れば、炭火や焼けた鋼などに象徴されるような燔灼状態を夢見る。
 脾気が虚すれば、飲食が不足している夢を見る。土気が盛んな時に至れば、土で垣根や家の屋根を築く夢を見るものである。


 これらの夢見は、それぞれ五臓の気が虚しているからであり、陽気有余、陰気不足によるものである。これら五臓の有餘不足を念頭において診断し、陰陽の道理に従って平衡を図る治療は、経脉に在るのである。


 診察には、十の尺度を用いるのである。
 その尺度とは、脉度、藏度、肉度、筋度、兪度の五つに、左右を掛け合わせた十の尺度である。
 これらを用いて、陰陽の偏盛・偏衰をことごとく掌握すれば、人の病の状態は自ずと手中に入ってくるものである。
 脈を按じたその拍動には、絶対的な基準は無いのである。
 たとえば陰が散じて陽が勝っていても、それがそのまま脈に現れるとは限らない。
 診察には、ある程度の定石はあるにしても、それにかかずわらない(拘泥しない)ことである。
 それはとりもなおさず、身分の上下であるとか、庶民と君卿との違いを考慮することでもある。


 また師匠の教えを最後まで学ぶことも無く終え、その学術もおぼろげで、順逆・従逆さえ察することが出来なければ、ついにその治療は、妄行となってしまうのである。
 つまり雌を手にしていながら雄の存在に気づけず、また陰を捨て去って陽しか目に入らない状態で、陰陽・雌雄の両儀を併せ見ることすらも知らないということである。
 従って明確な診断が下せないばかりか、これを後世に伝えようものなら、その拙さやでたらめさは自ずと世にあきらかになってしまうものである。


 至陰である地気が虚すれば、地気は昇ることが出来ないので天気は絶することになる。
 至陽である天気が盛んであれば、天気は下ることが出来ないので地気は不足することになる。
 このように陰陽が相交する法則は、至人の医家が行うところのものである。
 この陰陽相交は、陽気が先ず至り、後に陰気がそれに従い至るものである。
 これらのことを踏まえた聖人と称される人の診察は、陰陽・先後の順を守り、一般論では捉えきれない奇恒の60の種別と微かな兆しを合わせて陰陽の変化を追いかけるのである。
 そして五臓の情勢を明確にし、虚実を明確に区別する要を手中にして、五診十度を定めて行われるのであり、これらのことを十分に知り得てこそ診察に足りるのである。


 これらをもって診察に当たるのであるが、陰である肉体を切し、陽である気の情を知り得ないようでは、もはや診察とは呼べないのである。


 また陽である文字で書き著された書物を読み、その裏に秘められた陰である意図を汲み得ないようでは、学問知りの人知らずであり、机上の学問にしかならないのである。


 さらに治療においては、左を知りて右を知らず、右を知りて左を知らず。上を知りて下を知らず、先を知りて後を知らずといった平面的で片手落ちな診方であれば、医家として久しく永らえることはできないのである。


 醜さと善、病と不病、高きと低き、坐と起、行くことと止まることなど、これらすべての物事が相反することを知り得た上で用いれば、それが筋道となり自然と綱紀と成っていくのである。
 このような診察の道具を持ち得ていれば、萬世にわたって過ちを犯すことは無いであろう。


 そして有余しているところを見て不足しているところを察して知り、さらに身体の上下を図ることが出来るようになれば、脉理の道は至り、脈診も一定レベルに達することが出来るのである。


 このようにして診れば、身体が弱々しく気もまた虚していれば、形気ともに合して死するものである。
 身体も気力も有余しておったとしても、脈気が不足している者はまた、死するものである。
 逆に、脈気が充実して有余であれば、身体、気力共に不足していても生きるものである。


 このように診察には一定の道理が存在するのであるから、医師たるものは常日頃から座起に規律を持ち、出入りの行いに品格を具え、患者の神明を幸へと転じることが重要である。
 そして医師の心持ちは、必ず清にして浄を保ち、上を観て下を観、八風の邪を候い、五臓六腑を弁別し、脈の動静を按じ、尺膚の滑濇・寒熱の意味するところに従い、大小便の状態を視て、これらすべてを合して病態を把握するのである。このように逆従を得ておれば、自ずと病名も知れてくるのである。
 このようであれば診察は完璧なものとなり、人情にも背くことは無いのである。
 ゆえに、診察に際しては、患者の呼吸の状態やその心情にまでしっかりと意識的に視るのである。
 さすれば、条理は失われず、歩むべき医道も非常に明察することが出来るようになり、過誤なく医家として長久することができるのである。
 しかるに、この医道を知らざれば、本筋たるまっすぐな縦軸を失い、正しい条理は絶え、口にすることや生死の期もでたらめとなるのである。これを医家の道を失ったというのである。

 

 

        原文と読み下し文

 

雷公請問.氣之多少.何者爲逆.何者爲從.

黄帝答曰.

陽從左.陰從右.老從上.少從下.

是以春夏歸陽爲生.歸秋冬爲死.反之則歸秋冬爲生.是以氣多少逆.皆爲厥.

雷公請うて問う。氣の多少、何れの者をか逆と爲し、何れの者をか從と爲すや。

黄帝答えて曰く。

陽は左に從い、陰は右に從う。老は上に從い、少は下に從う。

是れを以て春夏は陽に歸して生と爲し、秋冬に歸して死と爲す。これに反すれば則ち秋冬に歸して生と爲す。是れを以て氣の多少の逆は、皆厥を爲す。

 

問曰.有餘者厥耶.

答曰.

一上不下.寒厥到膝.少者秋冬死.老者秋冬生.

氣上不下.頭痛巓疾.求陽不得.求陰不審.五部隔無徴.若居曠野.若伏空室.緜緜乎屬不滿日.

問うて曰く。有餘なる者も厥するや。

答えて曰く。

一たび上りて下らざれば、寒厥は膝に到る。少なる者は秋冬に死し、老なる者は秋冬に生く。

氣上りて下らざるは、頭痛巓疾す。陽を求むれども得ず、陰を求むれども審(つまび)らかならず、五部は隔して徴無く、曠野に居るが若く、空室に伏するが若く、緜緜乎(めんめんこ)として日の滿さざるに屬す。

 

是以少氣之厥.令人妄夢.其極至迷.三陽絶.三陰微.是爲少氣.

是以肺氣虚.則使人夢見白物.見人斬血藉藉.得其時.則夢見兵戰.

腎氣虚.則使人夢見舟舩溺人.得其時.則夢伏水中.若有畏恐.

肝氣虚.則夢見菌香生草.得其時.則夢伏樹下不敢起.

心氣虚.則夢救火陽物.得其時.則夢燔灼.

脾氣虚.則夢飮食不足.得其時.則夢築垣蓋屋.

此皆五藏氣虚.陽氣有餘.陰氣不足.合之五診.調之陰陽.以在經脉.

是れを以て少氣の厥は、人をして妄りに夢みさせ、其の極は迷に至る。三陽絶し、三陰微なる、是れを少氣と爲す。

是てを以て肺氣虚すれば、則ち人をして夢に白物を見、人の斬血藉藉※たるを見せしむ。其の時を得れば、則ち夢に兵戰を見る。

腎氣虚すれば、則ち人をして夢に舟舩(しゅうせん)人を溺((おぼ)らしむるを見る。其の時を得れば、則ち夢に水中に伏して畏恐すること有るが若し。

肝氣虚すれば、則ち夢に菌香生草を見る。其の時を得れば、則ち夢に樹下に伏して敢えて起きず。

心氣虚すれば、則ち夢に火を救い陽物を見る。其の時を得れば、則ち夢に燔灼す。

脾氣虚すれば、則ち夢に飮食不足す。其の時を得れば、則ち築垣蓋屋を夢にす。

此れ皆な五藏の氣虚し、陽氣有餘にして、陰氣不足す。これを五診に合し、これを陰陽に調うるは、以て經脉に在り。

※藉藉(せきせき)・・・がやがやと騒がしい様

 

診有十度度人.脉度.藏度.肉度.筋度.兪度.陰陽氣盡.人病自具.

脉動無常.散陰頗陽.脉脱不具.

診無常行.診必上下.度民君卿.

受師不卒.使術不明.不察逆從.是爲妄行.持雌失雄.棄陰附陽.不知并合.診故不明.傳之後世.反論自章.

診に十度有りて人を度(はか)る。脉度、藏度、肉度、筋度、兪度、陰陽の氣を盡して、人の病は自ずと具(つぶ)さなり。

脉動に常きは、陰散じて頗(すこぶ)る陽、脉に脱して具わらず。

診に常行なし。診するに必ず上下ありて、民と君卿とを度(はか)る。

師に受けて卒(おわ)らず、術をして明らめず、逆從を察せず。是れ妄行を爲す。雌を持して雄を失し、陰を棄てて陽に附き、并わせ合するを知らず。診は故に明らかならず。これを後世に傳うれば、反論は自ずから章(あきら)かなり。

 

陰虚.天氣絶.至陽盛.地氣不足.

陰陽並交.至人之所行.

陰陽並交者.陽氣先至.陰氣後至.

是以聖人持診之道.先後陰陽而持之.奇恒之勢.乃六十首.診合微之事.追陰陽之變.章五中之情.其中之論.取虚實之要.定五度之事.知此乃足以診.

陰虚すれば、天氣絶す。至陽盛んなれば、地氣不足す。

陰陽並び交わるは、至人の行う所なり。

陰陽並び交わる者は、陽氣先ず至り、陰氣後に至る。

是れを以て聖人の診を持するの道は、陰陽を先後してこれを持す。奇恒の勢は、乃ち六十首なり。微を合した事を診し、陰陽の變を追い、五中の情を章(あきら)め、其の中の論は、虚實の要を取りて、五度の事を定む。此れを知れば乃ち以て診するに足れり。

 

是以切陰不得陽.診消亡.

得陽不得陰.守學不湛.知左不知右.知右不知左.知上不知下.知先不知後.故治不久.

知醜知善.知病知不病.知高知下.知坐知起.知行知止.

用之有紀.診道乃具.萬世不殆.

是れを以て陰を切して陽を得ざれば、診は消亡す。

陽を得て陰を得ざれば、學を守りて湛(たん)ならず、左を知りて右を知らず、右を知りて左を知らず、上を知りて下を知らず。先を知りて後を知らず。故に治は久しからず。

醜を知りて善を知り、病めるを知りて病ざるを知り、坐するを知りて起きるを知り、行を知りて止まるを知る。

これを用いて紀有れば、診道は乃ち具わり、萬世に殆(あやう)からず。

※湛・・・たたえる・あつい・ふける・しずむ・ふかい

 

起所有餘.知所不足.度事上下.脉事因格.

是以形弱氣虚.死.

形氣有餘.脉氣不足.死.

脉氣有餘.形氣不足.生.

是以診有大方.坐起有常.出入有行.以轉神明.必清必淨.上觀下觀.司八正邪.別五中部.按脉動靜.循尺滑濇寒温之意.視其大小.合之病能.逆從以得.復知病名.診可十全.不失人情.

有餘の所に起きて、不足なる所を知る。事の上下を度(はか)り、脉事は因りて格(いた)る。

是れを以て形弱く氣虚するは、死す。

形氣有餘なるも、脉氣不足するは、死す。

脉氣有餘し、形氣不足するは生く。

是れを以て診に大方有り。坐起に常有り、出入に行い有りて、以て神明を轉ず。必ず清必ず淨。上を觀て下を觀る。八正邪を司り、五中の部を別ち、脉の動靜を按じ、尺の滑濇寒温の意に循いて、その大小を視て、病能に合し、逆從を以て得て、復た病名を知れば、診して十全たるべく、人情を失せず。

 

故診之.或視息視意.故不失條理.道甚明察.故能長久.

不知此道.失經絶理.亡言妄期.此謂失道.

故にこれを診するに、或いは息を視、意を視る。故に條理を失せず。道は甚だ明察なり。故に能く長久たり。

此の道を知らざれば、經を失い理は絶し、言を亡(うしな)い期を妄りにす。此れ道を失うと謂うなり。

 

 

陰陽類論篇第七十九.

  本篇を通読すると、まず三陰三陽の働きとその病脉象が記されている。

 さらに四時陰陽の気の盛衰と死期との関係についても述べられている。

 ここで述べられている内容を、気の偏在・盛衰を意識しながら手元に引き寄せ、理解しようと試みた。

 それだけでなく、この篇の著者の陰陽の定位が、どこに立てられているのかを探りながら意訳を試みたが、非常に困難であるため直訳の部分もあることをご承知くださればと思います。

 

 三陰三陽の働きに関しては、当ブロブ<陰陽離合論(六) - 一即多、多即一 (1)を併せてお読みくだされば、自ずと通じるものを読み取って頂けるのではと思います。

 本篇の難解な内容が、素問の後半のさらに後に記されてる校正・編者の意図を汲み取ろうとすれば、以下の文言が筆者の目に止まりました。

 

 『決以度.察以心.合之陰陽之論.』

 <決するに度を以てし、察するに心を以てし、これを陰陽の論に合す。>

 

 本篇に至るまでの内経医学の世界観・人体観に基づいた生理病理をしっかりと認識し、人に切して術者の心に映る感覚で気を捉えよ。

 そしてさらに最後に、もう一度陰陽の道理に照らし合わせて万全たれと、そのような声が聞こえるのですが、読者諸氏はいかがでしょうか。

 

 ところで黄帝と雷公のやり取りの中の、最も貴い臓が何であるかが明確に記されていないところが、いやはやなんと理解すればいいのでしょうか・

 終始循環の法則からしてみれば、ひとつだけが貴いということはあり得ないということでしょうか。

        原 文 意 訳

 

 立春となった日に、黄帝はくつろぎながら座し、場に臨んでを八方・八風の気を感得しながら雷公に問うて申された。

 陰陽を用いての分類はいろいろとあり、経脉の道、五臓もそれぞれあるが、その中で最も太極とすべき貴き臓は何であるか。

 

 雷公がその問いに対して申された。

 春は甲乙の主る季節でありまして、万物が芽を出し動き始まめる季節であります。その色は青でありますので、人体に在りては肝が主となります。その期間は七十二日でありまして、これは肝の脈が人体を主る時であります。

 臣は、このような理由から、すべての始まりである肝の臓が最も貴いものと存じます。

 

 黄帝が申された。

 上下經の陰陽、従容の内容をよくよく思い返せば、そちが貴いと申す肝の臓は、その最も下であるぞ。

 

 雷公、斎戒すること7日、夜明けに再び座して黄帝がお出ましになるのを待っておられた。

 

 黄帝が申された。

 三陽(太陽)は背部を単独で走行するので経とし、二陽(陽明)は他経と交わりながら走行するので維とし、一陽(少陽)は身体側面を走行して陰陽の枢であるため游部(ゆうぶ)とする。

 これらのことから、五臓の気の始まりと終わりの循環を知ることが出来よう。

 三陰(太陰)は表であり、二陰(少陰)を裏とし、一陰(厥陰)に至って絶するのである。これは月の初めと末日のように、天地陰陽の消長にもぴったりと符合するのである。

 

 雷公が申された。

 私は業を教わり受けましたが、まだその理を明らかにして理解することが出来ておりません。

 

 帝が申された。

 いわゆる三陽というのは、太陽であり経脉のことである。太陽の気は手の太陰に至るのである。その脉象が弦浮にして沈でない場合、四時陰陽の盛衰と病人の気血の盛衰を兼ねて考慮し、心で病態を察するのである。さらに最終的に陰陽の法則に照らし合わせるのである。

 いわゆる二陽というのは、陽明のことである。陽明の気は手太陰に至り、脉象が弦にして沈急でありながら鼓する力が無く発熱しているようであれば、皆死するものである。

 一陽というのは、少陽のことである。少陽の気は手太陰に至りて人迎に連なる。その脉象が、弦急にして頼りないようでも絶しないようであれば、これは少陽の病である。だが胃の気が窺えないようであれば死するものである。

 三陰すなわち太陰は、六経の主る所であり太陰に交わるものである。その脉象が伏して力強く鼓して浮でないのは、上下の気血が不通となり、上の心志も空虚となっているからである。

 二陰すなわち少陰は、肺に至りてその気は膀胱に帰し、外は脾胃に連なるのである。

 一陰すなわち厥陰が単独で至るようであれば、経気は絶し、気は浮いて鼓することが出来ず、鉤にして滑を呈するのである。

 これら六脉は、陰陽・陽陰とそれぞれ入れ替わり立ち代わりしながら五臓に絡みつくように通じるのであるが、これらは全て陰陽の道理に合するのである。

 最初に手太陰の脈に現れるものを主とし、後に現れるものを客とし、その主従を判断するのである。

 雷公が申された。

 臣は自分の意を尽くして経脉を理解することが出来ました。また従容の道もその素晴らしさを実感しております。しかしながら従容とした心持で居りましても、経脉の陰陽の道理と雄雌の道理が理解できずにおります。

 

帝が申された。

 三陽である太陽は、天であり父であり尊いのである。

 二陽の陽明は、外の邪気から身を守る衛である。

 一陽の少陽は、太陽と陽明を取り仕切り、相互に切り替える綱紀である。

 三陰の太陰は、地であり母であり、卑(ひく)くして万物を養育するのである。

 二陰の少陰は、雌であり内の守りであり、受けて生み出すのである。

 一陰の厥陰は、太陰と少陰を単独で行き来する使いである。

 二陽一陰、つまり陽明と厥陰の合病では、陽明が病を主る。陽明が厥陰に勝つことが出来ず、脈は軟にして動であれば、九竅は通利しなくなるのである。

 三陽一陰、つまり太陽と厥陰の合病では、太陽が勝ち、厥陰がそれを制することが出来ないものである。したがって内部では五臓の気が乱れ、外では情緒不安定な驚駭となるのである。

 二陰二陽、つまり少陰と陽明の合病は、肺に現れる。少陰脈は沈で肺に勝ちて脾を傷り、外は四肢を障害するのである。

 二陰一陽、つまり少陰と少陽の合病は、腎に現れる。陰気が心に留まり、下部の竅は空疎となって閉塞し、四肢は思い通りに動かすことが出来なくなるのである。

 一陰一陽、つまり厥陰と少陰の合病で代脈で絶するようであるならば、これは陰気が心に至り、上下・内外の気が正常を失い、咽喉も乾燥してしまうのである。この病は、脾土に在るのである。

 二陽三陰、つまり陽明と太陰の合病である場合、至陰の太陰が主となり、陰陽の相交が閉ざされて隔絶し、脉浮であれば血瘕(痞塊・腫瘍)を生じ、脈沈であれば膿腫となるのである。

 陰陽の気が共に盛んであれば、下の前陰・後陰にその状態が現れるのである。

 上ははっきりと明るい天道に合し、下は暗くてはっきりとしない地理・地道に合し、これらを踏まえて診察を行い、死生の時期を決し、最後に一年の最初を知り、どの臓が最も貴いのかを理解するのである。

雷公が申された。

 どうか短期間で亡くなる理由をお尋ねしたいのですが。

 黄帝、応ぜず。

 雷公が再び問われた。

黄帝が、すでに経論の中にあるではないか、と申された。

再度雷公が、経論中にあります短期で亡くなる理由をお聞かせください、と申された。

 

帝が申された。

寒気の盛んな冬の三か月に、病が陽にあり、春の初めの正月に死徴の脈を表わすようであれば、皆春の終わりに帰幽するのである。

冬三か月の病で、陰陽の理で計りてすでに胃の気の尽きたるものは、草や柳の葉が芽吹くころに皆死するものである。春に陰陽の気がすべて絶しているようであれば、死期は正月の孟春である。

春三か月の病は、陽殺というのである。陰陽がすべて絶するときは、秋の草枯れのころが死期である。

夏三か月の病で、至陰つまり脾の病であれば、十日を過ぎずして死するものである。また陰陽が交わっているようであれば、水がきれいに澄んでくる秋の時節に死するものである。

秋三か月の病で、三陽が共に起きるものは、治せずとも自然に治るものである。

また陰陽の気が互いに入り混じり、陰陽の偏盛偏衰を生じた場合は、坐ることが出来なかったり、また立つことが出来なくなるのである。

また三陽のみが至りて陰気が至らない場合、死期は水が凍りつく石水の頃である。

二陰のみが至りて陽気が至らない場合、死期は氷が解けて水となる正月、盛水の頃である。

 

 

       原文と読み下し文

 

孟春始至.黄帝燕坐.臨觀八極.正八風之氣.而問雷公曰.

陰陽之類.經脉之道.五中所主.何藏最貴.

孟春始めて至る。黄帝燕坐して八極を臨觀し、八風の氣を正して雷公に問うて曰く。

陰陽の類、經脉の道、五中の主る所、何れの藏か最も貴きや。

 

雷公對曰.春甲乙青中主肝.治七十二日.是脉之主時.臣以其藏最貴.

雷公對して曰く。春は甲乙、青、中は肝を主る。治むること七十二日、是れ脉の時を主る。臣其の藏を以て最も貴しとす。

 

帝曰.却念上下經.陰陽從容.子所言貴.最其下也.

帝曰く。上下經の陰陽從容を念(おも)い却(かえ)れば、子が貴しと言う所は、最も其の下なり。

 

雷公致齋七日.旦復侍坐.

雷公齋を致すこと七日。旦(あした)に復(ま)た坐して侍す。

 

帝曰.

三陽爲經.二陽爲維.一陽爲游部.此知五藏終始.

三陰※爲表.二陰爲裏.一陰至絶作朔晦.却具合以正其理.

帝曰く。

三陽を經と爲し、二陽を維と爲し、一陽をと爲す。此に五藏の終始を知る。

三陰※を表と爲し、二陰を裏と爲し、一陰至りて絶すれば朔晦(さくかい)を爲す。却って具(つぶ)さに合し以て其の理を正す。

※三陽を三陰に作る

※游部(ゆうぶ) 位置を定めず動き回る、あそぶ、ぶらぶらする。

 

雷公曰.受業未能明.

帝曰.

所謂三陽者.太陽爲經.三陽脉至手太陰.弦浮而不沈.決以度.察以心.合之陰陽之論.

所謂二陽者.陽明也.至手太陰.弦而沈急不鼓.炅至以病.皆死.

一陽者.少陽也.至手太陰.上連人迎.弦急懸不絶.此少陽之病也.專陰則死.

雷公曰く。業(わざ)を受けるも未だ能く明らかならず。

帝曰く。

所謂(いわゆる)三陽なる者は、太陽を經と爲す。三陽の脉は太陰に至り、弦浮にして沈ならず。決するに度を以てし、察するに心を以てし、これを陰陽の論に合す。

所謂(いわゆる)二陽なる者は、陽明なり。手太陰に至り、弦にして沈急にして鼓せず。炅(けい)至りて以て病むは、皆死す。

一陽なる者は、少陽なり。手太陰に至りて上は人迎に連らなり、弦急にして懸なるも絶せざるは、此れ少陽の病なり。陰專(もっぱ)らなれば則ち死す。

※炅(けい)烈火、火

 

三陰者.六經之所主也.交於太陰.伏鼓不浮.上空志心.

二陰至肺.其氣歸膀胱.外連脾胃.

一陰獨至.經絶.氣浮不鼓.鉤而滑.

此六脉者.乍陰乍陽.交屬相并.繆通五藏.合於陰陽.先至爲主.後至爲客.

三陰なる者は、六經の主る所なり。太陰に交わり、伏鼓して浮ならず、上は志心空(むな)しゅうす。

二陰は肺に至る。其の氣は膀胱に歸し、外は脾胃に連らなる。

一陰獨り至り、經絶すれば、氣は浮いて鼓せず。鉤にして滑なり。

此の六脉なる者は乍(たちま)ち陰乍(たちま)ち陽。交(こも)ごも屬して相い并し、五藏に繆(まつ)わり通じ、陰陽に合す。先に至るを主と爲し、後に至るを客と爲す。

 

雷公曰.臣悉盡意.受傳經脉.頌得從容之道.以合從容.不知陰陽.不知雌雄.

雷公曰く。臣悉(ことごと)く意を盡(つく)し、經脉を受け傳(つた)え、從容の道を頌(しょう)し得て、以て從容に合すれども、陰陽を知らず、雌雄を知らざるなり。

※頌(しょう)ほめたたえる、ほめたたえるうた。

 

帝曰.

三陽爲父.二陽爲衞.一陽爲紀.

三陰爲母.二陰爲雌.一陰爲獨使.

帝曰く。

三陽を父と爲し、二陽を衞と爲し、一陽を紀と爲す。

三陰は母と爲し、二陰は雌と爲し、一陰は獨(ひと)り使と爲す。

 

二陽一陰.陽明主病.不勝一陰.脉耎而動.九竅皆沈.

三陽一陰.太陽脉勝.一陰不能止.内亂五藏.外爲驚駭.

二陰二陽.病在肺少陰脉沈.勝肺傷脾.外傷四支.

二陰二陽.皆交至.病在腎.罵詈妄行.巓疾爲狂.

二陰一陽.病出於腎.陰氣客遊於心.脘下空竅.堤閉塞不通.四支別離.

一陰一陽代絶.此陰氣至心.上下無常.出入不知.喉咽乾燥.病在土脾.

二陽三陰.至陰皆在.陰不過陽.陽氣不能止陰.陰陽並絶.浮爲血瘕.沈爲膿胕.

陰陽皆壯.下至陰陽.

上合昭昭.下合冥冥.診決死生之期.遂合歳首.

二陽一陰、陽明病を主る。一陰に勝たず。脉耎(ぜん)にして動なれば、九竅は皆沈む。

三陽一陰、太陽の脉勝ちて、一陰止むこと能わず。内は五藏亂(みだ)れ、外は驚駭を爲す。

二陰二陽、病は肺に在り。少陰の脉沈、肺に勝ち脾を傷り、外は四支を傷る。

二陰二陽、皆交(こもご)も至れば、病は腎に在り。罵詈妄行し、巓疾して狂を爲す。

二陰一陽、病は腎に出ず。陰氣は心に客遊し、脘下の空竅、堤は閉塞して通ぜず。四支は別離す。

一陰一陽代絶するは、此れ陰氣心に至り、上下に常無く、出入を知らず、喉咽乾燥す。病は土脾に在り。

二陽三陰、至陰皆在るは、陰は陽に過ぎず、陽氣は陰を止めること能わず。陰陽並びて絶す。浮は血瘕(けっか)と爲し、沈は膿胕と爲す。

陰陽皆壯(さか)んなれば、下は陰陽に至る。

上は昭昭に合し、下は冥冥に合す。診して死生の期を決し、遂(つい)に歳首に合す。

 

雷公曰.請問短期.

黄帝不應.

雷公復問.

雷公曰く。請いて短期を問う。

黄帝應ぜず。

雷公復た問う。

 

黄帝曰.在經論中.

雷公曰.請聞短期.

黄帝曰く。經論の中に在り。

雷公曰く。請いて短期を聞かん。

 

黄帝曰.

冬三月之病.病合於陽者.至春正月.脉有死徴.皆歸出春.

冬三月之病.在理已盡.草與柳葉.皆殺.春陰陽皆絶.期在孟春.

春三月之病.曰陽殺.陰陽皆絶.期在草乾.

夏三月之病.至陰不過十日.陰陽交.期在溓水.

秋三月之病.三陽倶起.不治自已.

陰陽交合者.立不能坐.坐不能起.三陽獨至.期在石水.

二陰獨至.期在盛水.

黄帝曰く。

冬三月の病、病が陽に合する者は、春正月に至りて、脉に死徴有るは、皆出春に歸す。

冬三月の病、理に在りて、已に盡きるは、草と柳葉と皆殺(さい)する。春に陰陽皆絶するは、期は孟春に在り。

春三月の病、陽殺と曰く。陰陽皆絶するは、期は草乾に在り。

夏三月の病、至陰なれば十日を過ぎず。陰陽交われば、期は溓水(れんすい)に在り。

秋三月の病、三陽倶に起き、治せずして自ずと已(や)む。

陰陽交ごも合する者は、立ちて坐すること能わず、坐して起きること能わず。三陽獨(ひと)り至るは、期は石水に在り。

二陰獨(ひと)り至るは、期は盛水に在り。

 

徴四失論篇第七十八.

  本篇は、前篇<疏五過論>に引き続いて、治療者への戒めと理解される内容である。

 学校教育で授かった経絡学や東洋医学理論は、有資格者であれば一定のレベルにあります。

 この誰でもが知っている程度のことでは、実際の臨床においては不十分であると記されてます。

 これは、残念ながら現代においても未だに通用することではないでしょうか。

 他は、一読くだされば文意はそんなに難しくは無いと思われます。

 本篇も筆者の感性に従って、大胆に意訳の手を加えております。

 読者諸氏のご意見・ご感想を期待しております。

 

         原 文 意 訳

 

  黄帝が政務を司る明堂にお出ましになり、雷公はその傍らに座しておられた。 

  そして黄帝が以下のように申された。

 そちは数多くの書を読誦して通じ、広く多くの医術を授かっておることであろう。試しに治療が非常に奏功した場合と失敗した場合の理由を申してみよ。

 それに対して雷公が申された。

 経典に記されていることに循(したが)うことと、師から授かった治療の業は全て完璧であります。そうであるにもかかわらず、治療に際して過失を犯してしまうことがございます。

 これはいったいどういうことなのでしょうか。どうかその理由をお聞かせください。

 

 黄帝が申された。

 そちはまだ年少者であるため、智慧がまだ十分に働かないのであろうかのう。はたまたそちはよく学んでおるがゆえに、医学各家の数々の論説をうまく比類することができていないのかも知れないのう。

 さて、十二經脉や三百六十五絡脉などは、医師であれば誰でもが明らかに知っていることであり、皆これに従って治療しているものである。

 であるにもかかわらず、十分な治療結果が得られないのは、医師の精神が専らでないばかりか、志意が天道に適っていない、はたまた患者に十分意識が集中していないためである。

 であるから、患者が現している状態と治療者が感じ取る内容とがちぐはぐとなり、挙句に疑義を生じてしまうから、あやういことをしでかしてしまうのじゃ。

 その診察に際しては、陰陽の道理に合致しているか否かなど、その理(ことわり)を会得していないことに起因しているからなのじゃ。

 これが治療に際して足りない一失である。

 

 次なるは、師について学んでおりながら最後までその学業を終えず、途中で自ずと成ったと勘違いして正法に適わない雑多な術を行い、でたらめな自説を以て道に法ったと言い放つ。

 しかも自説にもとづき病名を改めて己の功績とする。さらには、でたらめに砭石を用いて反って病人を苦しめ、ついには人から責められたり非難されるようになるのである。

   これが治療に際して足りない二失である。

 

 診察に際しては、貧富貴賤の状況に応じて住居環境の善し悪しや安逸に過ごしすぎていないか、また働き過ぎて過労に陥っているのではないかなど。

 またそれに伴って身体が寒温のどちらに偏っているのか。

 さらに飲食上の適不適やその人がおびえやすいのか勇ましいのかと言ったことが病にどのように関係しているかも知らずに居るとどうなると思うか。

 このような有様であれば、治療の結果に惑うばかりであり、自らこころを乱すことになってしまうのである。

 しかもである、治療者自身のこころが混乱している理由を自ら明らかにできないのである。

 これが治療に際して足りない三失である。

 

 病を診察する際には、まずはその病が何時どのようにして起きたのかを問診する必要があるのじゃ。

 またさらには、患者が思い煩っていることの有無や飲食の不摂生、何時寝て起きるのか等の生活の乱れ、あるいは何かの中毒にかかっていないか、さてはどのような湯液を服しているのかなどを知ることが必須である。

 それにも関わらず、何も知らずにいきなり寸口の脈を取ったところで、どのような病であるのか分かるはずが無いではないか。

 それなのにでたらめを言って患者を納得させ、その時は何とかごまかすことができても、その後何度治療しても病が治らない。

 そのうちに粗工(粗悪な医師)は、自ら追い込まれて窮することとなるのじゃ。

 これが治療に際して足りない四失である。

 

 このようにして世間のその医師への悪風評は、千里の果てまでも走り広まってしまうのである。

 それというのも、寸尺の脈診の道理に暗く、診察に人事を察することも無く、天人の道理に基づくことができないので、自然と道理が見えてくる従容とした感覚に自分を包むことができないからである。
 そもそも、ろくに学ぶこともせずしてただ漫然と座り、患者の寸口の脈を取ったところで、五臓の脈をかみ分けられる道理とて無いではないか。

 このようであるから百病ことごとく、病の起こり始めの病因や病理などを的中させることができないのである。

 おまけに自分の無学・無術を顧みること無く、こうなったのは師匠の教えが悪いのだと逆恨みするようになる始末じゃ。

 また師匠の弟子と知る者には、弟子にした師匠への咎を残すことになるのじゃ。

 この故に、治療には理が無いために妄言をまき散らし、この素晴らしい医学を世間に貶めてしまうのじゃ。

 また妄りに治療して、たまたま偶然にでも治るようなことがあれば、愚かな馬鹿は我が意を得たりとして得意になるものじゃ。

 ああ、この計り知れない深遠なる真理よ、誰がその道に通ずることが出来ようか。

 医道の大なるは天地になぞらえ、四海(東西南北の海)に相当するようなものである。

 そちが自分で理解していると思っている道などは、まだまだ机上のものである。明らかなる教えを受けておきながら、まだまだ暗いのお。

 

        原文と読み下し文

 

黄帝在明堂.雷公侍坐.

黄帝曰.夫子所通書.受事衆多矣.試言得失之意.所以得之.所以失之.

雷公對曰.循經受業.皆言十全.其時有過失者.請聞其事解也.

黄帝明堂に在り。雷公侍坐す。

黄帝曰く。夫子が通ずる所の書、事を受けること衆多なり。試しに得失の意、これを得る所以、これを失する所以を言え。

雷公對えて曰く。經に循い業を受けるに、皆十全と言う。其の時に過失有る者は、請う其の事の解を聞かん。

 

帝曰.

子年少.智未及邪.將言以雜合耶.

夫經脉十二.絡脉三百六十五.此皆人之所明知.工之所循用也.

所以不十全者.精神不專.志意不理.外内相失.故時疑殆.

診不知陰陽逆從之理.此治之一失矣.

帝曰.

子年少なく、智は未だ及ばざるや。將(は)た言を以て雜合するや。

夫れ經脉十二、絡脉三百六十五。此れ皆人の明らかに知る所、工の循い用うる所なり。

十全ならざる所以(ゆえん)の者は、精神專らならず、志意に理あらず、外内相い失す。故に時に疑殆す。

診するに陰陽の逆從の理を知らず。此れ治の一失なり。

 

受師不卒.妄作雜術.謬言爲道.更名自功.妄用砭石.後遺身咎.此治之二失也.

師に受けて卒(お)わらず、妄りに雜術を作(な)し、謬言(びゅうげん)して道と爲し、名を更(あら)ため自ら功とし、妄りに砭石を用いて、後に身の咎を遺(のこ)す。此れ治の二失なり。

 

不適貧富貴賎之居.坐之薄厚.形之寒温.不適飮食之宜.不別人之勇怯.不知比類.足以自亂.不足以自明.此治之三失也.

貧富貴賎の居、坐の薄厚、形の寒温に適わず、飮食の宜しきに適わず、人の勇怯を別たず、比類を知らず、以て自ずから亂れるに足りて、以て自ずから明らかにするに足らず。此れ治の三失なり。

 

診病不問其始.憂患飮食之失節.起居之過度.或傷於毒.不先言此.卒持寸口.何病能中.妄言作名.爲粗所窮.此治之四失也.

病を診するに病其の始めを問わず、憂患、飮食の節を失し、起居の過度、或いは毒に傷られるか先ず此れを言わずして卒(にわ)かに寸口を持しせば、何の病か能く中らん。妄言して名づくるを作す。粗の窮する所と爲す。此て治の四失なり。

 

是以世人之語者.馳千里之外.不明尺寸之論.診無人事.

治數之道.從容之葆.坐持寸口.診不中五脉.百病所起始.以自怨.遺師其咎.

是故治不能循理.棄術於市.妄治時愈.愚心自得.

嗚呼.窈窈冥冥.熟知其道.

道之大者.擬於天地.配於四海.汝不知道之諭.受以明爲晦.

是れを以て世人の語なる者は、千里の外を馳す。尺寸の論を明らめず、診に人事、

治數の道、從容の葆(ほう)無し。坐して寸口を持し、診は五脉、百病の起始する所に中らず、以て自ずから怨み、師に其の咎を遺(のこ)す。

是れ故に、治は理に循うこと能わず、市に術を棄つ。妄りに治して時に愈ゆれば、愚心は自ずと得たりとす。

嗚呼(ああ)、窈窈冥冥(ようようめいめい)、熟(たれ)か其の道を知らん。

道の大なる者は、天地に擬(なぞ)らえ、四海に配す。汝道の諭(たと)えを知らず、受けて以て明を晦(かい)と爲す。

※葆(ほう) おおう、つつむと訳した。

※窈窈(ようよう) 奥深い

※冥冥(めいめい) 暗い、目に見えない、人知の及ばない